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2009年10月18日 (日)

死に様、生き様

 
 

軽井沢のホテルで自殺した加藤和彦氏の死に様は
批判を顧みずに正直に言えば

主にその理由において

カッコ良いと思う。

「やりたいことがなくなった」

自らの命を絶つのにこれほど相応しい理由は
ないだろう。

「同じ事は二度としない(したくない)」と
氏はかねてから公言していたそうだ。

かれこれ20年も続く日本の猛烈な
マスター無き無限コピーの文化隆盛の今日の中で
音楽シーンの先頭を走り続け且つ
同じ事をしたくないというのであれば鬱にもなるであろう。

たまたま観た一年ほど前に出演された某テレビ局の音楽番組でも
テレビはリハーサルなどで何度も同じことを繰り返さないといけないので
嫌いだとはっきり歯に衣せず発言していた。

才能は枯渇する。
才能を金銭に換えて生きていくことを選択した多くの人々が
はっきりとそう証言している。

才能は確実に限界のある有限なリソースであって
足さなければいつか必ず枯渇する。
枯渇したものは入れなければならない。
どうも湧いて来るものではないらしい。

三度の結婚の果てに公私を含めて何度も訪れたという
愛着のある軽井沢の地でのホテルの一室での自死。

理由は
「やりたいことがなくなった」
あるいは
「やりたいことが出来なくなった」
から。

倫理上どうあれ
遺された人がどうあれ
自ら人生の終焉の時と場所を選択したこととその理由を
私は激しく肯定したい。

生まれた場所も時も選択は出来ない。
生き続けることも住処も職業の選択も
ほとんどの人間にとって容易ではない。

せめて
死ぬ場所と死ぬ時くらいは自分で
選択したいものだと常々思う。

遺された人や
倫理上の問題は置いておく。

どうせ自然死であれ自殺であれ
死んだ後は多かれ少なかれ遺された人に
迷惑はかけるのだし。

ただ一方的に
生きてることが相対的にも絶対的にも『正』とされ
全ての価値感がそのベクトルに基づいて判断される
今の日本の状況に日々脆弱で窮屈で驕慢で何よりも
限りなく悪意に近い深刻な偽善を感じる。


生きることも死ぬこともやっかいなこの時代の中で
一人の才能豊かな人間が遠くの世界へ旅立った。

本人の選択の結果であったことをはっきと支持したい。
繰り返すが
その決行の場所や手段等の
道徳的・倫理的な問題点は置いておく。

私は私の意思で生きたい。
生きていたくなくなったら
私は私の意思で場所と時を選び人生の幕を閉じたい。

(注: 安楽死とはまたニュアンスが異なる意味での支持である)

 

 

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コメント

>「やりたいことがなくなった」
僕は可哀想としか思いませんね
やりたいことなんていくらでも落ちているのに、見つけられなくなっちゃって・・・
可哀想としか言いようがないです

投稿: 万物創造房店主 | 2009年10月22日 (木) 20時55分

>僕は可哀想としか思いませんね
私は虚無的な気分になることが昔から
良くあるし厭世的なところもあるので
「やりたいことがない」
って凄く良く判る気がするんですよね(^^;)
若者が死に急ぐのもそれなりに共感できます。
 
>見つけられなくなっちゃって・・・
私は拍手を送りたいすね。
この人は充分にやってきたと思うのです。
普通の凡人だったらそれほど可哀想とも
何とも思わないですけど。

打つ手を打った上で
「やりたいことがなくなった」
って素晴らしいと思います。
早い話、それなりに燃焼できたってことすね。
最近は不完全燃焼してるくせに偉そうに
人生語っているやつが本当に多くて
情けないですが。

投稿: kuroneko | 2009年10月22日 (木) 23時48分

まーでも、ラストは鬱病っちゅーことですから、やりたいことがなくなったのか、あってもできなくなったのかは微妙なところです
ちなみにニルヴァーナのカートコバーンも鬱病で27歳で銃で頭を撃ち抜いて自殺してますね
遺書にはニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away」(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)が引用されてたみたいです
ま、えてして芸術家は頭がおかしいから芸術家なんであって、それゆえ自殺も多いですね
僕としては死にどきは人間が決めるべきではないと思ってます
不要な延命治療は別にして・・・

投稿: 万物創造房店主 | 2009年10月29日 (木) 19時20分

>やりたいことがなくなったのか、
>あってもできなくなったのか
私は加藤氏は両方だったと思いますね。
そう思うから充分生きた人生だったのでは
ないかと思います。
 
>死にどきは人間が決めるべきではないと思ってます
私は「自分自身の死に時」は自分自身で
決めていいと思いますね。逆に何人たりとも
他人の人生の死に時を決めてはいけないと
思います。でも親友に「殺してくれ」と
もし言われたら生殺与奪の権利を持っていいとも
思いますね。
寿命が尽きる場合だったとしても
もう少し生きるのか
そろそろ命の蠟燭を消すのかはあくまで
"自分の意思"で決めるというような話しは
よく聞くところですな。
私は多分事故か病気以外では間違いなく
最後は自分の意思で命を閉じると思います。
ものすごい確信があるんですよね。
根拠ないけど。
基本的に何事も始める時は大体が不可抗力や
思いつきや衝動ですが終わらせる時は
明確にタイミングを決めて終わらせているし。
サラリーマンもあともう少しで辞めます(^-^)

投稿: kuroneko | 2009年10月29日 (木) 22時15分

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