観_11_10_20
都内某所で映画を観る。急に涼しくなってきて、扇風機も
まだ閉まっていないのにコタツが必要になりそうなほどだ。
映画館で販売していたTシャツのデザインが悪夢をモチーフ
にして描いたような、シュールな絵ばかりで、青年期のある
時期まで目指していた世界についてふと思いを巡らした。禄に
腕を磨こうともせずに、東京を長らく漂流して今の姿があるわけだが、
「目指さなくて本当に良かった」と安堵する情けない今日という日の自分。
"出来もしない職"に無理やり就いていたら、今頃この"ワールド"には
いなかったことだろう。
鑑賞した作品は90年代半ばの洋画で学生の頃観た
レンタルビデオの中では最も感銘を受けた作品の一つ。
『この世界全部』の中と外、裏と表、その同一性を完璧な
までに描いた奇蹟の作品。大変残念ながらデジタル上映で
画面がのっぺりした感じは否めなかったが、劇場はほぼ満員で
女性客がかなり多かった。客層全体としては自分のように
公開当時に衝撃を受けて、劇場で観れると知ってイソイソと
観に来た30~40代と思われる人々か「いいから黙って観て
おきなさい」と言われたのであろう?大学生と思われる20歳
代前半の男女で大きく二分されている感じだった。
10年以上も間をおいて観る作品となると"印象"そのものが
大きく変わるのが普通だが上京してからのレンタルビデオ
鑑賞史上ナンバー1と言っても過言ではない作品だった
せいか、覚えていないシーンは多数あったものの作品世界
から受けるインパクトの方向性そのものは学生時代と変わって
いないことに妙な安心感を覚えた。
学生の頃は世界の"中"に入り込んでしまった登場人物達
が気になって仕方がなかったが、10数年後の今日観て
みると同じ作品の鑑賞であるが、自分は外側にいる(つもり)の
人間達の方から自然と観ていることに気付いた。
六畳台所付き風呂無し木造アパートの一室で小さな中古の
ブラウン管テレビで背中を丸めて、レンタルビデオで借りてきて
呆然と観たあの日。一年後の自分なぞ想像も出来ずに
バイトに明け暮れて、バイクを乗り回して、放言を吐いて嬉々
としていた愚かな日々。。
10数年の時を経て、会社に飼われて仕事に明け暮れ、たまに
バイクを乗り回して、放言を吐いて嬉々としている愚かな日々だ。
何一つ変わっていないようで、確実に何かが変わったようで
やはり何一つ変わっていないのかもしれない。
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