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2011年9月10日 (土)

映画「宇宙戦争」

2010年に見た映画(十七) 「宇宙戦争」

原題名: War of the Worlds
監督: スティーヴン・スピルバーグ
脚本: ジョシュ・フリードマン,デヴィッド・コープ
出演: トム・クルーズ,ダコタ・ファニング,ジャスティン・チャットウィン
時間: 116分 (1時間56分)
製作年: 2005年/アメリカ

2010年 2月鑑賞
(満足度:☆☆)(5個で満点)

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 公開当時、もの凄く観に行きたかったが、予告編を観るほどに、もの凄く
「嫌な予感」が倍増して、
結果的に鑑賞を見送った作品。マスコミ向けの試写
では、所持品を全て預かる等の厳戒態勢で行われて当時話題になった。これは、
画期的な映像マジックと予測不能且つ練りに練られたストーリーが漏洩される
ことを防止する為の措置であろうと(自分も含めて)多くの人が疑わなかったこと
であろうが、鑑賞してみると単に「作品としての出来が悪い」ことがばれることを
懸念しての措置であったのだろうかとも思う(笑)。

 冒頭の世界観説明描写以降、延々と続く大カタストロフィの中で父性を"全く"
発揮できないトム・クルーズ演じるレイ・フェリエなる人物がとにかく謎過ぎる。
なぜ、こんな映画史に残るような哀しい人間像が作られなくてはいけなかったの
だろうか。"うつー人"が出てこようがトライポットなる人類に向けた巨大攻撃
兵器が出てこようが、レイの徹底的なダメクソ親父っぷりと、そのダメっぷりが
原因の全てである二人の兄妹の哀れ(いっそ親父がいない方がよほどいい)
が気になって気になって、もう一つ気になって、うつー人の正体やトライポットの
攻撃や世界の破滅の本題?の方に全く集中できない。異常なのはレイ一家だけ
ではなく、本作には適正な状況判断能力を持ち、その判断を行動に結び付けられる
人物がほぼ全く出てこないので物語の重心の位置が観客に丸投げされて
しまっていて大変ストレスが溜まる。ストレスが溜まってきたのを見透かしたように
展開される破壊描写も「何しろスピルバーグの映画を観ているのだから」と自分に
言い聞かせないとさらにストレスが溜まってしまう。まあ、9.11同時多発テロとか
世界の紛争・テロの起こるタイミングの因果関係とかハリウッドメジャー映画
や本作との類似性・符合性を考えると興味深いことは興味深いのだが。
 
 個人的に唯一グッと来たシーンは、適確な指揮権を微塵も発揮できない
レイのダメ親父っぷりに完全に絶望した息子のロビーが暗闇の中で始まっ
た軍の一斉反撃の大混乱の中で父に「別れ」を告げて自分の力で生きよう
と決意するシーンくらい。この個人的に唯一"映画っぽい"シーンにおいても、
ロビーの方は父親を"見捨てる"ことに全く逡巡も後悔も躊躇いもなく、レイは
最後の最後まで父親らしい姿を見せることは出来ない。ロビーはレイの
"心に響かない"言葉を"聞いてあげている"だけだ。他のシーン同様に全く
もって痛いシーンであることに変わりないので、「父を乗り越えて旅立つ息子と、
それを見送る父親」という本来の?描写に脳内で変換して感動する振りを
自分に課して観た。
  
 スティーヴン・スピルバーグは、なぜこの作品を作ったのだろうか。
脚本の人々はなぜ、こんな観ている人の焦点がぼやける物語にしてしまっまった
のか?ある漫画家が「スティーヴン・スピルバーグはこの作品で"ゴジラ"を
やりたかったのだろう」
と書いている記事をどこかで読んだが的を射ている
ように思う。最後の最後の最後まで核心には一切触れずに"状況"だけが
延々と続く。核心部分は「嘘」(純然たるフィクション)であるのだからそれで
いいという姿勢は将にゴジラを筆頭に「東宝怪獣映画」の"それ"だ。ゴジラ
や一連の日本の誇る怪獣パニック映画は「映画」というよりも、「歌舞伎」の
方により近く、観客が幾つもの暗黙のルールに合意していて始めて成り立つ
のである。「GODZILLA」(1998)が大失敗して、その後も日本発の諸作品を
原典とする巨大怪獣物が未だにヒットしたと言えない状況にあるのは、
そこにある。スピルバーグは作り始めてから直感的に素早く"ゴジラ"の
持つ重要なファクターが自分達欧米人には手に負えないと懸命にも判断して
現代社会の持つわかり易いテーマ「家族の絆の危機とその克服」を
持ってきたのだろうか。

 レイ一家の結束力が深刻なレベルで見事に粉々バラバラになっている
のをひたすら見せられるのは、実人生で親の離婚や一家離散を経験して
いない幸福な?観客には耐え難いことだと思う。まあギャグとして見れば
それで良いのだけれどアメリカ社会の家族間の人間関係の希薄さは
この映画レベルが標準ということなのだろうか?放っておいても暴風雨の
ように荒んでしまっている人間関係と大カタストロフィを同時進行で見せ
られると個人的には「いたたまれない」だけだった。

 本作はSF映画とかVFXという分類よりも家族を壊してしまった父親や
母親が自己治療の為に観る特殊なプログラム用ピクチャーかまたは、
スティーヴン・スピルバーグの精神構造の外部の人間が知る必要のない
病んだ部分を覗きたい人が観たらそれでよい作品のように思う。

 評価が分かれる作品であることは観た後では容易に理解できて、スピルバーグ
映画が好きで、スピルバーグという人間にも多分に興味のある人間にとっては
本作は"面白い作品"となる。そういう意味では、"ゴジラ映画"と"歌舞伎"
の共通点「作り手と観客とで予め共有すべきルールがある」という点において、
「ゴジラをやりたかった」という指摘はやはり当たっていると思う。
本作を充分に楽しむためには、先に観るべきスピルバーグの作品があって、
理解しておくべきスピルバーグの"心の内"があるのだ。

 鑑賞しながら、どこかの本で読んだスピルバーグが自身を語った言葉
「映画監督になっていなければ連続殺人鬼になっていた(かもしれない)」
をふと思い出した。スピルバーグを一切知らない精神科の専門家に本作を
観せて、作った人間像について分析させたらとても面白いかもしれない。

 うつー人が登場する映画としては、やっとこさ登場したところで、驚きも
感銘もほぼ全くない映画暫定一位。しかし、ある特定の層の人々にとっては
ハンカチが足りないくらいの号泣と人生の激しい悔悛を禁じえないだろう
作品。そして、家族物ロードムービーであり、青春映画でもある。。
やっぱり傑作か?スピルバーグ恐るべし!

 

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コメント

この映画テレビ放送で見ましたが
ほとんど記憶に残ってませんね
覚えてるのは
ドつまらんことと
トムクルーズが出てたってことぐらいっす
 
このドつまらん映画でこれだけ文章が書けるクロネコさん恐るべし!

投稿: 万物創造房店主 | 2011年9月12日 (月) 17時53分

>このドつまらん映画でこれだけ
 
ありがとうござりまする。
m(_ _)m

"ドつまらん映画"の方が気兼ね無く記事が
書けますね(≧∇≦)
  
優れた映画の感想を書こうとすると、
自分のボキャ貧ぶりと、勉強不足と、
人生の経験不足が透けて見えて、、
凹みますな。。(ーー;)
 
まあどちらにしろ、好きで書いているん
ですけどね(^-^;)

投稿: kuroneko | 2011年9月13日 (火) 01時54分

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