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2012年9月30日 (日)

映画「幕末残酷物語」

「幕末残酷物語」

原題名: 幕末残酷物語
監督: 加藤泰
脚本: 国弘威雄
撮影: 鈴木重平
美術: 富田治朗
出演: 大川橋蔵,藤純子,河原崎長一郎,大友柳太郎,木村巧,西村晃,内田良平
時間: 99分 (1時間39分)
製作年: 1964年/日本 東映京都

(満足度:☆☆☆☆+)(5個で満点) 
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元治元年(1864年)六月、池田屋事件起こる。討伐を終えた新選組の隊士達は、
返り血を払うこともなく撤収した。遅れて現場に到着した沖田総司が壮烈な現場を
後にしようとした時、一人の男と眼が合った。男の名は波江三郎。後に新選組の
隊士となった波江が見たものとは。。

 

 OPのテロップに出てくる今となっては錚々たる顔ぶれに見ているだけで嬉しくて
ニヤついてしまう。西村晃、大友柳太郎、藤純子、鈴木清順(助監督)、、
まずは、西村晃のドSで高圧的な土方歳三が終始圧倒的な輝きを放っていて
大変心地よい。その素晴らしきSっぷりを何度も共感しては苦笑。大友柳太郎版の
山南敬助も出番はやや少ないながらも流石の圧倒的な存在感だ。タイトルの
"残酷"の意味の一翼を担う監察方の山崎蒸を演じる内田良平もまたSっぷりが
なかなか決まっている。本作はタイトルの通りに残酷な内容なので、世の"S"と
"M"の方々にはご満足頂ける内容の作品となっております。

 主役の波江三郎演じる大川橋蔵(二代目)は全盛期には市川雷蔵(八代目)や、
中村 錦之助(後に萬屋錦之介)と並び称される大スターだったことは全く一切知らず
に鑑賞した
のと本作は群像劇としてきちんと成立しているので「なぜこの人が主役
なのか?」と一種不思議な感覚を持ちつつ鑑賞した。因みに子供の頃テレビで見て
親しんでいた「銭形平次」の平次を演じていた人が大川橋蔵その人であった。「銭形
平次」は18年も続いたシリーズだったのか。。

 沖田総司演じるは「人情紙風船」(1937)、「大日向村」(1840)などの映画的見地
から見て神話の時代といってもいい諸作品に堅実な演技で出演されている河原崎
長十郎 (4代目)の長男の河原崎長一郎。近藤勇や土方歳三に心酔し、追随するだけ
ではない"一個人"の視点を持つ沖田をなかなか気合いを入れて演じている。

 監督の加藤泰と脚本の国弘威雄のコンビによる本作は、必ずしも"新選組"
という実在した佐幕側の武力組織そのものを残酷だと言っているわけではないことは
観ていて明らかである、、かどうかは定かではないが、一方的な思い込みか有無を
言わさない肩入れでどっち側からしか描けない泡沫の作品とは一線を画している。
国弘威雄は「樺太1945年夏 氷雪の門」(1974)でも脚本を担当している人だ。

 組織は組織運営そのものの"為"に生き(その具現者が本作の場合は土方歳三)、
その組織の中で生きる者は下であればあるほど組織のトップに恥も外聞もなく
従属しなくては生きていくことは出来ない。

 加藤・国弘コンビは従属そのものを残酷だと言いたいのではないだろうか。

 『剣の道に生きる』などと勇ましいことを口では言ってみたところで、内実はその
剣は自分の保身の為の道具であるに過ぎず、その保身のために剣を向けられる
相手は命をただ単に奪われる以上の意味を持たない。。

隊士の一人は叫ぶ

『許されれば、どんな非道なことをしてもいいのか』
西村晃版土方歳三はそんな叫びに耳を貸すことなく、ただ冷笑するだけだ。

馬鹿馬鹿しいから冷笑しているのではない。

そんなことは分かっているから、

自分達の手についたに正当性など、あるわけが無いことは分かっているから
冷笑するのである。

そんなたわ言は「局の外」で叫んでくれよ。
そして、局を脱する者には『』あるのみだ、と。

 クライマックスは、一瞬の目配せのシーンから怒涛の勢いでカオスへと雪崩
落ちる。隊士達が無数にいるかの如く画面いっぱいにひしめくシュールな混沌と
モノクロならではのコントラストの美しさ邦画史に残るものであり今後、うかうか
しているとまた海の向こう側で先に再評価されてしまうだろう。撮影を手掛ける
鈴木重平は、氏は「ポルノ時代劇 忘八武士道」(1973)でも美意識に溢れた良い
仕事をされている。

 西村晃の"気迫"は「燃えよ剣」によって長く一時代を築いた栗塚旭の造形した
土方歳三に負けまいとしている"それ"なのか。。と思いきゃ栗塚旭版土方歳三が
席巻するのは本作の翌年である。その点を加味するとと、本作の西村晃版の土方
歳三の造形はより評価してよいと言える。

 新選組を"物語る"上で定番「50両の紛失」による隊士の粛清のエピソードは、本作
では土方歳三と山南両氏による白熱の論戦が、まるで国会での代議士の議論の
ようでなかなか興味深いシーンに仕上がっている。土方も山南もそれぞれを慕う隊士
達を率いる派閥のボスであるかのような見える。恐らく意図的に代議士然として撮って
いると思われる。

 近藤勇を議長のようにして他の隊士達の空気を読みながら発言していく両巨頭(土方・
山南)とうう構図を描き、寸暇を惜しんでは習字に励んだといわれる近藤勇の微笑ましい?
エピソードもさりげなく挿入されていて「新選組」に少なからず興味がある人間にとっては
細部が楽しい作品となっている。

 池田屋事件から時代は激しく流転を続け、大政は奉還され、260余年続いた徳川幕府は
遂に消失する。僅か数年後の慶応四年(明治元年)四月、近藤勇は坂本龍馬殺害の嫌疑
で、恐らくは近代日本において初の冤罪により切腹ではなく、死罪を申し渡され、斬首に
処せられる。享年34才。その翌年(明治二年)、土方歳三は近藤の後を追うように北の大地
の戦場で腹部に銃弾を受け戦死する。享年35才。

『許されれば、どんな非道なことをしてもいいのか』

結局、佐幕側・官軍側のどちらにおいても、この叫びは通じようも無いのである。
時代は流れ、百数十年後の今の東西南北の世界においても、また。。。

『許されれば、どんな非道なことをしてもいいのか』

 

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