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2009年3月

2009年3月29日 (日)

映画「アレクサンダー大王」

2009年に見た映画(二十六) 「アレクサンダー大王」

原題名: Μεγαλέξανδρος
監督: テオ・アンゲロプロス
出演: オメロ・アントヌッティ,エヴァ・コタマニドゥ,ミハリス・ヤナトゥス
時間: 208分 (3時間28分)
製作年: 1980年/ギリシア・イタリア・西ドイツ
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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20世紀初頭、アレクサンダー大王と名乗り英国貴族を拉致・監禁した
ギリシアの義賊の男とその協力者達の勃興と衰退を描く。

テオ・アンゲロプロスの監督作品はこれまで観た順に

・エレニの旅(2004)
・旅芸人の記録(1975)
・アレクサンダー大王(1980)

となるが、この中では「旅芸人の記録」が一番好きかな。
本作は上記の他の作品と共通するように
他国の人間に蹂躙される人々の苦悩とその行動の奇跡を
ダイナミック且つ詩的な映像描いているわけだが
「人間を描く」という視点では
「旅芸人の記録」の方が本作より迫真的であるように思った。

救世主として崇められたアレクサンダー大王を名乗る男は武力によって
国内の難局に立ち向かおうとしその同胞達共々やがて
共同体の中で疎んじられていき最後には否定されるわけだけど

テオ・アンゲロプロスのテクニック的な手腕は「旅芸人の記録」の時より
洗練されて映像作品としての面白さの方が際立つ。

丘の上を川の辺を人々は漂うように歩き群れ叫ぶ。
その描写の全ては劇であり舞台であり
人々は時に上手から下手からあるいは中央の奥から現れて
台詞を言ってそのどれかに消えていく。

画面構成が練りに練られたワンテイクでの登場人物が多い群集劇なのでミスもある。
後半に求心力を最早失ったアレクサンダー大王一味に
処刑されたはずの男が無造作に広場に転がされるシーンで
顔が地面にぶつかりそうになったのか僅かに受身を取ろうとする
シーンがあったりする。何十人という人間が芝居をしてしかも
基本的に長回しがだから仕方ないだろう。

私有財産を否定して共産主義を誓い合った人々は
やがて大王を含めて何処ともなく消える。

終始、郷愁の念を誘う渓谷や丘陵や簡素極まりない村を舞台に
描かれた人間模様と最後に登場する現在のギリシアの街の
近代的ではあるが無秩序そのものの模様は著しいまでの対比を成す。

作中で描かれたシーンそのままに
アレクサンダー大王は時空の彼方に消え
その居場所は最早この世界には無い。

テオ・アンゲロプロスは1935年生まれでもうすぐ74才か(4月27日生まれ)。
彼の描くキャンパスは広大で4次元的で自分は全然味わえていない。
星の☆☆☆+なのは作品の方ではなくて自分の力量不足でこれくらいしか
味わえていないということ。今後観る度に評価はきっと上がっていくような気がする。

まだまだ気を吐いて頑張って欲しいところだ。
新作が公開されたら必ず観に行こう。

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news「放火容疑」

「逮捕されれば行き倒れにならぬ」 37歳男、放火容疑
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 ---市内の作業所兼倉庫に火をつけて全焼させたとして、---署は28日、
住所不定、無職---容疑者(37)を非現住建造物等放火の疑いで緊急逮捕した、
と発表した。同署によると、---容疑者は犯行後自ら「放火しました」という
110番通報をしたといい、調べに対し「仕事も住むところもなく、
警察に捕まれば行き倒れにならないと思った」と話し、容疑を認めているという。
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[http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2009032801191.html]
2009年3月28日(土)17:51
(---は筆者)

一昔前ならば

「オイオイ、そりゃ余りに勝手な理屈じゃねーか」
「働けばいーじゃん」
「全く最近の若い者は。。。」

という話しに当然のようになったであろうが
世代に関らず、恐らくは最も前途あるはずの10代の若者でさえも
「明日、自分がそのようになってしまうかも」と心のどこかで思うのが
2009年の春という今の偽らざる世相ではないだろうか。

勿論、犯罪はいけないのは当然すぎるほど当然だ。
しかし、犯罪を犯してまでも

「とりあえずは捕まれば(!)当面は食べて生きていける(はず)」

と思わせるほどに、30代半ばという体力と知力のピークを
向かえている男をしてまでこう思わせてしまう今の社会はやはり
どうにも問題があるだろう。

私という一個人に関して言えば
幸いにしては今現在職に就いており、そうそう今月来月あたりの
解雇や会社の倒産の心配は無いとしても

「いつか行き倒れになるかも」
という危機感は今、この瞬間も多分にある。
でもこの気持ちは必ずしも

"お金が充分に無い"
"一生安楽に暮らすだけ稼ぐ自信が無い"

と直結しそうだけど実はそうではないように思う。

『社会は決して自分を能動的には救ってくれないだろう』

という絶望感が深く心の奥底まで根ざしているのが原因だと思う。

表面上、何とか普通に暮らせている私という
一応働き盛りの男でさえ
この犯行を犯してしまった男の行動の動機のある側面を
確実に共有しているという恐怖が多分にあるのだから

現在、生活を維持するのに深刻な問題を抱えている
人々の心中や察するに余りある。

しかし不況や人心の荒廃をこの後に及んでも利用して
国の借金を増やすことしか出来ない方々がシステムの中枢に
居座っている限りどうにもならない。

効果の検証も禄にせずに不況対策と称して金をばら蒔くよりも

『社会は自分達で作っていけるものであり誰でも参加できるものだ』

とい意識を構築していく方が安上がりでどんなにか国のために
なるだろうか。

学校や行政なんてものはそういう意識を作るためにあるはずだったと
思うが今はそういった機構も存在しないのかもしれない。

頭数は何十万・何百万・何千万といようと発想のパターンが
せいぜい数百程度しかないような、仮にアイデアがあったとしても
それが活かせない社会構造になっていることもまた問題だ。

能無しが退いてさえくれれば上記のほとんどは一瞬で解決するが
能無しゆえに絶対にそれはありえないのが一番の問題だけど。
なぜなら居座ることだけが唯一無二の存在証明だから。
悲しいかな他に何も存在理由が無い。

○○紙幣みたいに"仮の権力券"でもあげるからさ。どっかに行ってくれ。
100億年後くらいに"本当の権力"と交換してあげるよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2009年3月24日 (火)

映画「新選組鬼隊長」

2009年に見た映画(二十五) 「新選組鬼隊長」

原題名: 新選組鬼隊長
監督: 河野寿一
出演: 片岡千恵蔵,中村錦之助,田代百合子,原健策
時間: 114分 (1時間54分)
製作年: 1954年/日本(東映京都)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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池田屋事件(1864年7月)から近藤勇が新政府軍に投降するまでを
描く娯楽巨編。原作は子鬼澤寛。

近藤勇を片岡千恵蔵。

土方歳三を原健策。

沖田総司を中村錦之助

がそれぞれ演じている。

所謂"新選組物"映画として作られているので細かいところは
ツッコミ禁止。でもいきなりオープニングで探索方の山崎丞が
近藤達と入れ替わりに浪人達の刀を両手に抱えて走って去る
シーンは笑える。

油小路事件でも長年の同志であったはずの藤堂平助を
鬼の副長土方がじきじきに斬って捨てて全く省みないのも
とても乱暴だ。

でも二時間で池田屋事件から内ゲバの果ての油小路事件そして
鳥羽伏見の戦いとポイントを抑えて描いていかなくては
いけないのでまあこんなものかしらね。

観ていてしみじみ思ったことは2004年の大河ドラマ
「新選組!」は全体的になかなか良くやったということだ。
池田屋のシーンは部分的には「!」の方が勝っていると思う。

前半はちょっと忙しいダイジェスト的な展開だが
クライマックスの鳥羽伏見の戦いはなかなかの迫力でびっくり。

多分当時幾らでもあった京都郊外の原っぱで撮影をしたのだと
思うけど広々としたロケーションが気持ちいい。

片岡千恵蔵演じる近藤勇は情に厚くて優しくて
最後は勤皇と佐幕の間で己の信念が揺れた果ての投降
という従来の型の近藤勇をそりゃもうばっちり演じている。

"鬼"は原健策演じる副長の土方歳三の方だ。
隊の規律を守るためにはどんな犠牲も厭わない鬼の副長を
なかなか気合を入れて演じておられる。

全体的には1970年製作の三船敏郎が近藤勇を演じている
「新選組」の方がリアル感が本作よりあっていいなあ。

まあでも娯楽作品の王道に徹している本作のような作品
もいいでしょう。

最期の仲間に手を振りながら笑顔で去っていく
片岡千恵蔵版近藤勇はなんだか泣ける。

そういえば「新選組」(1970)では芹沢鴨を三國連太郎が
演じているが「新選組!」(2004)で同役を演じているのは息子の
佐藤浩市だったりする。どちらもしっかり敵役を演じきって
おられる。

土方歳三を主役にした新選組物を観たい方は
「燃えよ剣」(1966)もどうぞ。
こちらは栗塚旭が主演で当時土方歳三は大変なハマリ役だった
とのこと。「新選組!」(2004)では栗塚旭は土方歳三の兄役で出演。

個人的には大型テレビ時代劇「壬生義士伝」(2002)はかなりの
傑作だと思っていていつかDVDを揃えたいところだ。

近頃アカデミー賞(外国映画賞)を受賞した「送り人」の監督
滝田洋二郎が同じく監督した「壬生義士伝」(2003)もあるがテレビ版
の方が全然好きだ。意外と知られていないが「新選組!」の山南敬助役
で一躍ブレークした堺雅人は映画版の「壬生義士伝」では
沖田総司を演じている。

と、新選組については引きも切らないのでこの辺で。
「新選組!」や「壬生義士伝」(テレビ版)についてはまたそのうち
書きたい。

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2009年3月22日 (日)

映画「戦艦ポチョムキン」

2009年に見た映画(二十四) 「戦艦ポチョムキン」

原題名: Battleship Popemkin
監督: セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出演: アレクサンドル・アントーノフ,グレゴリー・アレクサンドロフ,ウラジミール・バルスキー
時間: 69分 (1時間9分)
製作年: 1925年/ソ連
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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1905年に実際に起こったポチョムキン号の叛乱を題材にした
後世に多大な影響を与えた映画史上に名高い作品。
革命のシンボルの一つとしてプロパガンダ映画として叛乱
20周年記念として映画化された。

政府軍が民衆に発砲する『オデッサの階段』のシーンは
あまりにも有名。

高校時代から何度か断片的には観ていたが挫折数度。
今回初めて通して観た。本作は絶賛され尽く細部まで語られ尽くした
観もあって真っ白な気持ちと頭で観るのはちょっと難しい。

"戦艦"という閉ざされた空間の中で一度圧倒的多数の
兵達が「意思」を持ってしまえば、その瞬間将校達は孤立し
船は機能しなくなる。過酷な練兵にも一糸乱れず従い
軍艦が有機的に動くのは兵士達への強制力が働いているからに
他ならない。

蛆の湧いた肉を蛆ではないと詭弁を言い文句言わず黙って喰えと
命じたことが最終的なトリガーとなって叛乱は始まる。

強制力という磁力が消えた兵士達と将校達は数の関係から
一気に立場が逆転する。エイゼンシュタインは蜂起した一兵卒達
の側の視点を常に持ちながらもカメラ自体は遠目において
包囲する側とされる側も群集として同距離から描いている。

個を描くことはせず「人間達の行動そのもの」のダイナミズムさを
フィルムに納めようとする強い意志と時折インサートされる風景画の
ような美しい構図と自然光によるシーン。戦艦の巨大さ・鋼鉄の
イメージと目まぐるしく動きまわるちっぽけな人間、足並みを揃え
銃を構えて迫る政府軍と散り散りに逃げる群衆の対比。
その視点は黒澤映画と共通するものを感じる。

名高いオデッサのシーンを始め群衆シーンはどれも圧巻の一言。
80年以上経った今でも素直に「一体どうやって撮ったのだろうか」と思う。

今、本作と同レベルの画面情報の映画が出来たら大変なことだろう。
世界中で話題になって大ヒットどころの話しではない。
作った人間は一生分稼げるだろうな(その人に利益が還元されればの話し)。
撮影された場所は大変な観光名所となるだろう。そう思うと本作は
やはり当たり前のことだけど80年後の今もってそうは作れる作品
ではない。というか無理だ。

映画って本当に不思議な芸術だ。
同等以上のツールがどんなに手に入ったところで技法を盗んだところで
オリジナルを越えるのはなぜか不可能に近い。
アキレスと亀のパラドックスのように近づこうとすればするだけ
永久に辿り着けないことがはっきりしてくる。

実際に起きた戦艦ポチョムキン号の叛乱は日露戦争の最中に起こっており
日本海海戦の調度一ヵ月後に起こっていることは注目していいだろう。

日露戦争における日本の文字通りの辛勝は帝政ロシアの屋台骨の
ぐらつきと密接に関係があることをそろそろしっかりと把握すべき時だ。
未来にまでしっかりと自分の国を残すためにも。

本作のモティーフも本作の制作されたことそのものも、
もう確実に歴史の一ページとして同じように我々の前にある。

これからもたまに頭を真っ白にして観よう。

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映画「不貞の女」

2009年に見た映画(二十三) 「不貞の女」

原題名: LA FEMME INFIDELE
監督: クロード・シャブロル
出演: スティファーヌ・オードラン,ミシェル・ブーケ,モーリス・ロネ
時間: 95分 (1時間35分)
製作年: 1968年/フランス・イタリア
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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パリにほど近い緑豊かな郊外に邸宅を構え美しい妻
(スティファーヌ・オードラン)と実子の男の子一人を持ち
不自由なく暮らすごく普通の中年の男(ミシェル・ブーケ)。
しかし妻の行動に不審を持った男は探偵に身辺を探らせると
案の定不倫をしていたことが判明する。男はある日妻に内緒で
不倫相手(モーリス・ロネ)の住居へと向かった。。

地位と金は充分持っているがただそれだけの今ひとつ、いや
決定的にセックスアピールに欠ける冴えない中年男性をミシェル・ブーケが
100%演じているのが本作に本質的なリアリティを与えている。
良夫を頑張れば頑張るほどに比例していや累乗され
妻の退屈感&倦怠感はズンズン増していく。

この女、不倫してねぇはずがねぇズラよ旦那ぁあ(゚д゚;)

淡々と夫婦の日常生活を描いていても緊張感と危機の予感は
確実に確実に蓄積され二人の行動から一時も目が離せない。

クロード・シャブロル上手いなあ。溜息でるよ。

そして夫は決意する。相手に会おうと。
不倫相手の邸宅での男同士の会話のシーンはまさに拳闘そのもの
お互い軽いジャブの応酬からやがては壮絶な打ち合いか
やがてはクロスカウンターによる相打ちか。

しかして物語は意外な方向に転がって行く。。

『お互いの心の内には一切干渉しない』とルールを定め
お互いにそのルールを守り仮面夫婦の生活を10年近くも過ごしてきた
二人の関係に実生活での破綻がきたした時、二人が意図しない
うちに本当の夫婦の絆がいつのまにか滲み出ているクライマックスは
哀しくも美しい。

ずっと冴えない夫役を演じ続けたモーリス・ロネの最後の表情
カッコイーなあ。中盤まで心の中で貶しまくってスミマソン。
君は間違いなくこの女の夫だよ。
世界に一人しかいない妻を心から愛する見事な夫だ。

本作を一言で言ってしまえば
雨降って地固まる。

それにしても
一体何だろうか。
この弛緩無き面白さ・楽しさは。
尺も実に調度いい。2時間きっちり過不足無く楽しんだと思ったら
90分ちょっとしかないんだなあ。

日本でも充分作れる作品なのに、今の日本の映画の製作状況では
絶対に作れないこの揺ぎ無い確信は何だろう。

社会も家族も人文学的に徹底的に分解して『個の人間』という
ものの存在の不可思議さを映像に収めるという裏の仕込みを
昨今疎かにしすぎているためだろう。

かつては日本だって出来ていたんだ。先輩方は。それはもう素晴らしく。
素直に引き返して頭を下げるものは下げて取ってきましょうね。
それが今必要な本当の勇気。まだ間に合う。

ちなみにまたしても本作で大人の魅力炸裂の美しき妻役の
スティファーヌ・オードランの不倫相手役を演じる二枚目俳優
モーリス・ロネはバツ一の後、かの喜劇王チャールズ・チャップリンの
娘ジョセフィン・チャップリンと再婚した(1983年癌で死去)。

いや面白かった( ̄∇+ ̄)

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2009年3月21日 (土)

映画「最後の人」

2009年に見た映画(二十二) 「最後の人」

原題名: Der letzte Mann
監督: F・W・ムルナウ
撮影: カール・フロイント
出演: エミール・ヤニングス,マリー・デルシャフト,マックス・ヒラー
時間: 90分 (1時間30分) [モノクロ]
製作年: 1924年/ドイツ
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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一流ホテルでポーターを務めることが自慢であり誇りであり
且つ生きがいの老齢に入った男(エミール・ヤニングス)は
支配人から洗面所の雑用係になるように命じられる。突然配転の
余りのショックに男は剥ぎ取られた制服を盗み娘や妻には
配置転換になったことは内緒で帰宅する。今や男にとって
職場のホテルは恐るべき屈辱の象徴となった。。

本作が製作された1924年とは一体どんな年であったのであろうかと
少しだけググってみますと、、

2月 ソビエト連邦を英国・イタリアが承認。
4月 イタリア総選挙でファシスト党が勝利。
7月 阪神甲子園球場完成。
8月 ドイツ賠償問題に関するドーズ案成立。
 
なんてことが起こっている。
第一次世界大戦が1918年に終結して講和条約が締結されて
数年が経ちそろそろ第二次大戦への芽が出てこようとしている時代。

イタリアではファシスト党が勝利してやがてムッソリーニが
台頭しドイツがとても返済しきれないような賠償金と冷酷な
領土割譲(ドイツ国民にとって)が決定されたドーズ案により
ドイツではやがてナチスとヒトラーが国民の不満に応える形で
颯爽と登場する。。甲子園球場が出来た年でもあるのだねえ。

この年に生まれた人では
岡本喜八(映画監督),竹下登(政治家),安部公房(小説家),
高峰秀子(女優)なんて方々がいる。

で何でこんなことを書いたのかと申しますと、
都会に暮らす人々の軽薄さと薄情さ、花形の職業であるポーターと
洗面所の雑用係の社会的地位的賃金的格差、事実上のリストラを
された人間に対する世間の冷たさとご近所のおば様達の残酷
極まりない陰口&噂話、、かれこれ90年以上前(!)の作品だが
高度情報化社会なんて言われてすでに久しい現在社会と
まるで寸分も違わぬ当時の都市社会が完璧に描かれている
こと
にただただ驚愕したからだ。

雨に濡れる舗装された道路と建物が街灯に照らされ光沢を放つ。
朝が来て高層アパートで暮らす人々が起き出して挨拶を交わし
布団を干し始める。街と人々の暮らしぶりの描写も21世紀の
今となっては返ってモダンに映る。
ほとんどSF映画のようにも見える。

全編台詞は一言もなし。
状況説明もオープニングとラスト以外なし。

しかし主演の老人を演じるエミール・ヤニングスの迫真の演技と
その豊かな表情(主に恐怖に打ちひしがれる顔)からはリストラされた
老人の悲哀と絶望はほとんど全て余すことなく伝わってくる。

絶望のあまりほとんど正気も失う寸前の老人の視点から映る世間。

長年勤めたホテルは歪み老人目掛けて倒れ掛かって怪物の
ように襲ってくる。ご近所のババァ達は老人がリストラされたことを
家族に隠してポーター時代の制服を着て帰宅していることを
容赦なく暴きインターネットよりも速く!次々とアパート全棟に
伝えていく。

本作は原作があり唯一ラストにだけ
「不本意だけど原作がそうなっているので仕方ない」
と断りの文字が入ってちょっとした急展開が入る。

製作者側がわざわざ不本意だと書いているだけあって
観ていても拍子抜けの要らないラストだった。

そうそうオープニングでも説明が入る。
タイトル「最後の人」の意味についてだ。

将軍や国家元首やその周辺の人々にとって圧倒的多数の
不安定な被雇用者達の気持ちなぞ判らないだろう
というような説明が。

一番の人から順番に次々と奪っていって当然のように
何も手に入らない人々。手に入らないどころかあともうすぐで
「送られ人」になってしまう人々のことだ。

実際、製作年の1924年の10数年後に世界中の膨大な
数の人々が強制的に「送られ人」となるのだ。女子供容赦なく。

90年経っても世界は変わっていないんだ。
でも地球の環境は、、変わり果てた。
宇宙との境界も月も人間が散らかしたゴミだらけだ。

当時の撮影舞台のベルリンの街の描写と
エミール・ヤニングスの演技、主人公の心象を映像表現の的確さは
充分に一見の価値あり。

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2009年3月20日 (金)

映画「家宝」

2009年に見た映画(二十一) 「家宝」

原題名: Le Principe de l'incertitude
監督: マノエル・ド・オリヴェイラ
出演: レオノール・バルダック,レオノール・シルヴェイラ,
時間: 132分 (2時間12分)
製作年: 2002年/ポルトガル・フランス
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)
公式サイト>>

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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小さな教会でたった独りで日々祈りを捧げることを日課とする
美しき娘カミーラ(レオノール・バルダック)。何ら財産の無い貧しい
家に育った彼女は裕福な若手事業家と"愛無き結婚"を選ぶ。美しく
しかし何を考えているか判らないカミーラに夫も含めて周囲は時に
辛辣に当った。しかしそんな周囲に対しても実体の無い夫婦生活にも
カミーラは全く動じずにひたすら"妻"を演じ続け生きる。カミーラが
祈りを捧げ続けいた信仰の対象それは不思議な魅力で絶大な影響力を
多くの人に与え最後には火炙りの刑になったジャンヌ・ダルクだった。
やがて夫の事業が危機に瀕していく中でカミーラは。。

大掛かりなロケもセットも特に無い。
古めかしい家と代々受け継いできたであろう家具や高価な
調度品の数々とその中で蠢く人々。

立場の違い、育ちの違い、目的・思惑の違い、、
妻となろうとも家族となろうとも親戚となろうとも
人はそれぞれの見解で勝手に動いていく。

レオノール・バルダック演じる一見大人しいカミーラの周囲
の人々の誠実さの欠けた自分達の富を守るための日々の行動の
中でカミーラの落ち着きすぎた行動が全然埋没することがない。
登場人物達の細かな気持ちの変化まで捉えて注意を払った繊細な
演出が心地いい。

感情を露わにし、やがて金銭の呪縛に囚われていく人々の中で
一向に気持ちを表現しようとしないカミーラの異質さがしだいに
クローズアップされて最後は物語の中心に彼女が居る。

美しいカミーラが夫の操り人形なのか、それとも操られているのは
周囲なのか。いつも誰かが良くも悪くもカミーラを思い奔走し
状況が日々変化し彼女はその中心でただ笑みを浮かべるだけ。
そう、その構造力学的立ち位置はまるでジャンヌ・ダルクその人の
よう。。

難解な台詞がやや多いせいか主人公のレオノール・バルダックを
始め台詞がいい終わるまで棒立ちのようになっているシーンが
一部あるが演出なのかどうなのかわからない。あまり気にも
ならないけど。

それでも作中のどんなシーンでもつい見入ってしまう画面の
クオリティはご立派。

何かといえば作品の質の低さを制作費の少なさやセットの規模の
小ささに責任転嫁して憚らない日本映画の関係者は皆この作品を観よ。

「面白い映画とな何か」という問いへの正解に至るための
ヒントがこの映画には詰まっている。

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拒_09_03_19

 
 
ここ最近いつも覗いていた某サイトに

一週間ほど前にいつものように覗きに行ったところ

アクセスが禁止されています。

とフォントサイズ20位で出てきたのでややビビッた。

Why?( ̄ロ ̄lll)

何か悪いことしましたかぁ。私(*ΦωΦ)

ってこのサイトは書き込み欄が無いので

どう考えてもアタクシのせいじゃないでしょう。

ということはこのサイト自身に問題があって

何人たりともアクセス出来ないように

なっている可能性が高い。

まあそこそこエロネタが多かったのも事実だけれど

全然そっちの内容は大したことないのに(個人的判断)。。

アクセスが禁止されています。

っていう表現はどうかと思うなあ。

方向ベクトルがアクセスした"その人"の

方を向いていて

「オマエが悪い」って言われてる気がしてしまうよ。

閲覧出来ません。m(_ _)m

位でいいだろうよ。納得がゆかないので

検索しまくって同じ管理人の同時に運営しているらすぃ

別サイト見つけたけどこちらは何らアクセス問題無し。

内容は似たりよったりなのに。

さてアクセス出来ないサイトに一体何が起きているのでしょう?

まあ見方によっては問題のある表現もあったことは

確かだが本当に悪質な闇サイトとかは放置しまくっているくせに

コマイところばかり取締りが強化されている気が

するのは自分ばかりでないはず。

それとも本当に自分だけアクセス出来なかったりして。

とりあえず毎日寝る前に状況が改善しているか

この某サイトにアクセスして

アクセスが禁止されています。

と出て同管理人の別サイトにアクセス出来ることを確認して

何となく安心して寝るということが日課になっていたりする

今日この頃。

まあそれはそれとして。。今日もさっさと仕事を終わらせて

クソオモレー映画を観た( ̄ー+ ̄)

明日も観る。明後日も観る( ̄ー+ ̄)

そんなわけで、、

皆様、素敵な連休を!!

Have a nice weekend!(^-^)ノ~~~

  
  
  
  
 
 
 
 

 
 

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2009年3月18日 (水)

映画「肉屋」

2009年に見た映画(二十) 「肉屋」

原題名: Boucher, Le
監督: クロード・シャブロル
出演: スティファーヌ・オードラン,ジャン・ヤンヌ,アントニオ・パッサリア
時間: 89分 (1時間29分)
製作年: 1970年/フランス
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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若くして小学校の校長を務める美しい独身の女性エレーヌ
(スティファーヌ・オードラン)は同校の教師の結婚式で肉屋を営む
中年の男ポポール(ジャン・ヤンヌ)に出会う。二人は意気投合して
頻繁に会うようになるがエレーヌは恋人関係になることはなぜか避け
続ける。やがて村で陰惨な殺人事件が起こる。被害者は結婚した同僚の
教師の新妻だった。。

タイトルは『肉屋』
オープニングではオドロオドロしく不協和音の音楽が流れ
何万年も流れ続けた水滴により磨かれて光沢を放つ鍾乳洞が
観客を迎える。まるで新鮮な肉のような輝きと滑らかさ。。

何かが起こるでぇ
とはっきり明確に伝えている。

誰かが肉になっちまうのか( ̄ロ ̄lll)
いやきっとそうに違いない。

オープニングが終わると小規模の結婚式披露宴が始まり
肉屋が出来立ての料理を厨房に運んでくる。

これか、この肉が問題のぉぉぉ??
質感たっぷりの肉が心なしか小刻みに震えてるようにも見える。
がただの気のせい。

くわえ煙草で歩く美しくて明るくて子供に優しい校長先生のエレーヌは
当然のように生徒からも村の人間からも慕われている。

エレーヌ演じるスティファーヌ・オードランがとにかく
美しくて茶目っ気があって大人の色気が充分あって
とんでもない。肉屋の男でなくても誰でも男ならこんな素敵な
女性には心から惹かれるに決まっている。

そして変なケレンミの無い日常描写の積み重ねがかえって
平和な村に起こった事件の異常性を際立たせてどんなシーン
でも見ていて全然飽きない。

殺人事件の犯人が誰なのか、結末はどうなるのかということ
よりもエレーヌとポポールの人物造型が丁寧に出来ていて
二人とも澱みなく演じているので彼らの微妙な距離感が恋愛感情
という表面的なことよりも一個の人間同士の力学的な引っ張られ
合いとしてきちんとフィルムに収められていてハラハラ出来る。

途中まで相当にサスペンスフルになるが個人的にはそのまま
何が何だか判らない状態のままで観客を置いていってくれる展開だった
のならほぼ満点の出来だった。本作の結末の描かれ方でも全然
悪くないけど。というか好きな終り方ではある。

登場人物の中で一番罪深いのは、、そう
エレーヌ、君だよ。
魅力があり過ぎて罪なんだよエレーヌ。そりゃ男は誰でも狂うわさ。

肉屋の主人ポポール役のジャン・ヤンヌも中年独身男性を
バランス感覚抜群に演じていてとても安心して観ていられた。

総合的にレベルが高い良い作品。
見て絶対に損なし。

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2009年3月15日 (日)

映画「たそがれ酒場」

2009年に見た映画(十九) 「たそがれ酒場」

原題名: たそがれ酒場
監督: 内田吐夢
出演: 津島恵子,小杉勇,野添ひとみ,宮原卓也,加藤大介,東野英次郎
時間: 94分 (1時間34分) [モノクロ]
製作年: 1955年/日本 (新東宝)
(六本木 シネマート六本木にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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その酒場はいつも盛況でその日も様々な客がやってきた。
軍人上がりの初老の男とその部下は酒場で偶然再会し大いに
戦後日本の堕落を憂い学生達は恩師を囲み肩を組んで歌い、
旧体制の打破を叫ぶ若い男女、ゴロツキ、ヒモ、飲んだくれ、、
店の専属歌手の健はたまたま来店した一流の楽団を率いる著名な
音楽家にその才能を認められる。しかし店で伴奏を勤める健の
長年の師匠は頑なに健が世に出るのを拒んだ。。

酒場のセットの作りこみと見せ方の上手さが半端でない。
主人公は酒場そのものだ。

とある開店から閉店までの一日を見せてくれるわけだけど
登場人物達のバリエーションの豊かさと演者達の演技の確かさも
たまらん。

出だしは東野英次郎(テレビでの初代水戸黄門)と加藤大介
(黒澤明監督作品「七人の侍」が有名)が飛ばす飛ばす。
平和だけど堕落した戦後社会に不満タラタラの戦地帰りの
上司と部下の関係を二人とも余裕たっぷりに楽しそうに演じている。

東野英次郎の完璧にハマッテいる無茶ぶり暴走老人振りは。
昔、何かの本で「あの東野英次郎が天下の副将軍かよ」という
ような一文を読んだように思うが何だか妙に納得。
この人はきっと悪役がよく似合う(^^)。

加藤大介も流石の貫禄で主要な登場人物が出揃うまで場を
しっかり盛り上げている。

様々な立場の人間達を的確すぎるほど的確に描きながら最後は
戦争に賛成しながら結果的に若者達を死地に追いやりその状況を
作りだした自分達は生き残ってしまったことに負い目を感じている
老人達と古いものを全て旧体制として葬りさろうとすることも
辞さない戦後世界を生きる若者達との溝を浮き彫りにしている。

ストリップ嬢を演じる津島恵子とその演出もとても素晴らしい。
肌を露出することで賃金を得る女の哀しさがその踊りの一挙手一挙動
に見事に表現されていて皮肉にもそのアイロニーが男共が望む
女性像を強調していてさらに哀しみが増している。

最初から最後の最後まで作り手と演出と役者と舞台が本作ほど
混然と絡み合って世界観を構築している作品はこれまで観たことが
ないかもしれない。本作に参加している全ての人々が羨ましい。

三谷幸喜の「ザ有頂天ホテル」(2006)は本作とある意味で同じように
限定された空間で起こる喜劇を描いた作品だけど全てが弛緩しすぎて
いるのが気になって面白くなかった。三谷氏は本作を観たことは
きっとないように思う。もし本作を観ているならばああはならなかった
のではないかと勝手ながら思ってしまった。

内田吐夢の作品は初めて観たけどもその作りこまれた情報量の多さ
と豊かさには脱帽だ。

隅々までこだわって作られた作品がこれほど心地いいとは。。
相当良く出来たハリウッド映画でも全然目じゃない。

もう一度映画館でじっくり観たい。

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2009年3月10日 (火)

映画「旅芸人の記録」

2009年に見た映画(十八) 「旅芸人の記録」

原題名: Ο Θίασος
監督: テオ・アンゲロプロス
音楽: ルキアノス・キライドニス
美術: ニケス・カラビベリス
出演: エヴァ・コタマニドゥ,ペドロス・サルカディス,ストラトス・バヒス
時間: 232分 (3時間52分)
製作年: 1974年/ギリシャ
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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第二次大戦中から東西冷戦勃発後までのギリシャを舞台に
各地を転々と移動して公演をして生きる旅芸人達の国家間の
争いに巻き込まれ続ける10数年の受難の月日を巧みな映像美で
描く叙事詩。

登場人物とカメラとのやや間隔を置いた独特な距離間やアングル、
作品のテンポ等等観ていてやたらと本作と同じく壮大な流浪の
物語「エレニの旅」(2004)を連想させるなと思いつつ観ていたら
両方とも同じ監督による作品なんだと途中で気が付いた。

ギリシャはその地理的な特質から第二次大戦中はナチスドイツに
蹂躙されWWⅡ終結後の開放感もほんの束の間、イギリスの帝国
主義に翻弄されアメリカ軍のヤンキー共に駐留され好き勝手に
され労働者達の叫びは一瞬でソビエトの赤い共産主義に染め
抜かれ祖国を移動しながらも安住の地をいつまでたっても得られ
ない芸人達はやがてある者はスパイとして射殺されある者は
解放軍として志願して去りある者はただ犬死していく。

一団が設営する舞台の背景にはいつもお決まりの河に
水を飲みに来た羊の絵。

数頭の羊が描かれていて一番河の近くに来た羊は
口を伸ばしあともう少しで水を飲むことが出来る。

まるで永久に水を飲めないまま背景と化した羊達そのもののように
芸人達の舞台は常に決して最後まで順調に幕を閉じることが出来ない。

ある時は空襲の爆撃のために避難を余儀なくされ、
ある時は恫喝に合い公演の中止を余儀なくされ、
ある時は演じている仲間を舞台の上で射殺されてしまう。
何も知らない観客達は血まみれの役者の迫真の演技(!)に拍手喝采する。

芸人達の前を後ろをいつも高揚した民衆達がビラを撒いて
音楽を打ち鳴らしながらアジテーションをやっている。

ぷかぷかどんどん
ぷかぷかどんどん

今度は一体何だろう。
どんな集団がやってくるのだろう。
ファシストだろうか。
国家主義者だろうか。
融和主義者だろうか。
プチブル帝国主義者だろうか。
共産主義者だろうか。

時は過ぎ芸人達もすっかり減った。
仲間の若い女性の結婚式が海辺で行われた。
相手はイギリス軍の兵士だ。これまでの苦難を
思い複雑な思いに俯くばかりの新婦側に対して
屈託無くはしゃぐ新郎側のイギリス人達。
乾杯の瞬間、旅の途中で生まれて逞しく成長した
青年はテーブルクロスを引き倒した。
怒りに身を任せテーブルクロスを引きずりながら
呆然とする背後の人間達に決して振り向くことなく
青年はどこまでも歩き続けた。

日本では決して培われることはないであろう視点の
作品だがけどそれはそれで幸せなことといえるのかも
しれないとも思ったり。

底が抜けてしまったような世界でしぶとくも
生きる人間達を描いているという意味で
アンダーグラウンド(1995)も思い出した。

広場で撃たれて血を流して死んだ人間は
一体どっち側の人間に
一体何のために撃たれ死んでいったのだろう?
皆逃げ出してしまって誰にも看取られることもなく。
芸人達もやがてまた舞台を作り公演を続けていく。

とても詩情豊かな長時間の尺でも飽きない作品だ。

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2009年3月 8日 (日)

映画「ベン・ハー」

2009年に見た映画(十七) 「ベン・ハー」

原題名: BEN-HUR
監督: ウィリアム・ワイラー
音楽: ミクロス・ローザ
出演: チャールトン・ヘストン,スティーブンン・ボイド,ジャック・ホーキンス
時間: 222分 (3時間42分)
製作年: 1959年/アメリカ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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紀元26年、ナザレの街の夜空に光の玉が現れゆっくりと移動すると停止して
光が放たれた。その光の先にあった馬小屋でその晩一人の子供が生まれた。。
ジュダと呼ばれるユダヤ人の有力な豪族の息子ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)と
ローマ帝国の司令官メッサーラ(スティーブンン・ボイド)は硬い友情で結ばれていたが
ベン・ハーがローマ総督を襲撃しようとした疑惑で検挙されると状況は一変した。
罪人として鎖で繋がれ海戦用の軍船の漕ぎ手として街を追放されるベン・ハー。
追放される途中で役人に疎んじられ水分補給も許されず疲弊しきったベン・ハーに
飲み水を差し出したのは光の玉が現れた夜に馬小屋で生まれ成長した若者だった。
ベン・ハーは自分の潔白に耳を貸さなかったメッサーラに復讐を誓う。。

クライマックスの騎馬戦をほんのちょこっとでも見たこのある人はきっと
多いことだろう。大作且つ名作の香り高い本作は個人的には色々な意味で
想像を超えていた「アラビアのロレンス」(1962)とは異なりインパクトだけの
意味においては大体想像通りの出来だった。

しかしオープニングでもエンディングにおいても「奇跡」を当然のことのように
"起こるべきもの"のように堂々と格調高く描いていたのはとても考えさせられた。
"ナザレの若者"がローマ帝国の支配にさえ甚大な影響を及ぼすであろう
人々を惹きつけやまない何かを持つ妖しいまでの雰囲気はとても丁寧に演出されて
いてプロフェッショナルな仕事だ。

ベン・ハーが一度罪人の身に落とされ命すらも保障されない奴隷として
船の漕ぎ手として戦場に担ぎ出されるがその果敢な行動力から再び
自由の身を自分の力で手中に収めるという映画の大半の時間をかけて
描かれる"個の能力による大きな障害の打破"と最後の壮大な奇跡の出現は
極東に生きる人間としては両立しえないもののように感じるが、
「信じれば救われる」とはよく言ったものというところか。

ベン・ハーとメッサーラがまだ固い友情で結ばれる前半に同じ的に
向かって槍の投げあいをして愉しむシーンがある。兵器庫の天井の柱
の中央に二人とも見事に的中させるがこの柱は明らかに十字架に見える。
当然これはやがて奇跡を起こすある若者の運命を暗示しているわけだ。

本作は紹介される場合は最後のベン・ハーとメッサーラの戦車による
決戦ばかりがクローズアップされるようだけど罪人達が過酷な状況下で
酷使される中盤の海戦のシーンやベン・ハーとその一族の流転の人生劇
とクロスさせて描かれるキリストの受難も当たり前のように見ごたえ
充分だ。

チャールトン・ヘストンは声といい体格といい何だか全盛期の
シュワちゃん(アーノルド・シュワルッツェネッガー)にとても
似ていて気になって困った。

十字架へ磔については手の平に杭を打ち込むのは誤りとされている
ようだが(体重が支えられない)本作では腕に打ち込んでいたように見えた。

ミクロス・ローザの重厚且つ壮大な音楽も中身の詰まった「大作」振りを
さらに惜しげのないものにしている。

ただ製作の規模が大きいとうだけでなく実は全編において見せ方がとても
上手い映画の教科書のような作品でもある。

普通の一般人は一回くらいは観てその豪奢な作りに酔って楽しめばよいし
映画関係者は先人の偉大な大仕事から大いに学べばよろし。

最後の奇跡がなければ個人的には☆5個だったけども、それは作品の
テーマから言って筋違いなんだろう。

十分堪能した。
10年後にでも見たら今とはまた全然違った感慨も持ちそうだ。

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映画「イントゥ・ザ・ワイルド」

2009年に見た映画(十六) 「イントゥ・ザ・ワイルド」

原題名: INTO THE WILD
監督: ショーン・ペン
出演:エミール・ハーシュ,ハル・ホルブロック,モス・デフ,キャサリン・キーナー
時間: 148分 (2時間28分)
製作年: 2007年/アメリカ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆)(5個で満点)

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大学を順調に卒業した成年クリス(エミール・ハーシュ)は
アラスカの荒野に向かった。身分証明書を捨て所持金を捨て家族も
名前も捨てて。2年間の放浪の末に目的地アラスカに着いた彼を
待ち構えていたものとは。。

ショーン・ペンと言えば自分にとってはデッドマン・ウォーキング(1995)であり
マドンナの元夫である。だけどてっきりデッドマン・ウォーキングでは確か
監督を務めていたっけと自分の頭の中では脳内変換されていたけど
調べてみたら監督ではなくて主演だった(監督は「ショーシャンクの空に」
で主演しているティム・ロビンス)。でも主演の男の演技はクライマックス以外では
特にあまり覚えていない。その主演の男がショーン・ペンだったんだな。

本作は新作として公開してた当時はある種の嫌な予感がしたので当然のように
スルーしたのだけど最近よく利用している新文芸座で流れる予告編を
何回も観ている間に主演の若者が「判っていそうな」表情をしていたのが
気に入り"信じて"観に行ってみた。でも、、

裏切られた。やっぱり。自分の直感は当たりだった。

幼少の頃から親の不仲を見せ付けられたこと(主に父親の妻へのDV)に
対して壮大な復讐を遂げるために大学卒業までは猫を被り続けて
卒業と同時に可愛い妹までも捨ててアレクサンダー・スーパートランプ
と名前を変えてアラスカに向かうまでは良し。"トランプ"は放浪者の意味。

ただそれだけだ。この映画は。

上映時間の大半をじっくりアラスカへの旅の軌跡を見せるけど
スーパートランプ君はワイルド(荒野)にイントゥ出来ない。きっとこの映画は
出来ないことを見せようとしているんじゃなくイントゥした若者が
やがて敗北していく様を描いているつもりだと思うけど
そうではないところがあまりにもあまりにも予想通りだった。

2年間もじっくり時間をかけてアラスカに向かったのに
アレクサンダー・スーパートランプ君の無智・無能振りは
観ていて時に腹立たしく時に悲しすぎる。でも自業自得すぎて
腹立たしい方が大きい。

最も腹立たしいのは現代の物質至上主義文明を散々批判して
「自分はその枠組みから自ら率先して外れました」みたいな
態度を取り続け周囲もそんな彼を温かく見守ってしまうわけだけど
ちゃんちゃらおかしい。

なぜなら彼は決して『銃』を捨てようとしないからだ。

銃ほど近代文明社会を象徴するハイテク機器があるだろうか。
莫大な設備投資を必要とし理路整然とした寸分の隙もない肯定の
連続からのみ生産され、しかも目的は"何かを殺すこと"だけだ。

銃器を持って反戦や反文明を唱える人間よりも会社で上司に叩かれ
家で家族に馬鹿にされ世の中のトレンドに流され翻弄されまくって
身包み剥がされてそれでも社会に塗れて生きるサラリーマンパパ・ママの方が
どれだけまともであろう。

しかもスーパートランプ君は好きで社会の歯車に飲まれているわけじゃない
人々を諭しながらアラスカに着いたら禄に自活も出来ずに
腹が減ったと叫んで荒野で銃を乱射する。

情けない。。

私は期待していた。そのうち当然のように銃を捨てて自分で
弓と矢を作って服も破り捨てて獣を獲って皮を剥いで自作の服を作って、、
とサバイバルを見事にやってくれるだろうと。ずーっと期待して観ていたけど
ダメだコイツ。[死んで]当然だよ。自然は甘くねーっす。

自然は過酷なんだよ。スーパートランプ。いやクリス。
だから皆街に逃げ込んで堕落して生きているんだよ。

ショーン・ペンは何が描きたかっったのかは推測出来るけど
全然できていないと思う。この作品はどこか空虚だ。

この作品観ることにより感化されて自然に入っていく輩が
自然を破壊しないことはきっと不可能だろう。
自然だけでなく社会も自分が破壊していることに気付かないだろう。

主演のエミール・ハーシュは何も悪くない。
体当たりできちんとこのボンボン君を演じている。
でもエミールが表現する主人公像は愛嬌があり過ぎて且つ
体格が良すぎて頭も良さそうで、つまりは問題解決能力が
ありそうなのでこの作品の主人公の行動と観ていて
チグハグ感が否めない。チグハグ感が計算された演出だった
としたらかなり面白かっただろうけど全然そうじゃない。

本当に自分の立場を捨ててアラスカに入っていった実在の若者の
話しをベースにしているらしいけど本当の話ならそれはそれで、
この恐るべき敗北の物語には語るべき多くのことがあるように思う。

「自分探しのロード・ムービー」っぽくしてしまったのは
勿体ないように思う。本作は沢山のいい素材を捨てている。
トランプ君最後まで自分のやっていることに全然疑問持って
ないようだし。まあそれだからの結末なんだけど。

途中で出てくる凄い美人のお嬢ちゃん(ジェナ・マローン)の描かれ方が
娼婦同然だったのも腹が立った。というか娼婦ですらなかった。
可哀そうに。ショーン・ペンの若い女性に対する見方のようにも思えた。

最後のロングショットも残念ながら失笑ものだった。
自然の偉大さではなくロケ場所の貧弱さと本編との矛盾を自ら見せて
しまっている。その貧相な景色は彼の住処となる廃バスのすぐ側に
コンビニでも出てくるんじゃないかとワクワクしてしまった。
そしたらかなりの皮肉が効いていて面白かったけどそんなことしたら
2時間20分も描いたことそのものが全部嘘になってしまうので
ありえないけど。このロングショットは製作者の中で疑問に思う人
もいなかったのだろうか。

「イントゥ・ザ・ブッシュ(森)」くらいだろう。本作は。

個人的にはショーン・ペンは俳優でいった方がいいんじゃないかと思う。
彼の次回作はきっと観ない。彼も自分のような人間を観客として
想定しては作っていないような気もする。

内容は☆1個だけどかなり長距離を移動したであろう撮影の
プロぶりに敬意を表し、主演の男の子の頑張りは評価して+☆1個。
演者は総じて良かったと思う。だから余計に残念な作品だった。

久しぶりにエンドクレジットの途中で劇場を出た。
これからは自分の直感をもっと信じよう。

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2009年3月 4日 (水)

映画「幕末」

2009年に見た映画(十五) 「幕末」

原題名: 幕末
監督: 伊藤大輔
出演: 中村錦之助,仲代達也,吉永小百合,三船敏郎,山本学
時間: 121分 (2時間1分)
製作年: 1970年/日本
(浅草 浅草名画座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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幕末の土佐藩から物語は始まる。
土佐勤皇党の一人が"上士"の横暴な殺戮を目の当たりにして
立ち向かうが逆に数人に囲まれ半殺しにされる。土佐では
山内一豊の統治以来、侍の中でも上士と下士(郷士)の上下関係は
絶対で上士は何をしてもいいに等しかった。男は仲間に匿われるが
切腹して果てる。土佐勤皇党に参加を表明したばかりだった
坂本龍馬(中村錦之助)はそんな視野の狭い事件が頻発する郷土や
武市半平太等の藩政改革にも釈然とせず脱藩を決意する。
薩長同盟締結から船中八策・大政奉還・そして最後の暗殺される
までの坂本龍馬のその後の行動を豪華キャストでダイナミックに
描く快作。

オープニングクレジットには一行
協力:高知県・鹿児島県

判りやすいなあ(^^)
書くまでもないが高知県は徳川時代は土佐藩で鹿児島県は薩摩藩。
両方とも『幕末』という名のパワーゲームのレギュラー。
薩摩藩が4番バッターなら土佐藩は1番か5番あたりか。

本作はツッコミ所も多々あるが中村錦之助の演じる坂本龍馬は
ちょっと見た目は骨太だけど情に厚く頼りがいのある(勿論腕も立つ)
ナイスタフガイを威勢良く演じていてで最後までとても楽しく観れた。
中岡慎太郎演じる仲代達也の演技のメリハリも当然のように心地
よくてその快活さが本作に果たしているプラス効果は計り知れない。

最近の言葉で言う事実婚だった龍馬の妻お龍を演じるは吉永小百合。
とても可愛い。龍馬との将来を夢みながらのどアップの
寝顔はサユリスト必見か(笑)。単純計算だと本作の公開当時25才
だけど全然見えないなー。18,9くらいに見てる。

冒頭で酒に酔った上士の男が下士とはいえ善良な人間をまさにいたぶり
まくりながらのらりくらり斬るシーンは残酷だ。一度に突き刺す
のではなく斬り倒すでもなく肩をちょこっと斬ってみたり脛を
斬ってみたり非道極まりない。

こんな殺され方は絶対に絶対に嫌だ。

遥か昔徳川家康に味方した山内一豊が関ヶ原の合戦終結後
その褒美として土佐を与えられたが徳川に敵対した元領主に
仕えていた地元の武士は一豊の支配を快く思わず山内一豊も
またそんな彼らを冷遇した。自分に従う者を外から募り"上士"
として優遇した。元々長宗我部氏に仕えていた武士達は"郷士"
として明確に区切りされ冷遇と上士の過酷な仕打ちに幕末まで
200年以上も耐え続けることになる。幕末の風雲児坂本龍馬や
明治の自由民権運動家板垣退助はこういった過酷な身分社会
の土壌から産まれていくこととなる。

高知出身の漫画家黒鉄ヒロシの文章で幕末に幼少期を過ごして
いた人が目の前で上士が人を斬り捨てるのを見たという逸話を
残しているという話しがどこかに載っていた気がした。

坂本龍馬を描く上ではまず外せない寺田屋での龍馬の脱出劇
(お龍さんがお風呂あがりで役人が来襲したことを告げる"アレ"ね)
での殺陣のシーンの激しさは幕末ものでは文句無くトップクラス
の出来ではなかろーか。「刀ってそんなに人斬れなねーだろう」
というツッコミは置いておいて斬るわ斬るわ!

鬼の形相と化した中村錦之助版龍馬の気迫のこもった演技と
蝋燭の明かりだけで照らされる狭い日本家屋の室内を表現した
演出がイカシテいて溜飲が下がる。真っ暗闇の中で健気に銃に弾を
込めようと奮戦する吉永小百合版お龍にも萌え。

寺田屋のシーンがこんなにスゲーのならクライマックスの近江屋での
暗殺シーンはさぞや。。と思っていたら意外にもあっさりしていた。
しかし暗殺直前の中岡慎太郎との会話では一君万民思想をさらに
越え天皇の人間宣言と廃帝にまで滔々と言及していく龍馬と
仲代達也演じる中岡の打打発矢は見ごたえ充分。

坂本龍馬の暗殺には諸説あるのはよく知られているところで
実行犯は見廻組の一派によるというものが定説としてほぼ
固まっているようだが、多分あまり知られていなくて且つ
自分が少し肯定したい説に

「中岡慎太郎は坂本龍馬が暗殺されると事前に知っていて
避けられないこを悟り親友として一緒に死んであげた」
(実際には龍馬はほぼ即しで中岡は一旦甦生したものの数日後に死亡)

というものがある。勿論史実としての可能性は限りなく低い
のは当然であろうが中岡慎太郎という人間の立場と彼の人間性
と龍馬との篤い友情を考えるとこれはありえると私は考える。

龍馬を殺したい人間が佐幕派、倒幕派、土佐の内部にですら
存在していたことは間違いないだろう。

坂本龍馬が主人公の映画としては私は黒木和雄監督原田芳雄
主演の「龍馬暗殺」(1974年)が一番好きだけど本作も肩のコラナイ
娯楽大作としてとてもお奨めな一品。

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2009年3月 1日 (日)

映画「カルメン故郷に帰る」

2009年に見た映画(十四) 「カルメン故郷に帰る」

原題名: カルメン故郷に帰る
監督: 木下恵介
出演: 高峰秀子,小林トシ子,佐野周造,佐田啓二,笠智衆,望月美惠子,井川邦子
時間: 86分 (1時間26分)
製作年: 1951年/日本
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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東京でリリー・カルメンという名で踊り子として活躍する"おきん"
(高峰秀子)は雄大な浅間山の裾野にある実家に同僚(小林トシ子)を
連れて帰省する。地元の小学校では運動会の準備が進んでいた。
地元の人間にとっておきん達のやることなすこと何もかもが奇異にしか
写らない。都会で人気者になって故郷に錦を飾ろうと意気揚々帰ってきた
"きん"は当然面白くない。おきん達は自分達の踊りを一夜披露することに
なるが"裸踊り"をするという噂で小さな村は大騒動になる。。

"ゲージュツ"対"芸術"の決戦映画
都会の毒にすっかりやられ何も判っていない"おきん"と
同じ穴のムジナを快演するのは小林トシ子。本作と同じく
木下恵介が手掛ける秀作「破れ太鼓」(1949)では、ほんの少しスカートが
めくれても真っ赤になって泣いてしまいそうな可憐な娘さんを涼やかに
演じていたのに本作では小学校のイケメン先生を破廉恥に股も広げそうな
誘惑をするオツムのよろしくない主人公の友達役を堂々と演じている。

かつて学校で教えていこともあるらしい盲目の男田口(佐野周二)
は自ら作詞作曲した浅間山の勇壮さを表現した唄を夕暮れが迫る
校庭でオルガンを演奏する。先生等はその歌詞と曲のイメージの確かさに
しばし心打たれ聞き入る。子供達も自然と遊ぶのを止め集まってくる。
劇中で最も芸術的で美しいシーン。ど派手な服装で所構わず自分達の
一方的な主張ばかりを繰り返す"おきん"達、それでいて何かといえば
「田舎者はゲージュツが判らない」と口走る彼女達の厚顔無恥な行動と
田口の奏でる音は鮮やかな対比を見せる。

運動会でクライマックスを迎えるはずだった田口の演奏発表は
おきん達のデリカシー皆無の騒がしさに妨害され台無しとなってしまう。
名誉挽回とばかりに自分達の踊りを披露することが決まり
練習に励むおきん達だが"裸踊り"を見せるという宣伝に
村の男達は騒然となり静かだった村はいよいよ混沌の度を深める。

断然踊りの披露を止めさせようとする小学校校長(笠智衆)と
おきんの父だったが、彼らは思い直す。

「彼女達があんな振る舞いをして平気でいるのはそれを見ては喜んで
平気でお金を出す連中が都会にいるからだ。日本の真ん中で堂々と
行われている行為ならこんな片田舎でやることに一体なんの
不都合があろう」と。

地元の雄大な自然を讃える美しい唄を作る才能ある者が
貧しさのあまり唯一無二の大切な財産であるオルガンを
借金の形に取られ妻の荷馬車を引く仕事の僅かな収入で生き、
男達に適当な振り付けで肌を晒して生きる女達に金が集まり
彼女達を金づるにする者達はホテル開発だろうが何だろうが
金になれば手段は一切選ばない。芸術を根底から破壊して
何ら省みない者達によって"ゲージュツ"が語られ金になる

物だけが残っていく。しかしそれらも金にならなければ
捨てられていく。。

監督の木下恵介は細やかな演出でリアルな人間の行動様式を
描いてみせることで観客に「果たしてこれでいいのだろうか?」
と訴え考えさせることに成功しているように思う。
「破れ太鼓」でも「陸軍」でも同様の傾向の演出が見られ興味深い。

都会の毒を撒き散らす娘達と田舎にほんの僅かに残るのみの人間
としての真っ当さの対比の見事さに終了後気が付いたら拍手を
していた。他の観客達も10数人が本作の大団円に拍手を送った。
拍手の嵐とならないところが胡散臭くなくてとても良かった。
映画は皆それぞれ自主的に楽しめばそれでいいんだ。
たった一人でもこの作品に拍手を送ることは何も恥ずかしくない。

そして、実は劇中で何よりも最も美しいシーンそれは。。
笠智衆さん、貴方の見事な一本背負いです。
それはそれは国宝級に美しかった。。
あれこそ『芸術』一生忘れません( ̄ー ̄)*キラン

本作は邦画初のカラー作品。
wikiによれば、カラーフィルムによる製作が最終的に
失敗と判断された場合に備えて全てのシーンが
白黒フィルムでも撮影されたとのこと。つまり映画二本分の
労力が本作には費やされている。

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