映画「ベン・ハー」
2009年に見た映画(十七) 「ベン・ハー」
原題名: BEN-HUR
監督: ウィリアム・ワイラー
音楽: ミクロス・ローザ
出演: チャールトン・ヘストン,スティーブンン・ボイド,ジャック・ホーキンス
時間: 222分 (3時間42分)
製作年: 1959年/アメリカ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)
2009年 2月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
---------------------------------------------------------------
紀元26年、ナザレの街の夜空に光の玉が現れゆっくりと移動すると停止して
光が放たれた。その光の先にあった馬小屋でその晩一人の子供が生まれた。。
ジュダと呼ばれるユダヤ人の有力な豪族の息子ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)と
ローマ帝国の司令官メッサーラ(スティーブンン・ボイド)は硬い友情で結ばれていたが
ベン・ハーがローマ総督を襲撃しようとした疑惑で検挙されると状況は一変した。
罪人として鎖で繋がれ海戦用の軍船の漕ぎ手として街を追放されるベン・ハー。
追放される途中で役人に疎んじられ水分補給も許されず疲弊しきったベン・ハーに
飲み水を差し出したのは光の玉が現れた夜に馬小屋で生まれ成長した若者だった。
ベン・ハーは自分の潔白に耳を貸さなかったメッサーラに復讐を誓う。。
クライマックスの騎馬戦をほんのちょこっとでも見たこのある人はきっと
多いことだろう。大作且つ名作の香り高い本作は個人的には色々な意味で
想像を超えていた「アラビアのロレンス」(1962)とは異なりインパクトだけの
意味においては大体想像通りの出来だった。
しかしオープニングでもエンディングにおいても「奇跡」を当然のことのように
"起こるべきもの"のように堂々と格調高く描いていたのはとても考えさせられた。
"ナザレの若者"がローマ帝国の支配にさえ甚大な影響を及ぼすであろう
人々を惹きつけやまない何かを持つ妖しいまでの雰囲気はとても丁寧に演出されて
いてプロフェッショナルな仕事だ。
ベン・ハーが一度罪人の身に落とされ命すらも保障されない奴隷として
船の漕ぎ手として戦場に担ぎ出されるがその果敢な行動力から再び
自由の身を自分の力で手中に収めるという映画の大半の時間をかけて
描かれる"個の能力による大きな障害の打破"と最後の壮大な奇跡の出現は
極東に生きる人間としては両立しえないもののように感じるが、
「信じれば救われる」とはよく言ったものというところか。
ベン・ハーとメッサーラがまだ固い友情で結ばれる前半に同じ的に
向かって槍の投げあいをして愉しむシーンがある。兵器庫の天井の柱
の中央に二人とも見事に的中させるがこの柱は明らかに十字架に見える。
当然これはやがて奇跡を起こすある若者の運命を暗示しているわけだ。
本作は紹介される場合は最後のベン・ハーとメッサーラの戦車による
決戦ばかりがクローズアップされるようだけど罪人達が過酷な状況下で
酷使される中盤の海戦のシーンやベン・ハーとその一族の流転の人生劇
とクロスさせて描かれるキリストの受難も当たり前のように見ごたえ
充分だ。
チャールトン・ヘストンは声といい体格といい何だか全盛期の
シュワちゃん(アーノルド・シュワルッツェネッガー)にとても
似ていて気になって困った。
十字架へ磔については手の平に杭を打ち込むのは誤りとされている
ようだが(体重が支えられない)本作では腕に打ち込んでいたように見えた。
ミクロス・ローザの重厚且つ壮大な音楽も中身の詰まった「大作」振りを
さらに惜しげのないものにしている。
ただ製作の規模が大きいとうだけでなく実は全編において見せ方がとても
上手い映画の教科書のような作品でもある。
普通の一般人は一回くらいは観てその豪奢な作りに酔って楽しめばよいし
映画関係者は先人の偉大な大仕事から大いに学べばよろし。
最後の奇跡がなければ個人的には☆5個だったけども、それは作品の
テーマから言って筋違いなんだろう。
十分堪能した。
10年後にでも見たら今とはまた全然違った感慨も持ちそうだ。
---------------------------------------------------------------
映画感想一覧>>
| 固定リンク
「映画」カテゴリの記事
- 映画と賞を取ることについて関係性における独り言(2021.05.02)
- 映画「ジョーカー」(2020.12.09)
- 映画「魂のゆくえ」(2020.07.24)
- 映画「愛の渇き」(2020.05.01)
- 特撮映画における或る命題について(2020.04.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
このあたりの映画はほんと金と労力のかけ方が半端じゃないですよね
今はこんなん「CGでええやん」になっちゃってしまってるから
もう作れないでしょうね
投稿: 万物創造房店主 | 2009年3月 9日 (月) 18時38分
とりあえずエネルギー消費量の規模と生み出さ
れる成果品の質の高さのバランスとしてはここ
百年の文化の頂点はもう1950年代~70年代を
越えられないでしょうね。一回ブレードランナー
みたいなクラッシュした世界にならない限りは。
>もう作れないでしょうね
もしかしたら最近の映画製作現場の方々って
「アラビアのロレンス」も「ベン・ハー」も
観ていないのかもしれませんね。昨今の映画
の不勉強振りを観るとそんな気がします。
でも上記のような超大作ですら最も思うことは
お金の問題ではなく"志(こころざし)"の高さ
ですね。メッセージの内容と方向は別として。
もう作られることのない(作れない)映画を
今年・来年くらいであらかた観ちまおうと
腹くくってます(^-^)
投稿: kuroneko | 2009年3月10日 (火) 00時51分
>もう作られることのない(作れない)映画を今年・来年くらいであらかた観ちまおうと
それ無理ですよ
めちゃありますって
たぶん
作れない映画だらけですよ
投稿: 万物創造房店主 | 2009年3月17日 (火) 19時14分
>作れない映画だらけですよ
そうですね。
『映画』という総合芸術を作る時代は
終わったのかもしれませんよね。
観れば観るほどそう思いますよ。
しかし沢山観れている今年の自分は
とてもラッキーです(^^)
目が肥えて嬉しいすね。
間違いなく今年は人生で最大に映画館で
映画を観る年になりそうです。
投稿: kuroneko | 2009年3月18日 (水) 01時08分