« 観_11_10_22 | トップページ | 挽歌 »

2011年10月23日 (日)

映画「アンダルシアの犬」

2010年に見た映画(二十三) 「アンダルシアの犬」

原題名: Un Chien Andalou
監督: ルイス・ブニュエル
脚本: ルイス・ブニュエル,サルバドール・ダリ
撮影  アルベール・デュベルジャン
編集: ルイス・ブニュエル
出演: ピエール・バチェフ,シモーヌ・マルイユ
時間: 16分
製作年: 1929年/フランス

2010年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

-------------------------------------------------------

 余りにも有名過ぎるオープニングの眼球切り裂きシーンが冒頭で
いきなり展開されたその瞬間に初めて"あの"「アンダルシアの犬」を観て
いると劇場で気が付いて「これか。。」と思わず呟いた。

 男という生き物誰もが、恐らくは持つであろう内的不安定性や、
異性に対して持つ純粋なる変態的暴力性を完璧なまでに映像化した
作品。肉感的なものや科学という物差しで計れる範囲内の物を実体
として扱うことに真っ向から異議を唱えているかと思える。それもその
はずで、本作はルイス・ブニュエルとシュールリアリズムの雄にして
20世紀の巨人の一人サルバドール・ダリ(1904-1989)の二人が夢に
ついて話し合い映像化して出来上がった作品だからだ。

 深層心理下においては、「自分は生き物ではないのでは」と思える
ことこそが真実であり、目の前の女が自分の持つ刃物で切り刻まされ
て泣き叫ぶその悲鳴(音波の伝承による物理的現象)"のみ"が実体で
あると断言しているかのような気味悪さと普遍的な人間の口には出さ
ないが恐らく全世界の誰もが隠し持つタブーを映像化している。

 男が女を襲うとして、壁だの何かの死体だの人形のような生気の
無い人間を引きずるシーンのおぞましさ。ただ男が自転車で走って
きてロボットのように倒れるだけのシーンも滅茶苦茶気持ち悪い。人間
社会も人間そのものも本当はデタラメで破綻していて嘘だらけなのに
表面的な約束事だけでかろうじて体制を持っているだけに"過ぎない"
ということを確信をもって高飛車に断言されている気もする。「洗脳」に近い。

 映画という人類最高の玩具が20世紀の初頭に登場して、芸術として
ほぼ確立したこの1920年代に現実の世界はジガ・ヴェルトフ等によって
完璧に切取られ、非現実の世界はこうして、偉大なる天才達により早々と
十二分に描かれてしまっている。CGや3Dなんてなくても、能の奥にダイレクトに
響く至極の映像表現によって。

 デヴィッド・リンチが製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果まで一人
で手掛け創造したこちらも偉大なる"悪夢"「イレイザーヘッド」(1977)を
観ていて思い出した。勿論デビッド・リンチは本作を「知っている」に 違いない。
最早ネバーエンディングとなった叙事詩「JOJOの奇妙な冒険」の
荒木飛呂彦の作品にはどれも数コマに一回は直接的な表現としてか
あるいはサブリミナルのように本作が挿入されているように思う。(特に
JOJO第5部)。

 是非瞬きせずにもう一回観たい。瞬きしたその瞬間、恐らく背後から
何者かに眼球を切り裂かれているであろう。誰もいないはずなのに。。

-------------------------------------------------------
映画感想一覧>>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

« 観_11_10_22 | トップページ | 挽歌 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 観_11_10_22 | トップページ | 挽歌 »