東京漂流某日(三)
東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・
chapter3: フリーター戦記(3) 若さの功罪
黒猫がまだスーパーの惣菜コーナーで毎日弁当を作っていた頃
高卒で正社員として入社したばかりのA君がいた。
彼は自称、頭が良くて進学しようと思えば出来たけど
親の世話になりたくないということで就職したそうだ。
万事卒が無く外見は結構良く、誰に対しても愛想がいい。
そしてそのあまりの弱点の無さと頭の回転の良さから
ベテランのパートの方々の一部からは逆に評判が芳しくなかった。
なぜかA君は黒猫に親しく接してきた。
19才になったばかりのA君からしてみれば、大卒なのにアルバイトとして
時給で働いて時にA君のような若い社員に指図される20代半ばから30代、40代の
フリーター達に優越感もあったのかもしれない。
「女ならいつでも紹介しますよ、黒猫さん」A君はよく行ったものだ。
そしてたまたま帰りが一緒になるとなぜかA君は一緒に歩きたがった。
「今日これからデートなんですよ」
「黒猫さん彼女いるんですか」
「なんで就職しなかったんですか」
A君は好奇心のままに次々と聞いてきた。
そして何故か彼女とまず食事をしてその後どうするのか事細かに
デートプランを説明した。黒猫はそんなA君が微笑ましく、その無邪気さ、
エネルギーに満ち溢れた様が懐かしくもあっても黙って聞いていた。
「一緒に来ますか」
こんなことを言いだす事もあった。勿論黒猫は丁寧に断った。
そしてA君の言動は黒猫が断ることを計算済みであることは明らかだった。
しかし本当に付いていってもA君はきっと彼女に堂々と先輩だとか
何とか紹介してそれなりに彼女や黒猫が苦痛なく過ごせる
時間を演出してみせたことだろう。黒猫はそんなA君の事が
嫌いではなかった。
スーパーの男性の着替え部屋の奥には8畳程度の畳部屋があって
仕事を終えた人や休憩をしている人の調度良い溜まり場になっていた。
黒猫は他人とのコミュニケーションを避けることを目的に
この職場を選択していたのでその部屋に入ることは極力避けていたが
A君は黒猫と同じ時間に終わると決まって残っていくように強く奨めた。
A君はその溜まり場での全員自分より年上の20代~40代までの
社員・アルバイト独身・既婚ない交ぜになった7~8人の集団の
他愛無いお喋りの中でルーキーでいることが愉しくて仕方ないよう
だった。
「黒猫さん、煙草吸わないんすか」
「吸わないよ」
「大人の嗜みですよ、吸わなきゃ」
A君はそう言って笑みを浮かべながら煙草をくわえた。
どこか何も判っていない後輩に優しく教える先輩のような風に。
A君は社会人になったばかりだけど僅かでも給与から貯金の分も
確実に工面して親への仕送りももう始めているという。
20代の半ば(つまり当時の黒猫の年齢)になる頃には今の可愛い
彼女と結ばれてそれなりに組織の中でも中堅の立場になっているはずだと
滔々と説明した。
つまりは万事順調だと。
つまりは全てにおいて
「黒猫さん、僕は(大卒で足踏みしている)貴方とは違うんだ」
ということを言いたいのだろうと思いつつ
黒猫は黙って聞いた。
そんなA君を無用なツッコミで傷つけたくはなかった。
A君は黒猫が自分の説明に感心しきっているように
見えたのか愉快なのが堪え切れなくなったのか押し黙って
クックックックッ
と笑い始めた。彼は顔を両手で覆って叫んだ。
「俺、まだ19才なのに!!」
黒猫はその机上の計算に過ぎない青い計画に疑いを持たない
A君を弟のようにも感じた。
そのまま何もかも上手くいくといいね。
黒猫はそう思ってA君の終わることのない話を聞いた。
それからほどなく、黒猫はスーパーのアルバイトを辞めた。
A君は黒猫が辞める頃には出会った頃の快活さは
消えつつあった。先輩に注意されてる姿や一人で
思いつめた表情をしているところも何度か見かけていた。
辞める日、黒猫は職場の人々に挨拶を終えたあとに
A君をみかけた。
自分が辞めるということはとっくに知っていることは
雰囲気から明らかだった。
「じゃあね、A君」黒猫は表情で別れを言った。
A君はダンボールに拳を叩きつけて黒猫を見た。
その表情には非難とも怒りとも取れるものがあった。
「なんで俺に黙って辞めるんすか」
彼の目はそういっていた。うっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。
黒猫はその表情を見て満足した。
話しを聞き続けた黒猫の「労働の対価」はA君自身の
その表情によってきっちり補填された。
そう、
その素の表情をもっと早く見せてくれればよかったね。
そうすれば、一緒に飲んでもよかったのに。
これから君に起こるであろうことを少しだけ告げて
あげても良かったのに。
でも君はきっと幾多の困難も乗り越えていけるだろう。
黒猫はA君に微笑んだ。
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コメント
最近は、旧東京漂流のほうもかなりおもしろいですね!
投稿: 理想 | 2008年9月21日 (日) 23時38分
オアリガトウゴザイマス~m(_ _)m
衝動的に書き且つ更新頻度の低い旧東京漂流の
方がなぜか圧倒的にアクセス数が高い「ねじれ」
ブログの状況を打破していきたいと思いまする。
何故か旧東京漂流は真剣に書いていた引越し前より
今の方がアクセス数が多い。自分は気合入れると
駄目なタイプなんだな。実人生だけでなくブログでも
そうか、そうなのか。。
投稿: kuroneko | 2008年9月22日 (月) 18時08分
こっちはねぇ、内容がちょっとハードで、ツッコミどころが掴みにくいのですが、向こうはファンタジィを感じます。。。
でも路線が違うほうが、読み手も楽しみがあるので、このままで~(^^)
投稿: 理想 | 2008年9月23日 (火) 00時06分
わかりました~(゚ ρ ゚)
投稿: kuroneko | 2008年9月23日 (火) 02時07分