映画「殺人容疑者」
2009年に見た映画(三十六) 「殺人容疑者」
原題名: 殺人容疑者
監督: 船橋比呂志
出演: 丹波哲郎,石島房太郎,恩田精二
時間: 80分 (1時間20分)
製作年: 1952年/日本
(六本木 六本木シネマートにて鑑賞)
2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆)(5個で満点)
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殺人犯を刑事が追い詰める様をスター俳優無し、セット一切無しの
オールロケで撮った作品。丹波哲郎のデビュー作。
本作を語る上での必須のキーワードをまず提示したい。
[モンド映画]
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モンド映画は、世界各地の秘境の奇習や大都会の夜の風俗、
事故や処刑の瞬間など衝撃映像を、虚実取り混ぜて見世物感覚で
構成したドキュメンタリー風映画を指す。
(略)
モンド映画にはあからさまなやらせや事実誤認、配給会社による
誇大広告などがつきものだが、深く突っ込まないのが鑑賞時のお作法である。
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(ウィキペディアより)
本作は異常なシーンから幕が開ける。
殺人現場で刑事達が何やら犯人像の推理をしている。
近くでは子供たちが実に楽しそう見物にしている。
「50年代の東京の風景は牧歌的だなあ」なんて思いながら観ていた。
さてカメラがパン(移動)すると。。
そこには被害者(死体)が横たわっている。
死体が隅っこに物のように転がりその横で全く目もくれずに
事件を推理する刑事達と全く気にも止めない子供たち。
実にシュールだ。。
何かおかしいこの映画、、
と思っていると
被害者と肉体関係を持ったという重要参考人が物語に全く
関らなかったり、
犯人の男(丹波哲郎)のアジトに刑事が来るが重要なヒントを
見逃してストーリーが進まなかったり、
未だに東京の地理が飲み込めない土地勘ゼロの自分でも
何となく判るような都内及び横浜の街中や駅があからさまな
構図で撮影されたり
刑事や犯人の行動やアップのシーンに意味づけが笑えるほど
なかったり
と本作は「鉄製の箱です」と言っているのに紙だという
ことが意図的ではなくて簡単にばれている変な映画だ。
脚本から撮影にいたるまで作品的な矛盾を
本来チェックするべきセクションの人間を予算と企画の関係上
から全てカットした結果らしい。
これは本来11人でサッカーをやるところを6、7人でプレー
したようなもので成果品に無理がアリアリと現れていて
なかなか面白い。
だからオープニングのナイトメアのような珍妙なシーンが
出来てしまったようだ。
一切セットが無い全部本物の建物、本物の風景を使っている
から半世紀も経った今では作品の内容とは全く関係無い意味で
それなりに貴重な映像が満載となっている。
本作のハイライトは隠し撮りで行った群集内での
犯人捕獲のシーンでこれは刑事と容疑者に扮した俳優が
大群衆の中を走って捕まえるというもの。
本来ならエキストラと撮影スタッフを総動員して万全の準備を
して一発撮りする緊迫のシーンとなるものだが
本作では隠し撮りしたスタッフは撮影後、俳優達を撮ったあと
「勝手に」さっさと帰ってしまったとか実にいい加減だ。
群集の中を走った二人も犯人役の方に手錠をつけたまま
あまりの人ごみに交番に入っていって本物の警官達もあっさり
信じノーチェックのまま群集を撒いた後裏口から出たとか
撮影隊に置いていかれたので喫茶店で手錠つけたままお茶して
いたら群集に見つかって冷や汗書いたとか。。
どんだけ大らかな時代なんだよ。
クライマックスでは大獲り物になるが妙に気合の入った
刑事での目線での映像とか入るがその映像シーンに
「特に意味が無い」のがバレバレで全体の動きを統括する人が
いないのも観ていて明らかなので何だか高校時代に
映画撮影ゴッコをしていたのをしきり思い出して懐かしかった。
クライマックスも撮影後はその場で各自勝手に俳優を置いて
解散したとか(^^)
本作はどうすれば良かったかというと上記の破綻は全て
意図的に計算されたもので本物に見える建物内での撮影は可能な限り
作りこまれたセットであれば「作品」として成立したわけだ。
科学鑑定のシーンとか拘置所も全て本物のロケのため
(予算が無いという意味でのロケ)本作には一定の"リアリティ"は
は確かにある。でもこれは"リアリティ"ではなく"リアル"
なだけだよな。本物使っているだけだから。
皮肉にも犯人及び刑事役に無名の役者達を使って本物の警察関連の施設で
撮影したリアリティのため本作はそこそこのヒットを記録してしまう。
二級線の人々が予算内で持てるスキルを必死に紡ぎだして
いるのでそれなりの気合は確かに感じる。
だから本作を「モンド映画扱いは可哀相だ」という意見が
パンフの中で書かれていたけど本作は正当なモンド映画だろう。
企画の段階で絶対に大幅な水増しが必要だと判りきって
いるのに補填せずに走りきってしまっているのだから。
本作の想定外のヒットによりセットを極力排したロケだけでも
それなりにリアリティが出ることに製作側は味をしめて
刑事物ではセットを使わないことが常態化していく。
リアリティという言葉でお茶を濁したに過ぎない"本物"に
頼りきってしまうその手法はやがて東京を含む日本全体の
風景が急速に味気なくなっていくと共に邦画の画面がどんどん
薄っぺらくなっていきその時にはセットを"作る技"も
"見せる技"も継承されずに途切れてしまっていることを
意味した。
本作は50年代という邦画界の黄金時代の格好の仇花であり
やがて地盤沈下を起こして没落してくその大きな原因の芽も
判りやすく見えるなかなか貴重な作品だ。
碌な演出もプロットもなく犯人役を演じる若々しい
丹波哲郎も今や鬼籍に入られている(2006年9月84才で逝去)。
当時の東京の風景を知る上での貴重な映像が多いので
作品としてではなく千切られて使われていくことだろう。
どうにか作品も生き残って欲しいものだ。
古いもの=良いとは限らない好例として教科書的。
俳優・スタッフ共に現場の方々の情熱はそれなりに
感じる作品であることも間違いない。
それでも全体の精度が甘いので80分でもかなり長く感じた。
(犯人が途中まで全く出てこないがこれは製作は始まったが
キャスティングが決まらなかったからだとか(^^))
内容的には☆二個だけど映画史的にはそれなりに重要な位置に
ある(と思う)ので☆+1個
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