映画を楽しむ方法(3) ~映画を夢想する~
「桜田門外の変」(1860年3月24日,安政7年3月3日)の事を何となくwikiで
読んでいると、大老井伊直弼を護衛した彦根藩側の一人にして、藩随一の
剣豪とされた河西忠左衛門良敬という人に惹かれた。突然の襲撃と雪の
ために刀を柄袋で保護していたことにより後手に回った護衛側の中にあって
河西忠左衛門良敬は瞬時に状況を理解して、反撃を開始する。
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こうした不利な形勢の中、二刀流の使い手として藩外にも知られていた彦根
藩一の剣豪・河西忠左衛門は、冷静に合羽を脱ぎ捨てて柄袋を外し、襷を
かけて刀を抜き、駕籠脇を守って稲田重蔵を倒すなど、襲撃者たちをてこずらせた。
同じく駕籠脇の若手剣豪・永田太郎兵衛も二刀流で大奮戦し、襲撃者に重症を
負わせたが、銃創が酷く闘死した。その時の永田太郎兵衛の刀が、子孫の
永田茂(鈴木貫太郎の末弟)によって彦根城博物館に、赤備え甲冑等と共に
寄贈されている。斬りこみ傷が多数あり、激しい戦闘の生々しさを物語っている。
河西忠左衛門の刃こぼれした刀も同博物館に保存されている。
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(ウィキペディア "桜田門外の変"の項より)
井伊側は抜刀出来ずに素手で刀を掴み、耳や指が切断されるなど、現場は
凄惨を極めたが、河西忠左衛門の仲間が斃れていく中での戦闘準備の様子と
若手剣豪永田太郎兵衛の二刀流での二人の反撃シーンを史実としての大事件で
あることは置くとして、あくまでも映画的な展開として想像するとワクワクしてしまう。
河西忠左衛門、永田太郎兵衛、共に闘死している。河西忠左衛門は享年30歳。
永田は検索した限りでは不明。
個人的に結構好きな作品「男たちの大和/YAMATO」(2005)の佐藤純彌監督が
手掛けた作品「桜田門外ノ変」(2010)は襲撃側の視点から描いている作品で
あるようだが、公開当時は襲撃シーンのリアル描写が話題になったが、キャスト
を見た限りでは、井伊側のスポットは当てられておらず上記二人にはきちんとした
配役は無かったようで残念だ。史上名高い大事件なので描くべき事は幾らも
あるので仕方が無いと言えば仕方が無い。
突然のテロに不断の訓練がモノを言ったであろう、冷静な判断と行動で"敵"を
大いに困らせた河西忠左衛門は自分の外見的なイメージは大友柳太朗(1912
-1985)。その場合に描かれる物語はイデオローグ的な点ではなく、剣の腕を
ひたすら磨き、主に仕えた有能な一藩士から見た"幕末"ということになる。
永田太郎兵衛は誰が良いか、、大友柳太朗はいかにも腕が立つオーラを出す
"好漢"なので、永田役は剣は滅法強いが、斬ることに躊躇いを覚える優男
という配置がベタだけどいいかもしれない。こちらは昨今の若手俳優で担い手
は困らないように思う。
永田太郎兵衛はwikiには"若手剣豪"とあるが子孫を残しており(もしかしたら
養子かもしれないが)、子の永田廉平は海軍大尉として日清戦争(1894-95)に
おける黄海海戦で戦死されているようだ。永田家の跡を継いだのが終戦の
幕引きの大役を担うこととなる鈴木貫太郎(1868-1948)の末弟の茂であり、歴史は
連綿と続いている。奇しくも鈴木貫太郎もまた二・二六事件(1936)で暴徒に襲撃され、
頭部を拳銃で打ち抜かれながらも生還し昭和天皇の信任の下で時代を回転
させていく重要な役割を担う。
私達は奇蹟的な人の繋がりと時事の判断と結末の連続の中で生きている
のであり、日々観ている映画の内容・主張、製作国、作品規模もまた時代の
流れという巨大な大河の中に"在る"に過ぎない。
我々は、何を観て、誰に、なぜ、拍手を送るのか?どんな作品を、どうして、
作るべきなのか?または作ってはいけないのか?
映画は"それ"について時に語り、時に沈黙し、消えていく。或いは"消されて"往く。
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