終りと始まり
3月11日から数日の間に起こったほんの些細なこと。
福島原発が容易ならざる事態となり、計画停電という名の無計画極まり
ない経済システムの大破壊が起こり、都心を中心にして物資の不足が
深刻化した頃。
数年前からネットの某相談用サイトに気晴らしを兼ねて時々書き込みを
している。気晴らしではあるが、相談に対しては自分なりにきちんと考えて
誠実に応えているつもりであり、自分が書き込んだ回答に対するお礼やら追加の
質問やらがあるわけだが、3月11日から事態が最も混迷の度を深めていると
官邸に居座る某独裁者一名以外は日本中の誰もが思っていたころ、数ヶ月間も
放置されていた幾つかの回答に対してやたらと質問者によりバタバタと
お礼やら何やらで慌しく?更新されていたのはちょっとばかし面白いことだった。
これは、質問した人々が放置していたことを実は気にかけていて
最悪の事態が起こることを想定して自分の身辺を綺麗にしておこう
という理由からだったのではないかと愚考する。お互い匿名であるし、
こちらは一生懸命に回答しつつも"気晴らし"であることには違い無いので
そのまま放置して頂いても一向に構わないのであるが、寂しいことは
寂しいのもこれまた事実である。しかし、明日は日本の崩壊になるかもしれない
という日に「回答ありがとうございました」と書かれるのも、それはそれで
何やら寂しいものがあって、たかがネットの書き込みにそんな感慨に
浸るとは思ってもみなかった。
"3月11日"という日が普通の一日であれば、きっとそのままいつまでも放置
され続けるか、お礼もなく質問に対する回答を一方的に打ち切られて終了した
ことであろうが、日常が破壊されるかもしれないと思うからこそ
「ありがとうございます」
の一言があった。
ただ単なるネットへの面白半分の書き込みであっても
「あの日」から皆が否応無しに繋がっている。
無秩序極まりなかった世界が少なくとも日本国内においては
「あの日」という一点で集約されて「あの日以降」を皆が生きている。
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