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2009年5月 3日 (日)

何の矛盾もない。

『婚活』ってつくずく嫌な言葉だ。
その語感からは浅墓で軽薄で身勝手で衝動的で無責任なものを感じる。

一体誰が作った言葉なのだろうと前から思っていたらどうもこの人らしい。

婚活・高望みを捨てて現実を悟れ(山田昌弘・中央大学教授)
[http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090424-02.html]

上記サイトより引用_1
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婚活は結婚活動の略である。就職活動(就活)をしなければなかなか
希望どおりの就職ができなくなった状況になぞらえて、結婚に向けて
意識的に活動をしなければ結婚できない時代になったことを象徴して
私がつくった言葉である。
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"パラサイト・シングル"とか"格差社会"もこの方が作った模様。
どちらも今現在も立派に通用する言葉であり特に後者はこの言葉を
聞かない日は無いと言ってもいい。
なかなかその方面の才能がお有りのようだ。

上記サイトより引用_2
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そして何より、未婚者のほぼ九割が結婚を希望しているという現実である。
結婚したいのにできないのは、何より、理想的な結婚相手の出現をただ
待っているだけの未婚者が多いという事実から、結婚活動、略して婚活の
勧めをしたのだ
(べつに結婚したくない人を結婚させようとする意図はまったくない)。
しかし、やはりというべきか、出版直後から誤解と向き合うこととなった。
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一体何の誤解であろうか。

上記サイトより引用_3
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未婚女性に対して、期待水準を下げること、そして、夫婦共働きを覚悟する
ことを推奨している。つまり現実を見れば、あなたの思っているような収入が
高い未婚男性が見つかる確率はたいへん低いですよ。そして、共働きの覚悟を
すれば男性を広い範囲から見つけることができますよ。結婚したかったら
相手の収入を脇に置いて、趣味が合いコミュニケーション力がある男性を
見つけ出すことが肝心ですよ。そこで私と白河さんは、「女性よ、狩りに出よ」
といったのである。
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要するに
『身の丈に合った相手を捜せ』と言いたくて作った言葉だということらしい。
しかし現実は逆で自分の容姿も内面も碌に自己分析せずに
高学歴・高収入・イケメン(?)の男(またはそれに対応する女)を求めることを
すなわち
『婚活』
と称して世の中では使用及び濫用されてそれなりの市民権を得ている。

しかしてその濫用振りには別に何の矛盾も誤解もないと思う。

むしろ、
「女性よ、狩りに出よ」などと勇ましい言葉を言って「婚活」という
実にコンパクトにアイコン化も見事にして煽っておきながら
"冷静によく考えて相手を捜せ""はないだろうと思ってしまうのは
私だけであろうか。

狩りとはすなわち興奮しまくりアドレナリンでまくりの
命がけの戦闘行為であるから少しでも大きい獲物を求めて
恥も外聞も無く突進して当然だ。

であるからして『婚活』という名のモンハンに邁進した冷静さを
失った彼、彼女等がより目的の結婚から遠ざかっていくことも、
結婚できた後は理想と現実の激しいギャップの苦悩に晒されることも
また極めて当然の結果ではなかろか。

よって
『婚活』という終わらない(終われない)ゲームをラッキーにも
クリアーした方々がネクストステージで挑むゲームはもう自明であろう。

『離活』(離婚活動)である。

『婚活』と全く何から何まで同じスキームで相手のことも周囲のことも
作った子供のことも全く異に介することなくただひたすら"己の優位"を
求めて活動していく。。

言葉が軽くなるのはあくまで供給側・受給側を含む使用側の教養の
問題であるが言葉を作り世に送り出す人間は多少なりとも濫用されていく
範囲とその影響は予想するべき(予想出切るべき)ではなかろうか。
 
世の中から言葉は産まれていくのか
言葉から世の中が煽られ形成されていくのか。

言葉はトリガーであり同時に弾丸そのものであるが
引き金を引く人が悪いのか銃そのものを含めたその 
社会の有りかたそのものが悪いのか。

 
 
 
 
 

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