映画「フォーエバー・モーツアルト」
2009年に見た映画(五) 「フォーエバー・モーツアルト」
原題名: For Ever Mozart
監督: ジャン・リュック・ゴダール
出演: ヴィッキー・メシカ
時間: 85分 (1時間25分)
製作年: 1996年/フランス,スイス,ドイツ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)
2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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内戦の続くサラエヴォ行って戯曲を上演することを思い立ち
行動に移す老齢の映画監督の男の娘と友人。躊躇しながらも娘に
付いて行く男。男は娘達に愛想を尽かし途中で別れ新作の撮影現場へと
向かう。若者達の破天荒な旅路の果てに待っていたものは。。
冒頭でエアサッカーをする中年達の描写がまずは面白過ぎて秀逸。
キーパー役に成り切って見事なダイブ!を見せているのは多分
監督のジャン・リュック・ゴダールその人だろう。
主人公の男が監督する新作のオーディションに並ぶ人々の仕草も
いちいちどこか歯車がずれていて微妙なコミカルさがじつに笑いを誘う。
最初から最後まで演者の台詞なり行動なり画面構成なり
常に画面のどこかがずれているのはBGMの音楽が時に厳かに
時に高らかに鳴ったかと思うと肝心なとこでシーンの展開と
機を一にしてぶち切れてしまうのと相まって
果てることの無い醜い殺し合いを作品のテーマの下地に
していることとも文字通り相乗効果を果たして
最終的に凄まじくぶっ飛んだ作品と成りえていて呆然と
するしかない。
ゴダールというジジィは多分相当な女好きだ。
女という存在そのものと肉体と両方とも。
で、彼はきっとドSではなかろかと本作を観ていて思った。
登場する若く美しい女性達は皆とても魅力的に描かれそして
実に酷い目に合う。凌辱された上に殺される者も。
しかし彼女達の喋りちらし動き回る主体的に描かれた描写
によって奇妙な悲壮感はなくとても愛おしくエロティックだ。
また映画製作と戦争遂行の恐るべき共通因子をこれでもかと
暴いていて幾多の時代の矛盾を見てきたであろう巨匠の
逆キレのようなそのちゃぶ台をひっくり返すようなぶち任し
ようも、もうただただ必死でくいついていて目をかっぴろげて
観続けるしかない。
下劣な人間に存分に好き勝手に行動させなければ事は
進んでいかない真実。
その過程でノロマな人間と正論を吐く人間は負け犬として
嘲りを受け踏み潰されていく。
人間が作り出した方程式なんておよそどれもが
間違っているのに、誰もそのことを指摘もせずに
犠牲者に哀悼の意も示そうともせずに次の瞬間は
自分がその犠牲者となっていく。。
終盤、トラブル続きだった撮影は終り映画は遂に完成して
公開に漕ぎつける。
さて観客の期待する"もの"はというと、、
「オッパイは出てくるの?」
「S○Xシーンはあるの?」
「ター○ネー○ー4にしようぜ」(!)
最近の若者が見たがる"映画"なんて所詮は、、
ゴダールの自虐とも自嘲とも皮肉ともあるいは自信とも
とれるこの最後の台詞には完全に参った。ノックアウトだ。
いつの時代もそうだと言ってしまえばそれまでだが
現代もまたモーツァルトもおちおち墓で眠ってられない
冒涜に満ち満ちた時代に変わりない。
もう一回観たくはないが、もし手元に作品があれば
きっと勝手に手が動いて再生ボタンを押し
目は最後まで釘付けになってしまうであろう。
90年代を代表する傑作作品ではないだろうか。
「我思う。ゆえに我あり」
最初の"我"と次の"我"の違いを述べよ。
最初の"我"は精神的な自己であり後ろの自己は
"有る"と言っているので肉体的な自己という存在であり
ゆえに"ゆえに"という証明は成功していない。
数日前にゴダールと全く関係ない書籍で読んだばかりの
命題がたった数日後には今度は映画で登場人物が
説明してくれる。
自分の人生には昔からこんな符合が実に多い。
今年(2009年)は個人的には悪くない年になりそうだ。
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