2009年に見た映画(八十五) 「人間の條件」(第五部・第六部)
原題名:人間の條件 第五部: 死の脱出
第六部: 野の彷徨
監督: 小林正樹
撮影: 宮島義勇
音楽: 木下忠司
出演: 仲代達矢,岸田今日子,中村玉緒,笠智衆,高峰秀子
時間: 188分 (3時間28分)
製作年: 1961年/日本 松竹
(新宿 ジョイシネマ にて鑑賞)
2009年 5月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
---------------------------------------------------------------
奇跡的に戦場を脱し満州の荒野を彷徨う中で梶は戦争が終わったことを
知る。しかし一切の祖国である日本の援助が絶たれた中で遺された人々に
とっては戦争と同等以上の過酷な地獄が待ち受けていた。全ての社会秩序・法
が機能しなくなった中で多くの「人間」が単なる獣に堕ちて行く様を梶は目撃する。
五部は終戦という混沌と虚無の中に投げ出された人間達の地獄を
六部はソビエト軍に抑留された人間達の保身に狂うエゴイズム地獄を描く。
第四部までは梶を含めて主に現状の体制に疑問を持ち変革しようとする者に
とっての「人間の在り方」を問う展開であったが第五部・第六部では、
その体制そのものが崩壊し、居合わせた全ての人々が「人間の条件」を
否応無しに精神の根本から問われることになる。第六部はソビエト軍に
抑留された人々がどうなったか正面から描かれる邦画史においても異質
な展開で主人公の梶を演じる仲代達矢の映画というよりもまるで一人芝居
を観ているかのような演技も見ごたえ充分な独立した部の趣きが強い。
そういう意味で、戦争が終わったことがいいのか悪いのか観ていて判らなく
なるような、戦争さえ無くなればそれでいいのかという監督の問いが
聞こえてくるような、秩序を失った人間達の自己保身からとはいえその恐る
べき暴力性を描ききる第五部が超大作「人間の條件」の本編と言えるの
かもしれない。
家族を親を子供を見捨てる男、女。
命の安全の保障と引換えに体を要求する男達。
戦争が終わっても軍隊の秩序をあくまで強制し離脱を許さない上官。
「奪う」ことが出来ずに奪われるままに全てを失い息絶えていく
少女、少年、赤子、老人、全ての達弱者。
小林正樹は第三部・四部では国家間が起す戦争の道具である軍隊の
必要悪としての秩序至上主義に染まれない、または異議を唱える人間達
に同情的な視点を持ち合わせながら、第六部ではソビエト社会主義体制の
表層と内実が一致しない胡散臭さをも冷徹に見抜き描写している。
1961年という製作年と当時の社会背景を考えて、莫大な制作費が投じられ
たであろう本作の規模をも考えてみるとこの視点の見事なまでのバランスと
クオリティの高さはどこまでも賞賛に値し驚くべきことだと思う。
映画として冷静に見ると第一部・二部で鮮やかで圧倒的な大陸感、風景の
スケール感というものは第五部では予算的な限界も勿論あるだろうが
明らかに日本の某所で撮影されたであろう雰囲気が出てしまっている感
は否めない。それでも第五部、第六部ではタイトルにもなっている物語の
テーマそのものが延々と主人公梶によって語られ梶の眼を通して描写
されるのでそれほど気にもならないが。
笠智衆と高峰秀子は第五部において問題提起せざるを得ない役を演じて
いるが彼らが演じたことを論じても今となっては何ら意味はなく、"国"の
"民"であることに意味を見出せなくなった人々の行動を解釈を持たせずに
ただひたすらに観客の前に提示し続ける監督の気迫にはただ圧倒される
しかない。
第六部では「人間」として生きるには過酷すぎる粗末極まる衣食住を
与えられただけで重労働に従事される「箱の中」に押し込められた
人間達同士の、外部の者の目には見えない頑強なヒエラルキーの中で
虫けら同然の扱いを受ける「人間」とそれを同胞であろうと戦友であろうと
黙認するだけの「人間」をカメラは捉え続ける。
病人が最低限度の休養を摂る事や生きるのに必要な最低限度の
防寒具を自前で調達していい許可を粘り強く要求していく梶に対して
ソビエト軍は党の顔色を常に伺いながらのらりくらりと要求をかわすか
先延ばししていく。
戦争が終われば、その瞬間に消滅していいはずのヒエラルキーが
卑怯者達の手で温存され「戦争である」という建前を失ったその強制力は
透明だが殺傷能力充分な凶器として"箱"の中を飛び回り狡猾に避ける
事の出来ない「人間」に襲いかかる。そしてその凶器に斃されることは
全くの犬死でしかない。
戦争という国家間が認識する敵ではなく同胞達の単なる保身によって
一つの命が奪われた時、梶の怒りは頂点に達した。その怒りは初めて
"個人"に向けられることとなった。梶の眼を通して描かれてきた幾多の
「人間の條件」の中に梶もまた埋没していつしかその濁流に呑み込まれていく。
闘い続け、やがて疲れ果てた梶が思うことはたった一つだった。
================================================================
戦争という巨悪の前に、いかに自らの信念を貫き通そうと悪戦苦闘しても、
所詮梶は日本軍国主義の手先である。だから、逡巡を続けるだけで煮えきらず、
結局は、敗れ去るしかない。その敗走の見苦しい有様を、小林正樹は冷徹に
観察する。心情的加担も革命的帰結もなしに、崩壊の一部始終を凝視する。
その意味で、小林正樹は「誠実な善意の人」ではない。血みどろで野垂うち廻る
人間に対し、一片の同情なしに解剖するような鋭利な眼差しをもった「悪党」で
ある。そして、そうした「悪党」にしか、本当の人間は描けないと私は信じている。
佐藤 真 (映画監督)
================================================================
[NFC ニューズレター第31号より]
『映画』は恐らくは悪党にしか作れない。そして悪党共が映画を作れない
社会はただの無でしかない。そこには平和などは無く戦争をして奪い合う
価値すらもないだたの無があるだけだ。
全六部、567分。本作を観るのに必要な約9時間半という時間は日本人として、
「人間」として、生きる上で寸分の無駄にもならないと断言出来る。
---------------------------------------------------------------
映画感想一覧>>
最近のコメント