映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
原題名: There Will Be Blood
監督: ポール・トーマス・アンダーソン
脚本: ポール・トーマス・アンダーソン,アプトン・シンクレア
撮影: ロバート・エルスウィット
音楽: ジョニー・グリーンウッド
編集: ディラン・ティチェナー
出演: ダニエル・デイ=ルイス,ポール・ダノ,ケヴィン・J・オコナー,ディロン・フレイジャー
時間: 2時間38分(158分)
製作年: 2007年/アメリカ
2008年6月鑑賞 (満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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時は20世紀の初頭。所はアメリカはカリフォルニア。石油を掘り当てて
一攫千金を目論む心の奥底では誰も信じない男ダニエル・プレインビューと
彼に直接・間接に関っていく人々とその時代をダイナミックな映像と革新的な
音楽で描く大作。
満足( ̄∀ ̄)Y
とりあえず渋谷であと一週間やってるのでもう一回観に行くことに決定\(^^)/
(2回観に行くのは「ランド・オブ・プレンティ」(2005)以来)
本作には見所は沢山あるがまずは特筆すべき点は音楽だ。
ジョニー・グリーンウッドてがける音楽は本編が始まった最初こそ
「おいおい映画より先に走っていきなさんなよ」
って感じで曲そのものがストーリー性に溢れていてどこかしら過剰とも思えたけど
ゆっくりと明らかになっていくダニエル・デイ=ルイス演じる主人公
ダニエル・プレインビューの深い深い心の闇と『石油=金と地位と名誉』という
スキームに獲りつかれた人間とそのオコボレにあやかろうとする貧しい人々の
生きていく姿の過酷さと哀れさと滑稽さが心地よいテンポと極めて優れた映像で
描かれる本編が音楽のすぐ後を確実に追随しやがて両者は大きな車輪の両輪の
ように力強く観客を山師が蠢く壮大な20世紀始めのカリフォルニアの大地へと引き込む。
そして最後の最後まで心をしっかり掴んで離さない。
これほど音楽が激しく自己主張しながらも、決して身勝手ではなく本編も
ただの一歩負けてなくて且つ両者がお互いを認め合って共鳴し合ってる
映画なんてもしかしたら初めて味わう体験かもしれない。
次に特筆すべきは本作は視点を登場人物のすぐ近くに置くのではなく主人公を含めて
彼らからは常に距離を取って20世紀初頭のアメリカという「風景」全体を描こう
としているのだということ。そしてその意図に最初から最後まで微塵のブレも
無く且つ成功しているということだ。
本作はダニエル・デイ=ルイスが完璧に演じる狂気の山師ダニエル・プレインビュー
の一代記でありながら、彼も他の登場人物も皆『大地』に必死で喰らいつく
とても無力な蟻のような存在でしかない。石油を掘りながら人は
簡単に死に嘘をつかれ暴力を振るわれ偽善に身を委ね人生を台無しに
したりされたりしながら20世紀初頭のカリフォルニアという時代と土地に
遭遇して逃れる術も持たずただただ必死に生きていく。
ある日ダニエルは弟を自称して現れた男ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)と
海に出かけて行き油まみれの日々をほんのつかの間浜辺で癒す。
ダニエルは珍しく故郷の思い出を語りただの非情な男でない一面を見せる。
ここでのシーンは圧巻だ。過去の映画人が皆やってきたように実験的な映像
でありしかもとても美しくて散文的だ。
ダニエルは海に向かっていきヘンリーは一人膝に顔を埋めしばらく沈黙する。
そして画面もヘンリーを捉えたまま動かず空の光線だけが微妙に
変化して波の音だけが聞こえる。
時は急速にその速度を緩め、やがて止まる。
ヘンリーは沈黙したまま微動だにせずただのシルエットとなって
風景の一つのパーツに過ぎなくなり風景全体が真の主役となる。
完璧な写真の世界だ。構図も完璧。このシーンは完全に独立した
作品として観客を圧倒する。まるできめ細かいモノクロ写真
を大画面で見ているような心地よさ。優れた作品には必ずシーン
自体が本編からの独立を主張するようなセパレートされた
シーンが複数あるものだがこれはまさにそれだ。
石油を掘り当て富を得る為に嘘を平気でつき、息子すらも交渉の道具
として使い相手の同情と信頼を得て安く土地を手に入れていくことに何らの
後ろめたさも持たないダニエル。彼は教会に通い道徳心を持って生きようとする
多くの人々が、そこに住んでいるというだけでちゃっかり石油の産出による
利益に与ろうとすることに躊躇いの欠片も無いことを知りぬいている。
そんな貧しくしかし抜け目の無い人々とダニエルとは全く対照的に接して
生きてるのが新進気鋭の俳優ポール・ダノ演じる牧師イーライ・サンデーだ。
ダニエルが"金(money)"という誰もが理解し易い現代社会における万物創造の
エネルギーの源を獲得しそのごくごく一部を彼らに還元することで影響力を
行使するのとはコインの表裏を成すかのごとく、イーライは最も古い職業のひとつ
神の伝道師として人々の心の一角を占有し日々信徒を増やすことに
人生の情熱を傾ける。
ダニエルとイーライはお互い異質でありながら同じ強度の電磁波を発する者として
運命的に出会い、憎しみ合い、騙しあう。イーライは言葉と神の力で
ダニエルを征服できると信じ実践する。ダニアルはイーライに負けない情念で
彼の世界観の偽善性を心の底から馬鹿にし無視しを殲滅の機会を窺う。。
やがてダニエルは老いた。富と恐らくは名声も充分に得たであろう、しかしそれ以外
は本当に何ひとつ得ることもなく、そのことに満足すらしているダニエルの前に
布教の旅を終えたイーライが姿を現す。極限までお互いを否定した彼らには
屈折した友情すらあった。イーライは彼らしくもったいぶった言葉でそれを表現し
再会を祝す。そしてダニエルもまた実に彼らしくイーライを迎えるのだった。
そして二人は。。
本作のハイライトとなる石油を採掘する大掛かりなセットのシーンは
同じく石油に夢をかけた男をジェームス・ディーンが演じる名作「ジャイアンツ」(1956)
で撮影された場所と同じだという。ジェームス・ディーン演じるジェットが
石油採掘に成功するシーンと本作のそれはどちらも甲乙つけ難く素晴らし
く印象深く描かれている。さらには「ジャイアンツ」でのジェットが誰もいない
パーティ会場で孤独なスピーチを行うクライマックスと本作のダニエルの自分の"城"での
最後のシーンも奇しくも見事に対を成している。
ジェットは孤独から逃れられることを願い石油に人生を費やし結局は
誰よりも孤独な人生になってしまい、ダニエルは対照的に誰をも疎ましく思い厭い
愛さずにしか生きられないが為に富が絶対に必要でありその結果、唯一
愛していたはずの息子をも憎しまなければ生き続けられない、
最早生きてるのか死んでいるのかなんだか判らない人生となる。両者とも
手段にしか過ぎなかったはずの石油の採掘がいつのまにか人生の目的そのものと
なってしまった。
幸福を得る為に石油が必要であり石油を金に換える為には誰をも信じることは
出来ない。そして換金に捧げる長い旅を終えた時、肝心の幸せは
なぜか遥か遠く離れ最早どこにも見当たらない。一体どこに過ちがあったと
いうのか。。
本作は第80回アカデミー賞の
・主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)
・撮影賞
を受賞している。両方共当然すぎる貫禄の受賞といえよう。
(横綱級って使いたいけどこの言葉はここ数年汚染されてしまっている
ので使えない)
本作は前述したように音楽が本編を引き立てつつも時に置いていこうとすら
するような挑発をし、本編は音楽に負けないほどの恐ろべき人生の悲喜こもごもを
観る者の前に突きつけ続ける。撮影は美しく悲しい過ぎ去った時代の風景と人々を捉え
その中で主人公は時代と格闘して人を傷つけ自らも傷ついていく様を
監督の意図通りに、時にはそれ以上に澱みなく見せつけていく。
主演男優賞と撮影賞の両方の受賞がこれほど相応しい作品も
そうそう無い気がする。こんな凄い作品が産まれた同じ時を共有し
ていることに喜びと僅かな希望を持つことを禁じえない。
また本作は名匠ロバート・アルトマンに捧げられている。
偉大な先人に捧げるに全く相応しい大傑作だ。アルトマンも天国で
同じ映画人としての後輩の見事な活躍に満足ではないだろうか。
もう一度劇場で観るのが楽しみで仕方が無い。
今度は常に独走しようと企む荒馬のようなまたは駿馬のような
イカレタ音楽をじっくり楽しみ、
ダニエル・デイ=ルイスの彫刻のような見事な長身と演技を眺め
彼の全身から醸しだされる広大なカリフォルニアの風景と同化するかの
ような巨大な"父権"に息子のH.W同様に圧倒されることを楽しみ、
石油という化け物に憧れて近づき人生を喰われていく多くの人々の
慎ましい生活の描写を楽しみ、
イーライとダニエルの運命的な交錯と憎しみ合いの喜劇とその恐るべき
因縁の復讐劇の決着をもう一度瞬きせずに目撃したい。
これこそ『映画』だ。
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