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2011年11月19日 (土)

news「ニュートリノ 再実験でも光速上回る」

  
 

ニュートリノ 再実験でも光速上回る
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 素粒子のニュートリノが光よりも速く飛ぶとする実験結果を
今年9月に発表した名古屋大などの国際研究チームに参加する
イタリア核物理学研究所は18日、精度を高めた再実験でも、
超光速を示す同じ結果が得られたと発表した。
(略)
 研究チームは「最終的な結論を出すには他の研究機関による
追試が必要」としており、超光速をめぐる議論はまだ決着していない。
日本の物理学関係者によると、当初の実験は、陽子を飛ばす時間が
長すぎたことが一因で測定誤差が生じたのではないかと指摘されていた。
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2011.11.19 07:32
[http://sankei.jp.msn.com/science/news/111119/scn11111907330002-n1.htm]

 
 

 この「ニュートリノが光速を越える(かもしれない)」実験結果報告と
今後も展開するであろう経緯の面白さは、結果自体の驚きにあるのでは"なく"
科学者達と、膨大な数の人々が緻密なる予想と仮説に基づいて疑念を挟み、
追加実験を提唱しているのでは"なく"(勿論そいう意味での要望もある)、

『相対性理論が通用しなくなるかもしれない』

というある種の恐怖に近い懸念から、異論が噴出し、その異論が今回
またしても不利になったという事にある。社会の片隅で生きる
無力なる一市民の感慨としては、

「やっぱし宇宙人が存在していることはほぼ間違いなくて、しかも
太古から地球にちょくちょく来ているらしいぞ。オォイ!!(゚д゚;)

という所であろうかと思う(←違うか^^)。不愉快極まるニュースがテンコ盛りの
日々の中で、一服の清涼剤となる実に楽しいニュースだ
(宇宙人が地球に飛来したと思わせる"具体的なガジェット"は世界中に
数多(あまた)遺されているが総合的に事実と断定できる結論に辿り着ける
物は今のところ恐らくない)

 IT革命による情報の共有化により物質的なハードウェア的な世界、
精神的なソフトウェア的な世界、その他の世界においても、ここ10数年で
一般市民にもよくよく知れ割った事実の一つは、

 我々は何かを解明し、それらを理解し、解体・再構築駆使して生きている
 
わけではなく、安全に運用できるルールを作り、そのルールの範疇で
 
生活しているに過ぎない。科学の面においても、それは変わることはない。

ということであろう。宇宙の果てまでも観測することがほぼ可能になり、
本当に人智を超える速度であらゆる事についてシュミレーション(事前計算)
が可能になりつつある今という時代において、従来の『ルール』は一部か、
または大幅な変更の必要に迫られているというだけに過ぎず、ある種の
伝家の宝刀かバイブルのように扱われてきた感もある相対性理論、
光速不変の原理といえども例外ではないということなのだろう。

 ニュートンの"万有引力の法則"が、不確定性原理など実に多くの面で
実証に耐えられないとしても、ニュートンと多くのその系譜に連なる人々の
功績が無意味になったり、必要なくなったりすることは全くなく、たとえ
光より速く進む物質が珍しくなくなったとしても、アインシュタインの相対性原理
のおかげで、我々の住む社会は豊かになり、楽しくなり、あるいは窮屈に
なったかもしれないが、今後の全ての科学的発見の土台であることに
何ら変わりは無い。

 光速度不変の原理が通用しなくなり、たとえ気軽にタイムマシーンに乗って
過去や未来に行けるようになったところで、アインシュタインの功績が今後
さらに増すことはあれ、色褪せることはない。

 もしも、新しい発見に耐えられない理論であるからといって、安直に
否定されるとしたら(実際にそちらの方向に向かっているわけであるが)、
本当に過去や未来にいけるツールの開発が可能であったとしても、
我々人類には決してそのツールを入手できる日は来ないであろう。
その時には社会そのものが大崩壊して、光の近い速度の話しなぞしている
場合ではないのだから。

 実際に、我々が規定して定められ、保証されている権利と義務と責任の
行使にいかに日々苦労し、蔑ろにされ、泣き寝入りしているかは、
ほとんど全ての人間が毎日体験しているところである。

 『光』の世界、それに近い世界。それを越える世界。我々はその万分の一
の愚鈍な世界で奪い合い、憎しみ合い、足を引っ張り合い、運が良ければ
100年近く生きて、ほとんどの人間は個人的な思い出以外何も残さずに
別の世界に旅立っていく。だから『光』の世界の周辺は文字通り、とても眩し
くてロマンに溢れている。

 いくら観測は出来ても、そこに決して辿り着けはしないのだから。
 100億以上誕生してきた人類の中で、体験できる(できた)者はただの
 一人もいないのだから。だからこそ、"の世界"は眩く輝き続ける。
 
 
 
 
[その後]
・実験機器の精度に不備が見つかり、2012年6月にニュートリノ・宇宙物理国際会議
にて正式に撤回された。

 
 
 

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コメント

このあたりの話は文系のわたくしにはさっぱりですな
そもそも
光を超えると過去未来に行ける理論すら理解できないです
バックトゥザフューチャーは好きですけど

投稿: 万物創造房店主 | 2011年11月20日 (日) 14時03分

>光を超えると過去未来に行ける理論すら理解できないです
 
光速度不変の法則について"タイムマシーン"という言葉を
使ってしまうところに誤解を生んでいるというのは
よく言われているところですね。
 
「人が乗り物に入って過去や未来に行ける」のは
ど~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
考えても後、1000年経っても絶対に無理でしょうね。
   
"タイムスコープ"(時間望遠鏡)のような表現が
適しているように思います。
 
また、これもよく言われていることろですが、
光を越えられた場合に見えるのは"過去"であって、
未来ではない。理論的に光より速く進めるならば
"過去"の世界を「覗き見る」ことが可能になるはず。
ということですね。因みに未来に行くのはとても簡単で
我々人間は未来に向かってつねに旅行しているし、
ロケットに乗って地球から離れて帰ってくれば少しは
先の世界に辿り着くことが出来ますね。未来は簡単。
  
相対性理論については
LHC実験一般公開講演会
http://tokyo-kuroneko.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/lhc-1fc3.html
でも言われていたことですが、
量子力学との折り合いの悪さはもう世界的に
匙を投げられているところで、統一理論なるものを
作らないと、暗黒物質とかビッグバンとかの解明
がもう無理という感じのようですが、意外と今回の
実験結果がブロックバスターになるように思います。
 
光は媒質に過ぎないのであって、
媒体そのものが解明できれば、量子力学の進化によって
テレポーテーション(瞬間移動)とかが
出来るようになると思います。
こちらも"人間"や"動物"でやったら大変な事に
なってしまうので、鉄の塊とか単純な構成の物しか
出来ないでしょうが。。。
「ザ・フライ」(1986)の世界の"アレ"ですね。
  
多分、後10年もしたら、光より速い物質は全然
珍しくなくなっているように思います。
  
>バックトゥザフューチャーは好きですけど
  
今や、すっかり名作扱いになってますね。
私は「Ⅲ」が断トツに好きで、一体何回観たことでしょう。。
ビデオで。
ビデオって語感も何だか変な感じになったな。。
時代は過ぎていく。。
 

投稿: kuroneko | 2011年11月21日 (月) 02時01分

>光を越えられた場合に見えるのは"過去"
つまり
僕らが見ている星の光は何万年前の光
みたいなことですかね
よく考えたら
光を越えられなくても遠いと自動的に見えるのは過去になっていきますよね

投稿: 万物創造房店主 | 2011年11月29日 (火) 17時25分

>僕らが見ている星の光は何万年前の光
 
そうですね。
光が届く"先"に自分達が存在して、
それをキャッチしていると。
星の光は受動的に受けているだけだけど、
(観測技術の向上でより遠くまで覗けるようにはなった)
もし光を越えることが出来れば、
先回りするとか、
追いかけて抜く
とか"能動的"に理論上は出来るはず
ということですね。
「能動的に出来るはず」=タイムマシーン
と言っているだけだけど、
自動車のような物に乗って時間を
道路のように走れる概念自体が発明に
近くて皆、憧れるのでしょうね。
 
"タイムスコープ"(時間観測望遠鏡)
では何となく詰まらないですね(^^;)
スゲー頑張ってもそれくらいしか、
自分等人類は出来ないのですが。
 
>光を越えられなくても遠いと
>自動的に見えるのは過去になっていきますよね
 
そうですね。実は我々の世界は距離が
あれば、見えているのは何もかもが過去の産物
なのですよね。高校生頃に読んだ相対性理論入門の
"漫画"の受け売りですが(^^)
例えば、
テーブルの上に置いてある果物は、
それ自体が存在しているかどうかは我々は
触ってみないと判らず、見えるだけならば、
我々の視覚に届いて脳が映像を作成する間に
爆発して消失しているかもしれないわけですね。
 
こう考えていくと、毎日生きていることが
奇蹟に思えてきて楽しく生きられます( ̄∇ ̄)

投稿: kuroneko | 2011年11月30日 (水) 00時57分

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