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2011年2月 9日 (水)

映画「ひとりで生きる」

2009年に見た映画(163) 「ひとりで生きる」

原題名: UNE VIE INDEPENDANTE
監督: ヴィターリー・カネフスキー
出演: パーヴェル・ナザーロフ,ディナーラ・ドロカーロフ,エラーナ・ポポワ
時間: 97分 (1時間37分)
製作年: 1992年/イギリス・フランス・ロシア

2009年 11月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)

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小さな炭鉱の街で生きる少年ワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)は青年へと
成長し、外界へ出る。見知らぬ世界に出たワレルカが次々と遭遇する世の
人々の辛辣さと愚かさ、遠い祖国を思う元日本兵との邂逅、そして少女だった
ワーリャ(ディナーラ・ドロカーロフ)もまた成長し旅立っていく、、
「動くな、死ね、甦れ!」(1989)の同監督・キャストによる続編。

  

ワレルカの"秒単位"のような大人への成長ぶりはまるで飛蝗男が脱皮を
繰り返すような、皮膚を突き破って筋肉が隆盛していくのが観えるような
爽快感がある。そして、体の成長に精神が追いつかず日々呆然として
本当の"悪餓鬼"達に付狙われるワレルカを"守護天使"ワーリャ(ディナーラ・
ドロカーロフ)は完璧なまでに守り続ける。カネフスキー監督によれば、
本作の題名はズバリ"守護天使"にしたかったそうであるが、パンフレットを
読むまでもなく清楚で物怖じせずに我が身の危険を省みることなくワレルカを
悪の路から引きずり出すワーリャ観ていると"守護天使"という言葉が思い浮かんだ。

精神の未熟な女生徒を平気で犯す校長、動物の一歩手前か事実上、動物
そのもののようにお互いの隙を覗い奪い合って生きる人間達、言葉が通じず
人間の尊厳を奪われたまま暴力を揮われ小馬鹿にされる強制労働に従事
される元日本兵の男達。。ワレルカはの眼は観客の眼と一体となって
地球上で最も凶暴な生き物達を捉えていく。ワレルカは絶望しない。自分も
このどうしようもない生き物の一員であることを思い知り、同一であることを
理解し、同じように"生きよう"とする。そしてワーリャへの思いは募る。ワーリャ
もまた天使ではなく"一人の人間の女"としてこの過酷な世界を生きるために
ワレルカから離れていく。

最後の数分のシーンは個人的には眼球ではなく、"皮膚"で捉えたいような
細胞で感じ取りたいような、人間が一生に識ることの出来る『全て』をカメラ
は偶然にも凝縮してそのフレームに納めてしまったような奇蹟の出来であった。

ワーリャに去られたワレルカの"精神"は黄泉を彷徨い、そこである懐かしい人を
見る。そしてワレルカは帰還する。理由は判らない。死のうと決めたわけでは
ないから生きているのか、生きていようと思うから死ねないのか。それとも、
"本物の守護天使"が最後にもう一回だけ彼を救ってくれたからなのか、、

カメラはもう決してワレルカを捉えることは出来ない。 
彼は"知って"しまったから。

   

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