観_11_10_18
都内某所で映画を観る。かなり長期に渡って考えてきた
幾つかの事柄について、中間解や最終の解に近いものが
出てきた"ように"思われてなかなか楽しい日々。いつもの
神社で御参りして、いつもの映画館に向かうのも何だか一年
振りのような気もする。
鑑賞した作品はゼロ年代半ばのフランス映画。ある"怪物"の
正体についてとても丹念に描かれた偉大なる傑作。撮影が
特に素晴らしくて、久しぶりに劇場を出てから自宅に着くまでに
目に映るものを全てが写真に撮ったらそのまま雑誌にでも
載せられそうな、素晴らしい被写体の山に見えてまるで透明度
の高い海中を漂っているかのような快感に浸れた。
傑作を観たことにより、脳の一部が覚醒したのか、ある種の
原罪について描かれた内容の作品を観たせいなのか、帰って
きて遅い夕食の準備をしていると、フライパンで焼いている肉が
プルプルと、小刻みにまるで生きて震えているように見えた。
この肉は少し前には、生きて呼吸していた生命体の一部で
あったのだという普段全く意識しないごく当たり前の事実に気付く。
最初から殺して食す為に育てられ、そして時期が来たら、
予定通りに殺され食すために解体されて、その一部が自分
の手に入り、焼き、そして食す。当たり前のことで、その
当たり前の事を一瞬も顧みることもなく生きてる。明日も、
明後日も、食す為に生かし、食す為に殺す。その次の日も。
その次の日も。その次の日も。。
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