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2011年2月20日 (日)

ある人間の履歴(二)

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・ 慶応3年12月24日(1868年1月18日)、関宿(せきやど)藩士の家の長男として生まれる。

・ 明治31年(1898年)、海軍大学校を卒業する。(30歳)

・ 明治36年(1903年)、旧薩摩藩出身以外の者への露骨な差別に嫌気が差し、
   軍を辞めようとするが父の手紙を読んで辞職を思い止まる。

・ 日露戦争を駆逐隊司令として戦う。搭乗した駆逐隊において戦艦3隻、巡洋艦2隻を
  撃沈し日本海海戦の勝利に貢献する。(36歳)

・ 大正12年(1923年)、海軍大将となる。(55歳)

・ 大正13年(1924年)、連合艦隊司令長官となる。(56歳)

・ 昭和4年(1929年)、侍従長に就任する。(61歳)
  本人は侍従の仕事は向いていないと考えていたが、昭和天皇と貞明皇后に
 懇願されての就任であった。

・ 昭和11年(1936年)、二・二六事件の際に襲撃を受け一時危篤となる。(68歳)

・ 昭和19年(1944年)、枢密院議長となる。(76歳)

・ 昭和20年(1945年)4月、第42代内閣総理大臣となる。(77歳)
  非国会議員で且つ江戸時代に生まれた人間として内閣総理大臣に就任した最後の
  人物となる。また天皇による"命令"ではなく「頼む」と言われて総理になった唯一の
  人物とされる。天皇の母、皇太后節子(貞明皇后)からは「陛下の親代わりになって」と
 言われたとも。

・ 昭和20年(1945年)7月、ポツダム宣言に対して「政府は黙殺」と大きく報道される。
  "黙殺"は同盟通信社により「ignore it entirely」と訳され、ロイターとAP通信では
 「reject」と翻訳(誤訳)され報道される。 

・ 政府はソ連に英米との講和の仲介を働きかける。
  日ソ中立条約は1946年春まで有効であった。

・ 昭和20年(1945年)8月6日、広島に原子爆弾が投下される。

・ 昭和20年(1945年)8月9日、長崎に原子爆弾が投下される。
   ソ連が前日に日ソ中立条約破棄を宣言し対日参戦する。

・ 昭和20年(1945年)8月10日、御前会議にてポツダム宣言即時受託に天皇は賛意を
 示す。

・ 昭和20年(1945年)8月14日、ポツダム宣言に関する見解について外務省と軍部で
 分かれたため御前会議を再び召集し天皇に聖断を懇願し、ポツダム宣言の受託が
 決定する。

・ 昭和20年(1945年)8月15日正午、天皇本人による終戦の詔勅が放送される。
 同日早朝、陸軍大尉・佐々木武雄を中心とする国粋主義者達に総理官邸及び
 小石川の私邸を襲撃され、警官に救出される。
 同日、陸軍大臣・阿南惟幾(あなみ これちか)が自刀する。

・ 昭和23年(1948年)、死去。享年81。
  生涯を通しての信条は「軍人は政治に関わるべきではない」だった。

 
 

※1 記述内容は基本的にWikipediaに寄っている。
※2 年齢については月日は考慮せず表記している。
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太平洋戦争における、または昭和の前期から中期までの日本について
考えるときにこの人の存在がいつも大きく感じる。もし二・二六事件で襲撃された
時に命を奪われていたら一体太平洋戦争の結末はどうなっていただろうか。
勿論、どうにか別の人が現れてそれなりの事態を向かえていただろうと
思うがそれでもより大きな混乱を来たしたことが予想され、その混乱により
終戦はさらに遅れ死者数も増大し、日本の戦後はより悪くなっていたように
思えて仕方がない。

二・二六事件における、この人物への襲撃直接の責任者となった
安藤輝三大尉(当時)とは事件前に面識があり、安藤は「西郷隆盛のような
(人間の)大きな人」と評している。襲撃の際に完全に止めを刺さなかった
ことが、後の日本の歴史にこれほど大きな影響を与えることを知ったら
安藤は一体どう思うことだろうか。

歴史的な大きな仕事を成し遂げる大局観を備えた人間には必ずといって
いいほど青年期や壮年期の初期において歴史の大舞台で無名同然の群集の
一人の人間として奔走している時代があるように思う。この人物の場合は
日露戦争における駆逐隊司令としての時代の働きが将にその時期であった
だろう。晩年に訪れた人生の最大の勝負の時、しかもそれは日本の存亡に
関る大勝負だったわけだが、天皇の篤い信頼を得て命の危険も省みずに
数え切れない大小のハードルを乗り越えて日本を終戦に導いた。その判断の
基礎となった何事かの種は日露戦争時代に体験した多くの事だっただろう。

ポツダム宣言を"黙殺"という形で報道されてしまったのは一大痛恨時であったが
時局の折、弁解のしようはなかったかもしれない。後世の我々としては
コメントしようがないという意が真意であったかどうかは別として、「国内」の
報道機関でありながら"黙殺"と大々的に喧伝され、それはやがて「reject」
という解釈までされて破滅的な結末になることは容易に予想されながら
決して修正されることがないメディアの機能としての大罪と、21世紀の今に
至るまで、その「"負のスパイラル"製造機」とでも言える悪質で有害無実な
なマスコミの主要な面についてほとんど何も改善されていない点を戦慄
すべきであろうと思う。
 
この人がいなくても歴史は当然あったであろうが、この人がいなければ
"今の日本"は無かったかもしれない。そして、この人がいなかった場合の
日本は今よりも遥かに小さかったかもしれない。あるいは今よりもさらに
深刻な形骸化を免れなかったようにも思う。



 




 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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人々」カテゴリの記事

コメント

226だけでなく
あのあたりで日本の貴重な人材が多数殺されちゃいましたね
それが、日本の外交失敗・敗戦の流れを作ってしまいました
とりあえず
鈴木さんが死ななくてほんまよかったです
いなければさらに事態は悪くなっていたかもしれません・・・

投稿: 万物創造房店主 | 2011年2月22日 (火) 17時29分

>あのあたりで日本の貴重な人材が
 
まあ、でもここ最近は太平洋戦争の
経過や末期の辺りについてチョコチョコ
本読んだりwebを漂ったりしていますが
逆に戦後に流布されている一般論よりも
遥かに豊富に優秀な人材が残っていたとも
言えます。だからこそ、終戦の"奇蹟"と
戦後の高度経済成長の"奇蹟"が起こった
わけで、奇蹟でありつつも必然であった
ようにも思います。寧ろ、やはり最低最悪な
愚連隊に政権を渡してしまった今が
ここ千年でも日本の最大の危機だと
本当に思います。

戦中も終戦も日本人は良くやったと
思います。多くの歴史の足跡がそれを
きちんと証明しているしブログにも
少しずつ書いていきたいと思いますね。

『今』こそ最大の危機ぞ。
日本人!!
先人達に感謝し、大いに参考にして
乗り越えよう!!

投稿: kuroneko | 2011年2月25日 (金) 01時32分

>終戦の"奇蹟"
まぁあの状態でよく独立を保てたと思います
昭和天皇がおられたことと終戦工作を行える人材が残っていたことが救いですね
ヘタしたらハワイやグァムと同じになっててもおかしくなかったですし

現在の天皇陛下の権力バックアップ機能がない状態は戦中以上に危ないですね
菅に統帥権とか核ミサイルのボタンとか絶対持たせたくないです
 
>戦後の高度経済成長の"奇蹟"
戦中育ちの人材が活躍してる間はよかったですけど
バブルあたりからおかしくなっちゃいましたね
 
>最低最悪な愚連隊に政権を渡してしまった今がここ千年でも日本の最大の危機
同感です(ーー;)
 
どうも、世界が見えない戦争状態ってことに気付いてない人が多すぎますね
我が国の総理大臣を含めて
 
現在、世界では情報戦争と同時にサイバー攻撃戦争が大流行りのようです
うまくいけば相手国に数十億円の被害を出すことができます
 
最近ではイランの核施設がサイバー攻撃で緊急停止したのが有名ですね、あれでイランの核開発が5年遅れたっちゅーんですから
なかなかの威力です
 
日本は大丈夫なんすかねー(ーー;)

投稿: 万物創造房店主 | 2011年2月26日 (土) 19時11分

>あの状態でよく独立を保てたと思います
 
戦った無数の無名の人々のおかげですね。
そして命懸けで、『本当の意味』でアメリカ
との戦争に反対し、また終戦に尽力した
多くの人々、、感謝しましょう。
 
>終戦工作を行える人材が残っていた 
 
これは我々が嘘の情報を与えられている
だけで、まともな人々は相当に多くいたですね。
戦争に勝てる訳が無いことは判っていても
任務遂行の為に心ならずも国策遂行に
邁進した人々も結局のところいつの時代にも
変わらずにいるごく普通の人々だったわけで
後世の人間が過剰に断罪するのはアンフェア
ですよね。
 
>戦中以上に危ないですね
 
超危ないですね。
日本の未来と日本人を信じて亡くなって
いた方々に申し訳ないと思います。今のように
獣同然の輩達に国政・地方行政を任せて
いてはいけませんね。
 
>うまくいけば相手国に数十億円の
>被害を出すことができます
 
いやいや国家転覆まで持っていける
ことを我々は今まさに体験しているでは
ありませんか。国際的にも国内的にも(ーー;)
だって日本の"全て"をタダで差し上げます
って真顔で言っているAHOがつい最近まで
総理大臣だったすよ。。本人に今もって
自覚が無いのが本当に恐ろすぃっす
 
 
>日本は大丈夫なんすかねー(ーー;)
 
出来ることをやっていきましょう(^^;)
先輩方があらゆる手を尽くして、
その手段を記録として後世の我々に
遺してくれたように、我々もまた
結果はどうあれ打つ手を打ち、
その過程をきちんと記録して、また
後世の心ある人々の存在を信じて
託していくしかないですね。
当面は「人権」「平和」という言葉を
汚しに汚して利用し尽して暴利の
限りを貪ってきた獣達を地道に遠ざけ
ていくしかないですね。

投稿: kuroneko | 2011年2月26日 (土) 21時53分

>任務遂行の為に心ならずも国策遂行に邁進した人々
こういう人って山本五十六のようにけっこう自ら前線にいって指揮して死んでるんですよね
そういう意味でちゃんと人材が残っててよかったなと・・・

投稿: 万物創造房店主 | 2011年3月 2日 (水) 16時26分

>けっこう自ら前線にいって指揮して死んでるんですよね
 
全くそうですね。
ここ数年ほーんの少しずつブログに書くネタを
集め中なのですが、
『本当の日本人』達(国籍・本籍は別として)は
大概はかなり早い段階から対米戦や戦艦巨砲主義
などには明確に反対しているし、いざ開戦しても
早期講和を真剣に考えている証拠は幾つもありますね。
そして、多くの人が身分が相当に上であっても果敢に
最後まで闘い戦死されている例も少なくない。。
 
逆に精神論や無謀な世界戦略を展開して
節操なく無責任にナチスとの共闘を叫んで
戦争終結のチャンネルを尽く潰した方々って
これまた驚くほどかすり傷一つ負わずに
戦後まで生き延びてしかも代議士とか平気でなって
平和を唱えていたりするんすよね。
 
私達の今の繁栄と曲がりなりにも国の独立
が保たれているのは馬鹿達の犠牲になった
膨大な方々のおかげで、曲がってしまった
原因を昨日も今日も明日も作り続ける愚者達の
楽園になってしまっている今の日本を
ほんの少しでも何とかしていかないと
いけませんね。
 
少しずつ、少しずつではありますが
ブログで一兵卒として心血を注いだ先輩方について
記事を書いていきたいと思います。

投稿: kuroneko | 2011年3月 2日 (水) 23時37分

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