映画「征戦愛馬譜 曉に祈る」
2009年に見た映画(156) 「征戦愛馬譜 曉に祈る」
原題名: 征戦愛馬譜 曉に祈る
監督: 佐々木康
出演: 徳大寺伸,田中絹代,河村黎吉,夏川大二郎,佐分利信
時間: 105分 (1時間45分)
製作年: 1940年/松竹大船
2009年 10月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)
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戦場に徴用された馬の活躍と、その馬の主を描く中編。
"陸軍省"後援により軍用馬の重要性を国民に訴えるために
作られたプロパガンダ作品。
製作意図がとてもはっきりした作品であり、その目的と製作された
時代背景ゆえに、作品そのもののクオリティとはほぼ関係なく
「観る価値」はそれなりにある。
作品を大ヒットさせて大儲けすることや、俳優や監督を大いに売り出す
などを考えているはずもない作品であるがこそ、戦場を馬が駆け抜けて
いく他愛も無いシーンの、他愛も無いゆえのレベルのそれなりの高さと
大陸を舞台の設定にしている映像のスケール感や広がりに感動する
自分がいる。
撮影は恐らくは国内のどこかのはずで、兵士に扮した人間の合間を
火薬を爆発させて馬が走り抜けるだけの映画製作に従事する人間
ならば、「当然撮れなくてはいけない」という域を出ないシーンがなぜ、
今の時代には莫大な費用をかけて、楽屋ネタを楽しそうに披露する
スタッフの常軌を逸した露出ばかりが目立ち、尚欠伸が出るシーン
しか撮れないのか。。観ながらずっと考えた。
馬主の男に召集令状が届く。周囲の人間は頭(こうべ)を垂れる。
数秒の重たい沈黙。この数秒には居合わせた人間達のとても
沢山の思いが詰まった数秒だ。戦後の何も知らない、知ろうとも
しない浅墓で無知な人間達には、何十億かけようともこの数秒を
描くことは決してできない。平和の大切さを理解せず、戦争時代に
居合わせた人々を自分達と同じ人間なんだという当たり前の
ことを理解して、その複合的な理不尽さに思いを馳せることは
できない人間達には戦争も平和も、何も描くことはできはしない。
言葉にはならない思い。
言葉にしてはならない思い。
発した言葉は全て嘘にしかならない。だから沈黙するしかない。
戦争というものが悪だということを判らない人は昔も今もいない。
しかし、おかしいと思いながらも、国家の一員として義務を果たすしかない。
2010年の今現在、日本で流れている各種メディアの欺瞞さと
内容の無さの異常さ。取り上げる出来事の悪質極まりない
恣意を思えば、いついかなる時代に作られたプロパガンダ作品も
我々は嗤う資格は無いだろう。
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