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2011年11月 6日 (日)

映画「サクリファイス」

2010年に見た映画(二十五) 「サクリファイス」

原題名: Offret / The Sacrifice
監督: アンドレイ・タルコフスキー
脚本: アンドレイ・タルコフスキー
撮影: スヴェン・ニクヴィスト
音楽: ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
出演: エルランド・ヨセフソン,スーザン・フリートウッド,アラン・エドヴァル
時間: 149分 (2時間29分)
製作年: 1986年/スウェーデン・イギリス・フランス

2010年 3月鑑賞
(満足度:☆☆☆+)(5個で満点)

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 巨匠タルコフスキーが描く核戦争後の世界を生きる人々の
"内なる闇"を描く。

 

 予告編が終末感に溢れていて演出にスピード感もあってスリリングで
期待度からするとタルコフスキーの作品の中では断トツで鑑賞に臨んだ
が、、全く"乗れず"。ケロイドに侵されたわけでもない人々がジタバタする
様には残念だが滑稽感を禁じえなかった。

 映画=タルコフスキーと言っても決して過言ではない巨匠に、自分は
"核戦争後の世界"の何を描いてほしかったかと言えば、、

「日常を当たり前に過ごすという人類永遠の最高の幸福」

を完全に永久に失ったことと、放射線と熱線によって生きながらにして
人体が破壊された無残なゾンビ状態を、タルコフスキー流の地獄を
視覚的に描いて欲しかったが、究極なまでに『観念的』に恐怖して
右往左往する(というより引きこもる)人々が延々と執拗なまでに描かれ
ていて、勿論これはこれで充分に芸術的な且つ形而上学的作品と
なってはいるが個人的には少々ガッカリしてしまった。

 率直に言って、被爆した国の民の一人としてはこの作品はどうも
受け入れ難い。

 欧米の人々は徹底的に根底から「自らを罰を被る・非を認める」という
ことが全く・到底・まるで出来ないのだなあということはとてもよくわかる
作品だ。結果論的に人類のとって不味い状況が現出され、その犯人は
明白であるが事実がどうであれ、

『絶対に、絶対に、絶対に、自分達の非を認めるのは絶対に嫌だ

というのであれば、どうするかというと、これはもう無実の人間(人種)を
捕まえてきて、自白を強要し、土下座を強要し、犯人に仕立て上げる
しかない。

 つまり、私達が所有し、半ば無意識下において肯定させられている
『歴史』というものそのものの姿が本作の下地には敢然と存在する。

"それ"を描いたのだとすれば、大変な傑作だと言えるかもしれない。
"それ"を描いたのかもしれないとも思う。

 観ていてなかなか哀しいものがあった。主人公が植える"日本の木"
という言葉も、核(=ヒロシマ、ナガサキ)という暗喩も、尺八の音楽も、
何もかもが、実物を二発も喰らったこちら側の人間から観るとナイーブ
過ぎて抽象的で、結局の所は対岸の火事でしかないように思える。

 タルコフスキーの他の作品は、これから生きている限り何度でも、
何十回でも観て、楽しんで、味わって、咀嚼して、自分なりの解釈を
更新し続けていきたいものだが、本作に限っては、氏のこの作品に
込めた思いとはどんな物なのか聴いてみたい気がする。因みに
本作が氏の遺作となった。 

 

 どうなるか判りきっていて火を付けておいて、自分はほんの少しでも
火の粉を被らないように緩衝地帯を充分に設けておいて、21世紀の今
もって嗤っている人間達はいないか?

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