東京漂流某日(四)
東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・
chapter4: フリーター戦記(4) 無職での年明け
「今日は黒猫さんと二人きりですね。ウフフ」
I子はそう言って無邪気に笑った。I子は女子高生だと言う話であるが、
黒猫が見るところではどう真面目に学校に行っていないようだ。
きちんと通学していれば平日の昼間にレストランのアルバイトなんて
出来るはずもないがよく判らない。I子はかなり太め且つ身長低めの
容姿ではあるが、仕事は問題なくできるし、性格も明るいので
皆に好かれている。女子高生であるという立ち位置を彼女なりに
フル活用して日々大いに人生を楽しんでいるようだ。
「そうだね、二人きりだね。アハハ」
黒猫はI子に向けて微笑んだ。
二人きりといっても別段どうってことはなく、
今は平日の夕方前の時間だ。この時間は客の入りが最も少ないと想定され
実際に少ないのでそこそこ率なく仕事が出来、他人のフォローも充分に
出来るI子と、まだ諸作業において若干危なっかしい黒猫の二人を支配人が
この時間に組ませただけの話だ。
「黒猫さん幾つなんですか」
「俺? 25才だよ」
「ワー、オッサンですね」
「そうだよ」
この店に来てオッサン、オッサンと連呼されるのに黒猫はすっかり慣れた。
実年齢で本当のオッサン達、30過ぎとか40歳越えの男はアルバイトであれば、
キッチンに入るか深夜の皿洗いなど裏方に徹する。黒猫のように大学卒業前後の
年齢は店にはほぼ居ない。フロントで働いているアルバイトは高校生から20歳前後である。
「黒猫さんはテニス出来ますか?」
「出来ないよ」
「ダメじゃないですか、それじゃ」
I子にとってテニスが出来ない人間は"ダメ"らしい。
「休みの日は何をしているんですか?」
「休みの日? 何もしていないよ」
「つまんない人生ですね」
「そうだね」
客がほぼいないのでI子の容赦ない尋問は続く。
I子は裏の無い人間なので、くだらない質問でも腹は立たない。
当面はこの店で働く以外に身動きが取れない黒猫にとっては
I子にからかわれていることも別段悪いことではなかった。
客がガラガラの店内を見渡してふと黒猫は感慨に耽った。
大学を卒業して、夏が過ぎ、秋が終り、もうすぐ年も変わろうとしている。
お金は思ったように貯まらないし、人生次のステップの目途も何ら立たない。
「黒猫さん、お客が来た」
I子がメニューを携えてお客を席に誘導しに行った。
「いらっしゃいませ」
黒猫は冷たい水をお盆に載せてI子と入れ替わりにお客に向かった。
やがて正月が来た。
黒猫は大晦日も正月の三が日もまるで関係なくレストランで連日働いた。
この店は年末から正月にかけては常連客や初詣でなどの客でかなり賑わう。
接客が上手であるとは言えない黒猫は裏方で主に皿洗いとして配置された。
黒猫の方としても年末年始を酔って楽しむ客に多彩なメニューを提供する
自信は余り無くその方がよほど気楽で何よりも働けるのが有難かった。
表舞台の接客作業であろうと裏方であろうと、仕事が出来ない人間は
どっちにしろシフトには入れないという店の方針も黒猫にはやりがいが
感じられた。
年末から正月に喜んで入る連中は基本的には金が無いか、金が
少しでも必要な連中で小暮や貴子等お小遣い稼ぎで充分な学生達は
入るのを嫌がる。その割には遊びにやってきては黒猫をからかいつつも
細々とした作業を手伝ってくれた。
「よう。。」
「!お前、、」
溜まり続ける食器を慌しく片していると『想定外』の人間が突然
店の裏口からやってきて黒猫は面喰らった。
秋に店をクビになったKだった。
Kは自分が仕事が出来ることを鼻にかけていたところが多分にあり、
その為に周囲との協調性に著しく欠けるところがあった。そして、
そのことが全体の総力としてのポテンシャルが落ちる原因となると
支配人は判断したのだろう。ほとんど何の前触れもなくある日突然
解雇されたのだった。当時、黒猫は年下のKにはほぼ連日細かなダメ出しを
受けていて、Kの言い方には多分に上から目線も感じられ黒猫自身よりも
周囲がKに向かって厳しい視線を向けてくれるような状況だった。
「どうした? バイト代でも受け取りにきたの?」
黒猫はKに特段悪感情を何も持っていなかった。
上から目線は気にはなったが、自分も学生時代は寧ろKよりも増長して
いた時期があったからだ。
Kは解雇された「核心的事情」を今では理解できていたのだろう。
店で働いていた往時の自信に満ちたオーラは消えていた。
しかもKは実は受験を控えた浪人生だという噂があった。
「。。。いや別に。近くまで来たからさ」
Kは懐かしそうに食器洗い場を見渡した。
「。。。忙しそうだな。手伝ってやるよ」
意外な一言だった。一緒に働いていた頃のKのキャラからは
考えられない台詞だ。
Kが来ていることを察していたが敢えて無視をしていた
休憩していた古株の何人かもKと黒猫のやり取りに聞き耳を
立てていたらしく休憩室からKの一言にビックリして
顔をのぞかせるのが見えた。
黒猫は、その一言でKが置かれている苦境を理解した気がした。
「いや、いいよ。いいよ。お前、今大変な時期じゃないの?大丈夫か?」
なるべく遠まわしに本当は受験の準備の真っ最中のはずのKを窘めた。
「、、、まあね」
受験勉強そっちの気でバイトに打ち込んでしまったのだろう。
黒猫はKを非難できるような人生は歩んでこなかったのでむしろ同情と
若干の共感を感じた。
特に親しかったわけでもなく、慰める言葉をかけるほどの関係でも
到底ないので黒猫はそのまま皿洗いを続けた。
「、、、じゃあね。黒猫さん」
黒猫さん、、、?
Kが自分を"さん"付けで呼んだの初めてではないかと黒猫は思った。
このKの態度一連ので黒猫はKの置かれている状況を全てを察した。
「ああ、Kも頑張れよ」
Kは足早にまた裏口から去った。
二人のやり取りに聞き耳を立てていた店の古株達はKが散々こきつかって
いた黒猫に敬称を付けたことを聞き逃さなかった。そしてKが"こっそり"と
店にやってきたことはしばらく店で語り草となった。風の噂でKが受験に
派手に失敗したことと故郷に帰ったということも。
この日は偶然にももう一人黒猫にとっては興味深い人間がひよっこり来た。
黒猫が採用された当時、仕事をゼロから教えてくれた店を経営する母体の
正社員のSだ。Sは近い将来店を任されるほ目され本人もその気だったようだが、
正社員同士の争いに敗れたのか支配人との人間関係が上手くいかなかった
のかは黒猫には判らないが、数ヶ月前にこの店よりもよほどパッとしない
規模の小さく立地条件も明らかに悪い別の店に異動となった。
「黒猫君、元気ぃ?」
知り合った当時は大変頼もしく見えたものだが、再会した今は
このSもまた人生における『何か』に敗れたものと見え、覇気の無い
愛想笑いが黒猫には残念だった。
「元気です。Sさんもお元気そうですね。どうしたんですか?」
「いやー俺の店色々備品が足りなくてさ。借りに来たんだよ」
心の底で今見るSさんを頼りない存在に見てしまう黒猫は、自分もこの店で
それなりに頑張ったのだという変な達成感をつい感じてしまった。
ほどなくして、Sは細かなメンテナンス作業に使う雑貨を
バケツにつっこんで倉庫から出てきた。
黒猫はSの後ろ姿を見送った。
Sの足取りはどことなく安定感がなくやはり頼りないものだった。
黒猫はその後も食器洗いや掃除を黙々と続けた。
洗濯の終わっている雑巾を集めて規定の干し場に持っていくと
夕焼けが見えた。明日で三が日も終りだ。
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