観_11_04_30
都内某所で映画を観る。
最初は描写全般の意図が余りよく判らなかったが、後半は
小気味よくパーツが合わさって楽しめた。主要登場人物の造形
が明確で物語の展開も無駄が無く何度か映画化されていると
いうのも納得。
GW2日目にしてテンションがほぼ完全に落ちる。ずっと自宅待機
していようかと思ったが観ないと後悔するような予感を強く感じて外出。
いつもの神社で賽銭して、いつもよりもしっかり手を合わせた。
映画館の前で期限が今日までの鑑賞券を譲りたいという申し出を
受けて好意を受けることに。本来払うはずの料金より100円安くなった。
「生きていることの困難」
震災前から個人的にずっと考え続けてきたキーワードであるが
震災以降、いよいよもってこのことを考えるようになった。
日々の生活の基盤が何かしら存在していた3.11前までは
「まあまあ」「どうもどうも」で済んできたものが、そんな事を
言っていてはどうにもならない。きちんと強度と耐久性を
考えて基盤を作り直さなくてはいけないが、それは
『ガンバロウ』などというスローガンでは気休めには
なるかもしれないが、根本的にはどうにもならない。
ゴールデンウィークが終われば震災から二ヶ月が経過
してしまう。これから先は「やっています、何とかします」
ではいよいよどうにもならない。いよいよどうにもならない
事を続けている輩はどうしていいのか判らないのではなく
それが目的であるとしか思えない。混乱の根に居る人々の
これまでの経歴を見れば明らかだ。
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