ある人間の履歴(一)
ある人間の履歴(一) >>
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・ 1889年4月20日 に生まれる。
・ 名前は「高貴な狼」という意味だった。
・ 少年時代 歴史や美術が得意で数学・フランス語が苦手だった。
・ 青年時代 美術大学を目指す。画風は丹念な描写に情熱を傾けたが
独創性に乏しかった。結局、画家になることを諦め
建築家を志すも挫折。
・ 1908年 同居していた友人の前から姿を消す。 (19歳)
・ 1913年 兵役を逃れるため移住。 (24歳)
・ 1914年 逮捕され本国に送還される。後に入営。 (25歳)
・ 1918年 戦場での功績により一級鉄十字章を授与される。 (29歳)
・ 1920年 軍をやめ党務に専念する。 (31歳)
・ 1921年7月29日 第一議長となる。この頃から"Führer" と呼ばれるようになる。
・ 1923年 政権奪取を目論んだクーデターに関与し逮捕され党も非合法化される。(34歳)
・ 1925年 党を合法政党として再出発させる。(36歳)
・ 1932年 国会議員選挙において230議席を獲得(得票率37.8%)。第一党となる。(43歳)
・ 1933年1月30日 首相となる。(44歳)
2月 1日 議会を解散する。
2月28日 基本的人権条項を停止し、共産党員などを法手続に拠らずに
逮捕できる大統領緊急令を発令させる。
3月24日 全権委任法を可決させる。議会と大統領の権限は形骸化される。
7月 4日 自らの所属政党以外の党を禁止する。
12月 1日 自らの所属政党と国家を不可分の存在であるとする。
・ 1934年8月 2日 大統領の死去に伴い、大統領と首相の職務と合体させる。(45歳)
8月19日 上記について国民投票を行い89.93%の支持率を得て
国民に承認される。
・ 1936年 国の威信を賭けてオリンピックを開催する。(47歳)
オリンピック開催前後では穏和していた人種差別をもとにした迫害を
国民の圧倒的な支持の基に強化し国力の増強に努める。
同年、スペイン内戦に介入し、また非武装地帯ラインラントへ進駐する。
・ 1938年3月 オーストリアを合併する。(49歳)
・ 1939年8月23日 独ソ不可侵条約を結ぶ。(50歳)
9月 1日 ポーランド侵攻を開始。
9月 3日 英・仏がドイツに宣戦布告する。第二次世界大戦の開始。
・ 1940年5月 ダンケルクの戦いにおいて英仏連合軍を破る。(51歳)
6月21日 フランス政府はドイツに休戦を申し込む。
降伏調印式後、パリを視察する。
7月31日 国防軍最高司令官に就任する。戦争の最高指導者となる。
9月27日 「日独伊三国条約」を結ぶ。
・ 1941年6月22日 ソ連に侵攻を開始する(バルバロッサ作戦)。(52歳)
・ 1942年1月20日 ヴァンゼー会議が行われる。(53歳)
12月8日 日本、アメリカに宣戦布告する。
・ 1943年9月 イタリア王国降伏後の新政権により幽閉されていたムッソリーニを
救出させ(グラン・サッソ襲撃)、その後にイタリア社会共和国を樹立し
首班にさせる。(54歳)
・ 1944年6月 6日 連合軍によるノルマンディー上陸作戦。以降は劣勢に陥る。(55歳)
7月20日 暗殺未遂事件起こる。死傷者が出たが自身は軽傷で済む。
・ 1945年3月 ブダペストの奪還を目論み作戦を実施するが失敗に終わる。(56歳)
連合軍の侵攻が予想されるドイツ国内の生産施設を全て破壊するように
命令を発するが(「焦土命令」)、軍需大臣シュペーアは聞き入れず
ほぼ回避された。この頃以降、国民の前から姿を消す。
4月16日 ソ連、ベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動。
4月20日 誕生日を祝うために軍とナチス高官が総統官邸に集まる。
4月29日 ハインリヒ・ヒムラーが英米に対して降伏を申し出たことが報道される。
4月30日 自殺により死去。死因は拳銃・服毒・安楽死等の諸説あり。
※1 記述内容は基本的にWikipediaに寄っている。
※2 年齢については月日は考慮せず計算して表記している。
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こうして年表だけを追ってみると案外人間臭い「何か」が
確実に見えてくる。
権力掌握の為に多くの人を利用して陥れ、本人とは何の関係も
無い膨大な数の人間達の運命を悲劇的なものにしてしまったことは
疑う余地などあるわけもないが、同時にこの男もまた結構な数の
人間の保身の為に利用されたであろうことも歩みの跡から見える。
1920年後半から1930年前半の人生はまさに男子の本懐とも言える
ダイナミック性に溢れていて、最終的に何をししてしまった男なのか
知らなければ「胸の透く思い」も見ようによっては味わうことが出来、
実際当時、世代を越えて心酔した者が多かったであろうことも想像
できることもまた不都合な真実であり、ここら辺りだけを抜き出せば
スケールの差はあれ似たような軌跡を描く成功譚を持つ人間はいつの
時代にもどの国にも見出すことは可能であろう。特に1932年から
1936年の男にまつわる出来事を見れば2010年9月の今を生きる我々
日本人にとっては目障りな権力者の中に気分的に幾つかの符合を
確実に有する者を知っており背中に冷たいものを感じずにはいられない
であろう。全ては歴史にすでに記述されており最大の不幸はこれから
やって来るのである。そして、その「不幸」は自らも笑顔でやって来る
であろうが滑稽にも我々が手招きして受け入れてしまうのである。
きちんとデータベースはこうして現存していて誰でも入手可能な社会
であるのに。何が哀しくて我々は自ら再び放棄しようとしているのであろうか。
この男が一流の画家や建築家になっていたことが有りえなかったことは
確実であろう。数学や外国語が苦手で且つ苦手科目の勉強を
徹底的にサボったといわれる前半生において決定的である。
他人が共鳴し賞賛するようなこの世界の人知を超えた美しさを
真っ白なキャンパスに表現することは数学や化学にも通じ、
紙の設計図を3次元化するには材料力学の法則性を知り理解
することとやはり世の中の人々とセンスを共有できなくてはならない。
前準備段階の紙と鉛筆を使った演習に過ぎない学生段階で
自ら、その努力を放棄した人間が強大な権力を掌握すれば、
それは自分の狭い狭い世界を他者に押し付けることに
利用され尽くされることは自明ではないかと思える。
1932年までの生き様は恐らくこの男の才能であり、結果としの惨禍を
予想するのは難しい状況であったかもしれない。しかし、その後の2年間
については暴走の種明かしは常に行われていたといえる。世界はこの
2年間を無為に過ごしてしまったといえ、『失われた2年間』と言えるのでは
なかろうか。この2年間に世界の知識人達は何をしていたのか、
感覚の優れた市井の人々は何を思って生きたであろうか。
この男を止めるか方向転換をすることが出来たとすれば恐らくは
1933年のどこかの段階であったであろうと思う。
それにしても、まるで未来の出来事が記述されているかのような
今の我々の世界の脆弱性はどうであろうか。少なくとも、この男の出現と
カオスを許した時代は人類が地球も月も火星も汚染させるだけの
存在であるとはほとんどの人間はまるで理解できるはずもなく自分達
に大した根拠無く肯定できる要素は今よりも遥かに多かったが、
今は違う。我々はどんなに理性的に物事を進めたところでほとんど
何一つ無駄なくコントロールなぞ出来はしないことを知っているし
犠牲者の数もカウントすることが出来る。簡単に全てを破壊すること
がどんな人間にも出来てしまうからこそシステムを守ることの苦労
を知り伝えていかなくてはならない。
それなのに、なぜ、またしてもいい加減だと判りきっている人間と
集団に『権力の全て』を委譲しようとしているのだろうか。
その結果はこれほど膨大且つ詳細に残っているというのに。。
因みにこの男と知名度においてほぼ全く互角である後に喜劇王と
呼ばれた同年同月の僅か4日違いで生まれたあるユダヤ人がこの男を
モデルにし、大いに皮肉った傑作超大作映画を製作していることは
よく知られているところである。奇しくも共にチョビヒゲがトレードマークで
20世紀において最も有名であった同い年の二人が出会うことはなかった。
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コメント
>7月20日 暗殺未遂事件起こる。
確かトムクルーズで映画化してましたよね
見てませんけど
そういや日本では公開されなかったシンドラーの賞賛映画、海外ではDVD発売したようですね
半ドキュメンタリーっぽく作ってあるところが性質悪いですね
日本語が入ってるようなので、日本兵スプラッターコレクターとしてはそのうち買ってみようと思っています
「100人切り」シーンもあるらしんでちょっとワクワクです
投稿: 万物創造房店主 | 2010年9月 8日 (水) 19時11分
>確かトムクルーズで
あ、ここの映画化なんですね。
トムクルーズという時点で
まあどうでもいいすね。
従来の路線のナチ映画はもういいですよね。
充分利用し尽くして元とったでしょう。
そろそろ
「"どっち"も同じくらい凶悪」という
赤裸々な映画が登場してよい時代ですよね。
投稿: kuroneko | 2010年9月 9日 (木) 01時09分
>7月20日 暗殺未遂事件起こる。
今日、関連ドキュメンタリー作品を
観ましたが、この事件以降のフィルムでは
"渦中の男"は全く左手を動かしていない
のがよく判りました。暗殺に関ったと
思われる人間を片っ端から処刑して、
その数は4千人にも昇ったとか。
もしも、この事件の時に落命していたら
少しは世界は変わっていただろうか。。
世界中での死者数は減っていたのだろうか。。
投稿: kuroneko | 2010年9月11日 (土) 01時20分
>少しは世界は変わっていただろうか。。
そんなに変わらなかったんじゃないでしょうかね
ヒトラー死亡隠蔽→影武者擁立→続行
もしくは後継者擁立→続行
という感じで
まぁ弱冠は変わったでしょうけど
僕はヒトラー&ナチが全て悪い史観は
戦後のドイツ国民を責任から逃れさせるために作られた脚色ストーリーだと思っております
ドイツ国民や他の国のアンチユダヤ勢力はユダヤ人狩りを喜んでましたし
ナチに関係なく便乗してユダヤ人を殺しまくってました
世界の流れができあがってた中でのヒトラーの死はそれほど大きくないような気がします
投稿: 万物創造房店主 | 2010年9月14日 (火) 13時21分
>ヒトラー&ナチが全て悪い史観
これは流石に60余年を経て
思考能力のある多くの人が疑問に持つ
ようになっていると思いますね。
今回観た作品も製作当時は超一級品の
『悪を糾弾した正義且つ真実のドキュメンタリー』
であったでしょうが上映終了後は
「当時の価値感に基づいています」と
ごく自然に解説のテロップが入りましたし
観客も「そりゃそうやろ」という空気が
大勢でしたから。まあどこぞの大学教授
よりも庶民の方がよほどまともなの
かもしれません。
>ナチに関係なく便乗してユダヤ人を殺しまくってました
これは早晩、隠し切れない事実として
世界の常識となるでしょうね。偽日本人達が
吹聴してきた嘘に次ぐ嘘ももはや国民の多くには
届かないでしょう。手遅れ感も大きいですが
何とかなるかもしれませんね。
今の安保世代やらがさっさと退場して
くれれば無駄な混乱も犠牲もぐっと
少なくなるのですが。。(ーー;)
結局嘘の平和は何も産まなかった
ということですね。
投稿: kuroneko | 2010年9月15日 (水) 00時28分