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2012年3月 4日 (日)

歩_12_03_03

歩_12_03_03

   
 

 ここ二ヶ月の会社での苦闘が一応の収束を見る。昨夜は
終電で帰宅し、疲れでウトウトしているうちに降りる駅を通過して
しまい、小雨の中を陰鬱な気持ちで線路沿いをトボトボと一駅歩いた。
東京の郊外なので一駅分と言ってもちょっとした距離だ。

 苦闘から一応の解放を見た本日は『春』という"敵"との戦いも
継続中ということもあり、心静かに多忙で散らかっていて部屋を
少しだけ片付けて前から歩いてみたいと思っていた通勤途中に
見ていて某駅付近を散策してみた。

 歩いてみたいという衝動に大した根拠は無かったのだが、
ここ一年嵌っている某作家が住んでいる界隈だということを
後で知り、自分の衝動の理由付けにしてみた。全くもって
何の変哲もない日本中にあるであろう閑静な住宅街が続いて
いるに過ぎないのだが、区画整理をきちんとやらずに道路
が整備されてしまったことによる一種の"整理されない美"
とでも呼ぶようなものと、隙間無く住居が建ってしまったことで
最早再開発される恐れもないであろう安心感が某作家が
飽くことなく住みつづけ、日々の風景を描写し続ける理由
なのかもしれない。某作家が具体的にどこに住んでいるのかは
知らないが、バッタリと出くわすか、お住まいを発見するのでは
と過ぎ行く住居の表札をチラ見しながら歩いてみる。

 今年の東京の春は夜の冷え込みが例年よりも明らかに厳しい
ように思う。大地震による地殻の変動で地表に変化が起きた為に、
保温機能が落ちているのか?

 3.11大人災の発生から一年が経過して、関東ではここ数週間
大きな揺れの頻度が不気味に高まっていたり、富士山の活動
にこれまでにない兆候が報告されたりして、人々の不安を煽る
"デマ"への警戒感が強まっている模様。しかし、元々"デマ"
というものは正確な情報が逐一出されなければ必ず起こるもの
で、普段な平常な暮らしの中においても流される情報の精度と
信頼性・誠実性から言えば残念ながら"デマ"か"ゴシップ"の
域を出ない情報の方が普通ではないだろうか。一年前の3.11
大人災の時だって"デマ"は流れたことは流れたが、ほんの少し
冷静に考えればおかしいと思えるような内容であり、デマだ
デマだと騒いでいる方がよほど目立っていた。

 原発への対応も被災地の復興の妨げも、3.11大人災を契機
とした我が国のエネルギー対策、予算配分も、デマではなく、
「正しい認識と将来への予測」に基づいた対応など一体どれほど
あるというのだろうか。

 
  
  
 
 
 
  
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

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