映画「鬼畜」
「鬼畜」
原作: 松本清張
監督: 野村芳太郎
撮影: 川又昂
音楽: 芥川也寸志
美術: 森田郷平
編集: 太田和夫
出演: 緒方拳,岩下志麻,小川真由美,岩瀬浩規,吉沢美幸,蟹江敬三
時間: 110分 (1時間50分)
製作年: 1978年/日本 松竹
(満足度:☆☆☆☆☆+)(5個で満点)
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中年の竹下(緒方拳)は、妻のお梅(岩下志麻)と従業員一人と下町で印刷業を営む
甲斐性のない冴えない中年男だ。そこへ不倫相手の女(小川真由美)が竹下が
産ませたという子供達と一緒に現れ、子供達を置き去りにして行方を眩ます。
お梅は子供達と竹下に日々辛く当る。やがて竹下とお梅は人道を踏み外していく。。
原作は松本清張の同名小説「鬼畜」。
「煙突の見える場所」(1953)、「野火」(1959)他、数多くの傑作サウンドを手掛けて
いる芥川也寸志が本作でも一度聴いたら忘れられない鮮烈な素晴らしい仕事を
されておられる。
そのタイトルと原作の持つ内容からどんなにセンセーショナルなオープニングかと
思えば、遊び心溢れる軽快なサウンドと60年代の今や郷愁も誘う高度経済成長期の
ありふれた風景から本作は幕を開ける。エンディングはオープニングと対を成して
いて、観客を単に主役の夫婦二人を断罪するだけでは済まない"次元の異なる"
世界へひたすら引っ張っていき、観客は涙を拭わずにはおれない。
前半、すぐの山場、緒方拳演じる主体性の無い典型的なダメ男の竹下と妻の
お梅と不倫相手の女の三人の談判シーンが実に可笑しい。子供達の見ている前で
延々と責任逃れを続ける大人達。子供達の大人を見る視線の冷徹さと戸惑いの
表現は完璧過ぎるくらいに完璧。緒方拳、岩下志麻、小川真由美も当然のように
自然な演技。遠慮なく笑って、笑いながらも考えさせられる。何よりも、監督の野村
芳太郎の「大人達には一点の正当性もなく子供達は被害者そのものである」
という視線が揺ぎ無いものだからこそ、この迫真のシーンが撮れている。
緒方拳は、流石に上手いとしかいいようがない。女達の尻にただ敷かれている
"弱い男"という単純なキャラクターではなく、人間関係におけるピラミッド構造を自ら
構築し、その構造を日々堅牢にし、その頂点に君臨するという"家長"を担う精神を
持ち得なかった危険な男を「きちんとゼロから自分で役として作りこむ」という
"技"がきちんと出来ている。たとえ性格上の問題で長(オサ)としては薄弱である人間
であっても、人生の出会いの中で努力して、父親になっていくのが建前としての社会
構造であるが、緒方演じる竹下の人生にはその機会が訪れず、また、自業自得では
あるが"自分から獲得しようという努力"も怠って生きてきてしまった。緒方拳が、
家長失格の男を見事に演じているからドラマはさらにテーマに相応しく、妖しくどす
黒く輝く。
緒方の演じる竹下の弱さには、同じく心の弱さゆえに凶悪犯罪に手を染める
榎津巌を演じきった「復讐するは我にあり」(1979)に通じるリアリティがある。
岩下志麻は、本作の公開当時は30歳中盤の女盛りであまりに美しくて、エロくて
ちょっと町の印刷屋さんを切り盛りする女主人(旦那がダメ夫なので)には正直な所
似合わないけど、全体的に卒ない演技。ただし、岩下の醸しだす、俳優以前の人間
としての"善"の部分が消せなくて、原作におけるお梅のように精神に異常を来たして
いるかと思えるほどの冷酷さは本作における岩下版のお梅は持ち合わせてはいない。
原作通りの冷酷さを表現できる女優さんが演じていては本作は最早子供達の運命が
鑑賞に耐えられないほどの残虐性をもってしまうので、岩下のキャスティングは調度よく
相殺されているとも言える。
岩下演じるお梅は、原作とは異なり、夫に不倫という裏切りをされたゆえの代償
として子供達を追い詰めていき、その卑怯な行為に良心が咎め自らも傷づくという
人間像をきちんと作っていて、岩下もまた素晴らしい。岩下が造り出したお梅は
人生のどこかで、自分の行いを激しく後悔する日が来るのであろう。それにしても
フェロモンが漂いエロイので従業員役の男臭さ充分の蟹江敬三と何時どうなって
しまうのかハラハラしてしまう。
ある側面において、最も残酷な展開となる長女の良子(吉沢美幸)のシーンを
東京タワーと絡めているのがまた上手い。高度経済成長と戦後日本のまさに
シンボルでもある東京タワーがそのまま文字通り"人間"を置き去りにしてしまった
負のシンボルとして、夕闇の中で圧倒的に印象深く美しく輝き、長男を"始末"
しようと連れ出した竹下は東京タワーを見上げひたすら慄く。
子役二人の演技も過剰にならず不足することなくとても良い。中盤以降のあざと
過ぎない絶妙な人達への不信の眼差し。個人的には長男の利一(りいち)を演じた
岩瀬浩規も素晴らしいが、長女の良子役の吉沢美幸の父親に対して恐怖を感じ
ながらも信じ続けようとする一途な雰囲気が悲しくて、この「クソダメ親父」を
(子供達に見えない所に呼びだして)ぶっ殺して、子供達を抱きしめたくなった。
多くの点において「完璧」といってもいい作品だが、惜しいのは脚本の台詞が一部
説明的過ぎるところだろう。映像と演出できちんと見せているのに展開を理解できない
(追いついてこれない)観客のために説明台詞を入れてしまっていることだろう。
そのために作品のクオリティを損なっている。
傑作であるがゆえにちょっとの傷がもったいない。
末っ子の庄二が動かなくなっている(と間違える)シーンにおいて竹下とお梅は
『それを期待し願う』わけだが、台詞なんてなくても良い完成度なのにお梅に喋らせて
しまっている点。
良心に苛まれながら"最後の仕上げ"を決行しようとする二人。お梅は"裁縫"をして
いる。なぜ裁縫をしているのか、映像できちんと見せているので見ていればその「理由」
は明らかであり、自分で発見した観客は戦慄を愉しめるわけだが、ここでも説明台詞を
いれてしまい観客は大きく水を差されてしまう。
説明的な台詞やシーンを抑制できればさらに後世の評価は高まっただろう。
ロケシーンの完成度の高さも本作の魅力の一つだ。川越、上野、東武東上線沿線の
風景、、
長男の利一が独りで母親と暮らしていた借家に帰るシーンも素晴らしい。そして、
涙を禁じ得ない。
昔、自分達が住んでいた家では、今は利一と同じような構成の兄弟達が『父親』に
水遊びをしてもらっている。利一は土手の上からこの家族の風景を自分の人生である
かのように貪り眺め続ける。
利一が迷子になって帰って来ないことを期待した竹下とお梅の"期待"に反して
帰宅する利一。その表情には、大人達への決別と自分達を虐待し続ける
お梅への嘲笑が浮かんでいた。
たった一日の旅が少年を大きく成長させていた。まだ幼い少年ゆえ、独りで生きて
ゆくのだと決断までは勿論できないが。この小さな旅と、クライマックスもまた哀しい
整合性の輝きを放っている。
ヴィターリー・カネフスキーの傑作「ひとりで生きる」(1992)を思い起こさせる。
子役を演じた岩瀬浩規(利一)、吉沢美幸(良子)はその後メジャーという観点から
見ると、大成しなかったようだ。利一を演じた岩瀬浩規は私生活でも映画とは違った
意味で波乱万丈であった模様。彼らが大成しなかったのは、映画という"物語"とは
いえ、その迫真過ぎる完成度と役者達の気迫に何事かを見てしまったのだろうか。
本作は、日本アカデミー賞主演男優賞(緒形拳)、監督賞(野村芳太郎)他、多くの
賞を受賞している。
野村芳太郎監督の「疑惑」(1982)においても岩下志麻の名演技と作品の完成度
は素晴らしい。
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