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2009年6月

2009年6月29日 (月)

リーマン戦記(18)

リーマン戦記(18)
とりあえずハ○××ークに行く]という構図を止めよう。


物事というものは往々にして、いやほとんどの場合
上手くいかない時は第一歩目で決定的な誤りを踏んでいる
と見て間違いない。

自分でフリーター時代に実際に何社も面接を受けた
者として、またテレビの報道等を見ていて
就職活動の場合に最もやってはいけないことは
「安易にハ○××ークに行くこと」だと常々思う。

もし自分が被雇用者で面接する立場だった場合
「ハ○××ークで紹介されて来ました」と言われた時点で
顔にも態度にも絶対に出さないがその人の不採用を
ほぼ決定するだろう。

仕事に就く時に最も大事なことは「熱意」ではないかと思うからだ。
「その仕事に何が何でも就きたい」という熱意を見せること。

対象の会社を時間の許す限り徹底的に調査して
店舗のある店だったら当然、面接の前に現場を取材しておく。
そして当然、扱っている商品も頭に少しは入れておく。
現場の人の働きぶりもよく見ておく。

それらについての感想を述べただけでも相当の加点に
なるはず。

1) 相手(雇用者)に自分がどうしても他の会社ではだめで
  ここで働きたいことを印象付ける。

2) 即戦力になれる人間であることを印象付ける。

この2点を満たせば内定は取れたも同然だからだ。

「ハ○××ークから(紹介されて)来ました」
「ハ○××ークに今通っています」は

戦略として永久に上記の2点を満たすことはないだろう。

なぜ求職者達は募集要項を自分たちの手で捜して
直接門を叩かないのだろうか。

別に求人しているかしていなかなんて実は関係ないのに。

自分の会社を良く調べてくれて礼儀正しくて
能力もありそうな人間なら大概は
面接くらいはしてくれるだろうし
上手くアピールできれば採用されるか
採用されなくても何らかの有効なアドバイスを得られるだろう。

そんな演技すらもする気もなく
資格が無いから
年齢制限にひっかかるから
不況だから
と言い訳するのは勿論勝手だけど

そんなどこまでも受身でしかない人達を雇ったら
どんな企業でもやがて潰れるだろうな。

職に就きたい欲求の大きさと
要求の傲慢さはなぜか比例するから不思議だ。

謙虚になれなんて言わないが
自分が雇いたい人間に"見えているか"どうか
もう一度よく考えてみよう。

年齢も資格も関係ないのだよ。
人は見た目が9割(本当は10割)なんだ。

自分は失職しても興味本位ではハ○××ークには
行くかもしれないが職捜しのツールとしては
絶対に使わないだろう。何歳になっても。

だってそんな平凡なツールを使っていることを
評価する(雇用する)人間なんていないだろうから。

ターゲットの企業に対しての情熱と独自の戦略を揃えたらば、
募集しているかどうかを問わずに直接門を、、

叩くべし!
叩くべし!!
叩くべし!!!

さすれば扉は。
開かなくても即座に次のターゲットを
叩くべし!!!(*゚Д゚) 

 
 
 

<=== Back                      To be continued ===>

 
 
 
 
 

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2009年6月27日 (土)

死_09_06_26

 

 
マイケル・ジャクソン死去。

悲報を聞いてこれほど実感の湧かなかったことは
恐らくない。

死んでいるのか生きているのか
確かめようのない死。

誤報でしたと言われて元気に踊っている
映像が流れれば

「なんだ生きているんじゃん」

と思うだけだし

映像は過去のものだったと訂正されれば

「やっぱり死んだのか」と思うだけだ。

マイケルのことが好きか嫌いかどっちでもないか
という次元の問題ではなく。

死んだのかと思うだけのことでこれからも
日常のどこかで彼の声や映像に全く変わることなく
遭遇し続けるだろう。

マイケルの死という状況を経過したことで遭遇する
頻度は上がりこそすれ下がりはしない。

一個人の実体を遥かに越えて存在そのもの全部が
『情報(≒商品)』の中に溶け込んでしまった
唯一無二の存在。

「スリラー」の頃の若いマイケル、
子供をベランダから冗談半分に放る仕草をするマイケル、
サングラスをかけて日傘をさして法廷に出廷するマイケルを
これからも春夏秋冬も全く関係なくずっと目にすることだろう。

といったところで
自分自身のことですら死ぬ瞬間までは生きてるし
死んでしまえば自身はその全てが消失するわけで
全く実感できないことに変わりはない。

それにしても
彼ほどまでに生涯の大半の何もかもがショーと化した
人間はそうはいないだろう。

早すぎた死なのか運命の死なのかもわからない。





  
  
  
  
 
 
 
 





 
 

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2009年6月24日 (水)

訳_09_06_24

 
 

ここ数ヶ月間の東京漂流日記2.0に来訪されている方々の
使用言語はこんな感じらすぃです。

 

1    [ja] Japanese     2,494     95.9%
2    [en] English        83      3.2%
3    [zh] Chinese       10      0.4%
4    [ko] Korean        9      0.3%
5    [pt] Portuguese     1      0.0%
5    [es] Spanish        1      0.0%
5    [fr]  French         1      0.0%
5    [de] German       1      0.0%

 

Japanese
English
Chinese
Korean
French
German

あたりはなぜ漂着されたのか
何となくわかりますが
(Korean については韓国語自動翻訳版東京漂流日記2.0があるらすぃ)。

Portuguese
Spanish

の方々は漂着経路を是非知りたいものです。
もしも
たまたまでないのなら会ってお話ししてみたいものです。
(一回だけのご来訪なのできっとアクシデントなのでしょうが)

( ̄ー ̄)







  
  
  
  
 
 
 
 

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2009年6月22日 (月)

映画に見る歴史の綻び

映画「帝国オーケストラ」(2008)に見える歴史の歪について


名門楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の
第二次大戦中におけるヒトラー政権下での活動の実体の暗部に迫った
ドキュメンタリー映画「帝国オーケストラ」(2008)(ディレクターズカット版)
ではナチス幹部の前で演奏する楽団のシーンが何度か登場するが
芸術への造詣が深いことで有名だったヒトラー(多分に独りよがりだったようだが)が
ただの一度も画面に登場しない。

教養の無さそうな粗野なオーラ丸出しのその手が大量の血で汚れていた
であろう大物幹部達が素晴らしい演奏を前に「早く終わってくれ」とでも
いいたげな欠伸を堪えるのに必死な退屈極まりない表情を隠さず見せて
いるというのに。

その演奏のほとんどがナチスの党結成に関連するセレモニーか
ヒトラーの誕生日を祝うという名目で開催されていたにも関らず
ヒトラーはただの一度も出席しなかった。

カメラはまるで親の姿を捜す子供のようにホールの中を空しく端から
端まで移動してみせる。あるいは、そのさりげないが意味深な
カメラワークは後世の人々に何かのメッセージを託したかのようにも
受け取れる。

「ここになぜ最重要パーツが無いのかをよく考えよ」と。

主役が全く出席していないという事実を考えれば考えるほど
その意味が導く結論は恐ろしいことになる。世界中でフォーマットが
見事に統一されている彼らナチスとヒトラーの存在意義の常識を
修正しなければならなくなるからだ。

もしもヒトラーが楽団の演奏に出席して楽しんでいる姿がフィルムに
収められているとしたらどういうことになるだろうか?

その姿は我々の脳に刷り込まれている右手をあげてしかめっ面を
している姿でもなくオーバーアクションでがなり声を上げて意味の無い
演説している姿でもない。人間「アドルフ・ヒトラー」が音楽を静かに
楽しんでいる極めて重要な映像資料が後世に遺されたはずだ。

楽団の演奏を撮影していたのは連合軍ではない。
全てはナチス政権下の指示の下に演奏も撮影も行われていたのだ。
なのにこの異常なまでの不自然さは一体何だろうか。

ヒトラーの神格化の妨げになるから余計な姿を一切撮らせなかった?
そうとも解釈できる。

しかしその欠席の余りの徹底振りからすると後世の人間の為の資料として
「狂信的な演説をするヒトラー」以外の彼の面を連想させるような
映像は絶対に残さないのだという強い意志を感じる。

一体、誰の意思だろうか?

幾度となく行われたナチスとヒトラーを讃える演奏会を
全て欠席して、その時ヒトラーはどこで何をしていたんだろう?
執務に追われていたのだろうか?

もしかしたら誰かに"命令されて"演奏が終わるまで寂しく
部屋に閉じこもっていたのではないだろうか。
演奏を楽しみたい衝動を必死に抑えながら。

世界征服まであともう少しという所までいったほどの男なのだから
部下とリラックスして談笑するシーンや自分の誕生記念演奏会を
はしゃいで楽しんでいるシーンくらいは残されていてもいいようにも思う。

もしも
日頃の激務から開放されたファシストの頂点に君臨する男とは
とても思えない穏やかな表情で静かに目を閉じて撮影されている
ことも忘れて演奏を楽しんでいるアドルフ・ヒトラーの姿が遺されて
いたとしたら困るのは一体誰だろうか。

ヒトラーだろうか?

ナチス親衛隊だろうか?

ドイツ国民だろうか?

それとも。。

『歴史』とは勝者のそれであることは昔も今も悲しいほど全く変わりない。

しかし完全にシームレスな嘘をつくことは不可能だということも
同時に『歴史』が教えてくれる貴重な事実だ。

映画「帝国オーケストラ」は撮影者の意図なのかどうかは
判らないがその"勝者の歴史"の致命的な綻びを鮮やかに見せてくれている。

あと50年もたてば我々にとっての第二次大戦の常識は
笑い話になっているかもしれない。第二次大戦中に主に
西ヨーロッパ世界を覆っていた憎しみが今や半ば冗談みたいな
ものになりつつあるように。

2009年の今の世界にも全く同じように知名度は高いのに常に
コインの片面しか見せない人間は世界各地にいる。まるで月のように。
彼らの巧妙に隠されたもう片面の姿を見せて本当に困る人は一体誰?

 

 

 

 

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2009年6月20日 (土)

映画「忘八武士道」

2009年に見た映画(六十三) 「ポルノ時代劇 忘八武士道」

原題名: ポルノ時代劇 忘八武士道
監督: 石井輝男
脚本: 佐治乾
撮影: 鈴木重平
出演: 丹波哲郎,伊吹吾郎,遠藤辰雄,内田良平
時間: 90分 (1時間30分)
製作年: 1973年/日本 (東映)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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時は江戸。遊郭を取り仕切るドンに雇われた腕は滅法立つが
天涯孤独の浪人(丹波哲郎)の修羅道と幕府を揺るがすほどの
力を持った遊郭VS幕府の仁義無き闇の闘いを性の道具として
利用され尽くされる女郎達の美しき肢体と共に鬼才石井輝男抉る!

忘八(忘八者)とは何ぞ?
それは、八つの徳を忘れる(忘れるた者の)こと。
転じて遊郭の主人を意味するそうな。なるほど。

八つの徳とは何ぞ?
それは のこと。

ではせっかくの機会ですからWEB上を彷徨って
八つの徳をかき集めてみまそ。

「仁」・・・すべての人に対して思いやり、慈しみをもつこと。
「義」・・・道理を持って人道に従うこと。
「礼」・・・節度を持つこと。
「智」・・・物事を知り、その知識を正しく行使すること。
「信」・・・約束を守り、嘘をつかないこと。
「忠」・・・主君に対して臣が尽くすこと。
「孝」・・・親に対して子が尽くすこと。
「悌」・・・自分より優れている者を認め尊敬すること。

一個でも"きちんと"持たんとすれば自ずと他も持たざるをえない。
なんて素晴らしく完璧なループ。
現代人のほとんどは忘八者になってしまうのではなかろか。。

因みに私kuronekoの場合はと言えば、、
「仁」「礼」「智」「悌」は割と持っていると思う
(「仁」はたまに人様からもご指摘&お褒めの言葉を頂く)。
「孝」は時と場合による。「義」「信」「忠」は時と場合と相手による。
特に「信」「忠」はこちらで相手を厳選させて行使させて頂く。

よって忘四者か。
中途半端に日々会社勤めを続けるリーマンとしてはまあこんなものか。

さて作品の方は、
実に完成度の高い由緒正しいポルノ映画と言える。
豪奢な映像美と息つかせぬ女の裸体の嵐(皆さん綺麗!)と血しぶき!

!血しぶき!!血しぶき!火達磨!!血しぶき!血しぶき!裸!

エログロをこれでもかと投げつけながらもどこまでもどこまでも
男の慰みものでしかない短命な女達の哀しさと彼女達を蔑みながらも
保護し利用しなければ維持することの出来ない古来より不変の社会構造
の底辺を見せつける。

遊郭の存在そのものの如何わしさ・哀しさ・豪華絢爛さの全てを
バランスよくきちんと「映像」として作りこんだ映画で本作に
匹敵する作品は実はそうは存在しないように思う(あれば観たい)。

本作よりエロになればただの興味本位のアダルト作品だし
本作より浅くなればミスリードしまくりの胡散臭くて説教臭い
教条主義とてでも呼ぶべき有象無象に埋没する駄作になりかねない。

きっちり仕事をこなせばこなすほど血に飢えた野獣として
幕府に睨まれクライアントである遊郭からも蜥蜴の尻尾としてしか
扱われない浪人を演じる丹波哲郎の孤独の陰が何だか
彼の実人生をダブらせて涙を誘った。

しかしその大柄な体躯に相応しい豪快な殺陣マジで素晴らしい。
最後の雪振る闇の中での四面楚歌の中での奮迅は
妖しいまでに美しい。

脚本・撮影も共になかなかよく頑張っておられる。
脚本は佐治乾。撮影は鈴木重平。どちらのフィルモグラフィーもなかなか
興味深いタイトルが並ぶ。彼らの手掛けた作品だけを二・三日見まくりたいもんだ。

ポルノを「大人の童話」と喝破したのはかの開高健だが
本作は紛れもない大傑作の大人の童話だ。

~佐治乾・鈴木重平 「 女・子供はお断り!禁断の大人の童話大特集 」~
シネマヴェーラさんか、新文芸座さんご検討のほどどうぞよろしく!!

丹波哲郎主演の暫定最高傑作!

石井輝男はつくづく天才だ。

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2009年6月18日 (木)

映画「直撃地獄拳 大逆転」

2009年に見た映画(六十二) 「直撃地獄拳 大逆転」

原題名: 直撃地獄拳 大逆転
監督: 石井輝男
出演: 千葉真一,佐藤充,郷鍈治,志穂美悦子,丹波哲郎,池部良
時間: 86分 (1時間26分)
製作年: 1974年/日本 (東映)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆ )(5個で満点)

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ダイヤを盗まれたといっては保険金詐欺を繰り返す悪徳組織から
厳重に管理された本物のダイヤを盗み出そうと悪戦苦闘する
甲賀(千葉真一)・桜(郷鍈治)・隼(佐藤充)一味の大作戦を描く痛快劇。

細かいギャグ(ほとんど失笑ものだけど)をガンガン散りばめながら
要所要所できっちり締める千葉真一と郷鍈治のアクションが冴え渡る。

ギャグの"間"(呼吸)が映画の文法ではなくて徹頭徹尾「漫画」のそれ
であるところがバカバカしさを累乗させてなかなか斬新だ。
手間をかけて徹底的にやっているところが"サブイ"演出になっていない
ポイントと思われる。甲賀・桜・隼の三馬鹿トリオの果てしないお互いへの
いたずら合戦の一つ一つをことごとくカットも細かく分けて撮っていく。

仲間を転ばせた後、後ろから転んでいるショットをわざわざ入れる。
朝食の目玉焼きを顔面に投げつけた後、顔にくっついたショットを
いつまでも撮る。お馬鹿失笑ギャグの数とカット割りの無駄さ加減
(豪華さ)に笑うよりもそのサービス精神に感心してしまう。

数々のお馬鹿シーンの中でもその
お馬鹿度(= そのシーンを撮る労力 ÷ そのシーンの物語上の重要度)が
最も高いのが山城新伍が自衛官のチョイ役で登場するシーン。
兄弟の設定で山城新伍が二役を演じるのだが物語に欠片も関与しないのに
わざわざ兄弟で階級も異なるという設定で演じ分けしかも合成で二人が
並ぶシーンをわざわざいれる贅沢過ぎる遊びよう。

石井輝男恐るべし。
今の邦画に足りないのものの一つはこの匙加減(合理的な予算配分)なぞ 
全く考えない爽快といっていい無駄さ加減だろう。

ハイライトシーンはダイヤの保管されている金庫までの
千葉真一と郷鍈治のマジで一級品スタントの突起物を天井に接着
させて腕力だけが頼りの地獄の逆さ天井渡り(落ちると黒焦げになる)。
そしてクライマックスは丹波哲郎の隣りでずっとニコニコしていただけの
悦っちゃんのチャイナドレス姿が眩し過ぎる悪党との大乱戦。

悦っちゃんの格闘シーン短い!
でも、可愛い!強い!!カッコいい!!!!!!!!

メデタク?利用されるだけ利用され監獄行きとなる甲賀一行を
網走で待ち構えていたのは。。。鬼虎ことアラカンこと嵐寛寿郎その人であった。

石井輝男はやはり天才だ。

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2009年6月14日 (日)

映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」

2009年に見た映画(六十一) 「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」

原題名: 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
監督: 石井輝男
出演: 吉田輝雄,由美てる子,土方巽
時間: 70分 (1時間10分)
製作年: 1969年/日本 (東映)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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自分と瓜二つの人間の死をきっかけにして男( 吉田輝雄)は
『裏日本』の存在を知る。真実を知ろうとすることによりやがて
迫害され強制的に精神病院に監禁されるも脱出した男は
裏日本の真実と自身の恐るべきルーツに辿り着く。。

主人公の男の父親(土方巽)の初登場シーンがンパクト大で
且つ素晴らしい。指の間に水かきを持つ男が前衛舞踏のような
動きと共に現れ動物のように四肢を使って海岸を走る!!

"奇形"であるがゆえに虐げられた男の父親。それは奇形で
あるがゆえに妻を目の前で寝取られても耐えなければいけ
なかった惨めな男。

そして遂に奇形の男は復讐を開始する。無人島に妻を監禁し
自分と同じ"奇形人間"を次々と造りはじめる。

監督石井輝男は主人公の父親の凶行の原因をその異形の
外見のせいではなくあくまでも責任転嫁をして省みない歪んだ
心の所産として描いているところが本作を単なるカルト映画として
埋没させていない所以であり他の氏の諸作品にも通じる
立場や生まれによらない"人間の本性そのものを描く"
「石井イズム」とでも呼ぶべきものではなかろうか。他の
石井作品同様、女人の裸がとても綺麗に撮れていてビックリ(とくに胸)。

父親の登場するシーンと主人公達が奇形人間達の棲む
最深エリアに上陸する超前衛的なシーンがこの作品の"全て"
ではなかろうかと思う。特に後者のシーンはコッポラの
「地獄の黙示録」(1979)でカーツ大佐の統べる地にウィラード大尉
一行が辿り着くシーンを思いおこさせながら異常性では完全に
上を行っている。

クライマックスは上記のシーンの全てを凌駕する『伝説』『カルト』といった
言葉を永遠に欲しいままにするであろう
大爆発大暴走俺飲みに行くからさ後、助監てきとーにヨロシクな
的なその結末も選ばれし人間たる石井輝男にのみ許された
『技』なのかもしれない。

後半は肉体的な"異形"と精神としての"異形"がごっちゃになって
展開が失速していまっているので若干ダレて100分くらいあったように感じた。
でも、まあ驚愕のクライマックスを観れたので満足。

本作を観るほんの数日前にたまたま立ち寄った都内某所の本屋の
外国人御用達のコーナーで立ち読みした日本語練習長に『裏日本』
という言葉が確かにあった。「なんだコレ?」と思った数日後には
その言葉が明確にキーワードとなる映画を見てしまう自分。。

こういった自分のごく個人的な衝動的な行動なのに偶然に一致する
という事柄が昔から自分にはやたら多い。それにしてもこの某日本語
練習帳の執筆者は一体外国人に何を伝えようとしてるねん?
本作鑑賞後にその本があまりにも気になったので購入しようと
書店に走ったがすでに売れてしまった後だった。。

観る機会が僅かでもあれば躊躇することなくしかと見届けるべし。
石井輝男は天才だ。

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2009年6月10日 (水)

映画「鰯雲」

2009年に見た映画(六十) 「鰯雲」

原題名: 鰯雲
監督: 成瀬巳喜男
撮影: 玉井正夫
出演: 淡島千景,木村功,中村鴈治郎(二代目),小林桂樹 ,新珠三千代,水野久美,司葉子
時間: 130分 (2時間10分)
製作年: 1958年/日本 (東宝)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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戦争未亡人となり姑と暮らす八重(淡島千景)と本家をひたすら
農業で生計を立て守る兄の和助(中村鴈治郎)とその息子達。
旧来の考え通りにどこまでも家の繁栄を第一に息子達の将来と
嫁の面倒を工面しようと奔走する和助を他所に息子達は時に協力し
合い時に八重の協力も得て自分達の人生を拓いていく。八重もまた
古い価値感に縛られず自立した女として生きることを目指す。。

成瀬巳喜男による戦後の農村を舞台にした爽やかなトレンディドラマ。
戦争未亡人となって姑の呪縛に縛られて生きる淡島千景演じる八重を
はじめ屈託なく束縛から次々と脱していくの逞しい様が楽しい。

なぜトレンディドラマかといえば、後半まで古い社会の象徴として
息子達の前に立ちふさがる中村鴈治郎演じる和助までも含めて
本作に登場する人々は皆"合理的な"思考を持ちえているがゆえに
「本当の敵」は実はいないように上手に作ってあるからだ。

さっさと地元の銀行員となって若さを謳歌する次男。家の仕事を
きちんと継ぎつつも宗家としての意地と形式を重んじる父を
相手にせず巧みに両思いの相手(司葉子)と所帯を持とうと
慎重に時を稼ぐ長男。兄達に援助を受けながら自動車工を目指す三男。
自分を差し置いて勝手に生計を立てて次々に家を出て行く
息子達に怒りながらも無意味な反対はせず最後は折れる父。

ただ息子だからといってそれだけで闇雲に父に反抗したり
父もまた頑固一徹には違いないがいつまでも道理無く息子達を
束縛し続けることもない。

後半、息子達のように正面から反抗できずに親に従うままに
家業を継ぎ、嫁を貰い、親に従うままに役に立たないからと
離縁させられた哀しい和助の若かりし頃が明らかになる。

どうしようも無い頑固・頑迷な親父として息子達の前に
立ちふさがるが本心では息子達を思い、昔別れさせられた元妻
の前では別人のようになってしまう中村鴈治郎の起伏の大きな
演技が素晴らしい。

一時の安息を得た妻子ある新聞記者(木村功)との関係を
終わらせ八重もまた自立のために田畑を耕していく。
その収穫の糧の実の一粒一粒が明日の自立へと繋がっている。

成瀬巳喜男の苦味を巧に抑えて撮られた人生応援歌。

成瀬がもし今という時代を観たらどんなドラマを撮っただろうか
と思わずにはいられない。

才能の前には"時代の束縛"なんてものは何もないんだ。

一流ハイテク企業を舞台にしょうが華麗な衣装を着せようが
ダサいものは結局ダサく、田んぼで泥に塗れようがモンペを
履こうが合理性を重んじて最適化を常に試みようとする者は
輝いていて新しい。

撮影は玉井正夫。
武蔵野夫人(1951年)
山の音(1954年)
ゴジラ(1954年)
などの映像としての評価も抜群な傑作映画で撮影を手掛けている。
本作でも農村・街の風景をとても印象深く撮っている。

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2009年6月 7日 (日)

映画「妻として女として」

2009年に見た映画(五十九) 「妻として女として」

原題名: 妻として女として
監督: 成瀬巳喜男
出演: 淡島千景,高峰秀子,森雅之,仲代達矢,星由里子
時間: 106分 (1時間46分)
製作年: 1961年/日本 (東宝)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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森雅之演じる一男一女の二児の父である中年男と長年の愛人関係にあって
バーを切り盛りする女(高峰秀子)と男の妻(淡島千景)。妻は夫とのある約束
によって愛人を持つことを黙認してきた。しかしバーの所有権を持つ妻が
バーを別の女性に任せようとことから三角関係の均衡は破れ愛人の女は
妻に直談判を挑み愛人の存在を許容してきた『理由』に踏み込む。。

成瀬巳喜男監督によるのカラー作品を初めてみる。
(氏が手掛ける初の劇場カラー作品は鰯雲(1958)か)

『テレビ』が茶の間へ進出してきたせいか人々の言動も佇まいも何やら
狂騒的になり新鮮な感じと共に"動きの美"という観点からは人々は
確実に劣化していると思った。

夫の優柔不断によりずるずると十数年も続いてきた三角関係は妻と愛人の
それぞれの決断により亀裂は当然のように深まっていく。その亀裂の溝の
深さが正確に物語に反映されていき終盤の展開はただの一瞬も目が離せ
なくなる。

成瀬巳喜男の作品は登場人物達の行動と動機のひずみ・齟齬を
脚本の展開とか
時間の経過とか
場面の変換とか
いった映画特有の物語に対する寸断や間延びや並べ替えとかのせいに
することなくいい加減にしない。
彼らの行動には"動機"がしっかりあって動機には理由がある。
その行動はそれぞれの次の動機付けに繋がり溜まればいずれ爆発する。

彼の作品に描かれる人々の行動は力学的な方程式に変換できるように
思えて、破綻が少なく見ていて心地いい。

星由里子が娘役を演じ初々しく且つとても可愛い。この時18才。

仲代達矢は他の作品でもみられる飄々と掴みどころの無い男を
無難に演じている。

淡島千景と高峰秀子の
互いに一歩も譲らない『女の闘い』は一見の価値充分有り。
成瀬巳喜男の演出も俳優達の演技も実に確かなお得な一編。

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映画「土と兵隊」

2009年に見た映画(五十八) 「土と兵隊」

原題名: 土と兵隊
監督: 田坂具隆
出演: 荒木重夫,山本礼三郎,東勇路,井染四郎,小杉勇
時間: 144分 (2時間24分) [モノクロ]
製作年: 1939年/日本 (日活)
(東京 東京国立近代美術館フィルムセンターにて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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日中戦争を題材に中国の戦場をひたすら行軍していく兵達を
ドキュメンタリーと見紛うほどのリアリズムで描く。

上映が始まる前に後ろの席に座っていた初老の紳士が
隣りの人に喋っているのが聞こえた。
「こりゃ珍品ですよ」
「当時の軍がなぜ検閲でこの作品を通したのか謎ですな」
「軍の中にも心ある者がいたのかもしれませんな」

冒頭、兵を指揮する男が大陸に向かう船の中で綴る手紙から
この和製「プライベート・ライアン」ともいうべき物語は始まる。

ほんの少し前まで
魚屋の倅だったり
農家の息子だったり
した者達が
何の縁もゆかりもない
自分の命令に従い
死んでいくかもしれない。

広大な大地を歩兵達は
走る
走る
ひたすら走る
20~30kg以上あろうかという装備を背負って
ぬかるんだ地面を蹴って
銃声の聞こえる中を
走る
走る
伏せる
雨が降ろうと仲間が斃れようと
走る
走る
また
走る
走る

自分だったら例え映画に出演できても
ギャラを充分に貰っても
足場の悪い荒野をひたすら重装備で走るこのシーンに
出るのは全く御免だ。
実戦だったら尚更御免だ。
死ぬ。弾に当らなくてもこの行軍を続ければ死ぬ。
いや死にたくなる。

戦争とはギャグ漫画同然かそれ以上にやたらと涙を流して
好きな人と抱き合うものでもなく
大国を利するだけの反戦を唱えるのではなく

意味も判らずに命令のままにクソ重い装備を背負って
休憩も与えられずに銃声の中を走り
雨の中で眠り、我慢できなくなって生水を飲んで
病気で独り死んでいくものなんだ。
置いてかれて実際の生死も明らかでないまま
周囲の人間の証言から状況的に「戦死」とされて
遺族に告げられるだけ。

後ろの席の方が「珍品だ」と言ったのは
人間社会の事象のある断片を『物語』として完全に再構築
して映画という心地の良い「商品」に形作って最もテーマに
沿った(=儲かりそうな)スタッフや出演者を選んでといった
かけ離れた工程と製作者の意思が全面に押し出されているから
ということなのだろう。

さっぱり見えない敵と時折聞こえる銃声。
無限に続くかと思える行軍。食事。僅かな睡眠。行軍。。
じょじょに衰弱していく兵士達。

銃後のシーンも主人公的な人間達の葛藤が描かれるわけでも
なくひたすら淡々と描かれる戦場シーン。

中盤からしだいに銃声が大きくなり犠牲が出始め
自軍の攻撃の規模も確実に大きくなりそして
『敵』が見え始めていく。敵といってもこちらに攻撃をしてくる
から敵だというだけであって何が何だか判りはしない。
ただひたすら味方の為にヘマをしないようにするだけだ。
戦争だから。
ヘマをしたら自分も仲間も死ぬ。
ヘマをしそうな奴は置いていく。
戦争だから。そして

「戦争とは死にたいほど退屈なものだ」
という国際的な常識が嫌というほど描写されていく。

本作が検閲を通ったのは『嘘』が無いからではないだろうか。

本作がたった1000円でコンビニや本屋で簡単に手に入るのは
とてもいいことだと思う。

何となく気になってこのDVDを手に取り自分のお小遣いで
買っている少年少女達が少なからず日本のあちこちにいると
思いたいところだ。

大人の無知な観念や嘘に覆われたたわ言を相手にする必要はない。

少年少女達、本作を観て何でもいいので考えるべし。
おじさんが買ってあげてもいいよ。
おじさんの持っているDVDを無期限で貸してあげてもいいよ。
観るべし。

「プライベート・ライアン」(1998)より全然お勧め。

本作の出演者のうちの二人が後に実際に戦死しているとのこと。

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2009年6月 4日 (木)

映画「麦秋」

2009年に見た映画(五十七) 「麦秋」

原題名: 麦秋
監督: 小津安二郎
撮影: 厚田雄春
出演: 原節子,淡島千景,佐野周二,笠智衆,三宅邦子
時間: 124分 (2時間4分) [モノクロ]
製作年: 1951年/日本 (松竹)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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原節子演じる結婚適齢期の娘と彼女を温かく見守る一家を描く。

物語としては地味な展開だけど実力ある俳優達の地に足の着いた演技と
名匠小津の落ち着いた演出とスタッフワークの相乗効果がじっくり楽しめる。

原節子と淡島千景の二大スター女優の競演も楽しい。
笠智衆と宮口精二の中年男達の将棋を指すシーンが何だか
とても輝いていていいなあ。

小さなエピソードが細かく繋がれてやがて女は周囲の心配を他所に
自分の道を歩いていく。その過程の様は春が終り夏が来てそして
実り豊かな秋がやってくるまさにタイトルの麦秋(ばくしゅう)そのまま
の大団円を迎えるラストはお見事の一言。

小津や溝口や成瀬といった完成度も高くともすれば形式美も重んじる
50年代の映画黄金期の時代はやがて終りを告げ日本は50年代後半
から資本の大波に上から下まで溺れていき映画界もまた良くも悪くも
新しい血がどんどん流入して暴走していくのだなあと観ていてしみじみ
思ってしまった。

原節子が出演した作品でこれまで観た作品の中では
個人的には成瀬巳喜男監督の「山の音」(1954)が好きだ。

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映画「早春」

2009年に見た映画(五十六) 「早春」

原題名: 早春
監督: 小津安二郎
撮影: 厚田雄春
出演: 池部良,淡島千景,,高橋貞二,岸恵子,山村聰,笠智衆
時間: 145分 (2時間25分) [モノクロ]
製作年: 1956年/日本 (松竹)
(池袋 新文芸座にて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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戦地から復員してサラリーマンを勤める男(池部良)とその妻(淡島千景)。
男は週末を一緒に過ごす仲間の一人の会社の同僚女性(岸恵子)と
関係を持つ。。

淡島千景の夫を待つ妻役がとても良い。池部良は二枚目で優しくて
ちょっときついところもあってモテリーマンをごく自然に演じている。
男共がラーメン食いながら麻雀打ってるところにスカートひらひらさせて
一人で平気でやってくる岸恵子もいいなあ。いるよなこういう娘。

家庭を持つ男性と関係を持つことを「好きだから」で済ましてすまう女。
それでいて別の男性ともまた平気で関係を持ってしまう。

こういう女性は大概は父親の愛情を充分に受けずに育ってしまっている
場合が圧倒的に多い。だから適齢の異性に父性を見せつけられると
免疫が絶対的に不足していらため理性では自分を制御できなくなってしまう。
どこの会社のどこの部署にも大抵一人はいるであろう。

岸恵子はそんな「困ったちゃん」を名匠小津の下、とてもリアルに
抑制の効いた演技で可愛く演じている。
ただし、本作では登場する若者達は皆なにかしら人生に戦争の
影響を確実に受けているという背景がきちんとある。

映画としては池部良達の電車での出勤シーンが駅のホームで
進入してくる電車も含めて大胆に撮影されてとても新鮮で爽快なシーンだ。
池部良達も場面設定の演技を超えて何だか楽しそうなのは気のせいか。

蒲田駅から大宮方面に向かう電車を皆で待つシーンだが
撮影も実際に当時の蒲田駅で行われたようだ。

鉄道ファンや当時の蒲田駅を知る人にとってはたまらないシーンであろう。
画面構成も実に素晴らしくてこの出勤シーンの撮影の過程を克明に
追っただけで一冊の本が出来てしまうだろう。

我等が宮口精二が若い夫婦の向かいに住むしっかりと女房の尻に
敷かれた中年男性役でちょっとだけ出演していて楽しい。

全体的に屈託の無い「"戦後の"青春時代」を手堅く描いていている。

撮影監督の厚田雄春は小津とは
晩春 (1949)
麦秋 (1951)
東京物語 (1953)
秋刀魚の味 (1962)
などの名作を多数手掛けている。

本作の駅のシーンは氏の"鉄道オタク"としての
こだわりが結実したものだとか。
出勤シーン以外のどのショットも当然のような
抜群の安定感を保っている。
池部と岸の別れの夕闇のシーンも素晴らしい出来。

邦画の黄金期を支えた天才と呼ぶに相応しい撮影監督達が
そろそろ出揃ってきたので彼らの仕事振りを色々と調べたくなってきた。
彼らの撮影に賭けた情熱と苦労は本編に負けず劣らず素晴らしく
時に感動的で時に悲壮で時に荘厳なものに違いないのだ。

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2009年6月 3日 (水)

映画「大日向村」

2009年に見た映画(五十五) 「大日向村」

原題名: 大日向村
監督: 豊田四郎
撮影: 小原譲治
出演: 河原崎長十朗,中村翫右衛門,市川菊之助,山本貞子,杉村春子
時間: 84分 (1時間24分) [モノクロ]
製作年: 1940年/日本 (東京発声)
(東京 東京国立近代美術館フィルムセンターにて鑑賞)

2009年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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村をあげて満州へ開拓団を送ることになった長野県東部に位置する
大日向村(おおひなたむら)。限られた情報の中で決断を迫られる村民達の
葛藤と混乱をリアリティ溢れる演出と美しい農村の風景を織り交ぜて
ダイナミックな群集劇として描く。昭和12年(1937年)に実際に全国に
先駆けて満州に大規模に開拓団を送った実在した同名の村がモデル。

ドキュメンタリーかと思わせるほどの登場する村民達の自然な言動や
家屋、畑、山々の描写のスケール感が凄い。

『満州』という誰一人として確かな情報を持っていない異国の土地への
入植か否かの二者択一を突然迫られた長年の貧しい暮らしに疲れきった
村民達の疑心暗鬼と互いの牽制のし合いが一種の密室劇として描かれて
いて娯楽映画としての完成度も充分に高い。

最初は満州という得体の知れない土地へ進んで行くく者は皆無だったが
いざ、誰でも家が持てるとか、食うに困らないとか、定員になりしだいに
締め切りという情報が流れると今度は一転して日頃の生活苦の全てが
『そこ』に行きさえすれば解消されるかのような過剰な幻想が支配的になり
我先と志願していく集団心理の描写が実にリアルに描かれている。

様々な憶測と断片的な情報が錯綜する中で実際に満州で取れた『稲』と
その土地の土が持ち帰られ村民全員で検分するシーンが本作のハイライトとなる。

我先と争って稲の具合や米粒の大きさ、土の肥沃さを目をさらにして
何度も何度も見て触って確かめる農民達。

いかに何十億円も何百億円も制作費に注ぎこんだと威張ったところで
こういった登場人物達の立場の特異性を描けなければ全く意味の無い
有害とすらいえる駄作以下の作品に成り果ててしまう。昨今の映画は
ほとんど全部がこの重要な点を完全に疎かにしている。俳優の恐るべき
不勉強と怠慢もまた同様だ。情報に流されて喜んで観に行って
騒いでいる無教養な暇人以外に誰も観に行かなくて当然なんだ。

製作にあたった東京発声映画製作所は本作と「若い人」他だけで
永久に邦画史に輝くグッジョブをしたと言える。

尚、実際に満州に入植した大日向村の村民は敗戦の混乱の収容所入りや
逃避行の最中で入植した半数にあたる300人強(375人)の死者を出したとのこと。

山中貞雄の遺作にして傑作映画「人情紙風船」(1937)でお先真っ暗の
就職活動を続ける哀しい浪人を演じた河原崎長十朗が本作では
村民を満州へ先導する隊長役を威風堂々と立派に演じている。

また、撮影を担当した小原譲治は
黒澤明の「一番美しく」(1944)
溝口健二の「雪夫人絵図」(1950)
佐分利信の「叛乱」(1954)
五所平之助の「大阪の宿」(1954)
等々いずれも中身もしっかり詰まっているがその確かな映像美が
忘れ難い作品を多数手掛けている。

本作は映像の素晴らしさは氏の仕事の中でもかなり上位に
位置するのではないだろうか。

まだ敗戦が確定していない時代の戦中の作品としても
テーマからいってとても重要な作品と言える。

戦後の作品ではないがゆえに木下恵介の佳作「陸軍」(1944)同様に
最後の村民あげて旗を振って入植者を見送るシーンは何ともいえずに
哀しくも映画的にどこまでも素晴らしいシーンだ。

どんな僅かなシーンを切り取っても、もうどんなにお金をかけても出来ない
作品だろう。

結果的に生きる知恵の足しにならない禄でも無いことを何年も
学校で教えるならば、10代のうちにたった一回この映画を観せるだけで
どれだけ物を考えさせて真に日本を背負って立つ素晴らしい人材が
育つだろうか。。

またできることならば大画面で観たい。

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2009年6月 1日 (月)

次に見る光景(二)

ほぼ調度一年前になる2008年6月6日に自分はこんなことを書いた。

>>次に見る光景

>最初に見た日に日記に書いておけば良かったじゃん。
>この話しを誰かにすると決まって言われる。自分でも
>そう思う。

>そういうわけで「次に見える光景」を書いておこう。

>自分はある数階建てのビルの中から暗闇の街を見つめている。
>それはきっと東京ではなく、近郊のどこかだ。雨が降っている。

>なぜだか一年ほど前から何度も湧いてくるイメージだ。

>たまたまその場所にいて見ているというイメージ
>ではない。これまでの[経験]と同じように"今"の自分
>の生活サイクルは自ら望んで止めている。
>住む場所も多分変えている。

>このことを思い出したら続きを書こう。

上記の記事のことはすっかり忘れていたがここ半年間ずっと考えて
幾つか決意したことがふと思い出してみれば一年前に書いたことの
まさに予想通りになりそうなので自分自身に予告した通り続きを書こう。

>これまでの[経験]と同じように"今"の自分
>の生活サイクルは自ら望んで止めている。

1) サラリーマンを辞める決意をした。
   ここ数ヶ月考えた結果サラリーマンを辞める決意をした。
  生活パターンを根底から少しずつ変え始めた。勿論すぐに辞められるわけでは
  ないが(金が無いから) もう「定年まで働くかも」なんて二度と思わないことだろう。
  早ければあと3年で辞める。会社が倒産しないか解雇されない限り。

>自分はある数階建てのビルの中から暗闇の街を見つめている。
>それはきっと東京ではなく、近郊のどこかだ。雨が降っている。

>住む場所も多分変えている。

2) 引越しすることにした。
  しかし、これもすぐにではない。早くて一年後。場所も広さも全ては
  予算から決まるので一年前に書いたシュチュエーションの通りにはならない
  気もするがこれまでの自分の人生(=結果的に最初に決めたプラン通りになる)
  から言ってドンピシャになる可能性がかなり高い。

 ただし東京近郊であることは間違いないがきっと千葉方面では
 ないと思う(ごく個人的な理由で)。

また思い出したら、or進展があれば続きを書こう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
   

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