« 聴_11_09_30 | トップページ | 観_11_10_02 »

2011年10月 2日 (日)

観_11_10_01

観_11_10_01  <<  >>

  

 都内某所で映画を観る。だいぶ涼しくなったものの、
まだまだTシャツ一枚で充分な気持ち良く晴れた秋の日。電車の
中で対面に座って化粧をする女性の風貌に「時計じかけのオレンジ」
(1972)のマルコム・マクダウェル扮する主人公アレックスを思い出した。

 昨夜は某タブレット型端末を誰かに貰って喜ぶ嫌らしい夢を
見てしまう。どうせ大して使う用途も無いが、扱う情報や情報を
得たその先にある何事かではなく、

「端末をいつでもどこでも優雅に使いこなす"俺"」にベクトルが
向いていて見た夢であることは深層心理的に間違いない。

 某作品の前売り券ゲットする為にいつもの店に向かうが閉鎖
されていたのに驚く。学生時代から長年利用してきたのでしばらく
呆然。仕方なく周囲を捜して別の金品も色々扱う店に行く。保身と
女と金くらいしか人生の目的が無さそうな金周りの良さそうな油
ぎった売り場のお兄さん(←偏見)に映画の題名を伝えるが当然
判るはずもなく、兄さんと一緒に必死にショーケースに目を凝らして
捜す。奇蹟的に目的の作品のチケットは置いてあった。専門店
ですらも幾度となく嫌な思いをしたので、今後は極力、劇場で
直接購入することにしようと誓う。

 鑑賞作品は90年代の邦画。傑作。監督と脚本と出来上がった
作品そのものの共犯性とそれぞれの独自性についての相関関係
について深く考えさせられた。自分の今後の映画の見方に大きく
影響していくことだろう。

 優れた作品を遺す人間と、そうではない人間の

『決定的な違い』

についてもまざまざと目撃する日となった。それは自分が
以前から自分の歩んできた人生においてはほぼ実証済み
の仮説であったが、今日の出来事でさらに揺ぎ無いものと
なった。
人は結果的に誤るのではなく、最初から誤って
いるからこそ誤るのだ。そして、たとえミスをしていなくても
輝かしい場所に辿り着けるかといえば、当然であるがそんな
ことはない。自分が辿り着けない、または、"もしかしたら"辿り
着けるかもしれない二者択一の違いの歴然とした大きさ
自明であることには気付きたいものだ。

 もともと辿り着こうと思っていない場所には、もう辿り着け
ない。そして、何とかして辿り着きたいある場所に向かって
どうにか、こうにか今日も明日も生きる。そこに到着できる
かは未だ判らないとしても今日という到達点に満足できた
ことを大いに良しとしよう。


 




 



  
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

|

« 聴_11_09_30 | トップページ | 観_11_10_02 »

日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 聴_11_09_30 | トップページ | 観_11_10_02 »