観_11_09_08
都内某所で映画を観る。中途半端な蒸し暑さが続く。
「気持ちを新たにす」という言葉が何となく浮かびつつも
茫漠と過ごしたここ数日間。何はとまれ、会社をとっとと
出て劇場に向かう。何はとまれ、まずは神社で御参り。
神社で御参りをしてから映画を観るという行程が益々
もって大事な儀式になりつつある今日この頃。今日は
街のメインストリートには、何だか知らないけれども、
「祭」と一文字だけ書かれた横断幕が張ってあって、何だか
知らないけれども、少しだけ癒された。
「祭」っていい言葉だ。「祭」があるから「生活」がある。
「生活」があるから「祭」がある。「生活」だけでは余りに
素気ないし息苦しい。「祭」ばかりでは当然であるが、
「生活」が成り立たない。「祭」という不可欠な要素によっ
て同時に「生活」もまた存在できる。これからの日本に
重要なキーワードの一つのような気がする。いや、間違
いなく重要だろう。「祭」。
鑑賞した作品は60年代の邦画の作品で将に何十年、
何百年に一度かという国家の総力を持って行う壮大
且つ究極の『祭』における数コマを描いた青春群像劇。
スルーしようと思っていたが、今後出会えば、結局は
観ることになるだろうと判断して鑑賞することにした。
予想外に良くできていて、得るものもあった。ただし、
核心的部分においては他の数多くの作品と同様に、
"何かを見誤っている感"が否めないが、これは自分達
以降の世代が総括して担っていくべき問題であろうと思う。
「作品」を残してくれただけで充分に感謝すべきこと
かもしれない。内容そのものについての出来は"中の上"
くらいであるが、多くの点で今もこれからもほぼ絶望的
に撮ることが不可能である作品には違い無い。撮ろうと
思えば撮れるのだけれど、『撮らせまい』とする極悪バイアス
が残念ながら今の日本では強すぎる。
気が付いていれば、そこそこ長い付き合い
となっている友人から興味深い内容のお電話を頂く。
この二年ほど「一つの大きな区切りを向えること」を
前提にひたすら生きて来たので、友人の申し出と自分の
今後の人生設計が上手い具合にリンク出来れば
面白いことになる。
まずは、明日もセコセコ会社に行くデス。。。
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