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2011年6月11日 (土)

映画「剣鬼」

「剣鬼」

原作: 柴田錬三郎
監督: 三隅研次
脚本: 星川清司
撮影: 牧浦地志
音楽: 鏑木創
美術: 下石坂成典
編集: 菅沼完二
出演: 市川雷蔵,姿美千子,佐藤慶

時間: 83分 (1時間23分)
製作年: 1965年/日本 大映

2010年 1月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)
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花造りの名人として登城が許されるが、出自の低さから疎外されて
生きる孤独な男、斑平。やがて居合いに魅せられ主の命ずるままに
人を斬っていく。居合いを学んだ恩師までも。。原作は柴田錬三郎の同名作品。
 

市川雷蔵の演技を超えた持って生まれたような人を寄せ付けない孤独な
オーラと三隅研次の"美学"が融合した秀作。人間関係上においてではなく、
もっと深いところで集団という集団から切れて生きる男が抜く刀は実に
切ない。クライマックスのお花畑での切なくも美しい殺陣はまるで、
自分以外の"全ての人間"を斬り斃してしまおうとするかのような哀しさに
満ちている。それにしも「剣」(1964)といい、「切られ与三郎」(1960)といい、
「大殺陣 雄呂血」(1966)といい本作といい雷蔵が放つ"孤独臭"は一体何だろう。

"時代劇"における斬り合いと言えば、日和らなくては生きて生けない"体制"
に背いた果ての孤立から来る反撃であったり復讐であったりするのが
常道であるわけだが、市川雷蔵の演じる男は「本質的にどうしようもなく孤立」
していて、唯一そのことだけが疎まれ刃を抜かれる理由であるという所が
多くの時代劇と決定的に異なるところであり、現代劇のような普遍性も匂わせる
ことにより鑑賞後に独特のテイストを観客にもたらすことになる。本作は時代劇
映画として非常に高いレベルの"絵"を保ちながら、非代劇的なテイストも
濃厚に併せ持つというところで特異な位置にある作品ではなかろうか。

本作で美術を担当している下石坂成典(しもいしざかしげのり)は永遠の問題作
にして拙ブログでの訪問数断トツのトップを誇る「愛のコリーダ」(1976)において
"セット"担当でクレジットされている。「愛のコリーダ」において一番の見所は実は、
ほどよくファナティックでエキセントリックな美術とセットであると思う。

2010年に惜しまれつつも他界した名優佐藤慶は主人公に味方するほとんど
唯一の人間として登場しているが彼もまた本作で演技を超えて滲み出るような
"優しさ"を放つ人間像を造形しておりそれゆえに物語から排除されるべくして
排除される人間として物語の中盤で消え去ってしまう。

何だか色々と物悲しい作品であるが機会があれば再見したい。

三隅研次は人間と人間の科学で未だ解明しきれない狭間、軋轢、といった
"空間を撮れる"映画監督である。三隅の撮る諸作品こそが本当の意味での
"3D映画"か?

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