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2011年2月19日 (土)

小説「苦役列車」を読む

小説「苦役列車」を読む

  

西村賢太の第144回芥川賞受賞作品「苦役列車」を読む。
文藝春秋はたまに買って読む雑誌の一つであるが、芥川賞の
受賞作を読むことを目的にこの雑誌を買うのが今回が初めてだ。
これまでは目的の記事が目当てで購入する号がたまさか芥川賞
受賞作品の掲載号だとしてもほぼ全く興味が湧かず読むことも
なかった。ただし厳密に言えば今回の号では他にも読みたい
記事があったので今回はごく単純に自分にとってはお買い得の
号ではあった。

作者の西村賢太は60年代後半の生まれでごく普通の家庭に育ったが
10歳前後の頃に父親がとある罪を犯してしまうことにより人生の
流転が始まる。父親の罪状の影響の大きさによる精神的及び
金銭的な困窮により高校進学は出来ず肉体労働で生計を立てて
生き、西村自身にもまた逮捕歴があるという受賞作のタイトルその
ままの人生を歩んでこられた模様。20歳過ぎで小説家の藤澤清造
(1989-1932)の作品と出会い文学の道に本格的に傾倒して今回の
受賞に至る。

人生におけるハードパンチを浴びてきた人間の作品を汲み上げる
ことが出版界の責務の一つであると思う。昨今の『出版不況』なる
ものの一つは一重に業界の人間が『オモシレー人間(or 作品)』の
発掘と育成をほとほと放棄して特権的地位の濫用と作品の供給
による果実だけを貪るようになったからに他ならないと私は思う。
西村賢太はこれまでにすでに作品を幾つか公に発表しており、
それなりに知られていた存在であったようだが今回のような形で
世に出てくることは作品そのものの外における文学というものの
一つの健全な姿であるように思う。

また、西村のこれまでの生き様と発言と今回の受賞作である
「苦役列車」を読んでヒエラルキー社会としての底辺に生きた
経験さえ持てば何事かを著してスポットライトを浴びれるのでは
ないかという蔑むべき期待をとりあえず氏は暗に否定してくれて
いる点もまた評価したい。地獄も天国もあらゆる人間が分相応に
味わうものであり、分相応の地獄なり天国なり、どちらでもない
苦悩なりを提供できる者(だけ)がエンターティナーとして拍手を浴び、
そのことで富と名声を得て欲しいものだと思う。

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「苦役列車」は作者と同じような足跡を残しつつ生きる19歳の
青年北町貫多の日雇い労働に勤しむ日々を淡々と描写していく。
貫多は世間一般で言う「青春」の一欠片も謳歌できない自分の
人生の惨めさを、父親の犯した罪による一家の転落に起因
させつつも、己の性格そのものの欠陥によるものも充分に災い
していることもそれ相応に自覚して生きている。

読み出して期待したのは、幾つもの理由で"ダメ男"と言える
北町貫多の「世間への果てしない呪詛」と"普通の作品"では
後半に起ころ得るであろう意外な展開(=フィクション世界における
当然の展開)による「悟りと更生」のようなものだったけど、今までも
これからも私小説の世界で生きると断言している作者の西村は
そんな物語的な物語を書く気はサラサラ無いのだと読んでいる
途中から思い知る。また貫多の行状を追っていく文体もまた貫多
でも作者でもない融合した何者かによって記録されているような
独特の視点と語感で語られている点も否応無しに作品世界に
連行されていく機能を果たしている。人生設計の破綻の契機となる
父親の犯罪により周囲(友人達)から突然のシャットアウトを受けて
しまったある日のことを貫多が振り返る描写は、西村自身の経験を
ほぼそのまま投影していると思われ、文章の迫力は突出して高く
澱みが無い。ただし主人公の貫多の境遇や体験する出来事に
ついては西村は「9割以上実際に体験したこと」と述べている。

日当数千円の肉体労働の日々から抜け出たい気持ちは心のどこかに
はあっても一連発起して実行する気"なぞ"は毛頭無く、金銭的な
生活レベルとしての事情が同じような境遇の人間達を遠慮なく
軽蔑し、それでいて孤独であることをいつも気に病み、根拠無く
女性を蔑視しながらも僅かな稼ぎの中から性的捌け口の為の
費用を積み立てることだけはどんな時も金勘定の計算の内から
決して外さない主人公の貫多君に人生という物語を自ら書き変え
ていくことは到底無理と思い知り、中盤から登場する同い年の日下部
なる青年との邂逅による化学変化に託することになるわけだが
日下部もまた悪人ではないものの人間として積極的に肯定したい
要素に著しく乏しい魅力薄な人間であることを読む者はすぐに
理解することとなり、貫多にも日下部にも到底化学変化は何も
起こらないのだと諦めて読む辺りからタイトルの「苦役列車」の
意味を改めて考えるようになった。

主要登場人物の誰にもほぼ全く感情移入できずに、徹底的に
アンチヒーローな貫多よりも寧ろ日下部に何事かの嫌な感じを受け
つつも、大学を卒業してからフリーターをしてそれなりに貧乏生活を
七転八倒で過ごして日雇いに近い交通費も出ないバイトも幾つか
こなした自分としては、北町貫多の食べ物に対する執着だけには
大きく同意して、実人生で味わった"情けない悲哀"を思い出しつつ
その点については楽しむことが出来た。因みに自分のフリーター
時代においては日下部の中に貫多を棲まわしているような人間に
出会って辟易したことを読んでいて懐かしく思いだした。

映画の世界も文学の世界も古今東西の共通の鉄則として
「食べ物と女(男女関係)が描ければ善し」
という揺ぎ無い不文律があるが「苦役列車」における食べ物に関する
描写は確実に合格であると思う。であるから、西村賢太はこれからも
何かしらの作品を遺していくことだろう。ここ数年の作家としての
活動で生活水準は低いながらも上向きのようなので、今回の受賞
を踏み台にして得た収入を酒池肉林にご遠慮なく投下して頂き
青春時代のご自身への未来からの報酬?と列車を降りることを自ら
放棄してしまった作者の負の側面の権化たる北町貫多へのエール?
として存分に酒と女に溺れて、堕ちて堕ちてその先に見えるもの
について我々に見せて欲しいと切に願う。氏の発表済みの作品の
中では「小銭を数える」を読んでみたい。 

 

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文藝春秋 2011年3月特別号
第144回芥川賞受賞
西村賢太作 「苦役列車」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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