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2011年3月27日 (日)

失われていくもの

   
 

この二週間で随分と沢山のものが失われてしまった。
命、家、財産、親、息子、娘、友人、恋人、信頼、仕事、夢、未来、、

 

自分が失ったものは一体何だろうか? 
考えてみると、幸いにも今のところ大したものはない。
ここ2,3年の間にやっておこうと思っていた幾つかのことだろうか?
それらはまだ中止と決めたわけではなく寧ろ震災前までは
「やれればいいな」とぼんやり思っていた楽観的希望から
「絶対にやっておかなくてはならない」というかなり強い決断に
格上げされた。だから皮肉にも実現できる可能性は高まったことになる。

都民の一人として被災したその夜に自宅まで5時間強かけて
帰ってきたその日には自分の大切にしていた『日常』が
失われてしまう強い恐怖に終日苛まれた。元々個人主義で東京の
片隅で生きてきたので、幸いにして今日までどうにか侵されずに生きてこれた。

そう、避難生活を余儀無くされている何十万人という人々、
甚大な被害を受けた人々にとって最も傷ましいことは
「日常を奪われた」ということに尽きるだろう。今後、街が
復興しようと原発の問題が沈静化しようと仕事が回復
しようとも日常は帰って来ることは残念ながら決して無い。
日本の政治家や官僚、東電の責任を負うべき人々、原発を
安全軽視のまま推奨して設置して利益を享受してきた人々は
その辺についてどう考えていることだろうか。今回のとてつもない
災害が表面的に過ぎたように思える日がいつか来たとしても
厚顔無恥な彼等が潔く権力の場から去ってくれるわけではないのだ。

家族や親が行方不明なのに不眠不休で働いている東電の
一般社員や関連会社の人々、自衛隊に所属する人々、それらと
繋がっている組織に所属する人々、、すでに深刻な段階まで
被爆してしまっているかもしれない多くの人々(その中にはもしか
したら近い将来の自分も入っている)、、情報を適確に迅速に
流しさえすれば、出来る限りの現実的な手段を講じていきさえすれば
失わずに済んだ命、これから失われずに済む膨大な数の命と
その命が何としても守りたい日常、、多少なりとも責任と権限を
有する人々は一体この悪夢そのものの事態をどのように受け
止めているのだろうか。自分もか弱い被害者の一人に過ぎない
から何もできない、何もしなくていいと思っているのだろうか。
それほどまでに想像力がないのだろうか。 

日本が巨大な遠心分離機かミキサーにかけられて
今のこの瞬間も膨大な何かが失われている。粉々に砕かれながら。
そのスイッチを切ることも緩めることも逆にさらに速度を
上げることもさらに多くの人間をその中に入れてしまう
ことも我々「人間の集団」というものには出来る。有効な
ツールは沢山ある。充分過ぎるほどに。そのツールを
活かせないことが問題なのだ。ツール(道具)はその使い方で
威力は何十倍何百倍何千倍も変わる。


  
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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