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2011年1月 8日 (土)

観_11_01_07

観_11_01_07  <<  >>

  

都内某所で今日も映画を観る。祗園を舞台にしたある芸者二人の
物語。稀代の名カメラマンと名監督による完璧といっていいコラボ
レーションに心地よく酔う。

帰宅してテレビでニュースを見ていたら水ビジネスにいかに
某日本企業が世界に向かって喰いこむか否かという話題を
やっていた。"真水"というのは世界的には希少価値が大変
高いことは近年急速に話題になっているところであるが、
日本はまったく幸いにしてその稀少なる真水が豊かだ。

日本人は水と安全は無料(タダ)だと思っている。

とは80年代によく言われた言葉のように思うが水が
タダだと思っているのは近現代の日本人がそうである(そうであった)
というだけで昔から水は日本でも売られていた。しかし、その
水を売る"意味"は恐らくは汲んで来るという労働コストの対価
という意味であって、水そのものが稀少であるということでは
なかっただろう。日本国内における価格の意味は、その多くは
稀少だからという物そのものの価値ではなくて提供する者の
"労働に対する対価"という意味合いが確実にあって単なる
金銭の受け渡しだけではなく、そこには西欧社会でいうチップ
のような労働への感謝の気持ちも入っていたように思う。
経済というお化けが世界を超高速で徘徊し人々を狂い惑わ
している日々であるが、拝金主義から少しでも脱却するには、
その辺の"機微"ももっとクローズアップすれば良いのにと思う。

"映画"も同じことで単なる数十分から数時間の映像の羅列として
並べてしまえば、多くの有り難い何事かは散逸してしまい
糞と味噌を一緒にして儲けることしか考えていない魑魅魍魎達の
思う壷であろう。同じ『映画』であっても描かれている世界も主張も
観る者への影響の良し悪しもまるっきち天と地ほども違っていて
当たり前だ。世界には同列に扱ってはいけない物で満ちていて
恥知らず共は同じように扱うことに苦心して自分たちの糞と味噌を
すり替え様と日々暗躍している。21世紀になってそのすり替えは
等比級数的に酷くなっていて最早世界大戦の域であることは
子供でも知っている。





 





   
   



 






 

 





 




  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





  
  
  
  
 
 
 
 

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