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2012年4月14日 (土)

映画「監獄の記憶」

2010年に見た映画(四十三) 「監獄の記憶」

原題名: Memórias do Cárcere
監督: ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
脚本: ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
出演: カルロス・ヴェレーザ、グロリア・ピレス、ジョフレ・ソアレス
時間: 188分 (3時間8分)
製作年: 1981年/ブラジル

2010年 5月鑑賞
(満足度:☆☆☆☆☆)(5個で満点)

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独裁政権の弾圧によって監禁された作家グラシリアーノ・ラモス
の受難を描く。

 

 本編が始まってしばらくは、その"映画作品としての洗練さ"ゆえに、
荒削り感と圧倒的なパワフルさが感じられる点において同監督による
「奇蹟の家」(1977)の方が好きかなと偉そうな事を思いながら観ていたが、
これ以下は無いとう状況下に主人公の作家が置かれる中盤以降からは
グングンと映画全体のポテンシャルは上がり最後には

「面白い(=優れた)映画を観た」満足感で体中が満たされた。

 "流刑"の言葉も相応しい島流しに遭う後半は、共産主義(≒全体主義)の
恐ろしさを描く「キリング・フィールド」(1984)と、「人が人として生きる」制度
そのものが無い時代の無常を描く溝口健二の「山椒大夫」(1954)を合わせた
ような恐ろしい展開が待っているのだが、

"「人」というものは根源的には変わらないものだ"

と訴えたいかのような監督ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの確固たる主張は
微塵も崩れることなく俳優達も実によく応えて演技をしている。「立場や主義に
一切囚われない人間の肯定的側面に向ける眼差し」は真に本物だ。

 後半で展開される最低の環境に囚人達を放置する看守に所長の誕生日を
賛辞する言葉を代筆するように依頼された主人公が理路整然と、それゆえに
痛烈な拒否となる返答の部分とクライマックスでのベッドを巡る応酬は白眉である。

 囚人達に一切の"人間としての個"を捨てることを強要し暴力も厭わず
病人が出ようが死人が出ようがお構いなしの看守が病人として扱われ
重労働は免じられているとはいえ全く同じ苛烈な状況に置かれている主人公
に最低な状況を放置して姿も見せない所長の誕生日の為のスピーチを
平気で依頼する。

 

「言葉は、その気持ちを持たない者によって作られれば
絵空事に過ぎなくなる」
 
「もし貴方が私と同じ囚人の立場で依頼されたらどう思うか」

 

上映時間全体の1/3程度にも達する流刑地における囚人達の生活描写は、
なぜこれほどまでに長い描写が必要なのかと思えたがこの短いやりとりに
凝縮され結実している。

 終盤においても同様で、死人が遺したベッドをちゃっかり占有した囚人から
法外な値で買うことを勧誘され主人公はあっさり受け金を支払う。側にいた
共産主義革命を夢見る老人は「そのベッドは病人に優先されるべきだ」
もっともらしいことをのたまうと主人公は激高する

 

「病人がいたら代わってやるから連れて来い。しかし、このベッドは
私が"買った"ものだ。誰が何と言おうと私のものだ。どくものか!!

 

民衆のためだとか、平等だとか最もらしいことをいいながら資本主義、経済
至上主義以上のデタラメと窃盗に過ぎない搾取による共産主義(≒全体主義)の
過ちへの怒りを専制主義への批判と同じ刀で否定する見事なシーンだ。

 「奇蹟の家」と「監獄の記憶」の二本を観るだけで、どれほど栄養豊かな
本当の意味での民主主義的なるもののなエッセンスを体に注入できて、後の
人生にプラスに働くことだろうか。ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの作品は
全部観たい。

 

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