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2009年4月

2009年4月30日 (木)

それぞれの未来

  
 

横にリンクが貼ってある渡辺千賀さんのブログ
On/Off and Bryond の4/27のエントリー
「海外で勉強して働こう」
には結構思い切った発言が書いてあってコメントも
なかなか盛況なようだ。

日本の将来はもう駄目だ。
だから海外で働こう。

ということが書いてある。

彼女がこれまで一貫して言ってきたことを彼女自身で要約した
発言に過ぎないので以前から読んできた人にとっては特に
大きな驚きはないだろう。自分も特に驚きもしなかった。

渡辺千賀さんは英語力やその他のスキルを時間をかけて自力で身につけて
シリコンバレーというエリアに出て行って富を築き家族を作り、
今もその富を増やし続けていることだろうけど私としては

"海外で働くこと"と"日本の将来"とは個人が海外に出て行く動機付け
として結びつけるのはもっともらしいが実際は関係の無いことだと思う。

大学生の頃、私の所属するゼミの先生は
毎週毎週、毎回毎回、

日本はお仕舞いだ。
日本は駄目になる。
と仰っていた。

それなりに講義内容は良くて先生としても人生の先輩としても
私は尊敬していたのだが(卒業して結構な年月が経った今も
それは変わらない)、あまりにも事あるごとにそう言っていたので
ある日聞いてみた。

「駄目になった"日本"の姿を具体的に言ってください。
どんな状況になると"駄目な日本"ですか?
税金が収入の10倍になった国ですか?
言論の自由が一切無くなって家の明かりを付けることすらも
許されなくなった国ですか?
子供が一人も生まれなくなった国ですか?
路上に死体が転がっているような国ですか?
このまま行ったらと仰いますがどんな国になるのか
先生のお考えを正確に述べてみてください」

別に嫌がらせをしようと思ったわけでも何でもなく本心から
「先生のイメージする"駄目な日本"とは何なのか」
聞きたくて発言した訳だが果たして先生は沈黙してしまった。

しばらく、静寂がゼミ室を覆った後で先生は呟いた。

「。。。まあ、駄目にならないように皆で頑張りましょう」

この私の発言の後も先生は私へ接する態度を少しも変えることなく卒業時まで
好意的に自分を指導してくださったのは今思うと大人な態度だったなあと思う。

さて、
千賀さんの考えとしては日本は確実に駄目になるから
一人でも多くの志ある者(主として若者)を千賀さんなりに"救おう"という
お考えでの発言だと思うのだが、日本がイザ駄目になったら
つまり株で言うところの"底値"に日本がなったら海外の
国なり企業なり個人投資家なりが喜んで買い上げるだけのことだと思う。
敗戦後の日本もバブル崩壊後の日本もそうやって立ち直った。

もっと言えば敗戦については底値で買い取るために徹底的に叩き潰したとも言える。
徹底的に叩き潰した(原爆を落として東京を焼き尽くして沖縄を
灰にして働き盛りのお父さん達をシベリアに抑留して、etc、etc)と
思ったらそうでもなかったので今また今度はかなり周到に叩いているのだと思う。

日本は確かに駄目になるのだと思うがあっという間にまた立ち直るだろう。
なぜなら日本という"巨大且つ優れた市場システム"が機能しなくなることは
世界中の金持ち(=世界の枠組を決めている人々)にとってどこまでも
マイナスでしかないからだ。

"生意気なキャッシュカード"だがシステムが機能不全になって
現金の引き落としが出来なくなったら一番困るのだ。

つまり日本人は大人しくしていてほしいが税金(="彼ら"の金)を
私達ジャップが払えなくなるほど困窮してもらうのは困るわけだ。
要するに生かさず殺さずというところ。
日本の政治家はその辺の"彼らの匙加減"に甘えまくっているわけだが。

私の友人にも一人千賀さんと同じ方向を向いて頑張っている人がいる。

一刻も早く日本を脱出しようと以前から外国語を幾つか習得して海外で
働けるようにと外資系の会社で勤務経験を今現在も一生懸命積んでいる。
多分、この友人は本当にごく近い将来海外に出て行くと思う。
グリーンカードの取得もかなり本気で狙っていて色々調べているようだ。
彼ならきっとやり遂げるだろう。その行動の結果としての富も得るだろう。

この友人と私は同年齢である。
外国の言葉を数カ国語操ることが出来て国内で必要なスキルと資格も
着実に得てあともう少しで海外に脱出しようとしている友人。

日本はもしかしたら本当に"駄目になる"として
海外に出て行くこの友人と私とどちらが幸せになれるだろうか?

彼だろうか、私だろうか。
幸せになることは海外に出ること出ないことと関係あるだろうか。

駄目な日本に住む私の人生は駄目になるに決まっているのだろうか?
駄目な日本に住んでいるからといって私の財産は全部没収されて
自由な時間も奪われて職業選択の自由も無くなるのだろうか?

駄目じゃない海外に住むであろう友人はお金が貯まって
自由を謳歌して心身共にいつまでも健康に暮らせるのだろうか?

自分の生まれた国が"駄目"になってしまったというのに。
自分と自分の周辺が無事だったら幸せなんだろうか。

どうも関係付けは難しいような気がする。

国が駄目になろうとどうなろうと関係なく
海外で働きたかったら働けばいい。
戻ってきたくなったら戻ってくればいい。
海外に永住したかったらすればいい。

ちなみにその友人はここ数年順調に海外脱出のための
足場を固めてもう本当に実行するだけの段階に来ているが
近頃あまり元気がない。その友人の今の力でも恐らくは
シリコンバレーでも通用するというのに。

私は年齢的にも仕事で通用するほど外国語を習得するのは
もう絶望的でそもそも真面目に勉強する気もない。
会社もいつまであるか全く予断を許さない状況だ。

しかし最近は素晴らしい映画を都内数箇所で見まくって
生きるヒントを沢山得て非常に気分がよい。

これから日本がどうなろうと職を失おうと金が無くなろうと
自分の得た知恵が活きるように努力するだけだ。
あくまで知恵が活きない社会であれば同じ意見を持つ人と
連動してその社会を排除するまでだ。排除できなければ
敗れてそれなりの人生を送るまでだ。

やはり、どこまでシュミレートしても"国が駄目になる"
ことと外に出ようという行為は個人の動機付け以上の
ものにはならないように思う。

そもそも動機なんて集団で共有する必要があるだろうか。
仮に共有したとしていつまでも変わらずいることなんて可能だろうか。

結局のところ自分の行為の理由を"外的要因"に結びつける手法に
言ってみればバグのようなものがあるのではないだろうか。

人間はあくまで内的要因で動くべきというか衝き動かされているように思う。

件の友人がなぜ元気が無いかと言えば多分、
外的要因(日本が駄目になるという仮説に基づく理由付け)で
出ていこうとする自分に違和感を覚えているのではかなろうかと思う。

だから私は彼を思う友人の一人としてそろそろ内的要因を
見つけるように遠まわしに助言して送り出してやるつもりだ。

「嫌になったらいつでも戻って来い」とも本心から言ってあげようとも思う。

外国語も喋れない英検も何も資格も(財産も)持たない三十路の男が
今日も前途有望な友人のことを結構真剣に心配している。

駄目な日本から多分出れないし出るつもりもない男が。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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2009年4月29日 (水)

映画「人間魚雷回天」

2009年に見た映画(四十) 「人間魚雷回天」

原題名: 人間魚雷回天
監督: 松林宗恵
出演: 木村巧,岡田英次,宇津井健,津島恵子
時間: 106分 (1時間46分)
製作年: 1955年/日本 (新東宝) [モノクロ]
(六本木 六本木シネマートにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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特攻兵器人間魚雷「回天」に搭乗する若者達の訓練の日々から
出撃して特攻を敢行する"その時"までを描く。

確か沖縄でだったと思うけど回天の実物を見たことがある。
野外に置かれていて結構錆びていたこととその重厚な雰囲気から
多分レプリカではなかっただろうと思うけど確証はない。

多分実物だったとしてその回天を見た第一印象は「結構大きいな」
であった(回天の全長は約14m強)。

先入観を全て排除して目の前の"それ"を見てさらに思ったことには
一人乗りの兵器として且つ絶対に帰還しないことを想定して作られた
ことを思えば作られてしまった成果品としては
「実に大したものだ」ということだ。

この特攻兵器にたった一人で乗り込んで操縦し戦艦をも沈めることが
できる量の爆薬を積んでいることを思うば、果たして操縦者達は
己の死ばかりを思っただろうか。答えは恐らく『否』であろう。

夕焼けか朝陽の中での激しい逆光の中で写る撮影者に向かって思い切り
万歳をする回天搭乗者達と船の甲板に搭載された回天の写真も見たことがある。
その沖縄での時だったかもしれない。

逆光なので被写体である彼ら搭乗員の表情など判るわけがないが
その一杯に伸ばした両腕の雰囲気から多分底抜けの笑顔だっただろう。
その笑顔は必ずしも絶対的な死を思っての果ての悟りだとか自暴自棄の
ヤケクソとかいったものだけではなかったのではないかと思う。

回天への搭乗員は形式的には志願兵のみで構成された。
他の数ある特攻機の中でも視界がゼロというこの兵器に志願して
死んでいった"彼らだけの"思いがあったとすればそれは何だったのか。

本作はその辺の特殊と言っていい"気分"は上手く描けているとは
言えない。

戦後生き残った人々が思う「死=全てがおしまい」というごく通常的な
観念を大いに抱く普通の若者達が出撃して死んでいくまでの数日間を
描いている。

彼らの人生最期の数日間を全体的に丁寧に描いてはいるが登場人物達の
描写は戦後の人々の持つ思考で大方染まっているのは2009年の今
観ていると残念ながら違和感が残る。

回天を操縦して散っていく"彼らだけ"が感じた何かを描いて
欲しかったけどそういったものはおよそ無かった。

その兵器としての残酷性は人間ごと体当たりすることも勿論そうだけど
「潜行してしまった後は視覚的に進路を確認出来る機能が何も無い
ということに尽きるように思う。上部に付いた二つのハンドルを巧に
操作して磁石と地図だけを頼りに目標に向かって進まなくてはいけない。
うっかり現在位置と方向を失念すれば一瞬で自分がどこに向かっているのか
判らなくなり修正は至難の技だ。劇中ではその辺の操作の難しさはきちんと
中盤までの訓練シーンで描かれている。

たとえ獲物(敵艦)を見つけたとしても、仮に体当たりに成功したとしても
「近づいて、近づいて目標に突っ込んでいく」という感触を
視覚的に得ることなく肉体を散らさなくてはいけない。果たして
成功したのかどうかも自分自身は当然わからない。成功した間際で
爆死しているからだ。極めて優れた視覚機能を有するニンゲンという
生き物に生まれてきながらその持って生まれた機能をフル活用出来ずに
状況的には"退化させて"死ななくてはいけないことがこの兵器の残酷さの
本質であると思う。もしもこの回天に自分の現在位置と航行軌跡が判るような
それなりの性能のソナーでも搭載していたのならこの兵器の戦果も
戦後の評価も全く異なるものになっていたことは間違いないだろう。
もしかしたら戦後は少し変わっていたかもしれないとすら思う。
天を回す(起死回生して勝利に導く)というその名に込められた願いに向かって。

本作はこの回天の仕組みとしての負の側面である閉鎖的な圧迫感は
良く描けている。

搭乗者達の最後の宴と恋人との別れのシーン等々はどうも戦争映画
という枠組みの中での"惰性"に流されていると感じられて
(誠実に描かれている方だとは思うけど)全体的には今一つだと思う。
むしろ後半の基地からの出撃シーンの緊迫感と切なさが合わさった
優れた描写とそしてクライマックスの敵艦に向けて将に発進するまでの
二転三転の状況の変化は見ごたえ充分でかなり良い出来になっている。

全体としては戦後10年目に製作された作品としては人物達や特撮部分、
実物大のセットや整備シーンまで充分に挑戦している佳作ではあるだろう。

戦後も70年近くを経た今だからこそ兵器の機能・運用面から当時の
志願兵等の細かい心境までも正確にリサーチした作品を作れるのでは
なかろうかと思う。

実際に戦時に関った人々のことも念頭におきつつ本作というすでにある
作品にも十分に敬意を払いつつさらに越えていく映画を作ることは可能だと思う。
ただし中途半端なアプローチなら一切永久にやらない方がマシなのは
当然のことだ。

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2009年4月26日 (日)

映画「太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」

2009年に見た映画(三十九) 「太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」

原題名: 太平洋戦争 謎の戦艦陸奥
監督: 小森白
出演: 天地茂,菅原文太,小畑絹子
時間: 90分 (1時間30分)
製作年: 1960年/日本 (新東宝) [モノクロ]
(六本木 六本木シネマートにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆)(5個で満点)

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戦艦陸奥の爆破を企む一味とそれを阻止しようとする陸奥乗組員達の
活躍を描く。

「戦艦大和」(1953年)、「明治天皇と日露大戦争」(1957)、などの
大ヒットで太平洋戦争物にすっかり味をしめた新東宝が製作した中篇。

戦艦陸奥は1943年に爆発による沈没を遂げているが今もって原因は
不明のようだ。本作では外人スパイとそれに協力する日本人一味の
手によるものとしている。
(時限装置付爆発物を武器庫に紛れさせて爆破をしようと暗躍)

戦争物に無条件に足を運ぶ層を主要なターゲットにして作ったことは明白で
特に深みのある物語上の展開もなく、艦内のシーンや温情ある上司と仕官達の
熱血漢振りを適度に盛り込み爆破に向けて暗躍するスパイ一味の
動きと陸奥乗員と女スパイの恋を縦糸にして描くB級映画。
スパイ一味はどこまでも卑怯者に描かれて目的は単に日本軍の
力を削ぐことという単純明快さ。

新米乗組員の靴底に爆発物を仕掛け本人もろとも爆破するシーンが
単純描写ゆえに憐れで不気味。このシーンは死体は出てこないけど
作品のテーマが特に深くもないので逆にグロテスクにグチャーって
血糊バリバリで描いても良かった気がする。

グダグダの戦後を生きる日本人の一人としては今からでも
遅くないので戦艦陸奥が沈没した真相がきちんと判明して欲しい
なんてことを思いながら観た。

邦画の戦争物は無条件に抑えたいという人はまあ見たら良いかと。
軍人役の皆さんは動きは卒なく普通に見れる。

[陸奥(戦艦)]
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陸奥(むつ)は旧陸奥国を名前の由来に持つ、日本海軍の戦艦で、
長門型戦艦の2番艦。横須賀海軍工廠で建造された。
(略)
起工  1918年 6月 1日
進水  1920年 5日31日
就役  1921年10月24日
その後 1943年 6月 8日に爆発、沈没
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(ウィキペディアより)

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2009年4月25日 (土)

映画「武蔵野夫人」

2009年に見た映画(三十八) 「武蔵野夫人」

原題名: 武蔵野夫人
監督: 溝口健二
撮影: 玉井正夫
出演: 田中絹代,森雅之,山村聰,轟夕起子,片山明彦
時間: 92分 (1時間32分)
製作年: 1951年/日本 (東宝) [モノクロ]
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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家の財産と従来の価値感・道徳を守り通そうとする道子(田中絹代)
に対して日本の戦争遂行への在り方を批判し戦後はその社会を半ば
盲目的に肯定する婿養子で嫉妬深い夫。終戦を向かえほどなく従兄弟
の忠雄(森雅之)が復員してくる。忠雄は道子にやがて恋心を抱くが。。

最近立て続けに見ている1950年代の日本映画には従来の価値感に
囚われない(ように見える)主に若者を指して
"アプレ"、"アプレゲール"という台詞が盛んに使われる。

本作では復員して大学に通う忠雄の目を通してアプレゲールな若者の
誕生したばかりの時期の若者と中高年の姿が描写されている。
終戦直前から終戦まもない数年間という時期を立場と思考の背景が
大きく異なる人々を武蔵野の自然描写を交えて冷静な大人の視点で
描いている。

忠雄は復員後、大学に通うが戦前の日本の何もかもを罵倒してやまない
大学教授やそれに付和雷同して浮かれ騒ぐ自分と同じ世代の若者に
どうしても同調できない。

服装を復員してきた時のまま変えようとしない忠雄に教授は理由を
聞くと忠雄は言い放つ

「戦争を忘れないためだ」と。

それは反戦ということより自分達の国が戦争をしたという事実認識を
一瞬で忘れ去ってしまって平気でいる人々と社会への監督溝口健二と
原作者である大岡昇平の大きな疑問符ように見える。

美しい武蔵野に根を張って生きてきた一族の家を守るためだけに
生きていこうとする道子と、その一途な道子の思いと佇まいが
無秩序な開放感に狂騒する社会に嫌悪感を持つ忠雄には眩しい。

忠雄の道子への思いが高まってくるのと同調するように道子の
女としての輝きが自然と画面から増してくるようにに見え、
また冒頭から最後まで描かれる武蔵野の自然も全て的確な構成で
美しく描かれながらも忠雄と道子の心の距離の変化と忠雄の心境
の変化を鏡のように映すかの如く観る者にはシーンごとに違った
印象を持たせる溝口健二率いる製作陣の手腕は流石の一語に尽きる。

戦前も戦後の社会も好きなように批難しては結局その体制の流れ
の中で利益を得ることに何の疑問も持たず家の権利書さえも狙う
夫に道子は最後は命を懸けて抵抗する。

1950年代のまともな映画の多くがそうだが戦争遂行に声を出して
異を唱えなかった人々は戦後、沈黙を余儀なくされまた戦後の社会を
謳歌する者のほとんどは戦前の社会を全否定しながらその利益だけは
実に狡猾に巧みに奪って平気でいるという構図が物語りの骨格
としてまずある。

1960年代に入ると最早人々は自分達もまた盗人であるという
ことすら完全に忘れて受け継いだ財産の浪費にひた走り続ける。

結局は戦前も戦後も関係なく生み出された利益の仕組みも意味も
知らずにそれを受け継いだことに感謝の心も責任感も感じない
人間が下手な博打を打ち続けているだけのようにも見えてくる。

道子は自分にとっての武蔵野をただ一人守り通して映画は幕を閉じる。
若い忠雄には忠雄の"武蔵野"があるのだということを明確に告げて。

戦後社会自体には疑念を抱きつつもそこで生きる若者達そのものへ
は肯定的に捉えた開放感のあるラストは軽やかでその視線は暖かい。

原作である大岡昇平の小説は未読だが読んで本作と比較をしてみたい
気がする。原作は登場人物や戦後社会への視線はよりシニカル
なのではないかと推測するがどうだろうか。

[アプレゲール]
================================================================
アプレゲール(après-guerre、仏:戦後)は、戦後派を意味する言葉。
元は、第一次世界大戦後のフランスで、既成の道徳・規範に囚われない
文学・芸術運動が勃興したことをさした。
(略)
日本で(アプレゲールを略して)「アプレ」という言葉が流行したのは、
第二次世界大戦の後である。戦前の価値観・権威が完全に崩壊した時期
であり、既存の道徳観が欠落した無軌道な若者が大量に出現し犯罪事件
も頻発した。
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(ウィキペディアより)

[武蔵野台地]
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武蔵野台地(むさしのだいち)は、関東平野西部の荒川と多摩川に
挟まれた地域に広がる台地である。その範囲は東京都区部の西半分と
北多摩地域および西多摩地域の一部、そして埼玉県南部の所沢市や
狭山市などの地域を含み、川越市は武蔵野台地の北端に位置する。
================================================================
(ウィキペディアより)

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2009年4月23日 (木)

積り積った『何か』

   

草彅剛のことを書こうと思い止めておこうと
思ったがやっぱり書いておく。

本日4月23日木曜日未明の自宅付近の公園で酔っ払って
全裸で騒ぎ逮捕。

『全裸』というところが衝撃だった。

スッポンポンで捕まったこと自体が衝撃だったのではなく
"草彅剛"という一般人から見れば十分巨大なブランドを
背負って立つまさに本人がこの行動の及ぼす影響力を
「全く考えていない」または
「よくよく考えて」の"どちらかとしか思えない"
ことに勝手に衝撃を受けてしまった。

だから容易に想像出来るであろう想像を絶する影響(^^;)
を思えば「確信犯」ではなかろうかと思ったがニュースの
報道からは衝動的な行動(=何も考えていない)に感じられ
逆に何だかホッとした。

しかしたとえ衝動的とはいえその奇異な行動にはそれなりの
積り積った『何か』はヒシヒシと感じられる。

「確信犯ではないか」と感じたのはかなり前から何となく
ど素人の目で見てもSMAPの中で孤立している感があったからだ。

一見それぞれが独自の方向に自在にベクトルを発し続ける
ように見えるメンバーの中で何となく感じる彼だけへの"何か"。
そして、その"何か"を助長・増幅させてしまう草彅本人の
時折見せる不審や孤立を招きかねない発言と行動。。

また、リーダーの中居曰く
「慎吾を嫌いな奴はいないと思う」
という発言のままに香取慎吾一人は彼に、その"何か"を
向けることなく逆にさりげなくフォローしているという構図。
勿論単純にメンバー中で最年少の香取とその次に若い草彅
という立場的な共感関係に過ぎないだけであるかもしれないが。

逮捕時に発したという絶叫
シンゴー
シンゴー
という言葉はど素人的に見てここ最近感じてきSMAPという組織の構図を
余りにも鮮やかに裏付けるもののように思えて
哀しい孤独な叫びのように思えた。

芸能人であり有名人気グループの一員であり
徹底的に己自身が商品であり続ける芸能界という職場。
しかしそれらよりも先に彼らも一個の人間である。

一個の人間であるということは徹底的に後回しにして
ひたすら商品として扱われ且つ自分でもそれで良しと
して生きる世界。

人気があるということを越えて芸能人・タレントと
呼ばれ蓄財し知名度を上げそこから政界・財界へのキナ臭い
ステップアップと癒着を続け日本社会の基本構造に深刻な
侵食を開始してから久しい芸能界。

今回の騒動はそのいびつな構造に浸りきってしまった
今の日本社会の暗闇を覗く綻びを見せているようにも思える。

その底知れない闇を少なからず知っているであろう
最前線で行き続ける30過ぎの人気グループの一員の男の
突発的な行動の裏には闇の周辺を良くも悪くも長年
周回してきたことによる鬱屈も溜まってきたであろう
ことを今回の騒動は物語っている。

しかしそれでも尚、芸能界という世界は蜥蜴の尻尾切りの
ように個人の行動の範疇で終わらせてしまうのだろうなきっと。

草彅剛を演じ続けて、今は拘留中であろうその人は
今後の活動がどうなろうとも少なくともしばらくは
社会の中の一個人であるということを考えて欲しいところだ。
自分自身の一度しかない人生の為にも。

他のメンバーはエンタティナーとして一緒に活動してきた
自分達の関係が全くの絵空事ではないことを社会に向けて
見せる少なからずの義務と責任があるのではなかろうか。
例え本当に何もかも全てが徹底的に絵空事であったとしても。

何てど素人の自分が書かなくてもそれなりにやるのだろう。
SMAPだもんな。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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2009年4月20日 (月)

映画「トウキョウソナタ」

2009年に見た映画(三十七) 「トウキョウソナタ」

原題名: トウキョウソナタ
監督: 黒澤清
出演: 香川照之,小泉今日子,小柳友,井上脇海,役所広司
時間: 119分 (1時間59分)
製作年: 2008年/日本・オランダ
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆)(5個で満点)

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次男で小学生の健二(小柳友)と長男で大学生の貴の二人の息子を持つ
平凡なサラリーマン佐々木竜平(香川照之)はある日突然会社をリストラされる。
竜平はリストラされたことを息子にも妻の恵(小泉今日子)にも隠し職を探す日々を
送る。竜平が家族の行動に目を向けていられない(向けようとしない)中で二男の健二は
黙ってピアノ教室に通い長男の貴は多国籍軍の外人部隊への入隊を決意する。
家族がバラバラになっていく最中、妻の恵は自宅に押し入った強盗に拉致され。。

黒澤清は批評家としては一流だと常々思う。彼の映画批評はまだ断片的にしか
読んだことはないのだけれど映画を観る目は読んだものではどれも概ね確かで
特にスティーブン・スピルバーグについての幾つかの作品での短い批評はその鋭さに
戦慄を覚えた。個人的には彼のスティーブン・スピルバーグ評は他の追随を
大きく引き離していると思う。映画に関する著作もすでに多数あり、じっくりと品定めして
買おうと以前から決めている。

果たして監督としてはどうかというとこれまで観たいと思った作品は無い。

海外では結構前から北野武と並ぶか一部ではそれ以上の一種独特の人気を博して
いるようだがこれまでのところ自分の琴線には触れてきた作品(のインパクト)は無い。

さて本作は予告編での香川照之の平凡なサラリーマンパパ役がとても絵になって
いるので観に行った。伝説となった「ゆれる」(2006)のような嵌り度の高さも期待して。
総じて予告編はなかなか悪くない出来でまあまあ期待出来た。

これまでの黒澤清作品のように評価が激しく分かれるようでもなく
国内外で結構高評価を得ている本作から入るのには黒澤清を
知っておくには調度いいようにも思えたので観に行った。

前半は物凄くいい出来。描写も全体的に細部まで手堅い。四人の家族ぶりも
キャスティング的な問題で若干ギクシャクしているけど不協和が本作の
大きなテーマであるので[結果論的に]プラスに働いてまあ良い。

香川照之演じる負け組サラリーマン振りは予想通り見ごたえがあり適度にコミカルで
なかなか楽しい。同じくリストラされた友人とのやりとりも彼らの心象的な面の描写が
リアルで二人共家族を騙して(と二人は思っている)出社する振りをし続ける共闘の
日々は笑わせられつつも今日的な問題も[結果論的に]提起できている。

自分自身は家族に隠し事をしておきながら子供達へは家長としての威厳を
保つために暴力を平気で振るう竜平のキャラクター造型も自然だ。
こんなダメパパは今も昔もこれからも日本中に一定量存在し続けるでしょう。

しかし、
竜平パパを除く妻と子供二人に何ら性格的にも素行的にも問題が無いのが
逆に本作ではパズルのピース構成として大きな疑問。小泉今日子演じる恵は
美人で夫にも子供にも優しくて二人の子供は充分素直でいい子だ。なのに
香川照之演じる竜平パパがリストラされたとは言え独りで勝手にヤサグレテいるのが
不自然で観ていてイライラする。本当のダメパパだこの男。

イライラするが香川照之の演技は上手くて他の三人も結構いい雰囲気をだして
演じているので後半の展開にかなり期待したのだが。。

役所広司演じる強盗が出てきた瞬間からこの映画は
完璧にぶっ壊れてしまう。全く修復不可能なほど。
ストーリーも完全にストップ。

一刻も早く元の流れに戻ってくれと祈りながら見たが時間はなくなり
映画は壊れたまま幕を閉じる。。

強盗が登場する必然性が何もない。家族の壊れかけた絆の修復への足がかりにも
崩壊の加速への序曲にも何にもならない。

そもそもオープニングクレジットで脚本担当が三人もいるのが気になったのだが
(黒澤清 ・ Max Mannix ・ 田中幸子)
勝手な推測としては強盗のシークエンスは黒澤清が書いたもので
監督ゆえに他の二人は「それやめませんか?( ̄ロ ̄lll)」とは言えなかった
のではないかと思えるが果たしてどうだろう。あるいは黒澤以外の
どちらかの発案に黒澤(と役所)が完全に悪乗りしてしまったのか。。

役所広司が出ている間、映画は全く別のワールドに行ってしまう。

次男健二の世の中の大人を見るシニカルな目や健二同様に大人の
身勝手なエゴに苦しみ多感な心が踏みにじられている健二の友人達の
様子や長男の貴に至っては直接は日本は関係の無い(と大人達が皆
目を背ける)イラク戦争に外人部隊として入隊する決意をする今の
若者の切実・深刻な反抗心をいい感じで描写しているのに
一体なぜこんなもったいない展開にしてしまったのか。。

それが黒澤清だからか。

どうすれば良かったかは流れ的には割と簡単で役所演じる強盗が恵を拉致して
さらに強姦をしようとするのだが(多分劇中では未遂)、シュチュエーション上
当然これをきっちり大成功させて画面でも激し狂おしくエロく描写して
小泉今日子は見事に女優として新境地を開拓して後半は

1) 会社をリストラされて
2) 長男が外人部隊に入隊してしまい
3) 家が強盗に入られて
4) 妻は拉致監禁された上に
5) 強姦されて
6) さらに妻は強盗の男に心まで奪われて密会するようになり

という六重苦(まだ他にもあるけど)を背負った哀れなアラフォー男
"佐々木竜平の一代奮闘記"にちゃんとすれば良かったと思う。
実際には作品はそうはなってなくて監督は出演者と現場スタッフと観客を置いて
途中で独り気持ちよくパラシュートで脱出してしまったかのようだ。
製作スタッフにもキャストにも重い現代的なテーマを撮り切る
力量は充分にあったのにとても残念だ。

「皆この結末(展開)で満足なのか?」と終了後に他の観客達の様子を席に
座ったまま眺めていたらやはり脱力感に襲われている方が多いようだった。

製作にオランダの資本が関っているのがなかなか興味深い。
オランダ映画って不条理を特徴の一つとするらしいとつい
最近知ったばかりだけど本作は"シュール"なのではなく"壊れている"
のが脚本段階では判らなかったのかもしれない。
あるいは実は脚本はもう少し全体の辻褄が合っているのだろうか。

「映像作家」としては黒澤清は今後もきっと活躍していけるだろうが
「映画監督」としては果たしてどうなのだろう。

才能があるのは間違いないと思う。本作でも才能があることは感じた。
今もこれからも邦画界にとって貴重な戦力であることもまた間違いない。

批評は今後ちょいちょい読ませて頂くとして
映画監督としてはまだまだ若い方だし後10年くらい経っても映画作品を
撮っていたらこの作品以後どのような足取りとなったのか確認することにしよう。

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2009年4月19日 (日)

映画「殺人容疑者」

2009年に見た映画(三十六) 「殺人容疑者」

原題名: 殺人容疑者
監督: 船橋比呂志
出演: 丹波哲郎,石島房太郎,恩田精二
時間: 80分 (1時間20分)
製作年: 1952年/日本
(六本木 六本木シネマートにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆)(5個で満点)

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殺人犯を刑事が追い詰める様をスター俳優無し、セット一切無しの
オールロケで撮った作品。丹波哲郎のデビュー作。

本作を語る上での必須のキーワードをまず提示したい。

[モンド映画]
================================================================
モンド映画は、世界各地の秘境の奇習や大都会の夜の風俗、
事故や処刑の瞬間など衝撃映像を、虚実取り混ぜて見世物感覚で
構成したドキュメンタリー風映画を指す。
(略)
モンド映画にはあからさまなやらせや事実誤認、配給会社による
誇大広告などがつきものだが、深く突っ込まないのが鑑賞時のお作法である。
================================================================
(ウィキペディアより)

本作は異常なシーンから幕が開ける。
殺人現場で刑事達が何やら犯人像の推理をしている。
近くでは子供たちが実に楽しそう見物にしている。

「50年代の東京の風景は牧歌的だなあ」なんて思いながら観ていた。
さてカメラがパン(移動)すると。。
そこには被害者(死体)が横たわっている。

死体が隅っこに物のように転がりその横で全く目もくれずに
事件を推理する刑事達と全く気にも止めない子供たち。
実にシュールだ。。

何かおかしいこの映画、、
と思っていると

被害者と肉体関係を持ったという重要参考人が物語に全く
関らなかったり、
犯人の男(丹波哲郎)のアジトに刑事が来るが重要なヒントを
見逃してストーリーが進まなかったり、
未だに東京の地理が飲み込めない土地勘ゼロの自分でも
何となく判るような都内及び横浜の街中や駅があからさまな
構図で撮影されたり
刑事や犯人の行動やアップのシーンに意味づけが笑えるほど
なかったり

と本作は「鉄製の箱です」と言っているのに紙だという
ことが意図的ではなくて簡単にばれている変な映画だ。

脚本から撮影にいたるまで作品的な矛盾を
本来チェックするべきセクションの人間を予算と企画の関係上
から全てカットした結果らしい。

これは本来11人でサッカーをやるところを6、7人でプレー
したようなもので成果品に無理がアリアリと現れていて
なかなか面白い。

だからオープニングのナイトメアのような珍妙なシーンが
出来てしまったようだ。

一切セットが無い全部本物の建物、本物の風景を使っている
から半世紀も経った今では作品の内容とは全く関係無い意味で
それなりに貴重な映像が満載となっている。

本作のハイライトは隠し撮りで行った群集内での
犯人捕獲のシーンでこれは刑事と容疑者に扮した俳優が
大群衆の中を走って捕まえるというもの。

本来ならエキストラと撮影スタッフを総動員して万全の準備を
して一発撮りする緊迫のシーンとなるものだが
本作では隠し撮りしたスタッフは撮影後、俳優達を撮ったあと
「勝手に」さっさと帰ってしまったとか実にいい加減だ。
群集の中を走った二人も犯人役の方に手錠をつけたまま
あまりの人ごみに交番に入っていって本物の警官達もあっさり
信じノーチェックのまま群集を撒いた後裏口から出たとか
撮影隊に置いていかれたので喫茶店で手錠つけたままお茶して
いたら群集に見つかって冷や汗書いたとか。。
どんだけ大らかな時代なんだよ。

クライマックスでは大獲り物になるが妙に気合の入った
刑事での目線での映像とか入るがその映像シーンに
「特に意味が無い」のがバレバレで全体の動きを統括する人が
いないのも観ていて明らかなので何だか高校時代に
映画撮影ゴッコをしていたのをしきり思い出して懐かしかった。

クライマックスも撮影後はその場で各自勝手に俳優を置いて
解散したとか(^^)

本作はどうすれば良かったかというと上記の破綻は全て
意図的に計算されたもので本物に見える建物内での撮影は可能な限り
作りこまれたセットであれば「作品」として成立したわけだ。

科学鑑定のシーンとか拘置所も全て本物のロケのため
(予算が無いという意味でのロケ)本作には一定の"リアリティ"は
は確かにある。でもこれは"リアリティ"ではなく"リアル"
なだけだよな。本物使っているだけだから。

皮肉にも犯人及び刑事役に無名の役者達を使って本物の警察関連の施設で
撮影したリアリティのため本作はそこそこのヒットを記録してしまう。

二級線の人々が予算内で持てるスキルを必死に紡ぎだして
いるのでそれなりの気合は確かに感じる。

だから本作を「モンド映画扱いは可哀相だ」という意見が
パンフの中で書かれていたけど本作は正当なモンド映画だろう。
企画の段階で絶対に大幅な水増しが必要だと判りきって
いるのに補填せずに走りきってしまっているのだから。

本作の想定外のヒットによりセットを極力排したロケだけでも
それなりにリアリティが出ることに製作側は味をしめて
刑事物ではセットを使わないことが常態化していく。

リアリティという言葉でお茶を濁したに過ぎない"本物"に
頼りきってしまうその手法はやがて東京を含む日本全体の
風景が急速に味気なくなっていくと共に邦画の画面がどんどん
薄っぺらくなっていきその時にはセットを"作る技"も
"見せる技"も継承されずに途切れてしまっていることを
意味した。

本作は50年代という邦画界の黄金時代の格好の仇花であり
やがて地盤沈下を起こして没落してくその大きな原因の芽も
判りやすく見えるなかなか貴重な作品だ。

碌な演出もプロットもなく犯人役を演じる若々しい
丹波哲郎も今や鬼籍に入られている(2006年9月84才で逝去)。

当時の東京の風景を知る上での貴重な映像が多いので
作品としてではなく千切られて使われていくことだろう。
どうにか作品も生き残って欲しいものだ。

古いもの=良いとは限らない好例として教科書的。
俳優・スタッフ共に現場の方々の情熱はそれなりに
感じる作品であることも間違いない。
それでも全体の精度が甘いので80分でもかなり長く感じた。
(犯人が途中まで全く出てこないがこれは製作は始まったが
キャスティングが決まらなかったからだとか(^^))

内容的には☆二個だけど映画史的にはそれなりに重要な位置に
ある(と思う)ので☆+1個

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2009年4月18日 (土)

映画「その土曜日7時58分」

2009年に見た映画(三十五) 「その土曜日7時58分」

原題名: BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD
監督: シドニー・ルメット
出演: フィリップ・シーモア・ホフマン,イーサン・ホーク,マリサ・トメイ
音楽: カーター・バーウェル
撮影: ロン・フォーチュナト
時間: 117分 (1時間57分)
製作年: 2007年/アメリカ・イギリス
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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共に異なる理由でまとまった金が必要な兄と弟。
兄(フィリップ・シーモア・ホフマン)はこともあろうに実の両親が
細々と経営する宝石店を襲う計画を立て弟に実行するように迫る。
計画では犯行予定日は両親は不在で店員を脅して金品を奪って逃げる
だけで被害者も出ずに店には保険が降りるので両親にも実質的な
被害は及ばない。それは何の問題も無い完璧な計画のはずだった。
弟は実行を承諾した。
その日の朝、弟は一人で実行する自信が無くなり知人を同伴して
車で店に向かった。知人の男は銃を持って店に押し入った。
銃はあくまで脅し用に使うだけの予定だったがその日に限って
兄弟の母が店番をしていた。怖気づいた弟は犯行を知人に任せ
車内で待機していた。計画は狂い知人の男は射殺され母も重傷を
負ってしまう。弟は気が動転しその場を逃走した。。

監督は陪審員制度の危うさと人々の良心を描いた名作
「十二人の怒れる男」(1957)を手掛けたシドニー・ルメット。
一度狂いだした兄弟の人生の歯車が決して止まらずにより救い難い
カオスに拡散していく様を丁寧に描いている。

音楽がなかなか素晴らしい。特にメインテーマは聞いているだけで
心拍数が上がってきて映像が鮮やかに頭に浮かび単独で聞くレベルに
充分達している。そのうちサントラを手に入れよう。

根本的に利己的な性格でリストラ寸前の中年サラリーマンの兄役を
演じるフィリップ・シーモア・ホフマンと世渡り下手で気も弱く
妻にも娘にも愛想尽かれ馬鹿にされてしまっている悲しい父親で
弟役のイーサン・ホークのキャスティングもとても良い。
二人とも堅実に出来た脚本にしっかりと演技で肉付けして作品に
きっちり貢献している。なかなかグッジョブだ。

傲慢で冷酷な兄と意思の弱い情けない弟。
どちらも性格設定が"個性"として完結しているだけでなく誰もが
もっているであろう普遍的な本性を滲ませて上手く演じているので
最後までどちらにも感情移入が出来て集中して楽しめた。

ただの出来の悪い兄弟の転落というワールドだけで終わらずに
後半は彼らを生んだ父親のキャラクターが次第にクローズアップされ
物語は家族の中に長い時間をかけて沈殿した汚泥を明らかにしていく。

この兄弟は堅実な人生を送れるチャンスが幾度もあったはずだった。
しかし、

兄は早くから自分よりも弟の方が可愛がられていると感じ家族の中で
疎外感を募らせ続け生きてきた。

弟はその人の良さから兄を含めた他人の言いなりのままに生きてしまい
自意識がきちんと成長することなく大人になって家族の長にもなってしまった。

二人の父親はそんな彼らの幼少時あるいは青年時の重大な躓きに気付く
ことは決してなかった。いや実は父親もその心の奥底には重大な陰を
忍ばせて生きてきていたのだ。父親もまた大人になる前に構築すべき
大切なパーツを欠いたまま生きてきたのだった。

昨今のトレンドである細かいカット割りやむやみに時間の前後する
シーンがあるけど脚本は正攻法でなかなかいいのでそんな小細工は
不要なのに観ていて残念だった。音楽も役者も脚本もスタッフも腕が
確かな一流なのだから堅実によりオーソドックスに撮った方がきっと
最終的な評価はさらに上がっただろう。

さて、気になったのは邦題である。
犯行の瞬間を時間で表現し、ある時点からの人生の永遠の分水嶺を描いた
作品であることを強く暗示させる題であり題名そのものだけについて言えば
センスがあると言っていいのかもしれない。

原題が日本人にインパクトを与えることが難しい訳しずらい題で
あることは理解できるけど、この邦題は本作にはそぐわない。
別に兄弟が犯行に手を染めなくても失敗しなくくてもこの最初からメタクソな家族
崩壊するのは時間の問題だった。きっかけは何でも良かったんだ。

この邦題は
「あの事件(ミス)さえ起こらなければ全てが上手くいっていた」
という内容の作品にピッタリはまるけど本作の内容はかなり違う。
ボロボロでグズグズだった家族がそのまま一直線にボロボロになってく様を
追っている作品だと思う。

邦題に比べ原題は内容に非常にマッチしたいい題だと思う。
果たしてどういう意味だろうか。
検索してみるとアイルランドの慣用句から取った言葉らしい。

May you be in heaven half an hour before the Devil knows you're dead

BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD

訳そうとすると微妙に意味が異なる訳が幾つも出来そうで良いセンテンスだ。
そしてその意味する所は作品のある部分だけを指すのではなく主要人物全員に
少しずつ当てはまりそうな、観客も自分のことのようにも考えられそうな、
リングのループの最後を意図的に開けて元には戻ってこれないような
因果応報という言葉も浮かんできそうな不安定な突き放されているイメージ。。
悪魔から逃れられないと先に告げてしまっている言い回しが実に恐ろしい。
ある行動が偶然の産物による発端ではなくその行動はずっと前から
避けられないものとして人間たちを奈落に落とすべくじっと待機していた。

ずっとずっと遥か以前から色々なことが間違っているまま誰もが放置してきてしまった。
壊れていく家族に拍車をかけていくのはアメリカの病理的な徹底的な
拝金主義の社会構造だ。子供は親が金を納入しなければ遠足にすら
参加出来ない。

墜ちていく人間を冷静に描きつつその原因の重要な一端である社会の歪も
まさに表裏として的確に描いている。シドニー・ルメット、流石だ。

かなり久しぶりに見たイーサン・ホークの余りの駄目男振りと美少年時代
とは変わり果てたやせ細りに演技を超えて心配してしまったけど
クライマックスで兄貴に銃口を突きつけられた時に瞬間眼光鋭く
兄を見返す表情を見て安心した。いい役者になった。これからも
素晴らしい作品に出会って存分に全身全霊で演じて欲しいものだ。
役者馬鹿になっておくれよ。

どうか悪魔が君の死に気付くその30分前に君が天国に着きますように。

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2009年4月16日 (木)

映画「下郎の首」

2009年に見た映画(三十四) 「下郎の首」

原題名: 下郎の首
監督: 伊藤大輔
出演: 田崎潤,嵯峨三智子,片山明彦
時間: 98分 (1時間38分)
製作年: 1955年/日本 (新東宝) [モノクロ]
(六本木 シネマート六本木にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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列車がすぐ側を走る現代の河川敷にひっそりと立つ小さな地蔵。
「私は見た」
という地蔵の呟きで物語は幕を開ける。
時は遡り徳川幕府統治の時代。
些細な勝負ごとから武家当主の男が斬り付けられその場で絶命し
相手は斬り落とされた指だけ残し逃走した。遺された息子は下郎と共に
仇討ちに出立するが二人の生活はやがて困窮を極める。あるドシャ降りの日に
下郎の男は雨宿りに長屋に立ち寄る。その長屋は捜し続けた仇の愛人宅であった。。

スーパーリアル時代劇。
黒澤明的なチャンバラシーンの画面設計的的なリアルさではなく
(そちらの面も本作は決して負けてはいないが)身分・立場の異なる人間同士の
互いの酷薄さ、残酷さに合わせて封建時代というシステムの恐ろしさを細部まで
綿密に作りこまれた驚愕の美術と共に存分に見せていく。

「七人の侍」の翌年に作られた作品だが
本作には"サムライの世"への郷愁などは微塵もない。
気分を害した侍が下郎に見せる"殺意"の本気度はただひたすら
恐ろしく仇の男などはその躊躇の無さはほとんど狂人とすら思える。

田崎潤演じる下郎は男気と忠義は充分だが如何せん学が無い
(文字が読めない)のでもう少ししっかりせぇよと観ていて思うが
学が無いのは下郎に学ばせようとする気などはない主人
(主従関係は極めて良好だが)と、その学ばせようとしない
見識の低さ、そして無学で且つ無条件に絶対服従のこの下郎の男のような
盲目的な忠義の犠牲の上に成り立つ封建制というシステムが物語を
あまりにも恐ろしい悲劇的結末へと引きずりこんでいく。

登場人物達の個々のポテンシャルなどはストーリー展開の
枝葉に過ぎずシステムに安寧とする者共等ゆえに性格など
良くても信頼なんぞあったとしても悲劇は決して避けられる
ことなく起こるべくして起こる。

こうした人間個人の脆さと運命の儚さを冷静な視点で描く映画こそ
見たいわけだが本作はその意味では満点の出来だ。

システムの下位にいる者は卑屈になり上位にいる者はその
「搾取する特権」という凶器を振りかざし下位の者をシステムの
位置エネルギー以上に常に追い詰める。登場する全ての人間が
自分の立ち位置から出る能力や想像力の無い人間達(=普通の人々)なのだ。

"侍"ですら、いや侍だからこそ他の階級の者の気持ちや命など
何ら思いやりはしない。ふと思えば当たり前のことだ。
だから侍の時代も例外なく140年前に終わった。

侍は侍ゆえに威張りくさり下郎は下郎ゆえに絶対絶命の窮地に陥る。
下郎の命と自分の命のどちらかだけを選択しなくてはいけない時に
主人は、、

時代劇の箱をきっちり作りながら完璧な現代劇を無理なく内包する。
封建制の暗部を斬りながらも同時に何ら人々が進化したとは言い
難い現代社会をも斬っている。

地蔵は、見た。
数百年前の惨劇を。
現代と何ら変わらない人々の心の偏狭さを。

クライマックスの川原のシーンの構図の的確さ。
現代のシーンとの映像と物語の流れとしてのシンクロの高さ。
この作品を一生忘れることはないだろう。

伊藤大輔に師事したという加藤泰(かとうたい)はよほどしっかり伊藤に付いて学んだ
のだろう。加藤が手掛けた「緋牡丹博徒 花札勝負」ではヤクザ映画に
確かな人物造型を取り入れて「幕末残酷物語」では新選組を美化する
ことなく暴力装置として描き切り傑作の呼び声も未だ高い。

伊藤大輔に加藤泰。
まるで金の鉱脈に出会ったような興奮を覚える。

本作「下郎の首」は伊藤大輔によるセルフリメイクということだが
オリジナルも是非観たいものだ。
それにしてもデジタル上映とはいえ本作を劇場で観れた自分は
何たる幸運!

黒澤映画が何としても好きな方にとってはかなりウェットな作品
かもしれないが本作のよう作品が技術的な点よりも思考と思索の
幅として到底描きようもない21世紀の今の日本社会と映画界に
救い難い闇を感じる。
金が儲かりゃ「邦画好調」って餓鬼じゃないんだから。

黒澤明という天才によって良くも悪くも駆逐されて途絶えて
しまったもう一つの優れた進化の可能性が確かにあったことを
証明するとても貴重な作品だ。

観るチャンスがあったらしかと見届けるべし。
傑作。

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2009年4月14日 (火)

午後の不安

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[2009.4.撮影]
 
 
 
空以外、いずれ存在理由がなくなる物達。

 

 

 

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映画「山の音」

2009年に見た映画(三十三) 「山の音」

原題名: 山の音
監督: 成瀬巳喜男
出演: 原節子,上原謙,山村聰,長岡輝子,杉葉子
時間: 95分 (1時間35分)
製作年: 1954年/日本 (東宝) [モノクロ]
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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鎌倉に子供のいない息子夫婦と同居して静かに暮らす初老の男信吾(山村聰)。
美しい妻の菊子(原節子)を持ちながら不倫をしている息子(上原謙)。
信吾は薄々感ずいていながら息子夫婦に遠慮して傍観していた。
そこへ信吾の娘が子供を連れて戻ってくる。信吾は実の娘よりも息子の
嫁である菊子をいつも気遣う。そんな信吾に実の子供達は微妙だ。息子夫婦に
子供が出来ない理由が判らない信吾は息子夫婦を思い別居を申し出る。
しかし菊子はそのことを聞くと絶望のあまり寝込んでしまう。。

公開された年である1954年(昭和29年)というのは日本映画界にとってもの凄い年だ。
「二十四の瞳 (監督 木下恵介 1954年度キネマ旬報1位)
「七人の侍」 (監督 黒澤明      同 3位)
「近松物語」 (監督 溝口健二    同 5位)
「大阪の宿」 (監督 五所平之助  同10位)
「太陽のない街」(監督 山本薩夫 同14位)
「ゴジラ」   (監督 本多猪四郎  圏外)
そして本作
「山の音」   (監督 成瀬巳喜男  同 6位)

世界的な影響を後世に与え続けるこれら傑作群全てが1954年に公開されているのだ!!
巨匠達がこぞってこの年にいずれも代表作と呼べる作品を公開している。
これはこの年の2年前にサンフランシスコ講和条約が締結され
連合国(≒アメリカ)の占領政策が事実上終了したことと直結していると思われる。
(佐分利信による二・二六事件を描いた大作「叛乱」もこの年に公開)

上記の作品郡は検閲が無くなり自由に映画がやっと撮れるようになった
前後から勇んで各監督及びスタッフの準備が始まり完成した最初の年がこの年に
集中したわけだが日本戦後映画史において今に至るまで(今後も)の頂点と呼ぶに
相応しいのは禁欲生活から開放された人間の生理そのものを思わせ大変興味深い。
より圧倒的なまでの自由と資本主義経済を復活させたはずのこの後の時代の映画と
制作環境及び人材が年を追へば追うほどにまったくもってヘナチョコになっていくことも。

さて本作。
実の娘よりも息子の妻を大切にする男。
教養もあるが見栄もあり父親に頭が上がらない息子。
義父を夫と同様かそれ以上に信頼し夫の行動に心を痛めながらも
貞節を守る美しい妻。
旦那と喧嘩して飛び出してきたのに実父に今ひとつ心配されない
ことの不満を隠さない娘。
夫が息子の妻を大切にし過ぎることの息子夫婦への影響を
心配しつつも事勿れ的に過ごす男の妻。。

美しい自然が残る閑静な住宅で物語は美しいまでの幾何学的に
構成された人間模様を描きながらその住居同様に静かに進展していく。

溝口健二や木下恵介とはあたりまえだけど明確に異なる成瀬の
視点は登場人物が与えられたフィールドでその各自持たされた
人物造型のままに旋廻していく様を一定の距離から定点観測の
ように捉えてい様は理系的な生物観察的な冷静さとこの時代の
巨匠達が皆持ちえた人間への眼差しの暖かさを感じる。

そして無駄なく過剰もなく描かれる人物の的確さは登場シーンが
それほどない会社の事務員の女性や息子の不倫相手にも当てはまる。
女性達は皆この時代特有の「女性の自立」を叫んで不倫相手の
女性は元夫が戦死しても別の男の子供を承諾が無くても生むと
きっぱりと宣言し事務員の女性は上司が息子の不倫相手に謝罪しに
行く愚を軽蔑することを本人の前で少しも隠そうとしない。

裕福層は戦後はや10年で傷はすでに充分回復に向かい特権を行使し
人生を破壊された人々もまた与えられた権利を存分に行使する。

皆生きている。
己のために。
そのエゴの軋轢の中で懸命に耐えたがやがて倒れた菊子もまた
"自立した女性"の一人として生きることをやがて決意する。

クライマックスはどんな大作映画にも負けないある種の
爽快感が観る者を包む。

登場人物達のそれぞれの立ち位置が明確に定義された映画とは
どれほど心地いいものなのか本作を観ると判る。至福の90分強。

ちなみにこの時代の大人達もいつの時代とも変わらなく皆
充分にだらしないということもよく判る。それを真っ向から
描くことはまたとても教養とセンスがいる。

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2009年4月13日 (月)

映画「宮本武蔵 般若坂の決斗」

2009年に見た映画(三十二) 「宮本武蔵 般若坂の決斗」

原題名: 宮本武蔵 般若坂の決斗
監督: 内田吐夢
出演: 中村錦之助,三國連太郎,入江若葉,木村功,丘さとみ,宮口精二
時間: 107分 (1時間47分)
製作年: 1962年/日本 (東映京都)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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悪童"たけぞう"は沢庵和尚の導きにより天守閣に三年篭り
書物を読み漁る日々を送った。城主により宮本武蔵と名乗る
よう命じられここに後の剣豪宮本武蔵は誕生した。武蔵は
お通と再会し共に旅をすることを約束するが武者修行の為
独り旅立つ。名門吉岡道場への挑戦、宝蔵院阿厳との闘い、
クライマックスの浪人達との般若坂での死闘、、五部作の内の第二作。

第一部は"たけぞう"の関ヶ原の合戦からの生還と又八との
数奇な生き別れ、そして故郷の人々との決別と剣の道に
生きる男への再生と一人の"漢"の振幅の大きな青年期を
スケール感たっぷりに描かれた大傑作だったのでそれに比べると
若干の弛緩は否めない。それでも武蔵の跡を追って旅立つ
お通(入江若葉)と弟子の子供、それとなく見守る沢庵和尚
(三國連太郎)とロードムービーとしての型が見事に現われて
五部作の大河映画最高潮というところか。

一作目の野獣のような天衣無縫のような荒削りで手に負えない
"たけぞう"と三年の幽閉の後に誕生した目に生気の宿る青年剣士
宮本武蔵をとても綺麗に演じている中村錦之助はやはり大スターだ。

入江若葉演じるお通さんも"心の清潔感"が立ち振る舞いに表れていて
美しい。これぞ大和撫子。天晴れ。"たけぞう"が幽閉されて
いるとも知らずに天守閣の見える茶屋の老夫婦(宮口精二等演じる)の
下に身を寄せ"たけぞう"との再会を信じ、やっとの思いで
会えて老夫婦に手伝ってもらって身支度をする時のシーンは
泣ける。当然武蔵の姿はもうそこにはない。

クライマックスの般若坂の決斗でのカメラワークは絶品。
食い詰め浪人達に接近していく武蔵の後姿を視点を低くして
追うカメラ。決して敵の視点からや"神の視点"からは描かない。

"問答無用の斬り合い"がこれから始まることをカメラワークが
教えてくれる。自然と鳥肌が立った。
何でこういう演出が時代劇に当然のように無いのかなー。
法律で禁止されているのか?
やはりセンスの問題なのだろうか。。

静観する宝蔵院の僧達も敵なのか味方なのか判らないまま
一糸乱れぬ動きで般若坂に集結する。腕に覚えのある僧等の
キビキビした動きが俄然物語を盛り上げる。

まだまだ続く大河ストーリーなのであっけなく物語は
次へと進んでいく形で終わるけどもやはり本作は本作で
映画としてきちんと出来てはいる。

映画は充分楽しんだけどすぐ近くのオバハンのビニール袋攻撃に
撃沈した。映画が始まった直後ならまだしも中盤もクライマックス
も幾度となく音を鳴らし続けるから本当にこういう人々は謎だ。
嫌がらせするように誰かに命じられてるのか?
映画文化を衰退させるように金でも貰ってるのかマジで?
今年は結構な数の作品を映画館で観てるけど鑑賞の邪魔をするのは
ほとんど中高年だ。ビニール袋の音、携帯の光、お喋り、鼾、
途中入場、途中退場(なぜか必ず一番いいとこで!)、、

何の教養もなく何ら苦労もせず年を取ってしまった子供達。。
自分の家と公共施設の区別が全くできない年取った子供達。。
マナー守れないなら家に居てください。お小遣い上げるよ10円位。

一部の残念な人間のために不愉快な思いで劇場を出た。

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2009年4月12日 (日)

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 映画の感想一覧

☆☆☆☆☆+・・・人生が変わるかも
☆☆☆☆☆・・・・大満足
☆☆☆☆+・・・・・見なきゃ損!
☆☆☆☆・・・・・・満足 
☆☆☆+・・・・・・・まあまあ
☆☆☆・・・・・・・・可もなく不可もなく
☆☆・・・・・・・・・・やや不満
☆・・・・・・・・・・・・不満

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最終鑑賞日 2009. 5. 30

~2009年~

  5月鑑賞 (22)
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■ 「刺青」(1966年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「鬼の棲む館」(1969年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「網走番外地」(1965年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「網走番外地 望郷篇」(1965年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「人間の條件」(五)(六)(1961年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「人間の條件」(三)(四)(1959年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「人間の條件」(一)(二)(1959年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「夜明け前」(1953年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「破戒」(1948年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「盲獣」(1969年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「恐竜・怪鳥の伝説」(1977年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「アライブ -生還者-」(2007年/フランス )・・・(☆☆☆☆)
■ 「秋刀魚の味」(1962年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「小早川家の秋」(1961年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「大悪党」(1968年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「東洋宮武が覗いた時代」(2008年/日本・アメリカ)・・・(☆☆☆+)
■ 「阿部一族」(1938年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「」(1953年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「山椒大夫」(1954年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「春秋一刀流」(1939年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「にっぽん泥棒物語」(1965年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「吸血鬼ゴケミドロ」(1968年/日本)・・・(☆☆☆☆)

4月鑑賞 (26)
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■ 「アナタハン島の眞相はこれだ!!」(1953年/日本)・・・(☆☆☆)
■ 「酒と女と槍」(1960年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「武蔵と小次郎」(1952年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「ポルノ時代劇 忘八武士道」(1973年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「直撃地獄拳 大逆転」(1974年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「鰯雲」(1958年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「妻として女として」(1961年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「土と兵隊」(1939年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「麦秋」 (1951年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「早春」 (1956年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「大日向村」 (1940年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「若い人」 (1937年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「野獣死すべし」 (1959年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「愛のコリーダ」 (1976年/フランス・日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「」 (1941年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「むかしの歌」 (1939年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「雁の寺」 (1962年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「太陽のない街」 (1954年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「」 (1959年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「銀座化粧」 (1951年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「雪婦人絵図」 (1950年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「細雪」 (1950年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「大阪の宿」 (1954年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「煙突の見える場所」 (1953年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
 
3月鑑賞 (24)
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■ 「氾濫」 (1959年/日本)・・・(☆☆☆)
■ 「人間魚雷回天」 (1955年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「太平洋戦争 謎の戦艦陸奥」 (1960年/日本)・・・(☆☆☆)
■ 「武蔵野夫人」 (1951年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「トウキョウソナタ」 (2008年/日本・オランダ)・・・(☆☆)
■ 「殺人容疑者」 (1952年/日本)・・・(☆☆☆)
■ 「その土曜日7時58分」 (2007年/アメリカ・イギリス)・・・(☆☆☆☆)
■ 「下郎の首」(1955年/日本)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「山の音」 (1954年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「宮本武蔵 般若坂の決斗」 (1962年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「宮本武蔵(第一部)」 (1961年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「叛乱」 (1954年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「戦艦大和」 (1953年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「明治天皇と日露大戦争」 (1957年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「女鹿」 (1968年/フランス・イタリア)・・・(☆☆☆☆)
■ 「アレクサンダー大王」 (1980年/ギリシア・イタリア・西ドイツ)・・・(☆☆☆+)
■ 「新選組鬼隊長」 (1954年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「戦艦ポチョムキン」 (1925年/ソ連)・・・(☆☆☆☆)
■ 「不貞の女」 (1968年/フランス・イタリア)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「最後の人」 (1924年/ドイツ)・・・(☆☆☆☆)
■ 「家宝」 (2002年/ポルトガル・フランス)・・・(☆☆☆☆)
■ 「肉屋」 (1970年/フランス)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「たそがれ酒場」 (1955年/日本)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「旅芸人の記録」 (1974年/ギリシャ)・・・(☆☆☆☆+)

2月鑑賞 (16)
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■ 「ベン・ハー」 (1959年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「イントゥ・ザ・ワイルド」 (2007年/アメリカ)・・・(☆☆)
■ 「幕末」 (1970年/日本)・・・(☆☆☆+)
■ 「カルメン故郷に帰る」 (1951年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「破れ太鼓」 (1949年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「陸軍」 (1944年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「アラビアのロレンス」 (1989年/イギリス)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「ザ・ムーン」 (2007年/イギリス)・・・(☆☆☆☆)
■ 「殺人に関する短いフィルム」 (1987年/ポーランド)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「愛に関する短いフィルム」 (1988年/ポーランド)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「緋牡丹博徒 花札勝負」 (1969年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「アンドレイ・ルブリョフ」 (1969年/ロシア)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「フォーエヴァー・モーツアルト」 (1996年/フランス・スイス)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「JLG/自画像」 (1995年/フランス・スイス)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「フレディ・ビュアシュへの手紙」 (1981年/スイス)・・・(☆☆☆☆)
■ 「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」 (2008年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆+)

1月鑑賞 (1)
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■ 「」 (1985年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
 
  
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~2008年~
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12月鑑賞 (7)
■ 「阿波の踊子」 (1941年/日本)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「仇討崇禅寺馬場」 (1957年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「張込み」 (1958年/日本)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「復讐するは我にあり」 (1979年/日本)・・・(☆☆☆☆+)
■ 「人情紙風船」 (1937年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「リダクテッド」 (2007年/アメリカ・カナダ)・・・(☆☆☆☆)
■ 「トロピック・サンダー」 (2008年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆)
11月鑑賞 (10)
■ 「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」 (1966年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「帝国オーケストラ ディレクターズカット版」 (2008年/ドイツ)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「山河遥かなり」 (1947年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆)
■ 「我輩はカモである」 (1933年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆)
■ 「昭和残侠伝 死んで貰います」 (1970年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「血煙高田馬場」 (1937年/日本)・・・(☆☆☆☆☆+)
■ 「鴛鴦歌合戦」 (1939年/日本)・・・(☆☆☆☆)
■ 「歴史は夜作られる」 (1937年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆)
■ 「フランケンシュタイン」 (1931年/アメリカ)・・・(☆☆☆+)
■ 「恐怖の報酬」 (1952年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆)
10月鑑賞 (4)
■ 「赤い影」 (1973年/イギリス・イタリア)・・・(☆☆☆☆)
■ 「スイミング・プール」 (2003年/フランス・イギリス)・・・(☆☆☆☆)
■ 「宮廷画家ゴヤは見た」 (2006年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆)
■ 「生まれてはみたけれど」 (1932年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
9月鑑賞 (2)
「スカイ・クロラ」 (2008年/日本)・・・(☆☆☆☆)
「ダークナイト」 (2008年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆)
8月鑑賞 (2)
「8 1/2」 (1963年/イタリア)・・・(☆☆☆☆)
「敵こそ、我が友」 (2007年/フランス)・・・(☆☆☆☆☆)
7月鑑賞 (5)
「イースタン・プロミス」 (2007年/イギリス・カナダ)・・・(☆☆☆☆)
「2001年宇宙の旅」 (1968年/アメリカ・イギリス)・・・(☆☆☆☆☆) 
「メイド・イン・ジャマイカ」 (2006年/フランス)・・・(☆☆☆☆)
「ぐるりのこと。」 (2008年/日本)・・・(☆☆☆)
「ホットファズ」 (2007年/イギリス)・・・(☆☆☆☆☆+)
6月鑑賞 (2)
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」 (2007年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆) [2008年ベスト]
「靖国 YASUKUNI」 (2007年/日本・中国・韓国)・・・(☆☆)
5月鑑賞 (3)
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道標」 (2007年/日本)・・・(☆☆☆☆☆)
「クローバーフィールド/HAKAISHA」 (2008年/アメリカ)・・・(☆)
「つぐない」 (2007年/イギリス)・・・(☆☆☆☆)
4月鑑賞 (2)
「キリング・フィールド」 (1984年/イギリス)・・・(☆☆☆☆☆)
「ノーカントリー」 (2007年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆)
3月鑑賞 (1)
「アメリカンギャングスター」 (2007年/アメリカ)・・・(☆☆☆☆☆)

  
 

[映画に関するNEWSなど](5)
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松林宗恵死去 (09/08/15)
大木実死去 (09/04/02)
アーサー・C・クラーク死去 (08/03/19)
『HOT FUZZ』公開決定!!!  (08/04/05)
ポール・ニューマン死去   (08/09/29)
 
 
[映画に関する独り言など] (9)
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ある巨匠の言葉と映画「靖国」 (09/09/05) ・ AERA '09.8.24号の記事から
マクナマラの戦争 (09/08/24) ・ 映画「フォグ・オブ・ウォー」(2003)の徒労感
映画に見る歴史の綻び (09/06/22) ・ 映画「帝国オーケストラ」(2008)に見える歴史の歪について
エイガヲカエセ (08/04/08) ・ 「靖国」(2007)上映前検閲について
a review     (08/06/16) ・ 映画レビューについての戯言
The thing      (08/07/11) ・ 「遊星からの物体X」(1982)におけるUFOと私
バブルと軍靴と映画 (08/07/18) ・ 「226」(1989)バブル期に描かれた戒厳令下
人生は一度きりだから。(08/07/23) ・ 「時をかける少女」(2006年)の上手さ
映画の予習     (08/08/11) ・ 「ラストゲーム」(2008年)の見所をチェック!

 
 

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2008年3月以前の感想文も含めたものは
>>こちら(旧館の映画の感想一覧)

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2009年4月11日 (土)

映画「宮本武蔵(第一部)」

2009年に見た映画(三十一) 「宮本武蔵(第一部)」

原題名: 宮本武蔵(第一部)
監督: 内田吐夢
出演: 中村錦之助,三國連太郎,入江若葉,木村功,丘さとみ
時間: 110分 (1時間50分)
製作年: 1961年/日本 (東映京都)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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吉川英治原作の同名小説の映画化であり五部作のうちの第一作。
友人の又八と一緒に功を得ようと関ヶ原の合戦に参加した宮本村の
悪童、武蔵(たけぞう)が沢庵和尚、お通達との心の触れ合いの中で
葛藤しやがて学問に目覚めるまでの剣豪宮本武蔵の若き日々を描く。

名匠内田吐夢と当時の大スター中村錦之助(後の萬屋錦之介)が
がっちりタッグを組んだ堂々の大作。吉川英治の原作の方は井上雄彦の
漫画「バガボンド」の原作といえば判り易いだろう。

中村錦之助の演技というか動き(アクション)が素晴らしい。
お尋ね者となった武蔵(たけぞう)が裏切られ、追われ、走る走る。
ワンカットで、物凄いロングショットで走る走る。また走る。
その躍動感はまるで実写版「未来少年コナン」。

もともと生きるエネルギーに満ち溢れていた人間"たけぞう"は
体制に従順に生きる人間達に疎まれ蔑まれさらに傍若無人となり
まさに野獣のように逃げ回り追い詰められ人を斬る。

その"たけぞう"に人間に生まれ変わる路を指し示す沢庵和尚を
演じるのは三國連太郎。三國連太郎は優れた役者なのだろうことは
"知ってはいる"が個人的に琴線に触れた決定的な作品はこれまで
なかった(「復讐するは我にあり」(1979)での怪演はなかなか良かったけど)が
本作での辣腕和尚振りは全くもって凄い。主役の錦之助を食うほどの余裕の演技。

人間を信じる心を失った"たけぞう"と弱さの象徴のような生き方
をしていく又八、仏の道を生きる人間として人間の諸行を見つめ
生きる沢庵和尚、美しき心を宿す少女お通。

ただカタログ的にずらずら並べて登場してくるのではなく
彼らは皆"人間"という得たいの知れない生き物の持つある側面を
ほどよく増幅したキャラクターとしてそれぞれ魅力的に描かれている。

その演出の造型のダイナミックさは戦前に成人となり、終戦後
しばらく独自の判断で中国大陸に残り甘粕正彦の死も看取ったと
言われている振幅の大きな異色の人生を送った監督内田吐夢の
世の中を見る目の奥深さに大いに関係がるように思われる。

沢庵の術中に嵌り杉の木に吊るされた"たけぞう"。
その境遇の全てを自分以外の何かに責任転嫁して罵詈雑言を放ち
続ける"たけぞう"と全ては己の心の未熟さの所産であることを
懇々と語る沢庵和尚。彼らを照らす月。。
まだ映画がその"質"において他の追随を許さない娯楽の王様だった
時代の揺るぐことの無い名シーン。

中村錦之助、三國連太郎、内田吐夢という才能を美術・音楽・撮影
のプロのスタッフががっちり固めた文句なしの傑作エンターティメントだ。

これ書きながらwebを検索してみると三國連太郎はかつて稲垣浩監督で
宮本武蔵を連作で演じている。さらに三國版の「宮本武蔵」第一作の
1954年の作品ではアカデミー外国語映画賞名誉賞を受賞しているようだ。
こちらも機会がれば是非観てみたい。

さらに検索すると押井守作品を多く世に出しているプロダクションI.G
の2009年の新作は宮本武蔵である模様。
「宮本武蔵-双剣に馳せる夢-」公式サイト
押井守は原案と脚本を担当。押井守と宮本武蔵、、何か今ひとつ結びつかない。。

宮本武蔵は日本人にとって今もこれからもまだまだ優良コンテンツであることは
間違いないのだろう。革命は夢想しない範囲で孤独に頂点を目指すという
辺りが共感を得るのであろうか。。

血湧き肉踊る大傑作の本作には若い時に出会っておいた方がより
楽しいかもしれない。

五部作の第一作だけど本作一作だけでテーマ的には起承転結が
しっかり出来ているので他のを観れなくても存分に楽しめる。
(スターウォーズのエピソードⅣみたいなものであろうか)

内田吐夢を始め携わった関係諸氏全てにありがとうと言おう。
面白かった!

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2009年4月 9日 (木)

映画「叛乱」

2009年に見た映画(三十) 「叛乱」

原題名: 叛乱
監督: 佐分利信・阿部豊
音楽: 早坂文雄
出演: 藤田進,細川俊夫,山形薫
時間: 115分 (1時間55分) [モノクロ]
製作年: 1954年/日本 (新東宝)
(六本木 シネマート六本木にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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昭和十一年(1936年)二月二十六日に起こった青年将校によるクーデター
事件所謂「二・二六事件」を叛乱を起こした将校達の視点から描く。

当時の陸軍内部は一君万民主義を極端に推し進めた皇道派と呼ばれる
一部の青年将校達と軍の規律を第一義とする統制派と呼ばれる人間達
による水面下の抗争が激化の一途を辿り数年前に起こっていた海軍の
青年将校等による五・一五事件と同規模かそれ以上のものが起こること
は多くの人間にとってはほとんど避けがたいほどに予想されていた。
国政と軍の在り方への不満が充満していた青年将校達の主だった者が
人事異動によって満州へ赴任する情報が漏れると最早、彼らの怒りは
臨界に達し決起は「いつ実行されるのか」という問題になっていた。

決起直前から決起後、そして投降し首謀者が全員銃殺されるその瞬間まで
カメラは終始決起将校達の側で若干の同情を込めた形で彼らをひたすら
取り続ける。

観ながらずっと「実録・連合赤軍 あさま山荘への道標」(2007)を
思い出していた。青年将校達の決起までの半分だけの計画と先鋭し
続ける机上の計算と理念。決起後の傾斜を転がり落ちていくような
状況の悪化。それでも状況を打開しようともがくエネルギー。
あさま山荘事件へ至る学生達の暴発のそれと共通点は幾つかあるように
思う。

特に山形薫演じる磯部浅一と細川俊夫演じる安藤輝三のそれぞれ
異なった形の葛藤と挫折でいながら自らの理論に自らの存在と肉体を
全て捧げてしまうところは陽と陰の対を成しているかのようで
見事に青春群像劇として出来上がっている。1916年生まれの細川俊夫は
二枚目俳優として将来を期待されたが一番いい時期を戦争に出征する
ことで活躍出来ずに伸びきれず戦後は脇役に甘んじてしまった。
自分の人生に甚大な負の影響を与えた太平洋戦争への道のターニングポイント
となった事件の首謀者を演じるにあたって何か心に帰するものはあった
であろうか。最後まで決起を迷いに迷う決起将校の中でも屈指の
理論家として同僚からも部下からも信頼が篤かったという安藤輝三に
何ともいえない深みを投じている。

宮口精二が警視庁副総監役で出ているのがとても嬉しい。

たったワンシーンの出演だが青年将校等の最も基本的なパラドックスを
一撃の下に突く"口撃"はまさに「七人の侍」(1954)で演じる久蔵
の剣のようだ。

「お前達に屈するのではない。
俺たち(警察官)とお前達(軍隊)が衝突したら一体どうなる?
被害を蒙るのは周辺の住民、国民だ。
だから屈するのだ」

宮口精二はいつだって人間として正しい。

青年将校等の精神的な主柱であり事件の首謀者とされた北一輝
(事件後逮捕され死刑判決、銃殺された)に今一つ二つカリスマ性が
なかったのが残念だ。もしも北一輝役にそれなりの俳優が布陣
されたら本作の一種妖しいまでの気迫はさらに高まって
戦後の問題作の一つにもなったかもしれない。

音楽がなんだかしっとりとしていて軽くもなくこの手の作品にありがち
な東映調の妙な重たさもなく品があっていいなーと思って観ていたら
担当は黒澤映画の羅生門(1950)・七人の侍(1954)等等でお馴染みの
天才作曲家早坂文雄だった。

決起側の青年将校の一人で出演している丹波哲郎は本作では
禄に台詞無し。この時32才。45年後に製作された同じ事件を
扱った「226」(1989)では決起将校等に一目置かれた
真崎甚三郎大将を演じている。まあ演じるというほどのものでも
なかったが。作品の中身も残念ながら本作と比べるべくもない。

「226」については何だか知らないけど"実録"物として
店頭に並んでいるのを見たが本作こそ将に『ザ・実録』。

「二・二六事件」は国家の暴力装置である"軍"という組織内部で明治維新
まもない頃から蓄積に蓄積を続けてきたあらゆる矛盾が一つの臨界に
達して起こった事件と言えるのではないだろうか。銃殺された将校等は
一種のスケープゴートにされた感もある。

青年将校等は何ら抗弁の機会も与えられず弁護士を付けることも
許されずに多くは翌年の夏に刑場の露と消えた。
銃殺刑の当日、銃声を隠すためのダミーにすぐ側で軍事演習が
行われた。

決起した者達に同情と理解を寄せることも見方によっては幾らも
出来ようが、彼らが勇んで襲撃した人間達の主要人物には太平洋戦争の
終結に尽力奔走した者達が多くいた点も見逃してはならない。

押入れに隠れ難を逃れた岡田啓介(事件当時内閣総理大臣)は
終戦末期、東条英機内閣打倒に動き、側頭部を打ちぬかれ重態と
なった鈴木貫太郎は戦時の最後の内閣を組閣し太平洋戦争を
終結に向かわせた。

銃弾を受け瀕死の重態となった鈴木貫太郎に留めを刺そうとする
兵士達に最後の情けをかけるように訴えた妻の命懸けの懇願を
聞き入れたのは安藤輝三大尉だった。それによって生き残った
鈴木貫太郎は天皇の信を受け終戦に向けて働き、戦争が俳優人生に
決定的な陰を落とした細川俊夫(事件当時20才)が安藤輝三を演じる。
この映画というフィクションと人間の織り成す歴史というドラマの
薄氷を踏むような偶然と必然が複雑怪奇に交差するリンク。。

事件後80年近くも経過しようとしているがこの事件は今でも
新しい側面に光を当てて物語を作ることも時代の暗部を告発することも
可能であろう。しかし事件そのものの経過に沿って可能な限り将校達の
心情を丁寧に汲み取ってあげたであろう作品は本作だけで本作を
越える作品は二度と作ることは出来ないだろう。

そのうちDVDを入手して真夜中に一人でゆっくり観たい。

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映画感想一覧>>
 
 
バブルと軍靴と映画>> (映画「226」についての駄文)
 
  
 

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2009年4月 8日 (水)

生き様。

 
  
 

○○したらこんな素晴らしい人生開けました!!(^0^)Y

というような体験談は巷に溢れかえっているけど

「本当かなあ」(ーー;)
と長年思いつつ大人になってみたが

大人になってみるといよいよもって

「本当かなあ」(一_一;;)

と思うようになった。

昔からのそれほど親しくない知人が若干上から目線で

「いい人生送っている」みたいなことを
仰る人がたまにあらせられるが
その眼差しにはほとんど例外なく

"深い苦悩の色"が浮かんでいる。

その人の仰られていることは必ずしも
嘘でもホラでもないのだろうけど
要するにその快楽の代償を確実に払っていることが
その表情に刻まされているのだ。

取りあえず自分が出会ってきた人々で
上手く世の中を渡っている人は
出会った瞬間のガキの頃から持っていた
モチベーションのままに生きているだけだし、

上手くいっていない人はやはりガキの頃から
見せていた躓きのパターンを大人になっても
その弱点を克服できないままに怪我の度合いが
より深刻になっている。

今のところ興味深いことに自分も含めて例外は無い。

あんなにショボカッタ奴がどうして( ̄ロ ̄#)
というのは無く
あんなに手堅くやっていたのが何故(゚⊿゚)
というのも無い。

皆面白いほどにプログラミングされた通りに
生きているようだ。

かくいう自分も
一体どうなってしまうのだろうと
周囲に心配され己自身も眠れない夜を幾夜も過ごしたが

なるようになったヽ(´ー`)ノ

金銭的にはともかく、

ものの見事に

なるようになった。

ということは、要するに
10年後、20年後にも当然

「なるようになる」

ということで概ね間違いない。

それはレールが敷かれているとかいった
つまらない人生でも何でもなく
充分にエキサイティングなことなんだ
私kuronekoは何だか最近とても強く思う。

「きっとこうなるだろう」
と思ったら、よくも悪くももう逃れられない。

そのことを悲観ばかりするヒトがいるけど
その理由が未だによく判らない(少しは判る)。
その胸の内を推測してみるのは結構面白い。

本当になりたくない人生があって
あるいは
なりたい人生があって
今現在の自分ではそこに到達できない
とすれば『己を改造する』しかないだろう。

ネガティブな結末しか想像できない人は
「改造できない」ということを悟っておられる
ということなのだろうか。

まあそれもよし。

ヒトの思考というのはつくづく興味深い
と思う今日この頃。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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2009年4月 6日 (月)

映画「戦艦大和」

2009年に見た映画(二十九) 「戦艦大和」

原題名: 戦艦大和
監督: 阿部豊
出演: 藤田進,船橋元,高田稔
時間: 101分 (1時間41分) [モノクロ]
製作年: 1953年/日本 (新東宝)
(六本木 シネマート六本木にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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戦艦大和の沖縄に向かう最期の作戦「菊水作戦」における
出撃から沈没までを搭乗員達の奮戦振りに焦点を当てて描く大作。
原作は実際に大和に搭乗していた吉田満の「戦艦大和ノ最期」。
主人公も吉田その人をモデルにしているようだ。

艦内の人間模様が丁寧に描写されていてなかなか最後まで見せる。
実際い搭乗していた人間の書いたものが原作だけあって
変に美化することもなくイデオローグで染めることもなくお国の為に
信念の為に精一杯闘おうとする普通の人間達をきちんと捉えていて良い。

に比べて、、何たる特撮シーンの貧弱さよ。
ストーリー上で大和が沈没する前に撮影用の"大和"が
沈没するんじゃねーかとマジでハラハラドキドキした(^^;)
というか多分途中で2回くらいは木っ端微塵になっている気がする。
「カット!!火薬多すぎ多すぎ!模型を守れ!火消せ!!」という
撮影現場のスタッフの叫びが聞こえる気がして仕方がない。

まあこれは技術が稚拙だと言うよりも東宝や東映のような
直営館をただの一つも持たずに奮戦してやがて消えていった
"新東宝"という会社により製作・配給された事情が大きい。

特撮シーンがひどく物足りないといって嗤うのは容易いが
その余りに足りない資金力としての結果の映像の寂しさは
各自脳内で補完して実際の戦艦大和の建造された背景の日本の
台所事情の無茶苦茶さとリンクさせて愉しむのが大人の
鑑賞方法ってものだろう。

沖縄を守るだとか岸に突っ込んで永久砲台になるだとか
威勢のいいことを一方では言いつつも上官から一兵卒に至るまで
誰一人として本当に辿り着けるなどと欠片も思ってなく
人生最後の宴会で雄叫びを上げ泣き叫び宴の後、粛々と遺書を書くシーンは
どうしても「なんだかなー」と思ってしまう。

映画としてどうこうではなく「戦争」という国家間の争いと
戦略・戦術とは最早すっかり離れてしまって忠臣蔵とか
そっち系の内向きな精神世界に"全員"が行ってしまっていることに
同情と言いしれない怒りを感じる。主人公が最初から最後まで冷静で
理性的な人間であることが状況が悲惨になればなるほど
本作の輝きとドラマ性を増している。

大和沈没後の敵機による洋上の生き残りの者達への容赦ない
銃撃をきちんと描いているのは大変評価したい。それはまさに戦闘能力を失った
人間達への"虐殺"以外のなにものでもなかったわけだ。

「男たちの大和/YAMATO」(2005)は全体的になかなか良くやったなーと
本作を観ていて思ったが何としてもこの沈没後の機銃掃射シーンは
絶対に欲しかったところであり「男たち~」が永久に減点を免れない点
なのでありとても残念だ。嘘を描いてることになるもんな。

人間ドラマは本作で堪能して戦闘シーンは「男たち~」を観て
楽しんだら良いかと思う。

大和そのものではなく大和を護衛して沈没した戦艦郡に
焦点を当てるとか「菊水作戦」をテーマにした戦争映画とか今でも
充分作れる余地があるように思う。右だろうが左だろうが
浅墓なイデオロギーによらない戦争の時代をとにかく必死で生きて
死んでいった人々を今こそ描けると思うけど、今は今で製作プロセス
の現場は変ちくりんな思考の人々で埋まっているから難しいだろう。

自分が億万長者になったら一人一人有能なスタッフを集めて
作るとしよう。面白くて最低限の事実を抑えていて泣けて未来への
教訓にもなり現在への警鐘にもなる戦争映画を。

本作公開の4年後に新東宝が送り出した大作「明治天皇と日露大戦争」
では格段に特撮シーンの「見せ方」は向上している。

戦後僅か8年後の作品だと思えば充分及第点の作品と言えるだろう。
乗組員達の描写の偏見の無さと『彼らも普通の人間だった』という
当たり前の人としての温かさを持った視点を維持していることを
思えば2009年の現在でも戦艦大和を描いた映画としてはベスト1の
作品なのかもしれない。

甲板上で総員による君が代の斉唱シーンはイデオロギーとかどうでも
よくて素直に胸を打つ。

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2009年4月 5日 (日)

映画「明治天皇と日露大戦争」

2009年に見た映画(二十八) 「明治天皇と日露大戦争」

原題名: 明治天皇と日露大戦争
監督: 渡辺邦男
出演: 嵐寛寿郎,藤田進,高田稔
時間: 114分 (1時間54分)
製作年: 1957年/日本 (新東宝)
(六本木 シネマート六本木にて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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日露戦争(1904-1905)を開戦から旅順港閉塞作戦・黄海海戦・
遼陽会戦・旅順攻略(二百三高地での激戦)・奉天会戦を経て
日本海海戦までを一貫して明治天皇と主要閣僚達の視点から描く。

アラカンこと嵐寛寿郎がどこまでも国民と国を思う明治天皇を熱演。
プロパガンダ映画と言ってしまえばそれまでの内容だが
「戦うしかない」と国のトップから庶民まで最初にして最後、
最も意思を共有出来ていたであろう"気分"はとても良く表現
出来ていると思う。

軍人役を演じる人々の背筋が端役に至るまでことごとく全員ピンと
伸びていて観ていて心地よい。

一兵卒達の顔も丸いの、四角いの、ヒゲと色々で全国かた徴兵
されてきた雰囲気が非常に感じられ最初で最後の国民による戦争
(それが嘘か真かはここでは置く)を描いた映画としてはとてもよろしい。

旅順港閉塞作戦(敵の艦隊が出てこれないように船を自沈させ湾口を
閉鎖する作戦)のシーンでは予算の都合で当然のように実物大での
甲板シーンは片方の側からしか見せていないが俳優達のキビキビとした
動作と照明の当てかたの工夫で気合の入ったいい夜戦シーンに
なっていて驚いた。

大陸を進んでいく行軍もこういった映画は往々にしてカーキ色の
軍服を着せてただゴルフ場のようなところをテレテレ歩かせるだけ
だが本作は歩行もままならない荒野をひたすら行軍する兵士とその
脇をかけぬけていく馬に跨った兵士達も勇ましく駆け抜け記録映画
と見紛うようなリアリティが随所に溢れていてよろし。

天皇から閣僚、軍人、庶民まで「どうやったら勝てるか」という
一点に向かって行動する様は事実はどうであれ気持ちのいいものだ。

残念だったのは旅順攻略が乃木希典大将の指揮による愚直なまでの
人海戦術によってだけで成功したと描かれている点か。
実際には当時世界最強の要塞と謳われた旅順要塞を落とすには
兵士の力だけでは不可能で最終的には海軍から大砲を借り受け
数ヶ月かかるといわれた設置を数週間でやってのけ勝利に貢献
している。また地下をひたすら掘り抜いて爆破により攻略する
という計画も実施されたようだ。

日露戦争の時にすでに陸軍と海軍の確執と組織の深刻な硬直化は
始まっていて海軍から大砲を借りる・借りないというやりとり
については司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」に詳しい。

また地下を掘って爆破を試みる作戦や二百三高地での兵士達の壮絶な
戦い振りについては「二百三高地」(1980)で詳しく描写されている。

旅順が墜ちた時のドラマチックな盛り上がりは「二百三高地」が
上だけど良くも悪くも当時の日本が抱いていた戦争への高揚感と
無邪気さ楽観性は本作はなかなかよく雰囲気を出しているのでは
なかろうか。

あくまでも真っ正直な"戦"(いくさ)によって大勝利を得られたかの
ように描いてあるのでエンターティメントとして愉しめよいと
思う。

現実的には日本を海外で良く見せて戦時国債をより買わせるように
というメディアによる戦争も当然のことのように日本は戦って
いたし何よりもロシアの国内情勢の不安定さが日本にとって
大きく功奏したことも間違いない。そしてロシアの国内情勢の
揺さぶりを煽る人間も当然のように投入していたことと戦争遂行
へのその影響の大きさについてもそろそろ白日の下にしてもう
いいのではないだろうか。

どこまでも娯楽作品であり、それなりに良く出来ているが
本作がいたずらに賞賛される時代はこないで欲しいものだ。

若き頃の高島忠夫が乃木希典の息子役で出ている。

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2009年4月 4日 (土)

その土曜日12時58分

090404_msil

[2009.4.4.撮影]
 
 
 
その時、まだミサイルは発射されていない(多分)。
戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。
平和、俺たちの平和、、

 

 

 

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2009年4月 2日 (木)

news「大木実死去」

松竹二枚目スターの大木実さんが死去
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 俳優の大木実(おおき・みのる、本名・池田実=いけだ・みのる)さんが
3月30日午前4時ごろ、膵臓(すいぞう)がんのため東京都大田区の病院で
亡くなった。85歳。通夜、告別式は故人の遺志もあって親族のみで自宅で済ませた。
喪主は俳優で三男の聡(さとし)さん。

 昨年10月に膵臓がんと分かり、自ら車を運転して抗がん治療などに通ったが、
今年3月に入院。亡くなる2日前まで家族と話していたという。
06年のNHKドラマ「ディロン」が最後の仕事だった。

 撮影所で照明助手として働いていたが、佐分利信に見込まれ、51年に映画
「ああ青春」でデビュー。50年代に鶴田浩二と並ぶ松竹の二枚目スターとして映画
「あなた買います」「張込み」「黒蜥蜴」に出演。東映の任侠映画「極道シリーズ」などでは
鶴田、高倉健に続く準主役として欠かせない存在だった。
ドラマ「水戸黄門」や必殺シリーズに出演し、悪役も多かった。
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[http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK200904020017.html]
2009年4月2日(木)09:43

最近、1950年代~1960年代の邦画をしこたま観ているのでこの時代に
若手として活躍された方々に関する情報には目が行くようになった。

シャブ中が打つ薬のように原子爆弾の放射能のようにハリウッドの粗製乱造映画を
半強制的に浴びて大人になってしまった自分としてはこの時代の邦画は
そのほとんど一作一作が人生を左右するであろう作品であり目から鱗だ。

満ち足りた気分で劇場を後にして自宅で出演者について調べてみると
軒並み2000年前後で逝去されていらっしゃって茫然

自分にとってはついさっきまでは皆さん銀幕の中で若さほとばしる美男美女
であられて戦後社会の始まりである高度経済成長の夜明けの、幕開けの時代を
悠然と謳歌していたのに。映画を見終わって最新情報を見れば皆当然であるが
老人と化していて大概その後の人生に何かしら大きな躓きが影を落としている。。

まさに気分は"時の旅人"

大木実は傑作映画「張り込み」(1958)で名優宮口精二と組んで若手熱血刑事を
初々しく演じていた。その初々しさは森の中で起きた銃声が猟銃のものなのか
拳銃のものなのかも判断出来ないほどの危ういものだったのだが(^^;)
(私めでも瞬時に判りますたよ)その演出プランは現場のベテランスタッフ達の
実力と乖離して称賛され独り歩きを始めた若手俳優への痛烈な皮肉だったの
だろうか。。。どこで誰が観てるとも分らない純日本風の家屋内で平気で脇に
拳銃ブル下げるというのもどうなのよ。って別に監督の指示に従っている
だけだよなー勿論。

85才ですか。
「張り込み」を観た興奮と感動は未だ冷めやらず自分の中では
大木実は20代後半?の初々しい正義感溢れる新米デカのままだ。

合掌。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2009年4月 1日 (水)

映画「女鹿」

2009年に見た映画(二十七) 「女鹿」

原題名: LES BICHES
監督: クロード・シャブロル
出演: スティファーヌ・オードラン,ジャン=ルイ・トランテニャン,ジャクリーヌ・ササール
時間: 99分 (1時間39分)
製作年: 1968年/フランス・イタリア
(渋谷 シネマヴェーラにて鑑賞)

2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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親の事業を継いで何不自由なく暮らす成熟した女性フレデリック
(スティファーヌ・オードラン)。彼女は街の路上で絵を描いて生計を立てる孤独な
若く美しい女性ホワイ(ジャクリーヌ・ササール)と出会い自宅に招く。
フレデリックの家には奇妙な住民達が奇妙な共同生活をして暮らして
いた。ホワイもまたフレデリックの魅力に惹かれ"奇妙な住人"の一員
となって暮らし始めるが。。

How to 洗脳映画。一切の抵抗をされずに人を思うがままにコントロール
するにはどうすればいいのか。その人の固有の思考を一つずつ止め、
あるいは取り上げて代わりの"命令"に置き換えていけばいい。

ホワイはフレデリックに見出され且つ自ら選択して奴隷となっていく。
(「家宝」の主人公の女性と逆を行ってるのがとても面白い)
しかし、その関係は主従の関係が完全に成り立っている時は極めて
良好でクロード・シャブロルが軽やかに描く二人の主従関係は
エロティカルでさえあるが(事実二人は口付けを何度か交わす)
その関係が一度壊れればどうなるか。。そう二人が同時に一人の
男性(ジャン=ルイ・トランテニャン)を愛してしまった時、命令文は実行されずに
従たるホワイの頭の中で無限に駆け巡り遂には破綻へと行き着く。。

ジャクリーヌ・ササールが大人になりたての女性をとても愛らしく演じていて
見ていて楽しい。ちょっと前の上原多香子に表情も仕草もソックリ。

上原多香子は好きなのでずっと脳内変換して観ていた。
恋人に待ちぼうけを食らわされ泣きながら男のいそうな場所を
走って探すシーンはとってもキュート。

クロード・シャブロルの作品はどれも大袈裟なセットやロケが
一切ないのに本当に全く飽きるシーンが無い。

街で、室内で、庭先で。人間達は戯れて愛し合って疑いあって
ちょっとだけ殺意を覚えて。。本当の人生に当然あるはずの
人間同士の"磁力"のような自分達ではコントロールできない
引き合う力や反発する力がフィルムに焼き付けられているから
きっと見ていて飽きないだろう。

美女二人に同時に愛されるウラヤマシー男を演じるはジャン=ルイ・トランテニャン。
カッコイーな。寡黙でウザクない程度の父性が滲み出てて。
そりゃ惚れるよこげな男が独身で金もありゃ。

三人の距離がだんだん詰まってきてどうしようもなくなって
しかしそれでも牽制しまくりあって遂に心地いい夜風の吹くバルコニーで
三人そろってお互いに抱きしめあうシーンはただの美女美男の抱擁というだけ
でなくて破滅の予兆も感じさせてそれでいて当然のように絵になっていて美しい(羨ましい(^^))。

金持ち美女の我がままでガラクタのような精神になって見事に
道化となって同居する男達がとてもリアルで不気味だ。
世の中には安住と引換えに自我を捨てて太鼓もちになっている人々
なんてどんな時代にも幾らもいるのだろう。

月末までヘコヘコヘラヘラして僅かな賃金を貰って生きている
自分もある意味で立派な奴隷であり道化なんだ。

上原多香子主演で本作と同じレベルの作品が日本で出来くては
おかしい。しかし絶対に出来ない壁がなぜか存在するのだ。

それは海に囲まれていることに安寧として人間についての考察が
疎かになっているからなのだろうか。しかし考察して考察してまた考察して
偉大な作品を遺した立派な先人達は沢山いるのだから一切言い訳せずに
知恵絞って勉強して面白い映画を作って観ようじゃありませんか皆様。

さてクロード・シャブロルの映画はこれで三本観た。

「肉屋」(1970年)
「不貞の女」(1968年)
「女鹿」(1968年)

率直に言ってどれも面白い。それぞれ方向性は違うので
全部観たらよろしいおま。

個人的には「不貞の女」が一番スリリングで面白かった。
「女鹿」も人間同士の支配の有り様の巧妙さと複雑さが視覚的に
描かれていてとても面白い。実験論文のような趣もある。

そうだ。
「肉屋」は短編小説で
「不貞の女」は丹念な事件の調書(レポート)で
「女鹿」は二女一男をある環境下に置いて観察してみた実験の論文なんだ。

全部、どうぞ。

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