「東京島」(2010)から「アナタハン」(1953)へ
ここ一ヶ月に拙ブログへのアクセスが伸びに伸びていた(これまで
1日平均30~40アクセス程度で推移していたのがここ数週間は100~150
前後へと急増)のだが原因は極めてはっきりしていて、その原因は管理人
(kuroneko)とは直接的には何ら関係の無いものであったので静観
していたのだが本日(2010/8/27)は一日だけで目出度く?500アクセス越え
を達成してしまったので記念として記事を猛暑の中らしくダラダラ~と
思うままに書いてみたいと思う。ついでに50000アクセス突破の記念も
兼ねることにしよう。
開設以来お越し頂き、記事を読んでくださった皆様方、
コメントを書いてくだった皆様方、どうもありがとうございます。
m(_ _)m 管理人 kuroneko
さて、、、
アクセス急増の原因はただ一つで
・アナタハン事件
・比嘉和子
・アナタハン島の眞相はこれだ!!
これらのキーワード検索で拙ブログが上位に上がっているからである。
そしてこれらの検索件数が増加しているのは
アナタハン事件をまんま下敷きにして製作されたと思われる
映画「東京島」(2010)が現在公開されているか公開間近だから
であろう(この作品自体には興味無いので正確に調べるつもりはない)。
それにしてもここ一ヶ月間に上記の検索による拙ブログへのアクセス増加傾向が
一向に収まる気配が無いのはなかなか自分のブログのアクセス分析をしていて
興味深いものがある。
正直に言わせてもらって、「東京島」はそれほど面白そうな作品ではないから、
この映画から芋蔓式にアナタハン事件に興味を持つ人間が一時的に
増えたとしてもあくまでも一時的な一過性の現象であるかと思うのだが
それにしてもピークはまだまだこれからの感じがある。
アクセスが減らない理由は幾つも考えられるが、個人的には
病的で最早「人間破壊」といっても過言ではない全世界の個人個人が
自主的に相互に行って悶絶して喜んでいる
民衆自身による超監視社会 = 民衆自身による超疎外社会 (=>ファシズムへ)
というアホくさく幼稚なパラドックスに侵された現在の社会から見て
「絶海の孤島で繰り広げられた30余名の男性とたった一人の女性
の生きる為の闘い」
が極めて斬新に映って妄想をかき立てられるからに違いないかと思う。
そして、生き残った比嘉和子本人が事件そのものを題材にした
映画に主演したり、同じく事件を題材にした舞台に出演してしまったり
していることが、比嘉和子という女性に対して週刊誌的ゴシップ的な興味を
大いに覚えさせるのだろう。
個人的見解としては、比嘉和子という女性は事件そのものに対して
当然の如く全くの潔白な立場ではなかったであろうと思う。仮に当事者ではない
人間が考え得る無神経な純粋無垢な立場をこの女性が事件当時
とっていれば男共にさっさと早い段階で消されてその証拠も組織的に隠蔽されて
いたことだろうと思う。そしてこの事件そのものは今日においては全く別の
扱いを受けて全くもって歴史の彼方に消えて思い出す者も皆無な
出来事に過ぎなかったのではなかろうか。
彼女が映画に出演したり、舞台に立ったのも最たる動機は生活費を稼ぐため
であり、それ以上のものではなかっただろう。勿論名声も得たかったであろうが
名声も結局は金の為であり凡人であれば誰もが持ちたいものであるという域を
出ていないように思う。
猟奇的またはサスペンスフルな面を強調して事件を取り上げているサイトは
幾つもあるであろうがいつの時代の人間も脱出不可能且つ情報のシャットアウト
された空間に集団で取り残されてしまえばオゾマシイ結果になるに決まっている。
女性がたった一人となれば尚更である。不思議なことも奇妙なことも
個人的には極論すれば何もない。それを証明するわけでもないが
「アナタハン島の眞相はこれだ!!」(1953)は退屈な作品であった。
今、こうして検索している人間が仮に膨大であっても別にもう一度観たいとも
思わない。感想にも書いたとおりだが映画の作りが作りであるので
「駄作だ」と斬ってしまうには"気兼ねするように作ってしまっている"
のでトーンダウンして「面白くない」として置いておくしか仕方がない。
結局のところ
アナタハン事件がアナタハン事件である本質はたった一人の
女性が生き残ってしまってその後も元気だったことに尽きる。
そのことが世の集団社会で強いストレスを誰もが感じて、なぜか誰もが
そのことを隠して生きているなかでこの女性の"生存(生還)"に
「口に出せない違和感」を隠せないからではないだろうかとも思う。
個人的にはアナタハン事件そのものには人間観察の点において
大きな矛盾も謎も何らない。半世紀前よりも世界は大変に便利になって
人々の生活は楽になって楽しいものであるはずなのに
アナタハン事件と生き残った女性に検索が殺到するこの
社会と人々の方によほど興味深い謎と矛盾を覚える。
「アナタハン」と件の女性から沸き起こるイメージや疑問や思いを
まとめるサイトなぞがあったら事件そのものや映画よりも恐らく遥かに
人文学的見地から見て面白いであろう。人間は幾ら「進歩」とか「平和」とか
多くの人が他人任せにしているいい加減なことを叫んだところで
「対象に自分の思いを"映す"ことしか出来ず、対象そのもの
に斬りこむことが出来ないのになぜかその事に全く気付かない」
ということに全く気付かない。"個人個人の思いをまとめるサイト"
があればその事にあるいは気付くだろうし、そんなサイトも当然
のようにとっくの昔に幾つもあるのだろうからして、私は実に多くの
聡明なる方々が事件を通して自分達しか見えてないことにとっくに
気付いているものとして今しばらく自分のブログのアクセス状況
の分析とそこから起こる「アナタハン祭り」と呼ぶべき狂騒の
深層で起こっている何かを勝手に推測して遊ぶことにしよう。
閉ざされようと開かれようと
人間の心は深い闇であり社会もまた闇である。
だからこそ人間の心と社会には"灯"は必要であり
その灯の材料は叡智の力でなくてはならない。
人はかつてそれを『希望』と言った。
そして"アナタハン祭り"は(多分)続く。。
2010年8月27日(金)
アクセス数: 661 (前日値: 234)
訪問者数 : 595 (前日値: 156)
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