映画「人間魚雷回天」
2009年に見た映画(四十) 「人間魚雷回天」
原題名: 人間魚雷回天
監督: 松林宗恵
出演: 木村巧,岡田英次,宇津井健,津島恵子
時間: 106分 (1時間46分)
製作年: 1955年/日本 (新東宝) [モノクロ]
(六本木 六本木シネマートにて鑑賞)
2009年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)
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特攻兵器人間魚雷「回天」に搭乗する若者達の訓練の日々から
出撃して特攻を敢行する"その時"までを描く。
確か沖縄でだったと思うけど回天の実物を見たことがある。
野外に置かれていて結構錆びていたこととその重厚な雰囲気から
多分レプリカではなかっただろうと思うけど確証はない。
多分実物だったとしてその回天を見た第一印象は「結構大きいな」
であった(回天の全長は約14m強)。
先入観を全て排除して目の前の"それ"を見てさらに思ったことには
一人乗りの兵器として且つ絶対に帰還しないことを想定して作られた
ことを思えば作られてしまった成果品としては
「実に大したものだ」ということだ。
この特攻兵器にたった一人で乗り込んで操縦し戦艦をも沈めることが
できる量の爆薬を積んでいることを思うば、果たして操縦者達は
己の死ばかりを思っただろうか。答えは恐らく『否』であろう。
夕焼けか朝陽の中での激しい逆光の中で写る撮影者に向かって思い切り
万歳をする回天搭乗者達と船の甲板に搭載された回天の写真も見たことがある。
その沖縄での時だったかもしれない。
逆光なので被写体である彼ら搭乗員の表情など判るわけがないが
その一杯に伸ばした両腕の雰囲気から多分底抜けの笑顔だっただろう。
その笑顔は必ずしも絶対的な死を思っての果ての悟りだとか自暴自棄の
ヤケクソとかいったものだけではなかったのではないかと思う。
回天への搭乗員は形式的には志願兵のみで構成された。
他の数ある特攻機の中でも視界がゼロというこの兵器に志願して
死んでいった"彼らだけの"思いがあったとすればそれは何だったのか。
本作はその辺の特殊と言っていい"気分"は上手く描けているとは
言えない。
戦後生き残った人々が思う「死=全てがおしまい」というごく通常的な
観念を大いに抱く普通の若者達が出撃して死んでいくまでの数日間を
描いている。
彼らの人生最期の数日間を全体的に丁寧に描いてはいるが登場人物達の
描写は戦後の人々の持つ思考で大方染まっているのは2009年の今
観ていると残念ながら違和感が残る。
回天を操縦して散っていく"彼らだけ"が感じた何かを描いて
欲しかったけどそういったものはおよそ無かった。
その兵器としての残酷性は人間ごと体当たりすることも勿論そうだけど
「潜行してしまった後は視覚的に進路を確認出来る機能が何も無い」
ということに尽きるように思う。上部に付いた二つのハンドルを巧に
操作して磁石と地図だけを頼りに目標に向かって進まなくてはいけない。
うっかり現在位置と方向を失念すれば一瞬で自分がどこに向かっているのか
判らなくなり修正は至難の技だ。劇中ではその辺の操作の難しさはきちんと
中盤までの訓練シーンで描かれている。
たとえ獲物(敵艦)を見つけたとしても、仮に体当たりに成功したとしても
「近づいて、近づいて目標に突っ込んでいく」という感触を
視覚的に得ることなく肉体を散らさなくてはいけない。果たして
成功したのかどうかも自分自身は当然わからない。成功した間際で
爆死しているからだ。極めて優れた視覚機能を有するニンゲンという
生き物に生まれてきながらその持って生まれた機能をフル活用出来ずに
状況的には"退化させて"死ななくてはいけないことがこの兵器の残酷さの
本質であると思う。もしもこの回天に自分の現在位置と航行軌跡が判るような
それなりの性能のソナーでも搭載していたのならこの兵器の戦果も
戦後の評価も全く異なるものになっていたことは間違いないだろう。
もしかしたら戦後は少し変わっていたかもしれないとすら思う。
天を回す(起死回生して勝利に導く)というその名に込められた願いに向かって。
本作はこの回天の仕組みとしての負の側面である閉鎖的な圧迫感は
良く描けている。
搭乗者達の最後の宴と恋人との別れのシーン等々はどうも戦争映画
という枠組みの中での"惰性"に流されていると感じられて
(誠実に描かれている方だとは思うけど)全体的には今一つだと思う。
むしろ後半の基地からの出撃シーンの緊迫感と切なさが合わさった
優れた描写とそしてクライマックスの敵艦に向けて将に発進するまでの
二転三転の状況の変化は見ごたえ充分でかなり良い出来になっている。
全体としては戦後10年目に製作された作品としては人物達や特撮部分、
実物大のセットや整備シーンまで充分に挑戦している佳作ではあるだろう。
戦後も70年近くを経た今だからこそ兵器の機能・運用面から当時の
志願兵等の細かい心境までも正確にリサーチした作品を作れるのでは
なかろうかと思う。
実際に戦時に関った人々のことも念頭におきつつ本作というすでにある
作品にも十分に敬意を払いつつさらに越えていく映画を作ることは可能だと思う。
ただし中途半端なアプローチなら一切永久にやらない方がマシなのは
当然のことだ。
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