観_11_06_10
都内某所で映画を観る。
ここ最近、日常におけるパターン化している行動の幾つかについて
点検してみたところ、朝の通勤で電車で無理に快速や急行を
乗り継がずとも、会社に遅刻するわけでもなく、それほど劇的に
通勤時間が短縮するわけでも無いということに、今さらながらに
気が付いた。試しに先週から、意図的にホームで待って数本遅らせて
乗るようにしてみたところ、アラ不思議。当たり前のように無意識に
利用していた本も読めないような大混雑する電車に乗ることも軽減され、
比較的空いた車両で時には座って乗れてしまい(!)会社にも
確実に間に合うので平日の朝が少し気持ちが楽になった。
なぜ今まで気が付かなかったのか。。
電車の中吊り広告で近頃見かける某ハリウッド超大作の続編の
続編である最新作は相変わらず中身がスカスカなのだろうけど
"チラシ"はなかなかカッコイー。日本のかつてのロボットアニメの
"見栄の切り方"も確実に参考にしていると思われ、観に行か
ないと思うがチラシから勝手に血湧き肉踊る展開を妄想して萌え。
今日鑑賞した作品は60年代半ばに製作された邦画で終戦まもない日本のとある
街を舞台にした抗争物。"フィクション"と上段に構えて銘打ってあるだけあって、
中身は後世に伝えていかなくてはならない「ある公然とした秘密」を
正面から捉えた第一級のエンターティメントだった。計らずも全く収まる
気配が微塵も無い空前絶後の大人災に日本全土が焦土と化している
状態の今現在のとある部分をも悪夢そのままに綺麗にトレースした形となっていて、
自分も含めて観客のほぼ全員が2011年6月の今現在の日本をも
描いている事実に戦慄し、呆然としてそして大いに心の中で泣いた
ことだろう。ほんの微細ではあるが、この作品を観た者は
きっと少し歯を食いしばって繰り返される悪夢のような行政に"抵抗"できる
だろうと思われる。日本の、東京の未来は今日、少しだけ明るくなったかもしれない。
勿論トータルでは残念ながら洒落にならない数の化け物達の
跳梁跋扈により真っ暗なわけだが。先人達と何から何まで全く同じ苦悩を、
戦争をしているわけでもないのに体験してしまっている我々。どこに
間違いがあるかといえば、それは「戦争をしているわけでもない」
であって、戦争はとっくに始まっていたのであり、現在まさに我々は
その渦中にあって子供達を危険に晒して、傍観し彼等の未来をも
我々が奪っているのである。当然のように今回の大災害も徹底的に
利用されていることに我々はここ最近ようやく気付きつつある。
抵抗しよう。どこまでも。出来る所からで充分。
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