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2009年5月21日 (木)

映画「雁の寺」

2009年に見た映画(四十九) 「雁の寺」

原題名: 雁の寺
監督: 川島雄三
撮影: 村井博
出演: 若尾文子,三島雅夫,木村巧,高見国一,中村鴈治郎
時間: 98分 (1時間38分)
製作年: 1962年/日本 大映
(渋谷 シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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雁の襖絵が見事な寺に幼少時に里子に出され修行を続けてきた
小坊主慈念(高見国一)は色と食に溺れる住職であり育ての親でも
ある慈海(三島雅夫)と愛人同然の中年の女(若尾文子)の自堕落な
生活を見るのにウンザリしていたが自らを厳しく律し修行に励む。
女は年頃の慈念を不憫に思いある日誘惑する。しかし慈念は激しく
拒否した。そして、ある日の葬儀の夜に慈念はかねてからの計画を
実行に移すのだった。。

高見国一の過剰なまでにストイックな小坊主役がハマッテいて凄い。
後ろめたさが克服できない自らの極貧の生い立ちと預けられた先の
住職の聖職を割り切り過ぎたドライな態度で勤める大罪を真の当たり
にしながらも叱責を受け続ける日々の果ての屈折してしまった心を
仏の道に生きる人間としてどこまでも正面から受け止めようと悶絶する
日々を鬼気迫る緊迫感を持って最後まで演じきってている。そのストイック振りは
本物のぼっさんをどこからか拉致ってきて出演させたのかと思うほどだ。

今、本作の高見国一のような演技をする青年がいたら大変な騒ぎが
起こってしまうだろう。そして何も判っていないお金持ち暇人オバハンが
大挙して劇場に押し寄せとりあえず映画は興行的には大ヒットして
青年は小金持ちになってハリウッドデビューもすぐ決まるだろう。
勿論、海外に拠点を移した途端に仕事は無くなってフェードアウトして
邦画界は才能を一つ失ってメデタシメデタシとお決まりのパターンに
なるわけだが。


悶々としかし寺での激務は怠ることなく過ごす慈念はある日、
慈海と同居する女(若尾文子)に呟く。

「あの木の上に何があるか知ってはりますか?
あの木の上には穴が開いていて鳥が蚯蚓やら蛇やらを
生きたまま集めて餌として入れてあるんや」

そのカオスな状況を想像して絶句する女に構わず慈念は続ける。

「蚯蚓やら蛇やら虫やらが生きたまま狭い穴の中で
蠢いているんや」

蒼白になる女を慈念は女をきつい表情で見つめる。

慈念は鳥であり同時に穴の中で蠢く蚯蚓であり蛇であり虫である。

撮影は村井博。
最後に破られる雁の絵のインパクトといい、慈念を執拗に追う
カメラワークといいクライマックスの土葬のシーンといい全体的に
非常に良い仕事をされておられる。

村井博他にも
「氾濫」(1959)、「日本の一番長い日」(1967)、「日本沈没」(1973)等々
邦画史上に残る傑作・大作の撮影を手掛けている。

本作はそのテーマから言って下手な受けを狙う必要もなく
撮影も演出も含めて人間の心の闇を映し出した芸術的な
作品に仕上がっていると思う。

土葬が当然のことのようにしっかりと描かれていて新鮮だった。
とっくの昔に禁止されて廃れたのかと思いwebで検索してみると
意外にも今もって法律で禁じられているわけではないらしい。
あくまでも費用とスペースの関係上、ごく一部の地域を除いては
行われなくなったようだ。

映画とは人間の複雑怪奇極まる心模様や行動の謎を物語と
登場人物に沿って描くのが大きな醍醐味というか唯一の目的であり
本作のような観点の作品が到底生まれようもないのがいかに
儲かっていようとも現在の邦画界に絶対的に足りないエッセンスで
あろうしまたこのエッセンスは補給される見込みもない。
まあ所詮教養の無い昨今の金持ちに期待するのが無理であろう。

自分が金持ちになったらこういう映画に金を出したい。

「映画」と言える作品だ。

慈念、頑張った君には「ラストぼっさん」の称号を上げよう。

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