東京漂流某日(一)
東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・
chapter1: フリーター戦記(1) バーンズよ、さらば。
黒猫は大学を卒業してしばらくの間フリーターをしていた。
理由は単純に就職活動をして内定も幾つか貰ったけど
本当に働いてみたいと思う職場が見つからなかったからだ。
大学を卒業してからは昼はスーパーの総菜コーナーで弁当を作り、
夜はレストランでウェイターをした。
今日で黒猫はその昼の惣菜コーナーのアルバイトを辞める。
朝、黒猫は職場のすぐ近くの駅のホームでバーンズと出会った。
バーンズは同じスーパーの生鮮肉のコーナーで働く男だ。
社員なのかアルバイトなのかは黒猫は知らない。
黒猫もバーンズもお互い決して目は合わさない。
目は合わせないがバーンズが目線は合わせずに自分を睨みつけている
ことは黒猫には判っていた。
黒猫は粗野なバーンズを内心軽蔑し、そのことは
職場の人間もバーンズ自身にも周知の事実でもあった。
バーンズというのは黒猫が勝手に付けた名前だ。
映画「プラトーン」に出てくるトム・べレンジャー演じる
小隊を牛耳る男。物語の終盤、隊を二分するリーダー格の
エイリアスは本来仲間であるはずのバーンズに非情にも撃たれ最期は
ベトコンに蜂の巣にされる。。
バーンズと名付けたその男はスーパー内で何か不祥事が
あると度々名前が出てきた。しかしいつも確かな証拠
は見つからず不問にされている。
バーンズは惣菜コーナーに食材を置いていくたびに軽口を
叩き、出来立ての惣菜を勝手に口に入れて出ていく。
その態度が黒猫には気に障るものがあった。
黒猫が冷凍倉庫に在庫を取り出しに行くときも
バーンズ一派が怠けて涼んでいるのをよく見かけた。
誰もが良くも悪くもバーンズには一目置くなかで
黒猫は毛嫌いして態度にも現していた。休憩室でも
バーンズに遠慮しない黒猫に周りはヒヤヒヤした。
だから黒猫が突然辞表を経営者に提出した時に
話しを聞いた人事部責任者の女性は
暗にバーンズの存在を仄めかしたほどだ。
しかし黒猫が辞める理由は全く別のところにあった。
総菜コーナーでの弁当作りは四十代後半から六十代のおばさん達と
毎日同じ会話をし同じ手順でほぼ同じ内容の弁当を作る。
毎日、毎日、毎日作る。
この単純作業が手順を覚えてしまった直後からは黒猫にとって
壮絶なまでに苦痛な作業となった。
毎日決まりきった同じ作業をすることが黒猫にとっては何よりも絶対的に
苦痛だということをこの時に初めて彼は思い知った。
しだいに曜日も時間の経過も全く意味を成さなくなっていった。
気が付けば同じ角度で同じ動作の繰り返し。少しでも作業に淀みが
あればコーナーの責任者やベテランのおば様から容赦なく怒られる。
生まれて出でて10代中盤からアルバイトという何かしらの
賃金を得る労働に従事してきて黒猫は『辛くて辞めた』
のは後にも先にもこの時の弁当作りだけだった。
「辞めさせてください」
コーナー責任者のK氏に黒猫はある日言った。
「何とか頑張れないのかな?せめて月末くらいまでさ」とK氏。
「正直、もう包丁を握る自信がありません。本当は今日にも
辞めたいのですが週末までは何とか頑張ります」
今日がその週末だ。
「頑張りんさいよ」
作業も終了に近づくと親しかったおばさんが黒猫に声をかけた。
調度自分の息子くらいの年齢の大の若者が大学を卒業して
定職にも就かず惣菜の仕事すらもものの数ヶ月で突然やめること
を不憫に思ったのだろう。
K氏は怒りを隠さなかった。最初は魚のさばき方も教えてやると
意気込んでいたし黒猫は何度かK氏の自宅にも遊びにいかせてもら
っていた。黒猫の態度は"豹変"且つ"裏切り"と見えて失望したに
違いない。
「お世話になりました。使っていた長靴は
どこに置いておけばいいでしょうか」
黒猫はK氏に聞いた。
「そこら辺に」
「捨てていけよ」K氏は作業を止めずに吐き捨てた。
いつも実に"活きのいい"職場のおば様達も彼らのやりとりに沈黙していた。
「皆さんお世話になりました」黒猫は深々と一礼して職場を出た。
「黒猫君」通路で"元"同僚の澤田が声をかけた。
「また会おうよ」澤田は黒猫に自分の携帯の番号を書いた紙を渡した。
「ありがとうございます。澤田さんもお元気で」
裏口から外に出た。
八月の陽が眩しく、心地いい。
気まずい辞めかたになったが明日から包丁を持たなくて
いいかと思うと黒猫は気が楽だった。
「ウォォォオ!」
背後から雄叫びが聞こえた。
バーンズだった。
食材を収納する棚を担ぎ上げながら黒猫に向かって突進してきた。
僅かなタイミングで黒猫は避け二人は衝突することなく
バーンズはそのまま走り去った。
バーンズにしてみれば黒猫はいつか倉庫にでも呼び出して
恐怖によって黒猫を屈服させ態度を改めさせるべき相手だったに違いない。
きっとバーンズは猫で自分が狩られるべき鼠なのだろうと黒猫は思った。
鼠である自分は今日でさっさと辞めバーンズはきっとこの職場で
これからもバーンズであり続けなくてはならない。自分という鼠を
狩れなかったという怒りを持ったままここで生きていく男に黒猫は
若干の同情をした。
「さようなら、バーンズ」
黒猫はそう呟いて駅に向かって歩いた。
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コメント
僕も高校のとき
和菓子屋の外回りの商品入替え助手のバイトをしてたことがあるんですけど
ある日
和菓子工場での人が足りなくなって
そちらに1日だけまわされたんです
ベルトコンベアに流れてくる和菓子を1日中穴にすばやく並べるんです
数時間やったらめちゃうまくなりましたけど
慣れたその先の単純作業は苦痛そのもの
「この仕事、俺には絶対ムリ!」と思いました
毎日やってるおばちゃんを尊敬するとともに
人には適材適所ってもんがあることを知りました
投稿: Fe | 2008年3月24日 (月) 16時52分
あれ、おかしいなぁ
万物創造房店主で登録したのにFeになっちゃってる・・・
もういちど・・・
投稿: 万物創造房店主 | 2008年3月24日 (月) 17時04分
>「この仕事、俺には絶対ムリ!」と思いました
>毎日やってるおばちゃんを尊敬
もうあれから10年近く経つけど
今でも弁当屋とかで黙々と働いている人を
私はとても尊敬しています。
理由は私も「この仕事、俺には絶対ムリ!」
だからです(^^)自分が出来ないことが出来る人
は=偉い人です。国籍年齢性別一切問わず。
人でなくても自然も動植物もとてつもなく偉い
です!!"彼ら"は人間の尻拭いを黙って何万年も
かけてするし。
あ、報復もたまにするか(--;)
投稿: kuroneko | 2008年3月25日 (火) 01時03分