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2011年1月15日 (土)

漫画をつまらなくしているもの

  
 

たまたま週間少年ジャンプの黄金期を支えた漫画家の一人
であろう車田正美についてウィキペディアを読んでいたら、
以下のような記述があった。

 

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また「ドサンピン!」という台詞もあるが、
実はこのサンピンとは最下級武士の給金3両1人半扶持
(「ピン」はポルトガル語・pintoの変化した語。数字の1を意味する)
を表すもので、庶民が武士に浴びせる最大の侮辱語であり、
現代劇で使うものではない。これについては考証の誤りを
呉智英から指摘される事となった。
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庶民が武士に浴びせる最大級の侮辱語であることは判るとして、
「現代劇で使うものではない」という解釈はいかがなものだろうか。
現代の日本が封建体制下の社会ではないなんてことは当然のこと
だし"侍"という階級や人口層が存在しないことも当たり前である。
だからといって「ドサンピン」という表現を現代劇において、しかも
漫画で使用するのはおかしいという方がよほどおかしいと思う
武家社会の成立より前の時代の設定においてこの言葉を使用
するのはおかしいと指摘するのならばまだしもわかるが、
それでも"漫画"というジャンルにおいてはこの手の指摘は
根本的に意味を成さず実にくだらない。

『漫画』というものは書き手である作者によって紡ぎだされる
妄想に過ぎないものであり、妄想だからこそ面白いのである。
物語の時代設定や登場人物の台詞や出てくる一切合財に何の
誤りも誇張もないとすれば、一体何が面白くて誰が読むので
あろうか。漫画とは、その存在自体が誇張(デフォルメ)表現の
集合であり、言ってみれば誤解の産物に過ぎないものだ。だから
漫画は基本的には子供が楽しむべきものであり"それだけのもの"
であっていいのである。

評論それ自体の存在価値はあるであろうが、漫画が大学で
学ぶものや批評するものとなってしまい、一個人(または集団体制)による
妄想と誤解の羅列に過ぎない"戯れ"="漫画"を全体から細部に至るまで
誤っていると断罪したり分析したりすることで作品そのものよりも
利益を稼ぎ、作者よりもよほど露出して評論が売れているというような
事態の方がとてつもなく犯罪的なまでに間違っていることであり
漫画というものとその周辺を貶めてつまらなくしているのだろう。
哀しくも"正しいものは全てを滅ぼす"好例なのかもしれない。

 

この「ドサンピン!」(゚Д゚) (*)

(*)特定の人物や組織を指して言っているわけではないので"誤解"なきよう。

  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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