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2010年2月 8日 (月)

映画「沈黙を破る」

2009年に見た映画(九十九) 「沈黙を破る」

原題名: 沈黙を破る
監督: 土井敏郎
時間: 130分 (2時間10分)
製作年: 2009年/シグロ
(ポレポレ東中野 にて鑑賞)

2009年 6月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆)(5個で満点)

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2002年4月前後に起こったイスラエル軍によるヨルダン川西岸地区の
ジェニン侵攻をパレスチナ側から見た最前線と侵攻したイスラエル軍の
若者の告白を撮ったドキュメンタリー作品。

本作の一番の見所と言えば、最前線で逃げ惑い攻撃が止めばすぐに
サッカーをして遊んだり家族や友人達とくつろぐパレスチナの人々や
コンピューターゲームの外の世界を禄に知らないイスラエルの若者が
ほんの少しの訓練だけである日いきなり、本物の銃を渡されスコープの
向こうに見える『人間』を大した理由がなくても(理由は後で考えればヨロシ)
『撃ってもよい』と言われゲームコントローラーを操作したその指がそのまま
銃の引き金に移行していく様ではなく、米軍による爆撃の被害を真の当り
にして自国のしている事の真実を知って完全にパニックになり絶叫する
米国白人女性の姿である。

全くの子供そのままに、自由と民主主義(と平和?)を世界に広めている
はずの自分達が『ただ家族と一緒に暮らしたい』だけの人々の暮らしと
命の"全て"を奪っているという事実を知って失禁するほどの絶叫と嗚咽
をして周囲の人々にむしろ慰められているかのような、そのシーンは
間違いなく今の世相の一旦を完璧に表現している。

生きている・生きてきた証もささやかな未来も奪われて日夜脅かされ続け
疲れ果て家族や友人が目の前で吹き飛ばされていく人々が惨劇の中で
慣れきったせいもあるが割りと冷静に対処しようとしていく中で本人の
責任ではないとは言え、加害者側の国から来たボランティアの人間の
過剰とも言える動揺を抑えようとするブラック過ぎる現実。

『(何も)知らなかったのか。。?』

幾らでも知ることが出来るのに知ろうとしない世界の中に自分という人間が
棲んでいることを思い知らせてくれるという意味では極めて優れた
ドキュメンタリーであると思う。

この白人女性の偽善を嗤うことなぞ出来やしない(当然のことながら現場まで
足を運んでいるだけでも偽善などと言ってはいけないのかもしれない)。
二十歳になるかならずかパレスチナ人に平気で銃を向けるイスラエルの若者
を非難することもできない。同じように教育を受け、同じ地政学的環境で
生きればほとんどの若者は、同じように銃を握り、同じように異国の民に
敵意を燃やし、同じようにその事を誇りにすら思い、同じように『その成果』
を自慢すらするであろう。

下手な説教臭は無ように注意深く構成されるその潔さゆえに
終盤のパレスチナ人家族とイスラエル人の若者が一緒になって農作業を
するシーンは清清しくてどんなに専門用語を並べ立てた未来予測よりも
希望に輝いている。決して強い光ではないが。

個人的には特に目新しい真実は見当たらなかったが(それを期待して観に行った
のだけど)本作を観る"意味"は確実にあると思うので×4。

観たら沢山考えて沢山他人と意見を述べ合ってみましょう。

 

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