リーマン戦記(20)
リーマン戦記(20)
等価交換の法則は存在する。
今年は夏の終りから晩秋にかけて例年になく楽しかったことが幾つかあって
その代償としか思えないのだけど、きっと何か悪いことがあるだろうと
思っていたが案の定で会社が結構な危険水域まで大失速しとる。
某アニメの世界を支配する法則として「等価交換の法則」というのがある。
"得たものと同じ価値のあるものを何か失わなければならない"
というもので主人公はその法則によって母を救う代償として弟の体を
奪われてしまい、物語は弟の体を取り戻すことが骨となっている(らしい)。
と、書いたけど詳しいことは知りもはん。傍目でその某作品を見ている限りでは
すっかり闘うことが手段ではなくて目的化して所謂「ドラゴンボール化」
しているようだが、まあ私の関知することではない。
さて、その某アニメのエピソードとして主人公が"我々の世界"にやってきて
「等価交換の法則」が無いことを羨ましく思うというシークエンスがある。
つまり"我々の世界"では何かを得たら強制的に何かを失うなんぞという
オカルティックなツールが無いというわけだが、、激しく異議有り。
なぜなら私の人生には幼少の頃からずっと
「等価交換の法則」がかなり厳密に成立しているからである。
楽しいことがあればそれに匹敵する哀しいことが必ずある。
楽しければ楽しいほどその後に起こることの絶望を恐怖しなければならない
そんな愉快痛快なアンビバレンツにひたすら耐えて生きてきたのさ。
そのおかげで過度の幸せを決して欲しない謙虚な人間ができあがりました。
( ̄∇+ ̄)vキラーン
そしてここ数年、その鍛え上げられた?謙虚さのおかげもあってかささやかな
幸せを蟻のようにコツコツと積んで生きてきたのだが、、
ここ最近はどうも愉快な事が起こり過ぎる。
(といってもたかが2,3個の出来事だし、その幸せで人生楽勝ってほどでは決してないが)
重要な点は我が人生を覆っている素晴らしき「等価交換の法則」により
この幸せの代償として適用されるであろうマイナス要因は我が社の破綻くらいが
大きさといいタイミングといい見事にジャストミート!!という不気味な符合にある。
もともと後二年くらいでリーマン生活に終止符を打とうとは思って計画も
少しは立てたが一気に前倒しかよ。
リーマン戦記は意外(?)にも強制最終回という形で幕を閉じるのか( ̄ロ ̄lll)
これまでの愉快痛快怪物クンな素敵嬉し恥ずかし人生に従えば
己の幸せを壊せば(手放せば)きっとそれは会社を救うことになる。
または会社が存続するということは、それはすなわち
己の幸せが去っていくということか?
それともさらなる恐怖が待ち受けているとでも。。。( ̄ロ ̄#)
とりあえず最近やってもらった占いでは
「最終的にはは私の思い通りになる。しかしその道程は楽ではない」
とのこと。ヤダ~まるっきり当ってるわ~(n‘∀‘)η
To be, or not to be : that is the question.
<=== Back To be continued ===>
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