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2011年6月19日 (日)

映画「高校」

2010年に見た映画(六) 「高校」

原題名: High School
監督: フレデリック・ワイズマン
時間: 75分 (1時間15分)
製作年: 1968年/アメリカ

2010年 1月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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フィラデリフィア郊外の高校の生徒と教師、親たちの"日常"を追ったドキュメンタリー。

 

幸いにして、自分の通学した高校は割りと自由な校風でそれなりに楽しかったのでは
あるが、"自我"と集団生活・友人達との距離感の調整にホトホト苦労した身としては
フレデリック・ワイズマンの『箱の外』の人間としての定義を"映画技術"として明確に
揺ぎ無く定義した上での視点と画面構成を期待したが、、全体的に普通であった。
勿論その"普通"な視点には世の中を切り取って見せるというプロ意識と高い教養
があり21世紀の今日観ても、全く古びていない普遍性をきちんと持っている。
性を自覚し始めた年頃の生徒達、子供の進路に悩む親、集団の「中で」生きることを
子供達に日々連綿と"調教"していく教師、、

作品の紹介文にあったような「、、やがてベトナム戦争に従軍していく人間を送り出す
システムの一つ」という国家という巨大システムのユニットの一つ、有効な機能の一つ
としての『高校(High School)』という見方は自分はこの作品から感じられなかった。
仮にそうだとしても、高等学校は所詮は"そうであっても"いたしかたの無い機関で
あることは当然であると思う。『世界市民たれ!!』という民族や国を超越した教育を
する組織も幾らもあろうが、"その精神の基盤"を教えるのは全くもって容易ではなく、
『真っ赤な大嘘の基盤』を叩きこまれちゃった人々が成長し、資金もタンマリどこぞから
頂いて、そのどこぞの尖兵となっているに過ぎないのに自分の国を破壊しまくちゃって
いることに全く気付かないという「結果」を我々日本人はここ数年毎日、自分達の
生活と人生を台無しにされながら体験中である。もうそろそろ"彼等"が破壊する
"もの"が全部破壊されてしまいそうだ。

砲火を交えない戦争はある種、砲火を交える戦争の数倍も数十倍も虚しく、哀しく、
後世への被害もまた甚大である。

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