歩く 「東京都心~自宅」
歩く 「東京都心~自宅」
都心から自宅へ向かってひたすら歩いた。
愛車の某ビッグバイク(HONDA 1500CC)の安否を確認する為に。。。
これは東日本大震災により、帰宅の交通手段を失い、都心の会社から
某県境に位置する自宅までを徒歩(一部タクシー使用)で向かったある男の
防備禄である。
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3月11日(金) 晴れ 東京都心~自宅
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・21:40 ( 0.0 km) 会社を出る
カップラーメンを食って、身支度をして、
上司殿と部署の方々(皆泊まる模様)に挨拶して会社を出る。
携行食糧: お茶275ml (ホット)*2 , チョコ菓子,菓子パン
所持金: 約1万円
会社は国道沿いにあるので凄い人の波。
全くもってシュールな光景だ。
(後に報道のトピックにもなったがなぜか一方向だけが大混雑している)
、、出っっっ発!!行ってみよう(~~)/
・21:46 ( 0.7 km) 国道△号線へ出る
この辺りまではまだまだ序の口。
20代の頃は、夜中になると仕事の休憩にこの辺りまでフラフラと
散歩してきたことを思い出した。周囲は会社の同僚同士や
友人同士と見られる知人同士が日常的な会話を楽しみつつ?
結構和やかな雰囲気で歩いているを感じを受ける。
思ったよりも寒くはなく、この時点では自分もまだまだファイトがある。
手袋をはめたり、すぐ外したりしながら元気に歩く。
・22:05 ( 2.7 km) 国道×号線に出る [25分経過]
こっからいよいよ本格的な帰路へ。
早くも疲れ気味の彼女の手を引いて歩くカップルの姿も。
彼女、靴ちゃんと履けよ(踵踏んでいる)。。
ヘルメットを被った人(女性)をこの辺りで初めてみかける。
近くに住む知人?から運動靴を持ってきてもらって
履き替えている中年男性の姿とかも。様々な人間模様を横目に歩く。
手持ちのお茶がぬるくなったので、
熱い蜂蜜入りジュースをコンビニで買う。
こういう時は糖分を補給できるものが美味しい。
チョコ菓子は余計だったかと思ったが早くも大活躍。美味い。
1時間ほど歩いてから、さらにコンビニに寄って中華まん、
ドーナツ菓子等を購入。普通のよくあるメジャー系のパンは
完全に品切れになっていた。大震災という未知の体験をして
いるせいか、帰宅までの経路全体に対する体調管理の計算が
出来ないので不安になってか、すぐに腹が減る。
大地震があった痕跡は、大量の人々が帰宅難民と化して歩いている
以外には眼前に見える光景としては巷には特に見えない。ただ唯一の
例外は酒屋で大量の割れた瓶などを店員が片しているのを何度かみかけた。
・23:15 ( 8.3 km) XX通り手前で休憩 [1時間35分経過]
進行方向の道と交差するXX通りは学生の頃に初代バイクで散々走った道だ。
まさか10数年後にこんなかたちで歩くことになろうとは。。懐かしい。
XX通りを通過する前に思わずベンチに腰掛けて休憩。
結構疲れたッス。。ドーナツ菓子をほうばる。
夜中になってやや寒くなってきて気分滅入る。
明らかに足に"きている"太った中年男性が危なげな
足取りで自分の来た方向に歩いていった。自分も汗が
かなり気になりだしている。今回は季節が冬場だったのが
不幸中の幸いであったが、夏場で着替えもないと疲労度も
格段に上であろうと思うと本当にゾッとする。帰途で倒れる
人が続出した事は間違いない。
・23:30 ( 9.1 km) 都道xx号通過 [1時間50分経過]
今日の夜に会食するはずだった友人に電話してみる。
友人は外国人で明日12日に一時帰郷するはずで、今夜は
新宿でミニお別れ会をする予定だった。電話は繋がり
元気そうで何より。予定通り明日帰国するとのこと。
Good luck!
(友人は震災後に再び来日し、今現在はまた日本にいる)
続けて実家に電話を試みるが回線が切断されて無理。
ふと気がついてみれば、いつのまにか学生時代に
住んでいたアパートからそう遠くない圏内を歩いていた。
見たことのある風景に少し和む。絶望と希望が表裏一体で
湧き起こっていたあの頃、、
その頃に歩いた記憶のある神社も通過するが、
とても境内を見て参拝などという余裕はない。
やや足が痛い。
ヘルメットをしている人を見かけると決まって
20代くらいの若い女性だ。不思議。
"携帯でネットはやらない派"なので、会社でプリントしてきた
家までの大雑把な経路地図を阿保みたく何度も見る。
今歩いている都道はかなり長い(気がする)。
自宅まで踏破する気が急速に無くなってきてタクシー活用を
真剣に考える。←ヘタレ
都心から確実に遠ざかってきており、性別を問わず
歩いている人に疲労がみられる。疲労の色は特に中年以上の
女性に顕著か。顔を見上げてみれば遠くに副都心のビルの
輝きが鮮やかに見え自分の位置が判るのが余計に疲労度を増すのか。。
・00:00 (10.8 km) 某区民センター到着 [2時間20分経過]
道路沿いの区民センターが開放されていたのでとりあえずトイレ休憩。
今日初めてテレビを見る。東北地方の太平洋側広域で
とてつもない状況になっていることを映像を見て初めて実感する。
列島上部の太平洋側沿岸が激しく破壊されとる。。( ̄ロ ̄lll)
自分の置かれている状況は恵まれている方なのだと知って逆に脱力。
状況を知ったショックと疲れからソファで数分間固まる。
思わず涙が出そうになり、歩く気力もさらに萎える。
・00:10 (11.3 km) □□通り着 [2時間30分経過]
実際の距離としては1/3くらいは来たが、この時の気分的な
実感としては1/4くらいと思っていたので疲労を感じる。
日付が変わってしまったのと尋常ではない災害の規模の
大きさを知ってしまい、その全てが疲労に変わる。
ここらからタクシーのことばかり考えて歩くようになる。
通り沿いで近くに敷設されている某私鉄が復仇した知らせを
ノートパソコンの画面いっぱいに表示させて、立っているご婦人を見かける。
歩いて帰途に向かう人々に「ご苦労様です」と声をかけている。
その女性の子供と思われる女の子も隣に付き添っており、
子供も律儀に一緒になってお辞儀を繰り返していている姿に心打たれる。
日本は大変な事になってしまったんだ。。
その少し後で運転再開した某私鉄の車両が走っている光景を見て、
電車の車中の明かりの輝きに希望を感じてしまい妙に感動する。
00:30 (13.0 km) 歩き続ける [2時間50分経過]
気分的にはここらでほぼ白旗。
タクシーを拾うことを決意する。
着替えもなく発汗もかなり気になりだす。
そもそもスーツのままで10km以上も歩くものじゃない。←気付くの遅
夏場じゃなくて本当に良かった。足の甲が痛い。。
徒歩での帰宅が目的と思われる人の姿が急速に少なくなる。
コンビニを外から見ると普通に立ち読みしている姿が
見えて震災の混乱による感じは最早ない。
男の方がひどく泥酔しているカップルが前を歩いていて横切る。
女性の方はかなり迷惑そうな感じ。今の時間に酒に酔っている
ということは時間的には激しい揺れが東京を襲った後に
飲み始めたことになるが、、まあどうでもいい。
大震災直後に泥酔するような男とは別れなさい。←余計なお世話
左側の歩道を歩いているのでタクシーが来ないか
後ろを何度も何度も振り返りながら歩く。
正直言って、もう歩く気力無し。
01:00 (15.0 km) 気分的に完全に降参 [3時間20分経過]
タクシーを拾おうとするが何度か断られ、軽くパニクる。
まさか断られることは全くの『想定外』であった。
徒歩で全行程を歩くことは考えていなかった。
体力も気力も、もう無いのにまだ半分にも来ていない。。
まさかの"野宿"のキーワードが浮かぶ。
寒くなってきたし、、ヤバイ。
この10数分後に無事にタクシーを拾う。
タクシーの運ちゃんから、東北にあるコンビナートが大爆発したとか
数百人のご遺体がまとめて海岸に打ち揚げられたとか想像を絶する
話を聞かされる。数百人という数字はガセだろうというのが
この時の正直な気持ちだった。
(数字が日常的にあり得ない規模なので。翌日以降にニュースを見て
運ちゃんの話の内容がほぼ正確であったことを知り愕然とする)
運ちゃんによれば、震災以降の今日のタクシー営業は
ガソリンの確保や状況が状況だけに管轄外の遠方まで
運転を半ば強要されるなど皆大変であったとのこと。
話しを聞いている間に道を勝手に間違えて、渋滞に巻き込まれ
運賃はみるみる上昇する。少しばかりキレる。
01:50 (22.3 km) 国道 #号線・ 交番前着 [4時間10分経過]
ここでタクシーを降りる 2860円。道を間違えやがって時間のロス=料金上昇
があったので当然であるがまけて頂いた。それでも予算オーバーだが
車内は暖房が効いて暖かで体力も少し回復したのでモチベーションは上昇した。
距離としては6kmほど稼ぐ。1km当りの単価が高くついたけど仕方無いね。。
かなり冷え込んでくるが、道のりはまだかなりある。
今歩いている道はバイクでよく通る道であるが、バイクですらここから
自宅まではそこそこの距離がある。。ひたすら歩く。
習志野プレートのタクシー運ちゃんが同業者に道を聞いていた。
(習志野は船橋市の隣りの市で房総半島寄り)
02:10 (24.5 km) 歩けども、歩けども [4時間30分経過]
バイクでいつも走るなじみの街道まであと3km。
交番で現在位置を確認するがお回りはゾンザイな態度。
02:30 (26.0 km) 歩けども、歩けども、 [4時間50分経過]
タクシー降りて3km強近く歩く。
久しく会っていない大阪の友人から安否確認のメールを頂く。
メールの着信時刻は22時半であった。。
02:40 (27.0 km) 歩けども、歩けども、、 [5時間 経過]
コンビニで休憩する。もしコンビニが無かったら今回の行程は全くの破綻だ。
率直に"便利以上"のものを感じ大変有難く思う。
所詮は、自分のやっている事なんてちょっとばかし
寒い中をスーツ姿で歩いて、疲れたら飲食して、トイレに
入っての繰り返しで単なるお遊びのようなものだ。
それでも夏場だったら帰宅難民の二次災害、三次災害は
必至であっただろう。買ったゴマ入りあんまんが超美味!
太ももがスゲー痛い。
歩いている人自体がもう全くない。歩行者は完全に自分一人だけだ。
目の前の風景は全くごく普通の夜中の住宅街に過ぎない。
被災して疲労困憊&汗だくで自宅に向かっている自分が変に感じる。
汗ばんでいて且つ寒い。大変良くない状況。
それでも"蒸し暑い"よりは全然マシである。
自分が将来防災担当相にでもなったら今回の経験はきっと活きることだろう。
03:00 (29.5 km) 某街道に出る [5時間20分経過]
予想よりだいぶ遅れたが、無事にバイクでいつも走る某街道に出る。
[ゴール]が射程距離内に一応入る。足全体痛いっす。。
03:20 (30.4 km) 某ガソリンスタンド着 [5時間40分経過]
長距離ツーリングから帰って来たときにいつも利用する
ガソリンスタンドを通過する。都心の会社からここまで徒歩で来たかと
思うと結構感動だ。バイクならここから自宅までなんてことないが。。
川沿いに桜が僅かに咲いているのを見る。
この界隈では少しばかり有名な桜の見所スポットである。
そのいつもの変わらない光景によって大変な事になってしまった
ことをまた実感させられる。思わず空を見上げた。
03:30 (31.4 km) $通り着 [5時間50分経過]
完全に"自宅周辺エリア"に来た。
徒歩ではまだ少しあるが帰れることは間違いない。
ややテンション上がる。
04:00 (34.0 km) 自宅着 [6時間20分経過]
帰宅。タクシー降りてから約2時間、12kmほどの道のりであった。
バイクは、、無事だった。自宅も特に異常なし。
こちらはそれほどは揺れなかったのか。。
ネットで注文した本が届いていた。
シャワーを浴びて、一息ついて、テレビをつけてみると、
船や自動車、激しく損傷した家、それらが火災を起こしたままで
一緒くたになって黒色の津波と一緒に平野を進んでいく、、
まるで人間社会の終焉を告げられたかのような黙示録的光景。。
テレビを消して布団を頭から被った。
これから先、一体どうなるのだろうか。。
暗澹とした気分になり、思わず涙が出た。
もう外は明るくなり始めていた。
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教訓・反省:
・所持金残金: 約5千円
・全行程約34.0km (内訳: タクシー約 6km, 徒歩約 28km)
・タクシー拾えなかったら洒落にならないところだった。
・冬季だったことは体調維持の上で大変ラッキーであった。
・次回以降は着替えの携行は必須。
・夏場以降に今回の反省を活かしてきちんと装備をして
会社から自宅までの全行程を"完全に徒歩で踏破する
再トライをする。
・再トライはコンビニを全く利用できない事を想定して実施する。
・訓練と体力作りを兼ねて今後定期的に実施したい。
次回実施は一番暑い8月を予定。
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