2009年11月11日 (水)

リーマン戦記(20)

リーマン戦記(20)
等価交換の法則は存在する。

今年は夏の終りから晩秋にかけて例年になく楽しかったことが幾つかあって
その代償としか思えないのだけど、きっと何か悪いことがあるだろうと
思っていたが案の定で会社が結構な危険水域まで大失速しとる。

某アニメの世界を支配する法則として「等価交換の法則」というのがある。
"得たものと同じ価値のあるものを何か失わなければならない"
というもので主人公はその法則によって母を救う代償として弟の体を
奪われてしまい、物語は弟の体を取り戻すことが骨となっている(らしい)。

と、書いたけど詳しいことは知りもはん。傍目でその某作品を見ている限りでは
すっかり闘うことが手段ではなくて目的化して所謂「ドラゴンボール化」
しているようだが、まあ私の関知することではない。

さて、その某アニメのエピソードとして主人公が"我々の世界"にやってきて
「等価交換の法則」が無いことを羨ましく思うというシークエンスがある。
つまり"我々の世界"では何かを得たら強制的に何かを失うなんぞという
オカルティックなツールが無いというわけだが、、激しく異議有り。

なぜなら私の人生には幼少の頃からずっと
「等価交換の法則」がかなり厳密に成立しているからである
楽しいことがあればそれに匹敵する哀しいことが必ずある。
楽しければ楽しいほどその後に起こることの絶望を恐怖しなければならない
そんな愉快痛快なアンビバレンツにひたすら耐えて生きてきたのさ。

そのおかげで過度の幸せを決して欲しない謙虚な人間ができあがりました。
( ̄∇+ ̄)vキラーン

そしてここ数年、その鍛え上げられた?謙虚さのおかげもあってかささやかな
幸せを蟻のようにコツコツと積んで生きてきたのだが、、

ここ最近はどうも愉快な事が起こり過ぎる。
(といってもたかが2,3個の出来事だし、その幸せで人生楽勝ってほどでは決してないが)

重要な点は我が人生を覆っている素晴らしき「等価交換の法則」により
この幸せの代償として適用されるであろうマイナス要因は我が社の破綻くらいが
大きさといいタイミングといい見事にジャストミート!!
という不気味な符合にある。

もともと後二年くらいでリーマン生活に終止符を打とうとは思って計画も
少しは立てたが一気に前倒しかよ。

リーマン戦記は意外(?)にも強制最終回という形で幕を閉じるのか( ̄ロ ̄lll)

これまでの愉快痛快怪物クンな素敵嬉し恥ずかし人生に従えば
己の幸せを壊せば(手放せば)きっとそれは会社を救うことになる。

または会社が存続するということは、それはすなわち
己の幸せが去っていくということか?

それともさらなる恐怖が待ち受けているとでも。。。( ̄ロ ̄#)

とりあえず最近やってもらった占いでは

「最終的にはは私の思い通りになる。しかしその道程は楽ではない

とのこと。ヤダ~まるっきり当ってるわ~(n‘∀‘)η

To be, or not to be : that is the question.

 
  
 
  
  
  

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2009年11月10日 (火)

映画「鬼の棲む館」

2009年に見た映画(八十八) 「鬼の棲む館」

原題名: 鬼の棲む館
監督: 三隅研次
脚本: 新藤兼人
撮影: 宮川一夫
出演: 勝新太郎,高峰秀子,新珠三千代,佐藤慶
時間: 76分 (1時間16分)
製作年: 1969年/日本 大映京都
(神保町シアター にて鑑賞)

2009年 5月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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廃寺に棲む傍若無人な男(勝新太郎)と男の愛人(新珠三千代)。男の妻
(高峰秀子)は何とか夫の心を取り戻そうと廃寺にやってきて勝手に住み始める。
男は妻と縁を切ろうと目の前で愛人と色欲に溺れる。そこへある日一人の
僧(佐藤慶)が廃寺にやって来る。僧は男の愛人とかつては恋仲だった。。
原作は谷崎潤一郎「無明と愛染」。

エネルギッシュな勝新太郎の豪快な殺陣と演技、佐藤慶の細部まで気を
抜かない丁寧な演技、実力ある女優二人の肩の抜け具合、天才宮川一夫の
撮影と実力ある面々が揃って各々の仕事をきっちりこなしている実に楽しい
お得な一編。画面のどこまでもプロの手で作られた作品は本当にくつろいで
観ていられてそれだけで満足感がとても高い。

本作の前後でチャンバラシーンのある映画を幾つも観ていて全部、殺陣
のシーンはほぼ無音でテレビの時代劇で当たり前に使われるいわゆる
「人を斬る音」が本作では使われていて新鮮な感じがした。改めてしみじみ
味わってみるとこの斬る時の音というのは何となく"あざとさ"が感じられて
無音の方がいいような気がする。

新珠三千代がとても美しくて脱ぎっぷりも良く肌もバスとも綺麗だ。かつては
恋仲だった佐藤慶演じる僧の必死の抵抗を破り色欲地獄に突き落とした新珠
三千代演じる女が全裸で勝利の雄叫びを上げるシーンは中盤のクライマックス
であるが新珠三千代のスタイルの良さとその惜しみ無い肌の露出も相まって
「悪」が勝ち誇る様が爽快感全快で描かれている。

佐藤慶は自分の役柄としての"過去"を演技の中にきっちり封じ込めて
ただ美しい女の裸の前に煩悩だけで屈していくだけでなく、かつての女を
心から慕い恋するがゆえに僧の身から転がり堕ちて行く様を全身で
演じていて素晴らしい。新珠三千代と佐藤慶が演じ"戦う"間は勝新も
高峰秀子も入ってくる余地は全くない。

上映時間は1時間強と短いので後半の展開はあっさりとしている。奇跡を
"起こり得るもの"として肯定的に描いているのも興味深い。

高峰秀子は男の愛情を受けられなくなった妻や愛人を演じさせると本当
に上手くて、、リアルでうざったい(笑)。

物語構成はシンプルで場面展開も廃寺とその周囲だけだが
最初から最後まできちんと弛むことなく見せる。映画の勉強に調度いい
作品かもしれない。実力ある人々が作るとは尺が短くてもやっぱり上手い。

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2009年11月 8日 (日)

映画「網走番外地」

2009年に見た映画(八十七) 「網走番外地」

原題名: 網走番外地
監督: 石井輝男
撮影: 稲田喜一
美術: 藤田博
出演: 高倉健,丹波哲郎,嵐寛寿朗,安部徹,田中邦衛,南原宏治
時間: 92分 (1時間28分) [モノクロ]
製作年: 1965年/日本 東映
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 5月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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極寒の冬の北海道は網走刑務所から"伝説"は始まる。
野外作業中に一緒に手錠を付けた相手が逃走を計ったことから
橘真一(高倉健)もまた逃走することに。。シリーズ第一作。

物語の展開のシンプルとクライマックスのトロッコを存分に使った
追走劇の男臭さに、予想とは異なる「意外」な内容に終始圧倒された。

中盤の監獄で風呂に入るシーンでは、誰ともなく名前を叫んで一芸(?)
をしながら脱衣していく様が楽しい。流れを止めたら『男』(面子)に関る。
馬鹿に見えるがここで怯んだら荒くれ猛者共の誰からも男として
認められない絶対に避けてはいけない勝負なんだよな。
田中邦衛も高倉健も大馬鹿者を見事に演じて"男"と認められる。

これまで自分が観た石井輝男の作品にはほとんど全部にこういった
シーンを描く上でのテクニカルな技法や心理描写といったものよりも
大切な男であること、女であることの"ファクト"factのような魂と言って
もいいような成分が多分にフィルムに混合されていてそれが形容し難い
魅力でありフリークを生んでいる主要な原因ではなかろうかと思う。

"お勤め"に嫌々、渋々従事する男共と淡々と描き、後半は作業中に
逃走しひたすら逃げ続ける二人の男を丹波哲郎演じる刑事(※)が追うという
展開だが全く飽きずに観続けてしまうのはそこに逃げる者と追う者の
理屈を越えたサムシングをしっかりと石井輝男が捉えているから
なのだろう。

社会の食み出し者達をいかに、なぜ描くのか。
我々はそこに何を思うのか。答えは石井輝男の作品を見よ。

どうってこと無いように観えて、やはりこの作品も表層だけ
幾らでもいかようにもリメイクできてもこの石井版第一作を越える
ことは至難中の至難であろう。

石井輝男がもしも邦画界に存在していなくて
「網走番外地」シリーズや「直撃!地獄拳」シリーズや
忘八武士道」(1973)や「恐怖奇形人間」(1969)が存在しなかったら
邦画界は何とも言えずに寂しい風景になるだろう。
自分の人生も、また。

というわけで妙にもうもう一回観たい気のする作品である。

石井輝男はつくづく天才だ。

※丹波哲郎演じる役柄は"保護司"とのことです。
   戒めとして自分の誤りをそのまま晒しておきます。

(そういえば橘の面倒を見た保護司だからこそ橘達が
民家を襲撃した罪の深さとクライマックスの銃撃戦にも
緊迫感が増し物語の展開に厚みが出ていたのでした)

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2009年11月 5日 (木)

映画「網走番外地 望郷編」

2009年に見た映画(八十六) 「網走番外地 望郷編」

原題名: 網走番外地 望郷編
監督: 石井輝男
撮影: 稲田喜一
美術: 藤田博
出演: 高倉健,杉浦直樹,嵐寛寿朗,田中邦衛,安部徹
時間: 88分 (1時間28分)
製作年: 1965年/日本 東映
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 5月鑑賞
(満足度::☆☆☆☆)(5個で満点)

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九州長崎を舞台にしたシリーズ第三作。旭組の組長に恩のある
橘真一(高倉健)は旭組に加担し安井組との抗争に巻き込まれていく。

初めて観る"網走番外地"シリーズ。
仁義なき戦いシリーズ(こちらの初期シリーズの監督は深作欣二)と
勝手にごちゃ混ぜにイメージしてさぞかし銃撃シーンの連続と全編に
血の雨がグロテスクに降り注ぐのだろうと勝手に想像していたが、
物語そのものはヤクザの抗争を描いているので単純なものの
天才石井輝男により実にしっかりと「人間」は描けている佳作。

ストーリーに直接は関係しないものの混血の少女エミリーが
登場する主人公を含めた"はみ出し者"達の悲劇性のイコンとして
とても効果的に描かれている。

望んで産まれてきたわけでないのに母に疎まれ、碌でもない環境に
投げ出されながらも明るく逞しく生きるエミリーを橘真一演じる健さん
は当然のように放ってはおけない。しかし半端者である自分が何か
出来るわけでもない。

地道に生きる道を踏み外してしまった人々をそのまま"堕ちた人間達"
として「暴力描写を正当化する道具として描いていない」ところに
他の石井作品にも多分に観られる視点の温かさのようなヒューマニズム
を感じる。

エミリーと橘が心を通わせるややロングで公園の二人を捉えた静かな
シーンや後半の大きな山場となる夏祭りでの祭り特有の群集の熱気と
迫力を的確に描いたシーンなど撮影もとてもしっかりしていて楽しい。

そんな見所が多い本作において何といっても特筆すべき点は
クライマックスで橘の前に立ちはだかる殺し屋を演じる杉浦直樹
とんでもないカッコ良さであろう。
長身にバランスの良い長い足と無表情にグラサンをかけたその
見えない眼の奥に秘められた確実な殺意。出演シーンと最後の
健さんとの格闘シーンの余りの短さがかえって印象深さを累乗的に
深めている。

杉浦直樹は個人的にはTVドラマ「繋がれた明日」(2003年)で主人公
を更生させる誠実さ溢れる保護司役がとても印象深く演技も堅実で
素晴らしかった。実力のある役者が悪役をやるとここまで輝くものか。

活劇物の王道を行きながら当然のように健さんも観客が望む健さん
として描かれ登場人物達の描写にメリハリがあって心地いい。

この映画、その"核"において真似をすることは実は相当に難しい。
なぜならそこには確実にの通った人間」が描かれているから。


石井輝男はやはり天才だ。


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2009年11月 2日 (月)

映画「人間の條件」(五)(六)

2009年に見た映画(八十五) 「人間の條件」(第五部・第六部)

原題名:人間の條件 第五部: 死の脱出
              第六部: 野の彷徨
監督: 小林正樹
撮影: 宮島義勇
音楽: 木下忠司
出演: 仲代達矢,岸田今日子,中村玉緒,笠智衆,高峰秀子
時間: 188分 (3時間28分)
製作年: 1961年/日本 松竹
(新宿 ジョイシネマ にて鑑賞)

2009年 5月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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奇跡的に戦場を脱し満州の荒野を彷徨う中で梶は戦争が終わったことを
知る。しかし一切の祖国である日本の援助が絶たれた中で遺された人々に
とっては戦争と同等以上の過酷な地獄が待ち受けていた。全ての社会秩序・法
が機能しなくなった中で多くの「人間」が単なる獣に堕ちて行く様を梶は目撃する。
五部は終戦という混沌と虚無の中に投げ出された人間達の地獄を
六部はソビエト軍に抑留された人間達の保身に狂うエゴイズム地獄を描く。

第四部までは梶を含めて主に現状の体制に疑問を持ち変革しようとする者に
とっての「人間の在り方」を問う展開であったが第五部・第六部では、
その体制そのものが崩壊し、居合わせた全ての人々が「人間の条件」を
否応無しに精神の根本から問われることになる。第六部はソビエト軍に
抑留された人々がどうなったか正面から描かれる邦画史においても異質
な展開で主人公の梶を演じる仲代達矢の映画というよりもまるで一人芝居
を観ているかのような演技も見ごたえ充分な独立した部の趣きが強い。

そういう意味で、戦争が終わったことがいいのか悪いのか観ていて判らなく
なるような、戦争さえ無くなればそれでいいのかという監督の問いが
聞こえてくるような、秩序を失った人間達の自己保身からとはいえその恐る
べき暴力性を描ききる第五部が超大作「人間の條件」の本編と言えるの
かもしれない。

家族を親を子供を見捨てる男、女。
命の安全の保障と引換えに体を要求する男達。
戦争が終わっても軍隊の秩序をあくまで強制し離脱を許さない上官。
「奪う」ことが出来ずに奪われるままに全てを失い息絶えていく
少女、少年、赤子、老人、全ての達弱者。

小林正樹は第三部・四部では国家間が起す戦争の道具である軍隊の
必要悪としての秩序至上主義に染まれない、または異議を唱える人間達
に同情的な視点を持ち合わせながら、第六部ではソビエト社会主義体制の
表層と内実が一致しない胡散臭さをも冷徹に見抜き描写している。
1961年という製作年と当時の社会背景を考えて、莫大な制作費が投じられ
たであろう本作の規模をも考えてみるとこの視点の見事なまでのバランスと
クオリティの高さはどこまでも賞賛に値し驚くべきことだと思う。

映画として冷静に見ると第一部・二部で鮮やかで圧倒的な大陸感、風景の
スケール感というものは第五部では予算的な限界も勿論あるだろうが
明らかに日本の某所で撮影されたであろう雰囲気が出てしまっている感
は否めない。それでも第五部、第六部ではタイトルにもなっている物語の
テーマそのものが延々と主人公梶によって語られ梶の眼を通して描写
されるのでそれほど気にもならないが。

笠智衆と高峰秀子は第五部において問題提起せざるを得ない役を演じて
いるが彼らが演じたことを論じても今となっては何ら意味はなく、"国"の
"民"であることに意味を見出せなくなった人々の行動を解釈を持たせずに
ただひたすらに観客の前に提示し続ける監督の気迫にはただ圧倒される
しかない。

第六部では「人間」として生きるには過酷すぎる粗末極まる衣食住を
与えられただけで重労働に従事される「箱の中」に押し込められた
人間達同士の、外部の者の目には見えない頑強なヒエラルキーの中で
虫けら同然の扱いを受ける「人間」とそれを同胞であろうと戦友であろうと
黙認するだけの「人間」をカメラは捉え続ける。

病人が最低限度の休養を摂る事や生きるのに必要な最低限度の
防寒具を自前で調達していい許可を粘り強く要求していく梶に対して
ソビエト軍は党の顔色を常に伺いながらのらりくらりと要求をかわすか
先延ばししていく。

戦争が終われば、その瞬間に消滅していいはずのヒエラルキーが
卑怯者達の手で温存され「戦争である」という建前を失ったその強制力は
透明だが殺傷能力充分な凶器として"箱"の中を飛び回り狡猾に避ける
事の出来ない「人間」に襲いかかる。そしてその凶器に斃されることは
全くの犬死でしかない。

戦争という国家間が認識する敵ではなく同胞達の単なる保身によって
一つの命が奪われた時、梶の怒りは頂点に達した。その怒りは初めて
"個人"に向けられることとなった。梶の眼を通して描かれてきた幾多の
「人間の條件」の中に梶もまた埋没していつしかその濁流に呑み込まれていく。

闘い続け、やがて疲れ果てた梶が思うことはたった一つだった。


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戦争という巨悪の前に、いかに自らの信念を貫き通そうと悪戦苦闘しても、
所詮梶は日本軍国主義の手先である。だから、逡巡を続けるだけで煮えきらず、
結局は、敗れ去るしかない。その敗走の見苦しい有様を、小林正樹は冷徹に
観察する。心情的加担も革命的帰結もなしに、崩壊の一部始終を凝視する。
その意味で、小林正樹は「誠実な善意の人」ではない。血みどろで野垂うち廻る
人間に対し、一片の同情なしに解剖するような鋭利な眼差しをもった「悪党」で
ある。そして、そうした「悪党」にしか、本当の人間は描けないと私は信じている。 

佐藤 真 (映画監督)
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[NFC ニューズレター第31号より]

『映画』は恐らくは悪党にしか作れない。そして悪党共が映画を作れない
社会はただの無でしかない。そこには平和などは無く戦争をして奪い合う
価値すらもないだたの無があるだけだ。

全六部、567分。本作を観るのに必要な約9時間半という時間は日本人として、
「人間」として、生きる上で寸分の無駄にもならないと断言出来る。

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