それぞれの未来
横にリンクが貼ってある渡辺千賀さんのブログ
On/Off and Bryond の4/27のエントリー
「海外で勉強して働こう」
には結構思い切った発言が書いてあってコメントも
なかなか盛況なようだ。
日本の将来はもう駄目だ。
だから海外で働こう。
ということが書いてある。
彼女がこれまで一貫して言ってきたことを彼女自身で要約した
発言に過ぎないので以前から読んできた人にとっては特に
大きな驚きはないだろう。自分も特に驚きもしなかった。
渡辺千賀さんは英語力やその他のスキルを時間をかけて自力で身につけて
シリコンバレーというエリアに出て行って富を築き家族を作り、
今もその富を増やし続けていることだろうけど私としては
"海外で働くこと"と"日本の将来"とは個人が海外に出て行く動機付け
として結びつけるのはもっともらしいが実際は関係の無いことだと思う。
大学生の頃、私の所属するゼミの先生は
毎週毎週、毎回毎回、
日本はお仕舞いだ。
日本は駄目になる。
と仰っていた。
それなりに講義内容は良くて先生としても人生の先輩としても
私は尊敬していたのだが(卒業して結構な年月が経った今も
それは変わらない)、あまりにも事あるごとにそう言っていたので
ある日聞いてみた。
「駄目になった"日本"の姿を具体的に言ってください。
どんな状況になると"駄目な日本"ですか?
税金が収入の10倍になった国ですか?
言論の自由が一切無くなって家の明かりを付けることすらも
許されなくなった国ですか?
子供が一人も生まれなくなった国ですか?
路上に死体が転がっているような国ですか?
このまま行ったらと仰いますがどんな国になるのか
先生のお考えを正確に述べてみてください」
別に嫌がらせをしようと思ったわけでも何でもなく本心から
「先生のイメージする"駄目な日本"とは何なのか」
聞きたくて発言した訳だが果たして先生は沈黙してしまった。
しばらく、静寂がゼミ室を覆った後で先生は呟いた。
「。。。まあ、駄目にならないように皆で頑張りましょう」
この私の発言の後も先生は私へ接する態度を少しも変えることなく卒業時まで
好意的に自分を指導してくださったのは今思うと大人な態度だったなあと思う。
さて、
千賀さんの考えとしては日本は確実に駄目になるから
一人でも多くの志ある者(主として若者)を千賀さんなりに"救おう"という
お考えでの発言だと思うのだが、日本がイザ駄目になったら
つまり株で言うところの"底値"に日本がなったら海外の
国なり企業なり個人投資家なりが喜んで買い上げるだけのことだと思う。
敗戦後の日本もバブル崩壊後の日本もそうやって立ち直った。
もっと言えば敗戦については底値で買い取るために徹底的に叩き潰したとも言える。
徹底的に叩き潰した(原爆を落として東京を焼き尽くして沖縄を
灰にして働き盛りのお父さん達をシベリアに抑留して、etc、etc)と
思ったらそうでもなかったので今また今度はかなり周到に叩いているのだと思う。
日本は確かに駄目になるのだと思うがあっという間にまた立ち直るだろう。
なぜなら日本という"巨大且つ優れた市場システム"が機能しなくなることは
世界中の金持ち(=世界の枠組を決めている人々)にとってどこまでも
マイナスでしかないからだ。
"生意気なキャッシュカード"だがシステムが機能不全になって
現金の引き落としが出来なくなったら一番困るのだ。
つまり日本人は大人しくしていてほしいが税金(="彼ら"の金)を
私達ジャップが払えなくなるほど困窮してもらうのは困るわけだ。
要するに生かさず殺さずというところ。
日本の政治家はその辺の"彼らの匙加減"に甘えまくっているわけだが。
私の友人にも一人千賀さんと同じ方向を向いて頑張っている人がいる。
一刻も早く日本を脱出しようと以前から外国語を幾つか習得して海外で
働けるようにと外資系の会社で勤務経験を今現在も一生懸命積んでいる。
多分、この友人は本当にごく近い将来海外に出て行くと思う。
グリーンカードの取得もかなり本気で狙っていて色々調べているようだ。
彼ならきっとやり遂げるだろう。その行動の結果としての富も得るだろう。
この友人と私は同年齢である。
外国の言葉を数カ国語操ることが出来て国内で必要なスキルと資格も
着実に得てあともう少しで海外に脱出しようとしている友人。
日本はもしかしたら本当に"駄目になる"として
海外に出て行くこの友人と私とどちらが幸せになれるだろうか?
彼だろうか、私だろうか。
幸せになることは海外に出ること出ないことと関係あるだろうか。
駄目な日本に住む私の人生は駄目になるに決まっているのだろうか?
駄目な日本に住んでいるからといって私の財産は全部没収されて
自由な時間も奪われて職業選択の自由も無くなるのだろうか?
駄目じゃない海外に住むであろう友人はお金が貯まって
自由を謳歌して心身共にいつまでも健康に暮らせるのだろうか?
自分の生まれた国が"駄目"になってしまったというのに。
自分と自分の周辺が無事だったら幸せなんだろうか。
どうも関係付けは難しいような気がする。
国が駄目になろうとどうなろうと関係なく
海外で働きたかったら働けばいい。
戻ってきたくなったら戻ってくればいい。
海外に永住したかったらすればいい。
ちなみにその友人はここ数年順調に海外脱出のための
足場を固めてもう本当に実行するだけの段階に来ているが
近頃あまり元気がない。その友人の今の力でも恐らくは
シリコンバレーでも通用するというのに。
私は年齢的にも仕事で通用するほど外国語を習得するのは
もう絶望的でそもそも真面目に勉強する気もない。
会社もいつまであるか全く予断を許さない状況だ。
しかし最近は素晴らしい映画を都内数箇所で見まくって
生きるヒントを沢山得て非常に気分がよい。
これから日本がどうなろうと職を失おうと金が無くなろうと
自分の得た知恵が活きるように努力するだけだ。
あくまで知恵が活きない社会であれば同じ意見を持つ人と
連動してその社会を排除するまでだ。排除できなければ
敗れてそれなりの人生を送るまでだ。
やはり、どこまでシュミレートしても"国が駄目になる"
ことと外に出ようという行為は個人の動機付け以上の
ものにはならないように思う。
そもそも動機なんて集団で共有する必要があるだろうか。
仮に共有したとしていつまでも変わらずいることなんて可能だろうか。
結局のところ自分の行為の理由を"外的要因"に結びつける手法に
言ってみればバグのようなものがあるのではないだろうか。
人間はあくまで内的要因で動くべきというか衝き動かされているように思う。
件の友人がなぜ元気が無いかと言えば多分、
外的要因(日本が駄目になるという仮説に基づく理由付け)で
出ていこうとする自分に違和感を覚えているのではかなろうかと思う。
だから私は彼を思う友人の一人としてそろそろ内的要因を
見つけるように遠まわしに助言して送り出してやるつもりだ。
「嫌になったらいつでも戻って来い」とも本心から言ってあげようとも思う。
外国語も喋れない英検も何も資格も(財産も)持たない三十路の男が
今日も前途有望な友人のことを結構真剣に心配している。
駄目な日本から多分出れないし出るつもりもない男が。
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