聴_11_09_30
聴_11_09_30
どうにか今週も終了。前々から気になっていた某アーティストの
CDを本日ネットで購入。
「音楽を聴く」
という行為は、自分の人生にとってどうも必修科目では
なかったらしく平均的に見て手付かずもいいとこのままで
オメオメと生きて来てしまった。逆に考えれば、映画について
は一通り"アタリ"は出せたかと聊かの自負が出来るが、
音楽は未開拓もいいところなので、あれこれとじっくりと
攻める楽しみが残っているとも言える。と、いいつつも手当たり
次第に攻めるという正攻法を取らずに無数の"音"を聴いてきた
達人のガイドに沿って、自分にとって心地いいと思える
タイトルをピンポイントで攻めていくズルイやり方をしている。
『情報』というものが"氾濫"という域を遥かに超えて
襲い掛かってくるような時代を我々は生きている。もしも
世の中を本当に少しでも良くしたいと思うのなら、ほんの
一時間でも充分だから「広告」というものから完全に
解放されたらいいと思う。「各々で勝手に解放してれば
いいじゃんよ」というスタンスではなく、ある程度のコスト
をきちんと皆でシェアして「ここにいれば情報という名の
凶器に強姦されなくて済む」というエリアをきちんと構築
することが文化というものでインテリジェンスというもの
ではないかと毎日下卑た、悪質も悪質な低劣極まる
電車の内外にくまなく貼り付けられた広告を見て、
しみじみそう思う。多くの人もきっと同じような事を考え
つつもタブレット型端末を懸命に弄くっていたり。
「何も無い」というそれはそれで、複雑で深い機構のような
ものについてチマチマと考える日々。「無」などということ
について考えているから音楽を聴くという行為はついつい
後回しになってしまう。音楽は空間の中を駆け巡るのだから。
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