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2009年2月

2009年2月28日 (土)

映画「破れ太鼓」

2009年に見た映画(十三) 「破れ太鼓」

原題名: 破れ太鼓
監督: 木下恵介
出演: 坂東妻三郎,小林トシ子,宇野重吉,木下忠司,桂木洋子
時間: 108分 (1時間48分)
製作年: 1949年/日本
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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若い頃から裸一貫叩き上げで財を築き中企業の社長を営む男。
何室も部屋がある庭付きの屋敷で女中も常時二人雇い
ブルジョアな暮らしを妻と6人の子供達(4男2女)にさせているが
誰一人として今ひとつ感謝してくれない。それどころか
ガミガミと日々ガナリたてる自分の様を音楽家志望の次男に
"破れ太鼓"と称され作詞作曲をして妻と子供達に大合唱されて
しまう始末。

戦争が終結してまだたった5年とは映画を観ていても全くどこにも
そんな気配は感じられないのがやたらと新鮮だった。
芝居に夢中の10代中盤の年頃の次女を快活に演じているのは
てっきり高峰秀子だと勝手に脳内で変換して終始観ていたが
全然違った。調べてみると桂木洋子という女優さんだったが日本人
離れしたプロポーションでお年頃のお嬢さんをとても可愛らしく
演じている。

小林トシ子演じる長女と恋に落ちた画家志望の青年が満天の
星空の下で走り出して「僕たちは自由だ」と叫ぶシーンがある。

何だか一昔前の藤子不二夫漫画のワンシーンのように
"真横"から走る二人を捉える構図(土手のようなところを走って
いあるけど普通の道だったら地面の中が映るような構図)
なのだけどそのマンガチックな画面構成が恋人達の楽しくて
仕方無い気持ちが溢れていて楽しい。走る二人の背景には
建物は何もなく広大な星空が広がっているのだけど今という
時代では100%ファンタジーな首都圏では当たりまえだがどこにも
ありえない景色なので変に感動してしまう。

"破れ太鼓"は坂東妻三郎演じるそれなりの地位の男が年中うるさく
不快な音を家族に向けて発し続ける様を指しているわけだけど
立派な豪邸に住んでいるのに家族で暮らす幸せをちっとも
分かち合えないこの8人家族全員のことをさしているようにも
思えた。

父と企業戦略を兼ね備えた縁談を台無しにして貧乏画家と恋に
落ちる長女から始まって父の会社を継がずに叔母とオルゴール
製造会社を始めてしまう長男と長年のつもり積った不満を一気に
大爆発させる妻とリズミカルに家族の一大攻防戦が描かれ
まったくもって楽しく観れた。

演出も出演者の演技もとても良く出来ているが時代背景を考えると
ロケーションだけとっても充分見る価値のある作品だ。

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2009年2月24日 (火)

映画「陸軍」

2009年に見た映画(十二) 「陸軍」

原題名: 陸軍
監督: 木下恵介
出演: 田中絹代,笠智衆,上原謙,佐分利信,佐野周二
時間: 87分 (1時間27分)
製作年: 1944年/日本
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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西南戦争から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争まで
三代に渡って陸軍に身を投じた親子の生活を通して
素朴に国を思い生きる戦前の一庶民の姿を描く。

商家を営んでいた高木友彦の父は西南戦争の戦火に
家が巻き込まれ燃えあがる中、水戸光圀公の号令の基
編纂された「大日本史」を持ち出したことが何よりの
誇りだった。日清戦争の勝利の対価として得た利権を
ロシア・ドイツ・フランスの抗議により手放さなくては
ならないことに憤慨して山縣有朋に猛抗議するため
上京したが病に倒れる。息子の友彦が心配して東京の
病院に駆けつけると先に皇居に参内してから来なかった
ことを知った父は激高した。友彦が慌てて参拝して
戻って来ると父はすでに逝った。友彦は父の遺した
大日本史を繰り返し読み、成年になると早速入営して
日露戦争に率先して参加するが体が弱く実戦には参加
できなかった。友彦は請われるままに妻と小さな雑貨屋
を営みつつ大日本史の講義をして暮らす。時は過ぎ
息子の伸太郎もまた成長し陸軍に籍を置いた。日本は
遂に太平洋戦争を戦うことになり伸太郎の出征の日は
目前に迫った。。

オープニングのまだ"侍の時代"覚めやらぬ明治初期の
時代の西南戦争を明確に"戦争"(WAR)であり庶民にとって
大変な"災禍"であるという視点で描いている歯切れの
良い描写にまず圧倒された。無知な感傷と郷愁で旧時代の
"戦"(いくさ)として描くのではないことの描写のセンスが
凄い。冒頭だけでも充分見る価値がある。

基本的に戦中のプロパガンダ映画に間違いないのだが
(しかもその政治的なメッセージの密度はなかなか濃い)
名匠の手にかかるとこうも見ごたえのある普遍性を持った
佳作になってしまうのか(受け取り手の教養しだいだけど)。

クライマックスの三代目の伸太郎の街を挙げての出征シーンは
これまで観てきたどんな映画の群集シーンよりも郡を抜いて
素晴らしい。大通りを勇ましく、どこか不安気に行軍する
兵隊達。旗を振って見送る人々の表情の素朴さ。高揚して
思わず駆け出してしまう人々をカメラが正面から捉える。
狭い裏路地から行軍を見るカメラワークの絶妙さ。陸軍に
反感を買ったという最後の母が戦場に向かう子を思い手を
合わせて祈るシーンの迫真さ。何という映画的な美しい画面
構成のシーンの連続なのだろう。

"戦場に向かう人間達"を真摯に撮ろうとすれば、
それは自ずと反戦も好戦も検閲も超え観る者の心を打つ。
そして撮るということはただ再現すればいいってものじゃ
ないのは当然のこと。本作のクライマックスほど"絵"として
完璧なまでに完成度が高くそれゆえ多くのことを
考えさせられる映画は観た事がないかもしれない。

国を思うことを生きることの規律の中心において
生きる一家だが、それは"国"に重心があるのではなく
広い世界の中でどのように正しく生きるべきかという
"個"の方に実は重心がしっかりとあるので2009年の
今という時代に見てもほとんどの描写は奇異に映らず
そのことがそのまま監督を始めとする当時の製作スタッフの
"眼差し"の鋭さと確かさに思える。

浅墓な人間が間違ったメッセージを勝手に取り出して
全体を塗りつぶす。
「当時はそんな時代だったんだ」なんてことでななくて
「今はもっとひどくなっている」と思わずにはいられない。

半世紀強の昔、世界の中で日本はどのような位置にあり
どのように振舞うべきかという配慮も見識も持たない者達の
傍若無人によって国家は破綻したが今は今で羅針盤は
また大きく狂っているとしか思えない。

時の権威者にアウトラインを強制されながらも
これほど見ごたえのある『映画』を作れる人々が当時はいた。
そして戦中も戦後も優れた作品が作られた。

今はどうだろうか?
全体の総合的効果も何も検証せずに
"セイケンコウタイ"や
"ニサンカタンソサクゲン"の一手二手しか打てない
現代社会が"鬼畜米英"を笑えるか。
事態はさらにさらに浅墓になっていないだろうか。

たまらなく、もう一回観たい。
でもプロパガンダ映画だから普通の人には毒ですので
とても残念だが観ない方がいいです。勘違いなさること必定
なので。

映画が毒なのではなくアホが観て毒にして撒き散らすだけだ。

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2009年2月22日 (日)

映画「アラビアのロレンス」

2009年に見た映画(十一) 「アラビアのロレンス」

原題名: LAWRENCE OF ARABIA
監督: デヴィッド・リーン
出演: ピーター・オトゥール,アレック・ギネス,オマール・シャリフ
時間: 227分 (3時間47分)
製作年: 1985年/イギリス
(新宿 テアトルタイムズスクエアにて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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ある朝、一人の男がオートバイ事故に会い一週間後に死んだ。
彼の死は大々的に報じられ、イギリスの上流階級の多くの大物達が
彼の死を惜しんだ。1935年の春のことだった。
男の名はトマス・エドワード・ロレンス。空軍の一少佐にすぎない
学者肌の男がアラビア世界に独り身を投じて砂漠の民を率いて
中東戦線で決定的な役割を果たしながらも偽名を使ってまで一介の
空軍兵士に成り下がった男。一体彼は何者であったのか。学者か?
優れた戦略家か?偉大な指導者か?ただの山師か?
その手ははっきりと血で汚れていた。大量の血で。

「いつかそのうち観ることだろう」というか
「いつか観ればいいや」と
思っていた作品をとうとう観た。

初めて観たのが完全版でしかも劇場だったことはとても嬉しい。
テーマの深さも撮影の規模もストーリー展開の大きさも文字通りの
史上空前の超大作だ。

しかもその内容は
想像を遥かに遥かに超えたぶっ飛んだ作品だった。

主役は灼熱の砂漠と駱駝。そしてT・E・ロレンスという奇妙な男。

前半は何となくイメージした通りの展開だった。
ロレンス少佐(後、大佐)が徒手空拳で砂漠の部族達とコネをつけて
イギリスが敵対していたトルコ軍の背後を突かせる。
懐疑的だった者達は勇気があるのか無謀なのか判らないロレンスに
ある者は心酔しある者は実利的な見返りのみを求めて従う。

奇襲に成功して当面の目的を達成し本国からも一躍認められたが
やがてイギリス軍の統制から外れた"ロレンス軍"は列車強盗を
繰り返しロレンス自身も凄惨な殺戮を厭わなくなる。

ロレンス役のピーター・オトゥールの容姿が日本人からみて
端正すぎて、砂漠の映像と全編の音楽が壮大過ぎてこの作品は
何とも言えない"ロマン"の匂いが漂う。実際、たった一人の男が
やってのけるのにはほとんど最大級といっていい功と罪を
余すことなく描いていてその振幅の大きさそのものがロマン
といえばロマン。そして何よりも本作の大作ぶりそのものが
現代社会のロマンそのものなんだけど、

エンドクレジット直後の一種の後味の悪さは一体なんだろう。
オレンス(ロレンスはアラビアの民からそう呼ばれることを好んだ)
君は一体何ということをしてしまったんだい?

本国に勝利をもたらすことだけを望んだ、そしてほんの少し
中東世界に興味のあっただけの男が引き起こしたカタルシス
の大きさにただ呆然。自分のやったことに素直に恐怖して
何もかも投げ出そうとして実際に投げ出してしまう
アンチヒーローぶりにまた呆然。完璧なまでな映像化に
またまた呆然。

何百人何千人という人間が組織化してやがては国家にもなり
何十年もかけて行う生理的な現象(略奪とその正当化と報復の連鎖)を
たった一人の行動に託して見せてしまうことの異常さ。

これが実在の人物だというのだから
事実は小説よりも映画よりも奇なり。

「毀誉褒貶の激しい男の一代記」と記してしまうには
犠牲があまりに大きすぎ突き放すには社会は彼らを利用
し過ぎて後戻りなどとても出来ない。

一体20世紀だけで何人のロレンスを先進国は生んで
しまったのだろう。21世紀の今も生み続けているのだろう。

観ていて途中から怖くて震えた。
観終わって怖くてさっさと帰って鍵をかけてさっさと寝た。
人間はつくづく恐ろしい。今、自分一個の命の存在なんて
何と儚く偶然の所産に過ぎないことか。

本作ほど完成して存在していることが『奇跡』と
いっていい作品もそうなないだろうと思う。

死ぬ前に一回くらいは観ておいた方がいいだろう。
可能な限り大きなスクリーンで可能な限り精度の高い画面で。

全部、最後まできちんと見届けよう。
彼は我々の代理人なんだ。彼は我々が何者なのかを教えてくれる。

ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」もいよいよ読まなくては
いけなくなった。

パンフレットの表紙がとても秀逸な出来。
砂の底なし地獄に嵌った仲間を救おうとする下僕を
ロレンスが慌てて引き止めるシーンだが意図的に
ピントをぼかして魅惑的な人々の幻想を誘う中東の
砂漠世界を絵画のように美しく表現している。
『本物の』T・E・ロレンスの写真も掲載されているのだが
その人なつこすぎる子犬のような眼は演じたピーター・オトゥール
と余りに瓜二つで不気味ですらある。

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2009年2月21日 (土)

映画「ザ・ムーン」

2009年に見た映画(十) 「ザ・ムーン」

原題名: IN THE SHADOW OF THE MOON
監督: デイヴィッド・シントン
出演: バズ・オルドリン,マイク・コリンズ,アラン・ビーン,ジム・ラヴェル
時間: 100分 (1時間40分)
製作年: 2007年/イギリス
(池袋 シネマサンシャインにて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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1967年のアポロ1号(打ち上げ失敗)からアポロ17号(1972年)までの
所謂「アポロ計画」の全貌を歴代宇宙飛行士のインタビューと
貴重な月面での撮影シーンや多くの内部映像と当時のニュースを
織り込みながら描く壮大な『ドキュメント』。

アポロ計画の年譜

1961年   5月 25日  ジョン・F・ケネディ、月へ人類を送る国会演説
1967年   1月 27日  アポロ 1号打ち上げ(失敗)。
1968年 10月 11日  アポロ 7号打ち上げ。初の有人飛行。
           12月 21日  アポロ 8号打ち上げ。初の有人による月周回成功。
1969年   3月  3日  アポロ 9号打ち上げ。月着陸船初飛行。
            5月 18日  アポロ10号打ち上げ。月面まで10マイル(16km)に迫る。
            7月 21日  アポロ11号打ち上げ。人類、月に立つ。
          11月 14日  アポロ12号打ち上げ。より正確な月面着陸成功。
1970年  4月 11日  アポロ13号打ち上げ。事故に合うが全員無事生還。
1971年  1月 31日  アポロ14号打ち上げ。3度目の月面着陸成功。
            7月 26日  アポロ15号打ち上げ。初の長期滞在。月面車初投入(※)。
1972年  4月 16日  アポロ16号打ち上げ。高地の月面に着陸成功。
            2月  7日  アポロ17号打ち上げ。月面に約3日間の長期滞在。

見終わって、興奮も冷めやらぬままに帰宅してネットでアポロ計画に
関する記事を検索したりニコ動で画像を思いつくまま検索して
見たりしていてある一つの記述に目が止まった。

さてここで問題です。

問題: アポロ計画当時のアメリカ合衆国大統領は誰でしょう?

答え: ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ (^0^)/

ブー(-_-)

正解: リチャード・ミルハウス・ニクソン

そうあのウォーターゲート事件(1972)で失脚し現時点(2009年2月)での
歴代の合衆国大統領の中で唯一辞任したニクソンがアポロ計画当時の
大統領だ。したがって人類が"公式"的に初めて月面に着陸した当時の
アメリカの大統領は当然ニクソンであった。

目に留まった記事には1行こう書いてあった。

アポロ計画当時の合衆国大統領が"ジョン・F・ケネディ"ではなく
"ニクソン"であったということを一体どれほどの人間が意識しているだろうか。

本作の劇中にジョン・F・ケネディは何度も繰り返し出てきたような
印象があるがニクソンはただの一回でも出てきたっけ。。

そう言えば月面に人類が着陸を成功した時の大統領(ニクソン)のコメント
なんて見たことない。ウォーターゲート事件で失脚する前では
あったが。

本作を観る以前にロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演の
「アポロ13」(1995)は飽きるほど見たのに、本作もたっぷり堪能
したというのに、ニクソンがその当時の大統領ということは完璧
なまでに忘れていた。

本作を"しっかり"見た人のうち果たして何人が"ニクソン"と
正解を答えることが出来るだろう。

『アポロ計画』

そのインパクトにおいて未だ史上最大規模の科学的大プロジェクト
であり同時に史上最大規模の政治的なショーでもあった。

また問題です。

問題: 人類史上初めて月面に車を走行させた国はどこでしょうか?

答え: アメリカ合衆国 (・∀・)Y

ブー(`□´)

正解: ソビエト連邦

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ソビエト連邦はルナ計画の一環として、アメリカに先駆けて月面車を
月面へ投入した。1970年11月10日にルナ17号がルノホート1号を
「雨の海」へ、1973年1月8日にルナ21号がルノホート2号を「晴れの海」へ
運んでいる。
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ウィキペディア "月面車"の項より

残念なことに本作の構成そのものも結局はアポロ計画同様に壮大な
冷戦構造という『箱』の中の政治的ショーの延長にしか過ぎない。

本邦初公開のものを含めた貴重な貴重なフィルムを下手な映画よりも
よほど劇的にそれこそドラマチックに繋いでNASAとアメリカがが挑んだ
月までの工程をダイナミックに描いてはみせているが、当時の合衆国大統領も
他国の月への挑戦も当然のようにまるで判らないようになっている。
そんな発言をしたら事宇宙へ放出するぞと言われそうな勢いすら感じる。

なぜ
あれから科学技術は超絶に進歩し続けているのに
ファミコン程度のメモリ容量しか持てなかった宇宙船しか作れ
なかった当時以降ただの一度も人類は月に行っていないのか。

なぜ
ベトナム戦争の終結と見事すぎるほど機を一にしてアポロ計画も
終了したのか。

そして
宇宙飛行士達は月面で一体何を見たのか。。

映像として幾ら見せられても目新しいことは本作を見ても
残念ながら何一つ判らない。

エンドクレジットでのアポロ計画に関った歴代飛行士達の
「月面着陸捏造論」への反論の嵐が何だか逆切れのようにも
見えて悲しいものがある。

NASAとアメリカは間違いなく人類を月へ送り込んだであろう。
そして
ニール・アームストロング

バズ・オルドリン

1969年7月21日未明にきっと月面に立ったであろう。

しかし今後も決して真実を明かせない多くの隠し事があることも
また間違いないのではないか。

アポロ計画を含む公表されている当時の「歴史的事実」が現代社会が
続く限り永久に"線"にはならない細切れの杜撰なディレクターズ
カット版であるように本作もまた大変遺憾ながらミッシング・リングの
非常に多い作品であることも。

さらに言えば
嘘だろうが本当だろがはっきり言ってどうでもいい。
人類が月に立ったことが多分本当だとして、
原爆投下だとか
東京大空襲だとか
ベトナム戦争だとか
世界中で起こった大量虐殺が無く『月』まで
辿り着けたらどんなに良かったろうと観ていて思った。

残念ながら
幾つかの大量虐殺がなければ多分
人類はまだ今でも月まで行っていない。

人類は恐ろしい。映画も恐ろしい。
どちらも平気で嘘をつく。
しかし全部が嘘とは限らない。
極上の嘘は常に事実と混ぜて語られる。

○ アポロ計画の年譜(+補足事項)

1961年   1月          ジョン・F・ケネディ第35代合衆国大統領に就任。
1961年   5月 25日  ジョン・F・ケネディ、月へ人類を送る国会演説
1962年                ベトナム戦争本格化
1963年 11月 22日  ジョン・F・ケネディ暗殺される。
1964年  8月         トンキン湾事件勃発。ベトナム戦争泥沼化へ。
1965年  2月         「北爆」開始。
1966年  2月  3日  ルナ 9号(ソ連)打ち上げ。史上初の月面着陸成功。
            4月  3日  ルナ10号(ソ連)打ち上げ。史上初の月の人工衛星になる。
1967年  1月 27日  アポロ 1号打ち上げ失敗。
1968年 10月 11日  アポロ 7号打ち上げ。初の有人飛行。
           12月 21日  アポロ 8号打ち上げ。初の有人による月周回成功。
            1月 20日  リチャード・ニクソン第37代合衆国大統領に就任。
            3月   3日  アポロ 9号打ち上げ。月着陸船初飛行。
            5月 18日  アポロ10号打ち上げ。月面まで10マイル(16km)に迫る。
            4月   3日  ルナ10号(ソ連)打ち上げ。史上初の月の人工衛星になる。
            7月 13日  ルナ15号(ソ連)打ち上げ。7月20日に月面に着陸(失敗)。
            7月 21日  アポロ11号打ち上げ。人類、月に立つ。
          11月 14日  アポロ12号打ち上げ。より正確な月面着陸成功。
1970年  4月 11日  アポロ13号打ち上げ。事故に合うが全員無事生還。
          11月 10日  ルナ17号(ソ連)打ち上げ。初の月面での走行成功(※)
1971年  1月 31日  アポロ14号打ち上げ。3度目の月面着陸成功。
            7月 26日  アポロ15号打ち上げ。初の長期滞在。月面車初投入(※)。
1972年  4月 16日  アポロ16号打ち上げ。高地の月面に着陸成功。
          12月  7日  アポロ17号打ち上げ。月面に約3日間の長期滞在。
1973年  1月         パリ協定締結。アメリカ軍、ベトナムから撤兵完了
1974年  8月         リチャード・ニクソン辞任。
1975年  4月         サイゴン陥落。ベトナム戦争終結。

1972年以後、アメリカとNASAは決して『月』へ向かうことはなかった。。
(アポロ18号から20号まで計画はあったが中止されている)

なぜ月に行かなくなって30数年も経過しているのか、
個人的見解としては人類は月に"ゴミ"(着陸船や旗や月面車)を何回も
放置したのであちらの住民にキツイお断りを喰らったのだと思うす。
野口健氏の偉大なるエベレスト清掃登山よろしくお片づけするのは
やはり。。

人類はこれからも月を利用し尽くすのだろうか?

映画「アポロ13」よりアポロ13号船長ジム・ラヴェルの言葉

「私は月を見上げ思う。一体いつ誰があそこに"還る"のだろうかと」

"I look up at the moon and wonder
when will be going back and who will that be?"

まずは最低限ゴミは持ち帰りましょう。

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2009年2月15日 (日)

映画「殺人に関する短いフィルム」

2009年に見た映画(九) 「殺人に関する短いフィルム」

原題名: A Short Film About Killing
監督: クシシュトフ・キェシロフスキ
出演: ミロスワフ・バカ,クシシュトフ・グロビシュ,ヤン・テサシュ
時間: 85分 (1時間25分)
製作年: 1987年/ポーランド
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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"ウダツ"は上がらないが几帳面で愛妻家の中年タクシー運転手。
やっとの思いで弁護士になったがなぜか未来に漠然とした不安を感じる男。
出口の無い鬱屈を抱えてひたすら街を彷徨う青年。
知り合いでも何でもない面識も無い三人の運命は細い糸で繋がり
やがて逃れられない悲劇へと転がり落ちていく。

冒頭、コントラストの強い画面の中でタクシーの運転席にぶら下がった
首だけのキーホルダーがかすかに揺れる。いきなりこれから起こることを強く
暗示させる強烈に不穏なシーンだ。そして適切で美しいシーン。

画面の一部がいつも暗い。画面の三割くらいが暗く半分程度にも感じる。
街と人に漂うどうしようもない閉塞感をより強調して残った画面に
目を凝らして「誰が誰を殺すんだ?」と探偵のようになって観た。

登場する誰も彼もが殺人を犯すようにも見える。皆、人生に目標も
希望もない。多くが街を出ても何もいいことがないことがわかり切っている。

タクシー運転手、若き弁護士志望の男、無職の若者、三者三様の
同じ街での生き様が幾つかの共通する場所で時間を変えて折り重なる。

同監督の作品「愛に関する短いフィルム」の方が面白かったかな。。
そんなことを思いながら観ていると

黒い一筋の工場の煙突からの煙が不穏な画面をより不穏に画面を占有し
物語は一気に疾走を始めた。

煙は横へ流れ画面から消えない。連なった雲と迫る夕暮れ。

殺られる。間違いなく。

台詞は一言もない。が画面は絶叫している。コイツを殺してやると。

こんな残酷に寂れた美しい風景に出会ってカメラ持っていなかったら
悶絶して死ぬ。カメラ持っていたらアホになって撮りまくる。

犯行は完了し"男"は車のラジオを付ける。
男にとっては場違いな陽気な放送に思わず蹴りつけてラジオを破壊する。
夕暮れの中に男と車のシルエットだけが浮かぶ。

完璧な映像だ。
もっと早く本作に出会っていたら人生が変わったかもしれないと
思えるほどのインパクトを受けた。
撮影に関する技術を全部知りたい。

時は過ぎ、
一人の男がとある施設に入ってきた。

「俺はどんな理由であれ、犯罪を犯した奴は決して許さねぇ。
どんな奴でも全員あの世に送ってやる」

なぜか素性の判らない顔すらもろくに判らないこの黙って歩く男が
登場した瞬間にそんな台詞が脳内にはっきり聴こえた。刑事か?

男は死刑執行人で施設は刑務所だったのだ。

何て見事な的確な演技と演出だろう。この男は所詮は
「カット、OK」の一言で止まる一介の役者に過ぎないというのに。

何も説明がないのに一瞬でテレパシーのように脳に情報が
送られてきた。コイツは絶対に殺る。法という名の下に。

何て凄い映画であることか。
刑の執行の準備も長年の年季は半端でなく、その動きにも表情にも
澱みもあるわけもない。後数時間後に刑は執行されるはずだ。

執行を待つ男は人生の終焉が迫り自分が
「なぜこんなことになったのか」その理由を語り始める。

男の言ったことがこの結末を生んだ「理由」だったのかもしれないが
そうじゃなかったかもしれない。
ただ一つ確かなことは死刑を待つこの男は
決して孤独ではなかったということだ。

彼の無意味ではないはずだった人生の無意味な終焉に理由は
どうあれ涙を流してくれる人が確実にいたことに何だか言いしれない
腹立たしさを感じた。

刑は執行され、結局二人の人間が死んだ。
一人は理由もなく殺され一人は「合法的に」やはり殺された。
二人の死はごく少数の人間以外には何の意味も無い。

傑作としか言いようが無い『殺人に関する短いフィルム』だ。
これ以上ないほどの中身の詰まった。

もっと早く出会いたかったがスクリーンで出会えたことは
どうにもこの上なく素晴らしい。
独りで観て何かを考えて欲しい作品。

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2009年2月14日 (土)

振り込めば。

  
 

先日、銀行のATMに並んでいると一人の初老のオヤジが
「振り込めサギに合ったかも!」と騒ぎ出した。
途端に隅につったっていたこちらも定年間際と思われる
行員(そこそこの肩書きがありそうではある)が出てきて状況を
聞き始めた。

二人とも目を輝かせてとても楽しそうだった。
騒ぎ出したオヤジの目はどこか笑っていて嬉しそうにも見える。

被害にあったと言っているオヤジは興奮して夢中で
行員に話しをしているし行員も何だか話しに頷くばかり。
二人意はATMに並ぶ列を塞いで延々と話している。

スゲー邪魔。
対応の稚拙さと危機意識の欠如と状況把握の皆無と。。
呆れる自分も含めた周囲。

「こちらで事情をお伺いしますのでどうぞ」

の一言がいい年してしかも見た目何かしらの責任者的立場に
いるように見えるプロの行員からなぜ出てこないのだろう?それとも
この初老のオヤジ行員は実は単なる日雇いのアルバイトか?
しかも社会経験ゼロの。対応マニュアルの教育もされていない。
こんな使えない奴はさっさと解雇しろよ。それとも遊びでやっているだけ?

別の日。別の場所のATMで。
警官がぶっきらぼうに立っている。

自分は暗証番号は覚えてなくて携帯の番号配置を使って
いるのでカードを挿入したらおもむろにポケットから
携帯を取り出す。「振り込めサギ」なんて言葉がメジャーに
なるかなり前からそうしている。

警官に余計な質問されないかがスゲー気になる。
警官であれ誰であれ自分が金を降ろす時に
話しかけられたくないし注意を逸らされたくない。
この時は緊張して暗証番号を2回間違えてちょっと
怪しい感じになってしまった。後ろに二三人並んでいたし。

で、自分がこういう時にいつも思うことは
「コイツがニセ警官だとしたらどうしよう」
ということだ。自分は野郎だし鼻っから信用して
いないので十二分に警戒して"事"にあたるからいいけどさ。
("事"にあたるって自分の金の入出するだけですが(^^;))

赤の他人に何百万もアッサリ振り込んでしまう人なんて
いうのはこんな発想も絶対にないのだろうな。
勿論お上の方にも。逆転の発想なんて芸当は無理で
二次被害が発生したら頭下げてりゃそれで済むだけの
話しだ。それか「想定外」という呪文を呟けばいい。

「警官がいるから安心です」
なんて一体いつの時代の話しをしているのやら。

"敵"の思うつぼじゃないの。
しかし"敵"はこの点を逆手に利用したというニュースを
聞かないところを見ると大した脳ミソ持っていないようだ。

さらに別の日、割とよく使うATMに行くと
警官は「いない」ので「安心」して
『自分の金』を降ろそうとすると、、今度は行員が機械の
すぐ傍でテーブル置いて宝くじ売っていやがる。

その今降ろした金で当りもしないクジを買えってか。
お前等振り込めサギと何が違うの?
ご丁寧に半被まで着ていやがるし。
どこかしら申し訳なさそうな表情がさらにムカツク。
何でも上の言いなりにならないと生きていけないもんね。

何箇所も"自分の用途で"振込みをする人間もいるだろうし
迅速に出入金を行うことで勝負をして生きている人も
幾らもいようという一種神聖な場所で一体コヤツラは
何を考えてるのだろう。。

自動音声で「お待ちください!」とか延々とリピート
されるし。
ビックリして誤動作で振込み先間違えるわ!

人が暗証番号打って現金を出し入れするすぐ横で
アホ面さげて宝くじを売っている行員達?には
帰り際に勿論遠慮無く睨みつけた。

何かしら理由をつけて手数料をふんだくってるくせに
ATMにまで乗り込んできて物を売りつけるとは
盗人猛々しいと言わずして何であろうか。

彼らが果たして正規の行員なり何なりという保障も
勿論どこにも無い。売っているのが本物のクジという
保障も勿論無い。

宝くじ販売についてはさすがに調子に乗ったと
思ったのか苦情が殺到したのかその時一回しか目撃
しなかった。それかニセモノさん達だったのか?

今や、ATMというのは金が余って仕方無い人々が
見ず知らずの人に送金して泣いたり笑ったりするか
警官や訳の判らない人間が勝手に常駐してお喋りして
物売っていい場所らしい。「ATMを使う人々」は
そういった方々に極力気を使って小さくなって操作
しなくてはならない。

それでいて振り込めサギの被害にあった人々への救済
は煩雑な手続きを強制して遅遅として進んでいないようだ。

静かに、誰にも見られずに、手数料も安価(or 無料)に
自分のお金を入れたり出したり指定した口座に振り込んだり、
そんな夢のような装置がいつか発明されたらいい。
そんな場所が誰でも利用できる夢のような社会に
なったらいい。

後、100年も待てばそうなるだろうか。

イ) 明確でない口座には一銭たりとも振り込むな。
ロ) 低所得者の振り込めサギ被害者を優先して速やかに救済せよ。
ハ) 犯人には極刑に近い厳罰を与えよ。最低でも無期懲役。
二) ATMの半径3m以内には使用者以外入るな。
ホ) 質の低い行員は不要。解雇せよ。
へ) ここまで情報が氾濫してまだ振り込む奴は放っておけば。

以上m(_ _)m

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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映画「愛に関する短いフィルム」

2009年に見た映画(八) 「愛に関する短いフィルム」

原題名: A Short Film About Love
監督: クシシュトフ・キェシロフスキ
出演: グラジナ・シャポウォフスカ,オラフ・ルバシェンコ
時間: 87分 (1時間27分)
製作年: 1988年/ポーランド
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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訳あって友人の母親と二人で暮らし郵便局で働く19才の青年トメク。
毎日向かいのアパートに住む女性マグダの部屋を望遠鏡で覗いていた。
トメクはその女性を恋い慕うあまり彼女の郵便物をも盗んでいた。
牛乳配達のアルバイトも始め彼女の部屋に牛乳を配達する日々。
ある事件がきっかけでトメクはマグダに覗き見していることを打ち明ける。

青年のあまりのダメっぷりと冷静な犯罪ぶりに思わず
ストーカー礼賛映画かよ。
と思ってしまったがさにあらず。
これはかなり良く出来た題名通り「愛に関する」フィルムだ。

郵便局とアパート二棟とその間にある空間と街の描写少し。
そして後半は重要な展開が起こるマグダの部屋。
舞台はそのくらいだけど、青年の思いを外に出せないもどかしさ
が細かい芝居と映像美で丁寧に表現されているので全然飽きない。

マグダに自分の正体を明かすトメクだが男の経験が豊富な
彼女は最初は怒りを露わにするがすぐにトメクに興味本位な
好奇心で接するようになる。

手紙は盗むは覗き見はするは異性に何のアプローチも
出来ないどうしようもないダメ男のトメクが実は数ヶ国語
を取得していると判るとマグダは急に犯罪者扱いから異性として
認める兆候を瞬時に見せ始める。観ている観客もそんなことで
彼のそれまでの行動を帳消しにしてもいいように思えてしまう。

マグダは何が望みなのか、交際か肉体関係かと再三トメクに
迫るがトメクはただ「君を愛している」と呟くばかり。

そんなトメクの真意をマグダはつかめずに覗き見している
としりながら窓から全て丸見えにしてボーイフレンドとの交わりを楽しみ、
やがてはささやかなデートからトメクを部屋に招き入れるが。。

可哀相なしかし複雑で繊細な心を持つトメク役の青年が
ギリギリのところで揺れまくる10代を見事に好演している
から破綻していない。ただのストーカーにいつでも墜ちそう
だがじょじょにコミニュケーションを取りたくても取れない
孤独な人間はトメクだけではないことを炙り出していく。

ラストはオープニングの印象とはうってかわって
心打たれてしまった。可哀相なのはトメクではなかったのだ。

無記名的なのにとても印象深い建物の撮りかたもやたら上手い。
 
 

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2009年2月11日 (水)

映画「緋牡丹博徒 花札勝負」

2009年に見た映画(七) 「緋牡丹博徒 花札勝負」

原題名: 緋牡丹博徒 花札勝負
監督: 加藤 秦
出演: 藤純子,高倉健,若山富三郎,嵐寛寿朗
時間: 98分 (1時間38分)
製作年: 1969年/日本
(浅草 浅草名画座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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時は明治中ごろ、所は名古屋。
美しい女博徒通称"緋牡丹のお竜"(藤純子)は盲目の少女が列車に
轢かれそうになるところを助ける。身を寄せた先では"ニセ緋牡丹のお竜"
が賭場を荒らしていた。実はニセ者は助けた少女の母親だった。
やがてお竜はニセ者共々賭場の熾烈な縄張り争いに巻き込まれる
ことに。。

女性が仁義を切るというシーンは初めて観た。しかも見事な仁義。
藤純子は容姿も佇まいも美しく仁義もキレが良くて"様"になってる。

要所で要所で場面とテンポの重要な切り替えのきっかけとなり
健さん演じる渡世人と緋牡丹のお竜との邂逅の場ともなる重要な
線路下のシーンでは効果音と蒸気だけで汽車の行き来を表現して
いるのが味があっていいなあ。ほとんど目に止まらないような
細部の小道具まできっちり作ってあって目に楽しい
クライマックスのカチコミに向かう雪が僅かに積る小道のシーン
まで美術・照明はとてもしっかりしていて最後まで見せる。

約束した期限の時間を守らせまいと敵のチンピラ達に待ち伏せに
合ったお竜がたった一人ドスで渡り合うナイトシーンは演出も
殺陣も思いの他スタイリッシュでちょっとびっくりするくらいいい。

藤純子の立ち回りも無駄な動きが無くただ美しい。
嵐寛寿朗の親分役、高倉健の抑制の効いた動きも見ごたえ十分。

敵陣への殴りこみ(カチコミ)のシーンは当然のことながら
このジャンルの映画では最も重要な"命"のシーンだから
画面全体から感じられる気合も半端じゃない。
 
しんしんと降る雪とお竜と供一人。
裸電球の街灯が一つ、道を照らす。
演歌調の音楽が満を持して流れる。。

文化だなあ。

運命共同体となる供をする男の登場するタイミングや
主人公のお竜との会話の呼吸、音楽のタイミングは
「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970)の健さんと池部良のそれと
ほぼ同じ。完成され磨き上げられたお約束の"型"なんだ。

命張って筋を通す親分と不器用だけど心優しい手下、卑劣な
抗争相手の挑発とそれに乗って散っていく仲間達。
そして最後のカチコミ。

全体の大枠は決まっているのでカチコミまでの理由を
盛り上げるべくより"汚い敵の罠"というものと義理人情
というものはより過剰に演出しなくてはならず自ずと
やがては現場での"職人技"の継承も途絶え細部も全体も
疎かになっていくのも必定か。しかし60年代、70年代(前半)の
作品はまだまだ製作現場の技術も士気も十分高いようだ。
全体的にとても安心して観ていられた。

これら初期の傑作作品郡をしっかり楽しんでしっかり
学べば21世紀の今の日本を舞台にしても仁義をテーマにした
面白い任侠映画はきっと撮れると観ていて確信した。

要は安易な"気分"に一切流されず登場人物達がカチコミ
に至る過程の動機と理由付けをしっかりと作りあとは
"死ぬほどカッコよく"撮ってあげればいいのだ。

しかしそれが出来ずに安易且つ低俗なパロディにも失笑に
すらならない無残な出来になるのは結局のところ作り手にも
演者にも教養も技術も無くなり決定的なのは不勉強という
ところなのだろう。

自分が一山あてたら偉人達の積み上げた至宝の作品に
捧げる斬新な新しい"渡世人像"を作ってみたい。
何だか"キルビル"みたいになる予感が。。ってキルビルは
未見だけど(^^)

とりあえず、
「昭和残侠伝 死んで貰います」で私kuronekoが書いた

>この映画観ればもう他のヤクザ映画観る必要無し。

の発言は身の程知らずの発言であったことをここに認めますm(_ _)m
本作を含めてまだまだ観なくてはならない傑作ヤクザ映画は
沢山あるようだ。と言ってもやはり個人的心情としてはこのジャンルは
どうもあまり好きではないことに変わりはない。しかし、それはそれ。
本作ほどの傑作であれば製作現場で働く方々にはどこまでも敬意を表したい。

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2009年2月10日 (火)

映画「アンドレイ・ルブリョフ」

2009年に見た映画(六) 「アンドレイ・ルブリョフ」

原題名: Andrey Rublyov
監督: アンドレイ・タルコフスキー
出演: アナトーリー・ソロニーツィン
時間: 182分 (3時間2分)
製作年: 1969年/ロシア
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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15世紀初頭のロシア。天才画家アンドレイ・ルブリョフの
1400年から20年間に渡る流浪の軌跡を様々な人間模様と
中世ロシアにおける戦乱の救い無き世をダイナミックに描き出す
壮大な映像叙事詩。

自らの腕一つと自信だけを頼りに請われるままに各地の教会や
土地の権力者の依頼で宗教画を描くことで生計を立てる画家
というのは映画の主要な登場人物としてはとても適している。
本作はその点を最大限に活かして彼ら画家の一群をナビゲーター
として様々な人間模様を観客の眼前に見せていく。転々と依頼の
ある場所へあるいは仕事が貰えると期待できる地へ移動して
いく様はまさに人生そのものが旅であり土着という大きな束縛
から解放されることで心の振幅も当然大きくなる。自ずと彼らの
固定観念は薄れ、様々な行動様式に縛られて生きる人々を見、
時に迫害されやがてジャーナリスティックな視点と視野の広さ
を持つのも自然だ。

肉欲に身を任せ祭りだといって全裸で狂気乱舞する人々。
教会の神の名を借りた建前と金銭にまみれた本音。
権力欲と権勢だけに生きる者。辺境の武人達。
タタール人の侵略に協力するロシア人。
何もかも奪われ生きることもままならない弱者達。

仕事を求め転々としていく信仰心も高い画家達の移動の
模様を描く前半とタタール人とロシア人の権力者達の争いと
それに巻き込まれていく一般人の悲惨を描く中盤、
巨大な"鐘"を造る職人達の奮闘を描く後半の大きく
分けて三つの場面が展開されていく。

3時間という長丁場もまったく飽きることがないどころか
静のシーンも動のシーンも寸分の隙もなくまた弛まず
描かれ続けていくレベルの高さにただただ脱帽。

オープニングの空気を熱して気球のようなもので空を飛ぶ
シーンの絶妙に不安定さを表現したカメラワークは思わず
自分の足元を確認したくなる。フェリーニの名作「8 1/2」
のオープニングのシーンを思わせた。どちらの作品の
空中シーンも印象深く甲乙つけ難い。

怒濤の如く馬を駆って攻めてくるタタール人達のシーンの
圧倒的なスピード感とカメラワークも実に洗練されていて
金を出して観る価値十分だ。黒澤明の映画を思わせる豊かな
画面空間の取り方がとても心地いい。馬上の人間と地上を
這う人間の対比の構図も美しい。

また冒頭のシーンんと後半に出てくる芸人の男の演技がとても
自然体で素晴らしいと思う。"芸"というのは物事の常識を
鮮やかに且つ瞬間的にひっくり返して見せてそのことを本人は
全く気付いていないように演じることで人々は笑い転げそして
惜しみない賞賛と金品や供物を捧げるわけだけど
芸人と観客の間合いの関係性の整合性がきちんと撮れている
シーンというのはもしかしたら初めて見たかもしれない。

アンドレイ・ルブリョフは恐るべき戦火を目の当たりにし
自らも被害にも合い、人間社会に絶望し筆を折り無言の行に入る。
ルブリョフがやがて辿り着いた地では若き天才職人の少年が大公の
権威欲のために死力を尽くしていた。後半の鐘作りのエピソードは
職人達の鐘作りの必死の奮闘の描写からクライマックスの権力者達が
見守る中での鐘のお披露目まで何もかもが壮大で傍観していた
ルブリョフと力尽きた天才少年との邂逅は人間の運命の因果的な
大きな環のようなものを感じた。

大作でありながら本作くらいしっかり内容がぎゅうぎゅう詰まっ
た作品が家で見れるならちゃんとそれなりの金を出して
ハイスペックな機器を揃えたくなる。しかしやっぱり
こういう傑作は映画館で何回も観たい。

これまでの生涯で観た映画の中では文句無くベストテンに入る傑作。
多分いつまでも上位に位置し続けることだろう。

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2009年2月 8日 (日)

映画「フォーエバー・モーツアルト」

2009年に見た映画(五) 「フォーエバー・モーツアルト」

原題名: For Ever Mozart
監督: ジャン・リュック・ゴダール
出演: ヴィッキー・メシカ
時間: 85分 (1時間25分)
製作年: 1996年/フランス,スイス,ドイツ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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内戦の続くサラエヴォ行って戯曲を上演することを思い立ち
行動に移す老齢の映画監督の男の娘と友人。躊躇しながらも娘に
付いて行く男。男は娘達に愛想を尽かし途中で別れ新作の撮影現場へと
向かう。若者達の破天荒な旅路の果てに待っていたものは。。

冒頭でエアサッカーをする中年達の描写がまずは面白過ぎて秀逸。
キーパー役に成り切って見事なダイブ!を見せているのは多分
監督のジャン・リュック・ゴダールその人だろう。

主人公の男が監督する新作のオーディションに並ぶ人々の仕草も
いちいちどこか歯車がずれていて微妙なコミカルさがじつに笑いを誘う。

最初から最後まで演者の台詞なり行動なり画面構成なり
常に画面のどこかがずれているのはBGMの音楽が時に厳かに
時に高らかに鳴ったかと思うと肝心なとこでシーンの展開と
機を一にしてぶち切れてしまうのと相まって
果てることの無い醜い殺し合いを作品のテーマの下地に
していることとも文字通り相乗効果を果たして
最終的に凄まじくぶっ飛んだ作品と成りえていて呆然と
するしかない。

ゴダールというジジィは多分相当な女好きだ。
女という存在そのものと肉体と両方とも。
で、彼はきっとドSではなかろかと本作を観ていて思った。

登場する若く美しい女性達は皆とても魅力的に描かれそして
実に酷い目に合う。凌辱された上に殺される者も。

しかし彼女達の喋りちらし動き回る主体的に描かれた描写
によって奇妙な悲壮感はなくとても愛おしくエロティックだ。

また映画製作と戦争遂行の恐るべき共通因子をこれでもかと
暴いていて幾多の時代の矛盾を見てきたであろう巨匠の
逆キレのようなそのちゃぶ台をひっくり返すようなぶち任し
ようも、もうただただ必死でくいついていて目をかっぴろげて
観続けるしかない。

下劣な人間に存分に好き勝手に行動させなければ事は
進んでいかない真実。
その過程でノロマな人間と正論を吐く人間は負け犬として
嘲りを受け踏み潰されていく。

人間が作り出した方程式なんておよそどれもが
間違っているのに、誰もそのことを指摘もせずに
犠牲者に哀悼の意も示そうともせずに次の瞬間は
自分がその犠牲者となっていく。。

終盤、トラブル続きだった撮影は終り映画は遂に完成して
公開に漕ぎつける。

さて観客の期待する"もの"はというと、、

「オッパイは出てくるの?」

「S○Xシーンはあるの?」

「ター○ネー○ー4にしようぜ」(!)

最近の若者が見たがる"映画"なんて所詮は、、
ゴダールの自虐とも自嘲とも皮肉ともあるいは自信とも
とれるこの最後の台詞には完全に参った。ノックアウトだ。

いつの時代もそうだと言ってしまえばそれまでだが
現代もまたモーツァルトもおちおち墓で眠ってられない
冒涜に満ち満ちた時代に変わりない。

もう一回観たくはないが、もし手元に作品があれば
きっと勝手に手が動いて再生ボタンを押し
目は最後まで釘付けになってしまうであろう。

90年代を代表する傑作作品ではないだろうか。

「我思う。ゆえに我あり」
最初の"我"と次の"我"の違いを述べよ。

最初の"我"は精神的な自己であり後ろの自己は
"有る"と言っているので肉体的な自己という存在であり
ゆえに"ゆえに"という証明は成功していない。
数日前にゴダールと全く関係ない書籍で読んだばかりの
命題がたった数日後には今度は映画で登場人物が
説明してくれる。

自分の人生には昔からこんな符合が実に多い。
今年(2009年)は個人的には悪くない年になりそうだ。

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映画「JLG/自画像」

2009年に見た映画(四) 「JLG/自画像」

原題名: JLG/JLG-autoportrait de december
監督: ジャン・リュック・ゴダール
出演: ジャン・リュック・ゴダール
時間: 56分
製作年: 1995年/フランス・スイス
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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森の中を通る一本の路。
雨の降る日の路。
風の吹く日の路。
穏やかな午後の陽の射す路。
寂しい夕暮れ前の路。
雪が降り積り人が通るのを拒む路。

様々な季節と時間とで全く表情を変える路を
とても効果的に随所に見せながら
圧倒的な海辺の描写と波の音、風の音、
部屋の内外から見える風景、静物と共に
タイトル通りゴダール自身の日常の断片が
モノローグとして古今の警句を交え描かれていく。

「フレディ・ビュアシュへの手紙」から10数年後の
作品でありその発展形であり完成形といってもいいような作品。
ゴダールの奏でる言葉は音楽の調べそのもので
一言一句が何だかとても心打たれるものがある。

自身が沈黙して過ごす部屋の最低十分な家具"しか"ない
美しさ。時折登場する人間達との微妙だが決定的な
心理的な齟齬の可笑しさ。

何でもない日常の1コマを演じながら凡人には
どこを切ってもとてつもなく非日常的でしかない
到底辿り着けない領域で生きる初老の男の
エロチシズムが漂っていて凄いとしかいいようがない。

成長した精神の充実は肉体的な老いなどなんでもない
ことを教えてくれるような気がした。

ゴダールはとても愉しんで本作を撮っているようで
観ていてとても羨ましい。モノローグ以外はたいした
台詞もなく登場する女性の美しさと無意味な露出といっても
無味乾燥なエロさとも違う描写もとても楽しい。

個人的には今後の生きる指針の一つを鮮やかに
指し示してくれた。もし10年後、20年後に
本作と遭遇してしまったら勝手に敗北感に
打ちのめされてしまって相当やばかったかもしれない。

数年間に一回は観て自分の生き方が間違っていないか
点検しなくてはおれないような、それでいて
まるで鏡のようにその時折の自分を映し出し
全く異なる作品であるかのような印象を持つような、
本作を観る時間もないような人生はきっとかなり
深刻に間違っているに違いないような強い確信を持った。

本作は時たま観なくては。
ゴダールの至高の人生には遥かに及びもつかないが
その欠片を垣間見て勝手に自分の人生のどこかを
無理やり投影させて勘違いして生きなくては
やっていられやしない。

これほど海の詩的な美しさをフィルムに捉えた作品も
ちょっと他に思い浮かばない。

本作の台本を是非読んでみたい。

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映画「フレディ・ビュアシュへの手紙」

2009年に見た映画(三) 「フレディ・ビュアシュへの手紙」

原題名: Letter a Freddy Buache
監督: ジャン・リュック・ゴダール
出演: ジャン・リュック・ゴダール
時間: 12分
製作年: 1981年/スイス
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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「街」とそこで生きる人々の様々な表情。
その映像の細かいカットに友人?への手紙が綴られていく。
レコードプレイヤーを楽しそうにいじくる中年の男と
手紙を読む声は監督のゴダールか。

一見誰にもで撮れそうな街の建物や道路や人間の仕草。
そして細かいカット割り。

学生の頃、ほんの僅かな一時期だったけどカメラを回して
友人と映画撮影ゴッコをしていたのを観ながらずっと
思い出していた。

自分でもこんな感じで撮れそうだ。
と正直思ってしまったけど、
本作をゴダールでも何でもない無名で若い学生の作品
だと思って観てみるとしたら

「とんでもない才能の持ち主だ」
と思う。

だからやはりこの作品は12分とはいえ素晴らしい作品といえる。

よくわからないままに心を空にして
屈託無く笑うおばちゃんの姿や
木漏れ日が差す街路樹や
くたびれた建物や道路を
ただ観て
ただ自身の通過してきた時間と見てきた
風景を思い出してたまらなくなって
それだけで充分。

訳も判らずただもう一度観たいという衝動に
今も駆られている。

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2009年2月 7日 (土)

 
  
 

酒をしこたま飲んで酔っ払い遂に神の化身となった男達は
村中を疾走する。

某地方の伝統行事を20年数年前の模様と今を比較しながら
テレビで紹介していたけど、

昔の映像は傍観している人々を巻き込んで
勝手に家に上がりこみ騒いで、そしてどの家にも囲炉裏などがあって

勇壮

という言葉がぴったりくるような光景だ。

21世紀の今の光景は何だか走っているオヤジ達は
そもそも酒が弱そうで体格も昔とくらべいまひとつ
貧弱になっている観が否めない。

これは祭りが祭りとして機能していた時代は
参加者のほとんどは農業で生計を立てていたという
つまり肉体を酷使して手に泥をして生きていたのに対し
現代はヨレヨレのスーツを着てデスクワークの
ような仕事に変わっているというところが根本にある。

農業に関る人間が圧倒的に少なくなった人間構成の村で
祭りのクライマックスでは"豊作"を祈願するのは
何だか滑稽にもなってしまう。

しかし"豊作"はつまるところ村の"発展"を願うことだから
そのように祈願すれば別に本質は変わらないから
別に問題はない。

参加者のリーダー格の中年男性が祭りが衰退していかない
ことを何とか願いたいと悲壮感も漂いつつも締めくくったが
今しばらくは他所に漏れず残念だがここの祭りも
衰退・後退の一途を辿ることだろう。

問題は後継者不足でも過疎化でもなく

祭りの形骸化

にあるように思える。

何をどうしてなぜ祀るのか。

参加している中堅以上の人々でさえ明らかに
判っていないように思えた。

しかしそんなことを指摘したところで

「そんなことどうでもいいんだ。さあ飲め飲め」

と言われるのがオチであろう。

まさにその態度こそが若者を村から去らせ
地域の産業や伝統が壊滅しても省みない悪しき
風土を作ってしまう遠因となっていることには
気が付いていない。

村や街の伝統が滅びることを憂いて必死で支えて
いるまさにその当事者達が皮肉なことにその根本的な
原因であるというパラドックスを往々にしてよく見る。

そもそも自分達は何を祀っているのか
酒を飲み謳うことはどういうことか
ここから見直せば、ベテランと呼ばれている人々であっても
修正しなければならないことが幾つも浮かびあがって
くるだろう。
ただの"飲んだくれオヤジ"にしか見えないと軽蔑して
敬遠していた人々もその態度を一変させ祭は復興して
地域の活性化にも路は開ける。

祭は、しかし排他的であって基本的には他所者や
新参者や女子供はご法度の場合が多い。

でもそのことそのものがすでに形骸化の始まりであって
"神"を文字通り神聖なものにしておくには
すべからく隠しほとんどの人間の目には触れない
ようにしなくては崇めてはもらえない。

排除された人間達は神に接触することを許された
ごく僅かの代理人達の振る舞いにありがたい神の
姿を想像する

神はどこにでもいて祭りもどこにでもある。
どの家庭にもどんな小さな集団にも。

祭りの形骸化はそれそのものが形式的な全てが決まった
動作でパラドックスそのものだから仕方ないが
「意味」をすっかりほとんど誰もが忘れたそれは
実に見ていて禍々しい。

滅びたくなくば
祭りの意味を一刻も早く問い直し
その目には見えない『何か』をもう一度祭りの
中心に置くことだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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2009年2月 5日 (木)

リーマン戦記(17)

リーマン戦記(17)
I've... seen things you people would'nt believe.

 

新年早々(ってもう違うけど(^^;))、「会社辞めたい病」発病。
といってもこれまで書いてきたように
仕事をする気はイクラでもタラちゃんでもあるし
アイデアも常時かなり満載だ。

実際、仕事はきちんとしている。←自己申告ツ( ̄ー ̄)

なんで辞めたいかと言えば、
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
書いてきたが

上司のアンウェルカムな態度に全くもってウンザリだからだ。

だからkuronekoは会社を辞めたい。
しかし幸いにして仕事自体は嫌いではないから
自主的には辞めない。辞める気もない。

上司はkuronekoに会社を辞めてもらいたい。←推測(一_一)
しかし仕事が出来るので(?)クビに出来ない。
嫌がらせ(アイソレーションアタック!)もコイツには通用しない。

ではどうすればいいかというと
「お前が嫌いだし超ウザイから辞めてくれ」( ̄ロ ̄lll)
と貴方がはっきり大きな声で言えばいいんじゃ。

喜んで辞めてやらぁなボケ(゚д゚メ)
満面の笑顔で引継ぎしてやらぁ( ̄ー+ ̄)

どのみち今年は個人的にもリーマン生活は正念場として
捉えているので貴方と私の関係に決着をつけるのもよかばい。

なんて言ったところで今年もオメオメと
月末に僅かな金貰って愛想笑いして生きるとよ。。

 
 
 
 
 
<=== Back                      To be continued ===>
 
 
 
 
 
 

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2009年2月 3日 (火)

孤独氏願望。

 
  
 

結構マジで

孤独死というものは個人的には悪くないと思う。

何だか意思疎通が出来ていないけど
血縁だけはある人に看取ってもらうより
血縁も無い方々に事務的な扱いを受けながら
病院の一室なぞで息果てるよりも

好きな本でも読みながらボロボロのアパートの狭い一室で
何だか息が苦しくなって目が見えなくなって
そのまま人生終わる方がどんなにいいだろう
と割りと真剣に考える。

一人で死ぬことと社会の一員として孤独であることは
また別で自分の性格上、孤独死したと風の噂で
聞いたらきっと

「孤独死するくらいなら私が看取ってあげたのに」
と思ってくれる人(女性)が一人や二人はいるでせう
↑希望的観測(^^)

それで充分( ̄ー+ ̄)
マジな話しレプリカント(ネクサスネコ型)としては
死ぬところを人に見られたくはないというのは本音だ。

そういうわけで独身で寂しく生涯を終わることを
マジで心配している会社の先輩(すでに退社)に

「俺は孤独死で本望です」( ̄ー+ ̄)
と帰宅途中の電車内で話したところ

「お前みたいな奴に限って看取られながら
幸せに大往生するんだよ」(゚д゚メ)
とマジ切れされた。

この先輩は何だかやることなすことにキレが全く
感じられず本当に独りで命の灯火が消えていきそう
なので後輩としては今から心底心配している。

なぜ孤独死のことを結構よく考えるかといえば、
それはつまりよくそういった類の報道が日常的にされているから
でありそして自分達がジジィになるころには
恐らくはプライバシーなんてものは相当な金持ち以外は
放棄せざるをえない世の中になっているであろう
悲観的観測が相当に強くあり、

そういうわけで

孤独死が出来ること
(ちゃんと日本人として畳の上で自分が主体的に管理し
権利のある部屋で静かに生涯を終えること)は自分達の世代の寿命の
尽きかたとしては間違いなくマシな方どころか
かなりいい方だと思う。

さらに言えば新選組三番組長だった斉藤一のように
死期を察したら枕元で正座をして死にたいものだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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2009年2月 2日 (月)

news「無銭飲食「困窮」アピール」

大っぴらに無銭飲食 若者ら「困窮」アピール フランス
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(略)
大型スーパーで棚から食料品を勝手にかき集め、
持参したテーブルに載せて買い物客らに振る舞う――。
こんな過激な方法で経済危機による国民の「困窮」を訴える
運動を、フランスの若者たちのグループが続けている。

 先月31日はパリ郊外パンタンのスーパーで
「不況のツケを国民に払わせるな」「生活必需品への税金をなくせ」
などと訴え、野菜やチーズ、パン、お菓子を代金を払わないまま
ほおばり、買い物客らにジュースを勧めた。

 これで5回目だが、毎回メディアが取材し、注目を浴びている。
店側から抗議はあるものの代金は請求されず、
警察ざたにもなっていないという。
「取り組みが支持されているから」とメンバー。
総菜売り場に勤務する女性も「私も支持する」と笑顔で見守っていた。
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[http://www.asahi.com/international/update/0202/TKY200902020149.html?ref=goo]
2009年2月2日19時30分

なかなかユニークなニュースだ。
お国柄といってしまえばそれまでだけど
日本でこんなことをすればまず色々な意味で大変悲惨な
ことになってしまうだろう。実行者は逮捕されて当然のごとく
個人情報を全国区で派手に報道されて凄惨な"見せしめ"に
合うことは必定。

無銭飲食は当然いけないが"アピール"が目的だから逮捕覚悟で
ひたすら目立つことを目的として自分達で食うだけでなく客にも
勝手に食品を振舞うのはなかなか心意気はよろしいかと思う。
自分がジャーナリストだったら彼らに断然インタビューをして
深く考えを聞きたいものだ。
まあたいした思想も持ってなさそうだけど(^^)

勤務する人が公然と彼らに支持を表明するのも
抗議に留めて代金を請求しないのも何だか
国よりも"人"が上にある革命を成した"骨太な国"というところか。

被害にあったスーパーが注目を浴びてかえって売り上げを伸ばす
可能性もあり、彼ら実行グループがその注目度ゆえにサルジコ
大統領の目に止まり何らかの有効な対策がトップダウンで下される
可能性だって充分にある(まあそうなれば実行グループは英雄に
なって彼らの完勝となるので政治的力学としてありえないが)。

何だか妙な世の中だ。
彼らは対費用効果を考えれば賠償をする必要がないどころか
相当な金額を貰うことだってできてしまう。

悪く言えば目立った者勝ち。
よく言えばアイデアを利かして人心を掴んで世の中を変えることは
ある程度は誰にでも出来るということだろう。

根本的には世界的に末期的なのは違いなく
症状は悪化の一途だというのに。

明るいニュースか暗いニュースなのかもよくわからん(^^)
って暗いニュースだよな。フランスは最近暴動もおおいし。
まったく人間ってのは。。よくわからんす。。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2009年2月 1日 (日)

映画「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」

2009年に見た映画(二) 「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」

原題名: SHINE A LIGHT
監督: マーティン・スコセッシ
出演: ミック・ジャガー,キース・リチャーズ,チャーリー・ワッツ,ロニー・ウッド,バディ・ガイ,クリスティーナ・アギレラ
時間: 122分 (2時間 2分)
製作年: 2008年/アメリカ
(新宿 武蔵野館にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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結成して半世紀近くが過ぎて、最早生きる神話と化しながらも
その人気は益々上がり続け、パフォーマンスも衰ることをしらない
モンスターバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」を名匠マーティン・スコセッシが
撮るというのだから何が何でも観に行かないわけにはいかない。

2006年の秋(10/29,11/1)にニューヨークのビーコン・シアターで
行われたライブをハリウッドの一流スタッフが撮影してメンバーの
貴重なインタビューを挿入しながら怒濤のサウンドが展開する。

と書いてみたけれど
自分にとってのザ・ローリング・ストーンズといえば
1981年のライブの模様をダイナミックに捉えた超傑作映像
「THE ROLLING STONES LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER」であり、
ベトナム戦争映画の傑作「フルメタル・ジャケット」の
エンディング曲「黒く塗れ」位なわけですが、、

まあそれはそれ。

ミック・ジャガーの動きと容姿が20年前の「LET'S SPEND~」から
ほとんど衰えておらずその動きはよりしなやかに滑らかに洗練されて
いるのには心底ビックリした。

本作の一番始まりの曲が「LET'S SPEND~」を意識してか敬意を
表してか同じ"Under My Thumb"なのは何だかとても嬉しかった。
半世紀近くも活動している超大物バンドだけあって色々と曲の使い方も
定番のタイミングや順序があるらしく"Under My Thumb"は出だしに
使われる定番の曲なのかもしれないが。

今回はマーティン・スコセッシが彼らを撮るテーマは
「ローリング・ストーンズがローリング・ストーンズである理由」。

メンバーはどのようにお互いと距離間とタイミングを取ってバンド演奏を
しているのかということを映像に納めることを目的にしたとのことでそのために
撮影のため選ばれたライブ会場のビーコン・シアターという場所は
収容人数は2千人強で観客と彼らの距離も近くカメラは超一流スタッフの手
により抜群の安定感と経験確かなプロの技で思う存分メンバーと
ライブ会場全体を捉える。

ミック・ジャガーのメンバーを含めた出演者全員へのさりげない気配りと
文字通り水を得た魚のようなリズムと艶かしい動き(今年で66歳!!)。
キース・リチャーズのバンドメンバーへの確固たる信頼。ロニー・ウッドの
常に一歩引いた視線とキースとの絶妙の呼吸。チャーリー・ワッツの温かな寡黙。

まるで自分がバンドのスタッフの古株の一員のような彼らと
親しい友人のような特別招待されたVIPのような何とも言えない
とにかく幸せな気分になれた。ライブ前の挨拶は第42代合衆国大統領
ビル・クリントン(!)というのも彼らくらいになると何だか当然の
ようにも思える。

彼らほど「生きる」ことを"楽しみ続けている"人達も稀のような気がする。
ライブ映像からも終始「俺たちが誰よりも一番楽しんでいるぜ!!」という
断言する絶叫が聴こえてきそうだ。

バティ・ガイの重厚な歌声と美しいクリスティーナ・アギレラの
パワフルなパフォーマンスも実に楽しい。

それにしてもメンバーの老いの遅さは驚異的だ。
巨万の富を使って不老不死の薬でも本当に使っているのでは
ないかとすら思えた。

DVD購入決定。
本作と「LET'S SPEND~」の2枚のDVDを再生するのに申し分の
ないAV機器があれば自分の週末は完璧だ。
彼らの提供する曲と映像とパフォーマンスを存分に受け止める機器と
場所を構築していくために働いていこう。

機会があれば劇場でもう一回観たい。
素晴らしいパワーをありがとう。

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