2010年に見た映画(二十七) 「ゾンビ」
原題名: Zombie/Dawn of the Dead
監督: ジョージ・A・ロメロ
脚本: ジョージ・A・ロメロ
脚本協力: ダリオ・アルジェント
撮影: マイケル・ゴーニック
音楽: ゴブリン
SFX: トム・サヴィーニ
出演: デヴィッド・エンゲ,ケン・フォリー,スコット・H・ライニガー,ゲイラン・ロス
時間: 139分 (2時間19分) [HDリマスター/ディレクターズカット版]
製作年: 1978年/アメリカ・イタリア
2010年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)
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キャスティングの配置がバランス良くて映画としての厚みを増して
いるように思う。
デビッド・エンゲ演じる、少しばかり了見は狭い常識人のスティーブン
スコット・H・ライニガー演じる陽気で勝気なロジャー
ケン・フォリー演じる冷静沈着なる頼れる男ピーター
ゲイラン・ロス演じる紅一点の美貌を讃えたフランシーン
そして、主要キャストの紅一点の女性の妊娠というファクターが、
この偉大な傑作により一層の人間模様の立体性を与えている。
ゾンビ VS 人間
人間 VS 人間
男 VS 女
入れ子構造が掛け算ではなく、二乗・三乗されて人間の持つ原罪に
ついて観る者を絶え間なく刺激し続けてドラマは展開していく。
抵抗出来ない者達(=ゾンビ)の上に君臨することに、ただひたすら
陶酔感と無上の"エクスタシー"を感じ続ける人間達は奢り、高ぶり、
"敵"を舐め切ってやがて自らの浅墓さの為に次々と斃れ喰われていく。
中盤以降の主人公の一つともいえる人間VS人間VSゾンビの主戦場
であり、テーマの見地から見ても極めて重要な
「ショッピングモール」
という『約束された地』を巡って殺しあう人間達の描写の何という無理のない
自然さだろう。
この映画はただひたすら、どのシーンもありのままに人間の本性と
歩んできた歴史を『一切の誇張なく』描いているに過ぎない。
彼等は死体共が「襲ってくるから」撃つのではなく、人間の形をした生き物
(もしくは人間そのものを)『撃ち殺したいから撃つ』のである。蹴飛ばし、殴り、
脳天を突き刺し、車で轢き倒す。
心の底から、そうしたいから、そうするまでである。
殺戮の限りを尽くす理由として、「だって死体だから」というエクスキューズが
必要であるに過ぎない。
「だって○○だから(暴力を働いても略奪しても何をしてもいい)」
本当はエクスキューズ何て一切全くどうだっていい。ただただ殺戮が出来れば。
その証拠として作中でただの一秒ですら「奴らが何者なのか」検証することを
望む人間は一切登場しない。そんなことをしたらせっかくの極上のエクスタシーを
味わえないから!
そんなウザったいことをする奴はゾンビということにして撃ち殺してしまえ!!
救いがあるのは、主要登場人物達がそれぞれ魅力のあるキャラクターで、
偽善的でないことであろう。彼等はゾンビをやっつけて仲間を救おうとし、
ショッピングモールを独占して征服欲、所有欲をひたすら満たす。そしてそのこと
の罪も理解して自分達がいつで斃される側に廻ることを理解している。
ゾンビを演じている大量のエキストラ?の皆さんはなかなか楽しそうで
よく見ていると、スタッフ側の意図通りには動けていない人々も明らかに
いるがご愛嬌。後半に主要人物の一人が"仲間"に入るが、流石に俳優だと
身のこなしが違ってまるでバレエのように軽やか?にステップを踏んでいる。
やたらとよく出来たリメイクで、且つリメイクすることに意味を持たせることにも
充分に成功している。だが個人的にはオリジナル(前作)を観た衝撃の方が
強いので機会があればオリジナルを劇場で観たいものだ。
ロメロの手掛けた本作を含めた"ゾンビ三部作"は、
一作目: Night of the Living Dead (1968) (邦題:ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド)
二作目: Zombie/Dawn of the Dead (1978) (邦題:ゾンビ)
三作目: Day of the Dead (1985) (邦題:死霊のえじき)
となっていて、夜→夜明け→昼と時間経過が明確でコンパクトにまとまって
いて素敵。夜→夜明け→昼⇒夜→夜明け→昼⇒、、
ゾンビ映画って人間が最後の一人になるまで物語を半永久に作れそうだ。
三作目の邦題「死霊のえじき」もなかなか良い題名だと思う。
新作のゾンビ映画がなかなかブロックバスターになり切れないとしたら、
それは、視点がゾンビという架空の物に向いてしまって、本作や
「THE CRAZIES」(1973)のように「詰まる所、問題は人間そのものである」
という点がどうしてもぼやけてしまい、観客は深層心理下のどこかで
その点について不満を感じ、ストレスを溜めてしまうからではなかろうか。
怪獣映画、SF映画、サスペンスなどの謎解き、全てのフィクションに
通じる大事な点だと思う。そして、その大事な点にきちんとフォーカスを
当てて脚本を書くというのは人生経験と世界に対する観察眼と直感、
誠実さ等、人間として肯定すべき得難い要素全てが必要になる。
だから、傑作というものは生まれなくても当然といえば当然なのだろう。
白人社会の根幹に今もって厳然としてある狩猟民族としての厄介な
戦闘本能、「獲物を狩ること」(=ゾンビを倒す!)と自己をどこまでも守る
(=自己正当化の目的化)と、無限の所有欲の象徴としてのショッピング・モール
での人間同士の死闘と勝利者による完全なる封鎖と占拠(=戦争と戦利品
である植民地の拡大)。。資本主義社会における欲望の終着駅?である
ショッピング・モールについてはまた今度少し書いてみたい。
ダリオ・アルジェントが参加していなかったら、完成された作品の
どこの何がどのように変わっていたか、ウダウダと考えてみるのもまた
楽しい。
若いうちにじっくり瞬きせずに観て大いに楽しんだ方がいいでしょう。
これが「人間」で「社会」なんだから。決してそれが全てではないが。
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