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2012年2月

2012年2月27日 (月)

観_12_02_26

観_12_02_26  <<  >>

  

 都内某所で映画を観る。朝起きる直前までは今日の鑑賞は
一本だけにしようと思っていたので、目覚まし時計を止めた後も
布団の中でヌクヌクしていたが、冷静に考えてみると、今日スルー
しようと決めた作品は見落とすと再会は極めて難しいという結論
に達し、スルーしないことに変更。急いで仕度をして家を出る。

 こういう場合のパターンは完全に決まっていて、今度は上映時間
に間に合うには一刻の猶予もならない。そして、こういう時に限って
"必ず"可愛がっている野良猫ちゃん(雌)が
「ちょいと、兄ぃさん寄っていかないのかい」
といつにも増して可愛い仕草で出発を阻止する。当然の如くに
「寄らいでか」と貴重な数分を費やして猫と楽しく遊ぶ。当然の
選択。後は走りに走って何とか間に合った。一本目の作品の
劇場も数年も前に行ったきりのご無沙汰であったので相当に焦っ
た。

 鑑賞した作品は70年代の邦画と80年代のレポート的な作品。
一本目の方は監督が自分のなかではまだ評価は定まっていなく
て過度の期待はすまいと思って鑑賞したが脚本がしっかりして
いて楽しめた。脚本は映画の地図であり設計図であることを改
めて認識。何十回目かの認識であるが。

 ここ二週間ほどは仕事に"かまけて"いて前売り券購入済みの
作品がとっくに上映は終わっているかと思い恐る恐るネットで
調べてみると有難いことにまだやっていて間に合いそうだ。

 毎年恒例の『"春"との仁義無き戦い』が今年も盛大に始まり、
例年になく精神的に厳しい日々が続く。去年は3.11大人災があった
ので春との"それ"は良くも悪くも?いつのまにか終わっていたが、
今年はその分例年の2倍は手強いかと思われるが、自分も毎年
細かなバージョンアップと反省と復習・予習を重ねて戦闘に挑んで
いるので今の所はどうにかなっている。


 

 


 
  

 
 
 







 



  

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

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2012年2月18日 (土)

映画「殺しが静かにやって来る」

2010年に見た映画(三十六) 「殺しが静かにやって来る」

原題名: IL GRANDE SILENZIO
監督: セルジオ・コルブッチ
脚本: ヴィットリアノ・ペトリリ,マリオ・アメンドラ,
ブルーノ・コルブッチ,セルジオ・コルブッチ
撮影: アレハンドロ・ウローア
音楽: エンニオ・モリコーネ
出演: ジャン・ルイ・トランティニャン,クラウス・キンスキー,フランク・ウォルフ
時間: 105分 (1時間45分)
製作年: 1968年/イタリア,フランス

2010年 4月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点)

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 "マカロニウェスタン物"としては、白銀の世界が舞台(設定上
ではユタ州のスノーヒルとい小さな町)というのは異色なようだが、
このジャンルは事実上未踏なので全く先入観無く鑑賞。エンニオ・
モリコーネの音楽が耳に心地よい。

 主役の"サイレンス"を演じたジャン・ルイ・トランティニャンはかなり
若く見え、駆け出しの頃の初主演作かと思い調べてみると製作時に
38歳。何か計算がおかしい気がする。20代前半の若者に見えた。
敵役の悪徳賞金稼ぎ"ロコ"のクラウス・キンスキーの情け容赦ない
「詩情の無い」殺し屋っぷりと賞金と換金する為に射殺した死体を
丸太のように扱う悪魔っぷりが何ともエグイ。"安楽な年金生活を
送るために稼がにゃ"というような字幕が出るが全くもって決闘の
美学もクソもなく、髪も肌も白く憎憎しい"白い悪魔"と呼ぶに相応
しい演技をしている。西武劇というよりホラーの様相を呈している。

 「"西部劇"=殺し合いだから当然野蛮であり死体が出てくる」という
エクスキューズを完全に逆手に取って、人体損壊を楽しんでいる
傾向を感じてしまうがこの辺のジャンルは全く手付かず状態なの
でよく判らない。カリバニズムが確実に入っている感じがする。

 ヒロインの裸の描写が露出は控えめだが演出上手くてエロい。
ラストの終り方もこの手の作品としては極めて異色らしいが自分は
好きな終り方で納得。

 本作「殺しが静かにやって来る」は所謂マカロニウェスタン物の
中での評価は高いようだが2012年2月現在、ウィキペディアには
項目が無いようだ。"マカロニウェスタン"というシステムは"スター
ウォーズ"のそれと同様にテーマパーク的であって実際に体験して
(観て)大いに楽しむものであって語るものではないような気もする。
したがって劇場にはマカロニウェスタン並びに西部劇を愛してやま
ないと思われる人々が実に楽しそうに談笑していた。完全にコスプレ
して鑑賞に臨んでいた人もいたり(別に浮いた雰囲気でもなかった)。
自分は乗りが悪い人間であることを久しぶりに思い知った夜でも
あった。意訳も多そうでイタリア語が判ればきっと面白さは10%増し
以上になるのではと思いながら鑑賞。

 ジャン・ルイ・トランティニャンは作中で演じる設定だけでなく明らかに
モテそうな男であるが、風貌に気品があって嫌味がなくて男子たるもの
こうありたいものだ。「トリコロール/赤の愛」(1994)でも当時60歳半ば
でありながらイレーヌ・ジャコブが演じる美しき"ミューズ"(女神)である
主人公のヴァランティーヌを正面から口説いても全然おかしくない
素敵な老紳士振りを見せている(実際に男女の愛をテーマの一つに
している)。シャブロル「女鹿」(1868)での美女二人から激しく求愛され
且つ応じながらもブレない様は嫉妬よりも爽快感を感じる。

 

[マカロニウェスタン]
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マカロニ・ウェスタンとは、1960年代 - 1970年代前半に作られた
イタリア製西部劇のことである。大半のものはユーゴスラビア(当時)や
スペインで撮影された。イギリス・アメリカ合衆国・イタリアなどでは、
これらの西部劇をスパゲッティ・ウェスタン (Spaghetti Western) と呼んで
いるが、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』が日本に輸入された
際に、映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」と
いうことで「マカロニ」と改名した(中身がないという暗喩も含んでいる
という説もある)。日本人による造語であるため、マカロニ・ウェスタン
という言葉は他国では通用しない。
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(ウィキペディアより)

 

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2012年2月16日 (木)

観_12_02_15

観_12_02_15  <<  >>

  

 都内某所で映画を観る。冬の"寒さ"から春の"冷たさ"
へと大気はシフトした。そして、また今年も『春』という名の
強敵と戦うシーズンとなった。去年は3.11大人災の猛威に
呆然として身を屈めている間に皮肉にも春は去っていた。
今年は戦争よりも遥かに最悪な大人災に引き続き日本
全土が締め上げられ、蛸殴り状態の中で自分は怪獣映画
の中の一体のように春という自分にとっての猛獣と組み合い
何度か地べたに叩きつけられる。流石にもう慣れましたが。

 勝てませんが負けません(多分)。欲しがりません。勝つまでは。

 鑑賞した作品は50年代の邦画。超一級品の作品で眼福。
映画を作るのにお金は必要だが、珠玉と呼ぶに相応しい
作品にはお金はあくまでも"サブ"であることをまたしても確認。

 終わる気配のない3.11大人災と憂鬱な春とイケテない会社と
判り合えない上司様と経済崩壊と混迷極める日本の政治と
、、、敵が多すぎてホトホト疲れたので月末は少しばかし
散財して気晴らしするです。


 

 


 
  

 
 
 







 



  

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

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2012年2月 4日 (土)

速_12_02_04

速_12_02_04

   
 

 自宅のパソコンはテキスト関連記事の作成とか保存と、後は
webを見ることにしか使わないのに動作が結構遅い。ブログに
記事をアップする時とか、単に文章書く時とか簡単に数秒間、
長い時には数分の麻痺状態に陥る。

「4,5年前に買った奴だからまあ仕方無いか、、」(一_一)

とず~~~~~っと思っていたところ、ここ一週間とある作業に
没頭していていい加減に遅さに嫌気がさして調べてみたところ、
何もしていなくても稼働率が異常に高い(ほぼ100%の使用率)こと
に(ようやく)気が付いた。

今までずっとこんなんで使っていたのか? (゚д゚;)

 とりあえず該当する機能は不要な代物のようなので止めて
みた。稼働率が一気に下がる。通常の作業をやってみる。

滅茶苦茶(ってほどじゃないが)速いじゃないか!!!!!( ̄ロ ̄lll)

感動が今も続いている。が、その感動に伴い、これまでクソ遅い
状態を放置したままで長年使っていて浪費した時間を思い
気分
悪くなってきた(←自業自得)。まあ今日から取り戻せばいいか。

 

反応速い。キーボード打つの快適。漢字変換も速い。マウスの
動きも、ウィンドウの動きも速い。全ての操作が。。嗚呼(゚´Д`゚)

で、何の機能がこれまで動いていて止めたのか判らず。。
まあいいや。あ~楽。速すぎて怖い。。\(@o@)/


 
 
 
  
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

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映画「ハート・ロッカー」

2010年に見た映画(三十五) 「ハート・ロッカー」

原題名: The Hurt Locker
監督: キャスリン・ビグロー
脚本: マーク・ボール
撮影: バリー・アクロイド
音楽: マルコ・ベルトラミ,バック・サンダース
出演: ジェレミー・レナー,アンソニー・マッキー
時間: 131分 (2時間11分)
製作年: 2008年/アメリカ

2010年 4月鑑賞
(満足度:☆☆)(5個で満点)

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 イラクのバグダッドで爆破処理作業に従事する男達を描く。

 

 "戦闘行為"の最前線に立つ兵士としてではなく、"命の消失"の
最前線に立つ爆破処理という地味で根気のいるであろう地道な
作業を描いた作品を期待して観たが、そういった描写もあるには
あるが全体の趣きは違った。

 戦争という困った行為の普遍性を描くのではなく、世界的に
武力を展開することで秩序を維持しようというパックス・アメリカーナ
を強く肯定する作品であり、その肯定が恐らくは無自覚であることが
この作品をB級作品たらしめ、多くの観客を困惑させ、特定の視点を
持つ観客からは怒りを買うであろうと思う。

 中盤の敵を殲滅するシーンにおいて、敵か味方かの判断は
決められた法と具体的な識別に基づくものではなく、同じ民族か
同盟国であるか、それ以外または異民族であるという非常に大雑把で、
判断の誤りによる無用な殺戮が起こるであろう状況を強く肯定する
ものを感じ軽く戦慄を覚えた。古来から連綿と続く宗教戦争と非常に
根深い排他的な力学から結局一歩も出ていないことを思い知らされた。
イラク戦争が"そうだ"というばかりではなく、映画の描写の組み立てと
方向性が実際に起きている戦争と全くの相似形であるという点において。

 後半で主人公(ジェレミー・レナー)がある事件の核心に迫るが
ここでも事件の真相はほぼどうでも良く、その事件の発端の理由付けは
今日の視点としては問題があり、「我々の側は常に正しく、悪は我々
以外の何かである」というメッセージが強力な電磁波のように張られて
いて、結局そのことが作品を貶めてはいないだろうか。ジェレミー・レナー
演じる主人公は現地の人々に偏見を持たないように自戒しながらの
行動である点はそれなりに描かれているので、本作にかかっている
強いバイアスが余計に気になり作品を単純に楽しむわけにはいかなく
なってしまっている。

 映画とは莫大な金の投入の果実であり、とりわけハリウッド映画は
果実を無料で食わしてくれるわけではなく、原価を回収するのは当然
として、『利益』が出なくてはそもそも作られることはない。本作が監督
キャスリン・ビグローの元夫であるジェームズ・キャメロンが描いた壮大な
世界「アバター」(2009)とアカデミー賞で激しく争い、且つ勝利したのは
当然の成り行きだったといえる。「ハート・ロッカー」はある"力場"を維持
する側の作品であり、「アバター」は現実世界に疑問符を投げかけ
システムを変革するメッセージを込めた作品であったのだから。

 戦争物の作品として、視点を一つ提供している作品ではあるが、
観客の視点を巧妙にコントロールするレンズの確信犯的な歪みは
強く、今後も「アバター」と賞を争った作品として見られ、製作スタッフに
とっても良いことではないが、これが『ハリウッド映画』という"見世物"の
宿命の一つでもあるのだろう。

 監督のキャスリン・ビグローに手腕があることは間違いなく、本作は
骨太な風格を持っていて作品という箱としてはきちんと出来ている。
「ハートブルー」(1991)
「ストレンジ・デイズ」(1995)
「K-19」(2002)
は学生の頃に観ていてどれも楽しめた。本作も含めて"闘う男"への
賛歌と肯定があるように思う。キナ臭いものはキナ臭いものとして
韻を踏んで、その下にあるsomethingを描く力がこの監督にはあると
思うが、どこまで自覚を持っているかによるだろう。

 ジェームズ・キャメロンは1945年8月の広島・長崎への原爆投下の
過程を克明に描いた作品を作ろうとここ数年模索しているが頓挫した
ままになっている。原作に虚構が入っていたことが主な問題であると
されているが、恐らくは製作は進みそうもなく、完成することも残念ながら
ないであろうことが本作の基幹部分を貫いているある強力な見えない
「磁場」を見せ付けられることで"この世界"の一端が垣間見えた気が
した。

 我々一般市民は映画という箱と中身を見ているのではなく、知らない
間に箱の"中"に入って、箱の中に招き入れた興行主が「見せたい物」を
見ているに過ぎない。だから、そのショーの合間・合間、幕の開閉の
瞬間、演者の表情、口上の"間"をよく観ていると面白い別の物も見えて
きたりする。それすらも、興行主の狙い通りだったりするが。。

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